第05話 First Game
大通り側の窓から聞き慣れない音が近づいて来た。車の排気音である。
「何?あの音・・・?」
田舎暮らしのレイチェルには何の音か分からず、いぶかしげな表情を浮かべる。チャイムは横になっていたベッドから飛び起き、慌てて窓から通りを眺めた。
黒塗りのトレーラーが宿の入り口を塞ぐように止まった。運転席と荷台から黒いスーツを着た男達が静かに降りてくる。人数は十人弱。思わず硬直するチャイム。そのうちの一人、赤毛の短髪の男と目が合った。すると、男の口元が笑みの形につり上がる。
「追っ手よ!!早く荷物まとめて!!」
マントと剣を身に付け、荷物の入ったザックを持って宿の部屋を飛び出る。チャイム達の部屋は宿の三階にあったが、そこからでも下の階で争うような声が聞こえて来た。他の宿泊客も何事かと部屋のドアから顔を出し始める。
「何が人目の多い場所にいれば安全、よっ!!全然大丈夫じゃないじゃない!!」
この宿に案内したエアニスの言葉を思い出し毒づく。チャイムもその通りだろうと思っていたが、相手は人目などお構い無しのようである。少し遅れてレイチェルが部屋から出て来た。
「裏口に螺旋階段があったわ。そこから外に出れるかも!!」
ここから外に出るには、正面の入り口か、宿の外壁に付けられた螺旋階段の二択しかなかった。
廊下の奥の窓から螺旋階段が繋がる裏路地を覗き込むと、そこには既に目つきの悪い黒服が二人立っていた。チャイムの姿に気付くと、男達は上着の下に手を伸ばし、チャイムを牽制した。上着の中にあるのは、どうせ拳銃なのだろう。
「こっちも駄目ね・・・」
宿の中の階段からは、バタバタと幾つもの硬い靴音が近づいてきた。
「どうしよう、チャイム!?」
チャイムは敵と戦い、ここを突破する方法を考えてみるも、やはり銃を持ち出す集団を出し抜ける自信は無かった。レイチェルの魔導を使えば何とかなるかもしれないが、間違いなくこの建物や、他の客を巻き込んでしまう。
「・・・部屋に戻りましょう、扉にバリケード作って、時間稼いでるうちに表の窓から屋根伝いに逃げるのよ!!」
大通り側の窓から外に出れば、流石に彼らも通行人の目を気にし銃を撃ってくる事は無いだろう。今、大通りからこの宿を見ると、見慣れない車と男達が集まっているというだけで、まさか宿の中で憲兵隊に通報されるような事件が起こっているなんて、きっと誰も思わない。だから彼らも、これ以上衆目を集めるような真似はしない筈だ。そんな読みだった。
部屋に入るなり二人でクローゼットを引き倒し、ソファーとベッドで扉を塞ぐ。それと同時にドアが激しく揺さぶられた。
「チャイム、早く!!」
レイチェルが窓を開けようとした時
パンッ!
突然、窓ガラスが内側に砕け散った。
ばづっ!、ぼっ!!
続けて窓の木枠が大きく抉られる。銃声は聞こえなかった。サイレンサーを使っていたのだろうか。
驚いてへたり込んでしまったレイチェル。状況を理解し、チャイムの胸にも絶望感が広がる。発砲音を消す程度の配慮はあるようだが、相手は衆目の目など殆ど気にしていない。それとも既に人払いでもされているのだろうか。
ズドムッ
くぐもった爆発音と共に、部屋の入り口のバリケードが崩れ落ちた。爆弾か魔導か分からないが、チャイム達の耳が少し痛む程度の小さな爆発だった。横倒しになったクローゼットとソファーを乗り越えて黒いスーツを着た男達が四人、入ってきた。手には既に拳銃や銃身の長いライフルが握られている。
「レイチェル=エルナースとチャイム=ブラスハートだな?」
彼等の中から一歩前に歩み出た男が言った。部屋の窓越しにチャイムと目が合った、赤毛の男だった。
「今まで随分と手荒な連中が刺客として向かったようだな。
下の連中には、お前達を見つけたら手は出さず報告だけしろと伝達したんだが・・・手柄を焦った奴が沢山いたらしい。すまなかったな」
赤毛の男は場違いにも落ち着いた声で話し始める。今までチャイム達が遭遇してきた刺客とは明らかに雰囲気が違った。
「あら、アンタとあのごろつき達とどう違うのかしら?」
チャイムは言いながら腰の剣を抜く。
「そうだな、じゃあ、取引をしてやろう」
「取引?]
