第57話 双子の夢- 中編 -
驚異的な一足飛びで跳ねるように飛んだザードは、茂みの中に飛び込み闇と同化する。マシンガンを持っていた4人のマスカレイドは、ザードが動いた瞬間から射撃を行ったが銃弾の雨は掠った様子も無い。
ガザザザザザザザザ
マスカレイド達の周りで、森の木々がざわめく。まるで獣が獲物を狙い、森の中を駆け巡っているようだった。
「何処から来る・・・?」
誰かが呟いた。不意に、木々の擦れる音が止んだ。
「ワッツ!後だ!」
トラキアが叫ぶのと、ザードが茂みから飛び出すのは同時だった。宙を舞ったザードは、抜き身の剣をワッツの肩口に叩きつける。ボスン、と、ザードの手元に鈍い手応えが伝わる。ザードの剣に叩き飛ばされたワッツは背中から倒れ込み、後ろ頭を打ちつける。
「あぁ!?」
大木をも両断する筈の斬撃は、ワッツの着るアダマンタイトの防弾服によって防がれた。ザードは手元に伝わるあり得ない程の鈍い感触に顔をしかめた。一度地に足を着けたザードは、再び低い姿勢で茂みの中に飛び込む。その間際に、マスカレイドの一人が持つマシンガンをすれ違いざまに両断して行った。
「は、速えぇぇ!! ヤバイぞあいつ!!」
ザード=ウオルサムの強さの一端を垣間見て、マスカレイドのメンバーに緊張が走る。再び彼らの周りでは、木々のざわめきが彼らを囲む様に走り回っている。
「狩られる側の気分だな・・・・」
トラキアがそう呟いた時、次の攻撃が来た。茂みから銃の発砲音が響き、木々の枝を吹き飛ばした。ザードの撃った散弾は、マシンガンを持つひとりに降り注いだ。しかし、男には散弾によるダメージは無く、その手に持つマシンガンだけがひしゃげて飛んだ。続いて打ち込まれた散弾も、もう一人のマシンガンを狙って放たれた。トラキアの表情に焦りが浮んだ。
「狙いは銃だ!」
最後の1丁を持っていた男の前に、ザードが茂みから踊り出る。縦に振り下ろされた剣は、男の腕を引っ掻きながらマシンガンを両断する。男を斬り付けた時の手応えに、彼は彼らが特殊な防護で身を包んでいる事を確信した。
トラキアを先頭に、ナイフを手にしたマスカレイド達がザードに襲い掛かる。
「うおおっ!?」
思いのほか鋭いナイフさばきに、ザードは思わず後ずさる。長剣で3人のナイフを捌くという離れ業を見せながら、更に右手の散弾銃を至近距離で撃つ。しかし散弾を全身に浴びた男達は僅かに仰け反っただけで、再びザードにナイフを向ける。ザードの剣はナイフを弾きながらも、何度が彼らの腕や脇腹を薙いでいる。しかし、剣の柄にはまるで粘土でも叩いているかのような鈍い感触が伝わるばかりで、彼らにダメージを与えられている様子は無い。ザードは舌打ちをした。
「噂ほどでもないな!!