「ああ。だが、俺が取引したいのはレイチェル・エルナースだ。あんたじゃない」
「・・・」
いきなり蚊帳の外にされ、勢いを削がれるチャイム。
「取引って・・・?」
名指しされ黙っている訳にも行かない。レイチェルは戸惑いながらも赤毛の男の話を促す。
「俺達の目的は分かっているな。君の身柄と、君の持っている"石"だ」
「分かってるわ・・・」
赤毛の男はおもむろに銃口をチャイムに向けた。
「ここで素直に俺達について来れば、チャイム・ブラスハートの命は助けてやろう」
「!!」
「チャイム=ブラスハートに用は無い。むしろ、事情を知ってしまった分、消したほうがいい存在だ」
「・・・随分勝手な取引ね」
銃口を向けられながらも強がってみせるチャイム。声は上ずり、さすがに動揺を隠す事はできなかったが。
「そうかな?
もしこの場をお前達が切り抜けたとしても、そう遠くないうちに次の刺客が来るだろう。
その時の相手が、俺のような取引を持ちかけて来るとは限らないぞ。
むしろ、次はお前も消すようにと命令が出ているかもしれん」
「・・・・・・」
「いい加減、 "ルゴワール" からは逃げきれないと気づいたんじゃないのか?」
「問題外ね」
剣を構えなおすチャイム。それと同時に部屋に入ってきた黒服たちが一斉にチャイムに狙いを定めた。
「っつ・・・」
強がってはみても、自分達ではこの状況を突破できない事は分かっていた。
どうすればいい。この場から逃げ出すには、どうすればいい。
もし、"彼ら"に助けを求めていれば、こんな事にはならなかったのではないか。そんな思いが頭を駆け巡った。
「・・・分かったわ」
「なっ、レイチェル!!」
彼女の回答に、思わず声を上げるチャイム。
「私達だけじゃ、もう逃げられないわ。散々チャイムを巻き込んじゃったけど・・・今ならまだチャイムは助かるわ」
「駄目よ!!こいつらに捕まったら・・・」
「取引成立かな?」
満足そうな笑みを浮かべる赤毛の男。
だがその顔はすぐに怪訝な表情へと変わった。
下の階で騒ぎ声が聞こえる。部下達の怒号と足音。そして銃声。下階は武器も持たない一般人ばかりで突入と同時に制圧した筈だった。
「なんだ、何の騒ぎだ?」
騒ぎ声が静まったと思うと、今度は窓の外から騒ぎの声が伝わってきた。
「バルザックさん、閉じ込めていた一階の客達です!!外に逃げて行っちまいましたよ!!」
舌打ちとともに大通りを覗き込むバルザックと呼ばれた赤毛の男。一階に居た人間は宿に閉じ込め、騒ぎをこの建物の中だけで収めるつもりだったのに、これではぶち壊しである。
「何があった?
下に行って見て来い」
「はい、」
命令を受けた男が大振りのショットガンを構えて廊下に出ると・・・
「がふっ!!」
チャイム達からは、扉から出た男が突然のけぞって、後ろに倒れこんだように見えた。
「!?」
バルザックに驚きの表情が浮かぶ。チャイムに向けていた銃口をドアの向こうの廊下へ向けた。
「事情が分からない以上、ひどい怪我させちゃ駄目ですよー」
「わかってるよ、しつこいなぁ・・・」
廊下から聞き覚えのある間延びした二人の声が聞こえた。
琥珀色の髪を伸ばした無気力な顔の男。
貼り付けた笑顔に眼鏡をかけた、これといって特徴の無い男。
「よぉ、なんとか間に合ったみたいだな」
「すいませんね、お取り込みのところ・・・」
エアニスとトキは、さっきまで談笑していたのと同じ調子で部屋に入ってきた。
「あ、あんたたち・・・・」
呆気にとられる二人。いくら腕が立つからと言っても、まさかこんな修羅場に現れるとは思ってもみなかった。しかも、下の階の敵を何人か倒してきたようだ。
「お前達か?昼間に追っ手の部下を倒した、こいつらの用心棒とは?」
「用心棒ぉ?」
思わず呆れた声を上げるエアニス。
「なんだか勘違いされてるみたいですが、僕たち雇われてるわけじゃないんですけどね。
こちらのエアニスが勝手に通りかかって喧嘩しただけです」