剣の一振りで数十という人間を斬り殺すんじゃないのか!?」
敵の言葉に、ザードの目が獰猛に輝く。
「あぁ、・・・そんなに見たいなら見せてやるよ!!」
ザードは剣を振り抜いて、背後に大きく飛んだ。そして懐に手を伸ばす。
取り出したのは、大きな赤い石。僅かな月明かりに輝くそれは、ガラス玉かルビーか、見ただけでは何か分からない。それをザードは、自分の握る剣の鍔に押し込んだ。赤い石は飾りのように鍔へ綺麗に収まった。
ザードは剣を大きく振りかぶる。それは、マスカレイド達から随分と離れた、剣など全然届かない場所。トラキアはその時、ザードの剣に赤い光がまとわり付いているのを見た。猛烈に嫌な予感が背筋を駆け抜ける。
「飛べ!!」
トラキアの叫びと同時に、ザードの剣が真一文字に振り抜かれた。瞬間、マスカレイド達の間を一陣の赤い風が吹き抜けた。不吉な何かを乗せた風はマスカレイド達の間を過ぎ去る。
しかし、それだけだった。マスカレイド達は自分の体や周りの様子を伺うが、何も変化は無かった。本当に、ただの風だった。
「・・・くそ。
やっぱ街で吊るし売りしてる魔導石じゃ"石"の代わりにはならんか・・・」
バツが悪そうに、鍔に収まる赤い石を睨んだ。
ザードは数日前まで、強力な魔力増幅器を持っていた。それを彼の剣に納めていれば、マスカレイドの男が言った噂の通り、剣の一振りでかまいたち状の魔力衝撃波を生み出し、何人もの人間を同時に斬り裂く事も出来たのだ。そんなでたらめな力を持っていたザードだが、今はその魔力増幅器は無い。彼の戦いは数ヶ月前、世界大戦の終結と共に終わり、必要無くなった魔力増幅器は、本来在るべき場所に返してしまったからだ。
月の光を纏う者は、今では特別な力など持たない、ただの剣士でしかなかった。
「ハッタリだ!
このまま畳み掛けてやれ!」
ナイフを持ったマスカレイド達は再びザードとの間合いを詰める。ただ一人、今だ嫌な予感が拭えないトラキアを除いて。
そして、トラキアの予感は的中する。ザードの剣は、飛び掛ったマスカレイド達のコートを斬り裂き、その下の胸を、足を薙いだ。
致命傷には至らないものの、たまらずザードの足元に二人のマスカレイドが倒れ伏す。慌てて距離を取ろうとしたもう1人のコートを斬り裂くが、剣は体に届かなかった。
「魔法剣か・・・!」
「ふぅん。・・・安物の魔導石でも、お前らの防弾服を斬るくらいの力は引き出せそうだな」
赤い宝石を納めた剣を掲げ、ザード=ウオルサムは満足そうに笑った。
形勢は逆転した。
常識を逸した動きでマスカレイドたちを翻弄するザードは、彼らの手足の腱を、アダマンタイトのコートごと切り裂いていった。攻撃を受け止める事を前提とした戦いをするマスカレイドにとって、ザードの持つ剣は彼らの戦い方の根底を覆すものであった。しかし、それはマスカレイド達がアダマンタイトのコートに身を包む事によって生まれた慢心によるものでは無い。マスカレイド達は、アダマンタイトのコートが無くても強かった。しかし、ザードはその強さの遥か上に居た。
たった数十秒で、動けるマスカレイドたちはトラキアとワッツだけになってしまった。それ以外のメンバーは体の自由を奪われ、地面に倒れ伏している。死んでいる者も、致命傷を負っている者も居ない。意図的に殺さないような戦いをしているのだ。敵と戦う上で、相手を殺さないようにして勝つという事は、相手より遥かに強くなくては出来ない芸当である。
格が違う。
トラキアは、月明かりに照らされるザード=ウオルサムを見て、僅かに足を竦ませた。
「命まではとらねーよ。
これに懲りたら、もう俺に手を出そうなんて考えるな。分かったら消えろ」
面倒そうに言うザードを無視し、トラキアは身に纏っていたコートを脱ぎ捨てる。
「お、おい、何を・・・」
ワッツが慌てて声を掛けた。マスカレイドの兵士が素顔を晒すのはタブーである。
「動きにくい。この服を着ていても、こいつ相手じゃ邪魔なだけだ」
トラキアは顔を覆うデスマスクも外し、黒く塗られたナイフを片手に向かい合う。ザードの表情から余裕の笑みが消える。
「お前は他の奴等に比べて冴えてるな・・・あまりふざけてると怪我をしそうだ」
腰を落とし、ザードは低く剣を構えた。
「ワッツ、手を出さないでくれ。・・・・一発で決めてやる」
その時、耳元の魔導式通信機からアリシアの声が届いた。
『トラキア! すぐにそこから逃げて!!』
トラキアたちの身に付けている端末を通し、アリシアにもこの有様が見えているのだろう。トラキアは片手で耳元を押さえながら返事をする。
「・・・大丈夫だ。すぐに片付けて、そっちに戻るから」
『違うの!ザード=ウオルサムの事じゃなくて、今その森にあなた達以外の何かが居るわ!
気をつけて、かなりの数よ!!』
「・・・!?」
アリシアの警告に、トラキアは言葉を失う。対峙するザードに注意を向けながらも、思わず周りの暗闇を見回す。
「・・・なんだ。周りの奴らはお前らの仲間じゃないのかよ?」
既にトラキア達以外の存在に気付いていたザードが呆れるように言った。その言葉がさらに二人の不安を掻き立てる。
何が起こっている? トラキアとワッツの胸がざわめいた。
次の瞬間、立ち尽くす3人の耳を、轟音がつんざいた。
それは一斉に打ち出された大口径ライフルの発砲音。太い幹が吹き飛び、地面の土が水柱のように吹き上がる。トラキアは慌ててコートを被り、身を伏せる。ワッツもトラキアと同じように、身を伏せ茂に隠れた。アダマンタイトのコートでも、このような銃弾を受けたら無事では済まない。成す術もなく、ただ地面に伏せて銃撃が止むのを待った。
◆
「何よ・・・これ・・・」
森の外れに停められたトレーラーで、マスカレイド達の動きをモニタリングしていたアリシアが声を震わせた。
唐突に、トラキアとワッツ以外の信号が消えたのだ。
◆
一斉射撃が止み、トラキアは探るように回りを見回してから照明弾を一つ、放り投げた。暗闇に生まれた強烈な光が、ズタズタに裂けた木々や、めくれ上がって煙をあげる地面を照らす。ザードも、トラキア達と同じように、土と木屑にまみれて身を起こした。そして、
「・・・・・ッ!」
トラキアと、ワッツはその光景を目にし、唇を噛む。湧き上がる怒りを必死で抑え、震える手を握った。
そこには、ザードに手傷を負わされ、動けなくなっていたマスカレイドの仲間達が、アダマンタイトのコートに無数の穴を穿たれ、事切れていた。
「貴様らあぁああああああっ!!」
ワッツは森の奥に蠢く闇に向かい叫ぶ。トラキアも、気を緩めるとすぐにでも敵に飛び掛って行きそうになる身を必死で押さえる。まだ相手が何者か、どれだけの人数が居るのかも分からないのだ。
「残っているのは・・・トラキアとワッツだな?」
照明弾の照らす光の輪に、マント姿の人間が一人、歩み出た。その姿に、トラキアとワッツは目を見開く。
フードの付いたシンプルな赤黒いマント。そしてフードから覗く真っ白なデスマスク。それは、マスカレイド部隊の装備によく似ているが、細部のデザインが違う。トラキアの装備よりも洗礼されたシャープさがあった。そして、その声。
「ツヴァイか・・・?」
「そうだ、トラキア。
そこから動くなよ。ルゴワールの意思により、これからお前達を処分する」
トラキアとワッツ、そしてザードは、ツヴァイと同じ装備に身を固めた兵士達に囲まれる。その数、20人弱。
「なんだ、こいつらは・・・!?」
ワッツが彼らを見渡し、呟く。
「お前達から採ったデータをフィードバックした、新しいマスカレイド部隊だ。マスカレイドの名は、今日をもって我々の物となる。アリシア=スティンブルグの創設したマスカレイドは、今日でお終いだ」
「お前・・・ッ!! アリシアを裏切る気か!?