エアニスは他に言いようが無いのか?と、内心思ったが、大筋間違ってはいなかったので反論しなかった。
「それだけだとしたら、なぜこんな場所に顔を出す?」
赤毛の男の言葉に顔を見合わせるエアニスとトキ。
自分の助けた相手がまた同じ危機に遭っていると知ったら、放ってはおけない。
エアニスが今ここに戻ってきた理由はそれだけであった。彼女達の抱える事情に興味があるというのも理由の一つだが、その辺りの心情をこの男に聞かせてやる筋は無いし、彼女達に対しては照れくさいし、何より面倒だった。
「街でゴキブリを見たんだ。で、巣穴が気になってな。街は綺麗な方がいいだろ?」
言いながら剣の柄に手を掛け、先ほど黒服から奪った拳銃を赤毛の男に向けた。
「フン、品の無い奴だ・・・」
話にならないと感じ、バルザックはエアニスとの会話を打ち切る。無論、エアニスにも話し合うつもりは欠片も無いのだが。
彼はレイチェルに向かい、先の話の続きを始めた。
「念のためもう一度聞くが、まだ取引をするつもりはあるか?」
レイチェルは静かに男の目を見返す。
こうなってしまっては自分も後戻りは出来ない。
彼らを信じ、全てを話そう。レイチェルの決心はついていた。
彼女はバルザックの視線を正面から受け止めて、答える。
「あなた達に・・・石は渡さないわ」
「レイチェル・・・!」
嬉しそうな表情を浮かべるチャイム。
エアニスとトキは話に置いて行かれて何のことかさっぱり分からずにいた。
「そうか。残念だ。
今回は、俺達が引かせてもらう。
次に会う時はお前達も一緒に片付けられるような面子を連れてきてやるよ」
赤毛の男は取り巻きの黒服に目で合図をすると、部屋の出口へと歩き出す。
「待てよ」
赤毛の男の行く手を塞ぐようにエアニスが壁に足を掛ける。
「このまま大人しく逃がすと思うか?」
トキが男の後ろに回りこむ。
「ダメですよ。ちゃんと憲兵隊が来るまで待ってて貰いますよ。
あ、先に宿のご主人と壊した物の弁償について話し合っておきましょうか? 逮捕された後ではそういった問題が後回しになりがちですからねぇ。
あぁ、ついでに貴方達の巣穴の場所も教えて頂きましょうか?」
二人に囲まれてもバルザックの余裕の表情は消えない。
「おい、こいつらに倒された奴を全員連れて先に帰ってろ。この二人は俺が相手をしておく」
面倒臭げに取り巻きの黒服に向い言い放つ。
「馬鹿。お前ら全員役人に捕まってもらうぜ。一人でも帰したら後々厄介だからな」
エアニスはバルザックに向けていた銃口を部屋から出て行こうとする取り巻きに向けた。
バルザックの体がゆらりと動く。
その動きに気づいた時は、バルザックはエアニスとの間合いを一気に詰め、いつの間にか抜き放ったダガーでエアニスの左腕を狙う。
「っ!!」
耳障りな金属と共に、エアニスの銃が天井へ跳ね上げられる。
もう少し気付くのが遅ければ、二の腕を持っていかれていたかもしれない。
バルザックは常人離れした動きで、胸元がガラ空きになったエアニスを襲う。
だが、完全に防御しようが無いタイミングで放たれた斬撃はエアニスが腰に下げていた剣に防がれていた。
噛み合せていた刃を二人同時に振り払い、互いに間合いを取る。
エアニスとバルザック、この短い攻防で、お互いの力の断片を垣間見て驚愕していた。
普通の強さではない。強さの為にあらゆるものを捨てた、常識から逸脱した者の強さだった。
エアニスにとって、これほどの使い手に会ったのは本当に久しぶりだったのだ。
ぞわり、
と、エアニスの全身がざわめいた。
悪い癖なのだが、強い相手と戦う時、エアニスの体には麻薬的な快感が走る。俗に言う、血が騒ぐ、という物かもしれない。
久々のこの感覚にエアニスの口元に笑みが浮かび、目元から笑みと"光"が消えた。
「へぇ・・・
楽しませてくれそうだな」
疼く体を押さえ込み、エアニスは剣を片手にぶら下げ、低い姿勢で構えた。