誰のお陰で、俺達がここまで来れたと思ってやがる!!」
激昂するするワッツを、ツヴァイは冷ややかな目で見る。
「そう、ここまでだ。アリシアについて行っても、行けるところはここまでだ。
だから俺は、次に行く。カーティスと一緒にな」
カーティスの名が出た事で、トラキアとワッツは事の成行きに見当がついた。アリシアは、カーティスの下で人間兵器として扱われていたトラキア達を解放するため、カーティスを弾劾し、彼の研究を凍結に追い込んだ。カーティスがアリシアを恨んでいるという事は前々から知っていたが、このように思い切った行動に出る男だとは知らなかった。
それほどまでに、アリシアを恨んでいたのか。
「・・・何故こんな事をする必要がある?
先に行きたいなら好きにすればいい。なんで、今まで一緒に戦ってきた仲間を殺す必要がある?」
トラキアは感情を殺した声で、ツヴァイに問いかける。
「アリシアを崇拝しているお前達が、カーティスに付く気があると思えなかったからな。
それに、これは組織の総意だ。
お前達の家族ごっこは組織を蝕む害悪として認識されているのを知らないわけじゃないだろう。現にアリシアの影響を受けて"良心"とやらを疼かせた研究者どもが何人も組織を裏切っている。その根源がとうとう制裁対象になってしまったという事だ。
・・・もっとも、それを上に提言したのはカーティスだがな。
小娘相手に嫉妬する大人気ないジジイだ。単純にアリシアの全てを奪い、復讐をしたいんだろう。
お前達をザード=ウオルサムとぶつけて、上手くいけば返り討ち、もしくは消耗しきった所で、俺達がとどめを刺す、という段取りだ。7人のうち5人を戦闘不能にまで追い込んだザードウオルサムは思いの他役に立っくれたよ」
ツヴァイに見下ろされ、土にまみれたザードは肩をすくめる。
「俺は当て馬かよ・・・。馬鹿馬鹿しい」
ザードは一歩後に下がると、次は大きく跳んで照明弾の灯りが届かない森の奥へと消えた。こじれ始めた事態が面倒になって逃げ出したのだ。数人のマント姿がザードの後を追おうとするが、
「構わん。放っておけ。今はこいつらの相手が先だ」
ツヴァイがそう言い、僅かにトラキアから目を放した時。
たったの数歩で、トラキアはツヴァイとの間合いををナイフが届く範囲にまで詰めた。ワッツもトラキアと同じタイミングで、頭上の木々の枝を伝い、頭上から襲い掛かった。
トラキアのナイフはツヴァイの首をマントのフード越しに捕らえる。しかし、ナイフに伝わったのは肉を裂く感触ではなく、粘土を叩くかのように鈍い手応え。それは、トラキアの良く知るものだった。一呼吸置いて、真上から落ちてきたワッツがツヴァイの真後ろに着地する。そして、持っていた小銃をツヴァイの背に押し付け、全弾打ち込んだ。突き飛ばされるように地面に倒れるツヴァイ。しかし、トラキアとワッツは警戒してすぐさま倒れたツヴァイから距離を取る。そして、彼らの予感通り、ツヴァイはゆっくりと身を起こす。
「流石のコンビネーションだな・・・このマントじゃなければ死んでいる所だ」
平然とした様子のツヴァイに、ワッツは舌打ちをする。
「あのマント、本当にアダマンタイトだぞ!!」
現在、マスカレイドの任務に就いていないツヴァイのマントはアリシアが保管している筈である。しかし、ツヴァイはアリシアの作った物とは違うアダマンタイトのマントを纏っている。マントの製造技術は彼女しか知らない筈だ。その情報が、何処からか漏れてしまったのだ。
「よくもこれだけ量産できたな・・・」
森を囲むマント姿達も、全員同じ物を着ているのだとしたら、状況は芳しくない。トラキアとワッツには、ザード=ウオルサムの魔法剣や、ツヴァイの大口径ライフルのような、アダマンタイトに対抗する手段が無いのだ。
「・・・俺達も逃げるぞ。森の外のアリシアも心配だ」
「・・・仕方ねぇな」
トラキアは、手持ちの照明弾をありったけ、足元に転がした。
◆
アリシアはトラキアのデスマスクに取り付けられていた端末を通し、全ての事情を把握していた。組織の中で唯一心を許しあえる仲間の裏切り、そして5人の仲間の死。
「と・・・とにかく・・・トラキア達を、助けに行かなきゃ・・・」
頭の中が真っ白になったまま、アリシアは震える手で車のハンドルを握ろうとする。
バン、と音を立て、トラックの扉が乱暴に開かれた。
「悪いね、アリシア。君にもマスカレイド達にも、ここで消えてもらう」
現れたのは、二人のマント姿と、それを従える憎悪に歪んだ顔の男。アリシアと同じ、ガーデンの研究者であるカーティスだった。
◆
「あー、やっぱ引き返して連中全員しばいてやろうかな・・・」
心の隅にわだかまるムカムカに後ろ髪をひかれながら、ザードは森の中を走る。相手は追ってくる様子も無く、どうやら本当に自分はあの連中のいざこざに巻き込まれただけのようだった。
茂みをひとつ飛び越えると、唐突に視界が開けた。森を抜けたのだ。そして最初に目に映ったのは、黒塗りの大型トレーラーだった。
「奴らの車か・・・ツイてるな。こいつを頂く事で仕返しとさせて貰うか」
自動車のような足はこの国ではなかなか手に入らない。森の中での一件はひどく気分を害するものであったが、それを全てチャラに出来るほどの収穫である。剣を抜き、ザードはトラックへ駆け寄る。トラックの反対側には、赤黒いマントを着た男が二人・・・服装からして、後で大人数で現れたグループの一味だろう。
「何だ、きさ 、がっ!」
男はお決まりの台詞を言い終えるよりも早く、両腿を真一文字に切り裂かれた。そしてザードはバランスを崩して倒れ込む男の頭が地に着くより早く、硬いブーツで蹴飛ばして昏倒させる。硬直して動けなくなっていたもう一人には、胸元に散弾を打ち込んでやった。あの奇妙な防弾服に守られてはいても至近距離からの発砲に耐えられなかったか、衝撃に体を浮かして倒れこんだ。
「雑魚!」
一言吐き捨て、ザードは勢い良くトラックの扉を開ける。
「・・・あっ!」
そして、トラックの中で予想外の光景を目の当たりにする。トラックの中に居たのは二人。一人はそこそこ歳を重ねた髪の薄い初老の男。そして、ザードと歳の近い少女が口を塞がれ、その男に押し倒されていた。
少女に覆いかぶさる初老の男が叫ぶ。
「お前が心配する事は無い!! マスカレイドの研究は、私が引き継ぎ、ルゴワール最強の、いいや、世界最強の軍隊に育て上げてみせるわ!!」
引きつった笑みを浮べ、初老の男は心が壊れているかのような裏返った笑い声を上げる。あまりのイカレっぷりにザードがポカンとその男を眺めていると、襲われていた少女がザードの存在に気が付いた。少女は自分の口を塞ぐ男の手に噛み付き、その手を押し退けた。
「助けて!!」
少女のその一言でザードの目には、この二人の関係が強姦といたいけな少女という有り体なものとして映る。程度の低い"悪"に対して極端に沸点の低いザードが一瞬にしてキレた。
「なぁにしてんだこのゲロハゲッ!!死ねっ!!」
「げふぁっ!!」
ザード自慢の鉄板入りブーツで顔面を蹴り飛ばされた強姦は、トラックのフロントグラスを突き破り、トラックの外に上半身だけをダランと伸ばした。
「あぁ、クソ!!気分悪ぃ!!嫌なモノ見たぜ!!」
ゴシゴシと目を擦ってから失神した男に唾を吐きかけ、ザードは蹴りをもう2、3発。砕けたフロントグラスごとカーティスを車外に蹴り出した。
森の中での戦いですら息を切らさなかったザードが肩で息をし、強姦に襲われていた少女に目をやる。
「その、大丈夫か? えっと・・・すけべな事とか・・・」
「いえ!! 別にそういうのではなかったのですけど・・・とりあえず、ありがとうございまし・・・・」
少女の、アリシアの表情が固まる。強姦・・・ではなく、カーティスに襲われた事で動転していたせいか、自分を助けてくれた男が、組織のターゲットであるザード=ウオルサムだという事に今になって気付いたのだ。
「あ・・・えっと・・・」
自分はこの男に、立場上どう接すれば良いのか分からなくなり、アリシアはジリジリとザードから距離を取る。アリシアの奇妙なリアクションに首を傾げながらも、ザードは勝手に運転席のシートに座る。
「・・・? まあいいや。
悪いけど、このトレーラーを頂くぞ。
って、いやいや。ひょっとしてコレあんたの?
だとしたら近くの大きな街まで乗せてってくれないかな?」
問答無用で車を頂くとも言い切れず、ザードは少女に一緒に行くという選択肢を示した。この少女が敵の仲間である可能性は高かったが、少女はどうみても戦いの素人だ。運転中に襲われたとしても軽くあしらう自信があっての発言だった。
ザードがトラックのエンジンを掛けると。再びトラックの後部ドアがバンと勢い良く開かれる。
「アリシア!!」
「今すぐ車を出せ!!」
現れたのはトラキアとワッツだった。ツヴァイ達の追撃を振り切り、ここまで逃げてきたのだ。
トラキアはアリシアの無事な姿を見て胸を撫で下ろし、アリシアの隣で運転席に座っている男を見て、背筋を凍らせた。
「ザ、ザード=ウオルサム!!?」
「げっ!!」
「うおっ! しつこいなてめぇら!!」
トラキアとワッツ、そしてザードか飛び上がり、各自のエモノに手を伸ばす。
「待って!! トラキアも、ワッツも!! ナイフを下ろして!!あなたも、剣を・・・!!」
アリシアは3人の間に割って入り、自分自身もどうすれば良いか分からぬまま、武器を納めるように促す。マスカレイドの二人とザードはナイフと長剣を向け合ったまま戸惑い、動けずにいる。
「彼女から離れろ!! 剣も捨てろ!!」
「何だよ、まだ俺に勝てるとでも思ってるのか?」
「こっちは二人がかりだぜ・・・!」
「おーやってみろよ。ほら、かかってこい」
トラックの中で限界まで張り詰めた空気が今にも破裂しそうになっていた時、
ドン、と、トラックが揺さぶられた。その衝撃に、武器を向け合う3人も、警戒を緩めぬまま外の様子を伺う。森の中から飛来した銃弾が、防弾仕様のトレーラーを叩いたのだ。
「奴ら、もう来やがった!!」
ワッツとトラキア、アリシアは思わずトラックの外に視線を向ける。赤黒いマントを羽織った男達がバラバラと森の中から現れた。
アリシアはザードの前に身を乗り出し、
「車を出して!!」
「ちょっ・・・あ痛えっ!!」
彼女はザードのブーツごと、トラックのアクセルを思い切り踏み込んだ。急発進したトラックは、トラックの前に倒れていたカーティスを轢いて土を掻き毟りながら走り出す。
少し遅れて姿を現したツヴァイが、遠くへ走り去るトラックを見た。
「逃がしたか」
「森の中の車を回せ!! 追うぞ!!!」
「無駄だ、今から追っても間に合わん。それより、この先のセトの街に居る監視兵に連絡を取れ」
勢いばかりで動こうとする部下に、ツヴァイは溜息混じりに吐き捨てた。ツヴァイは、この新たなマスカレイド達が兵士としてあまり良い質であると思ってはいなかった。落ちぶれた研究者が寄せ集められる人材などこの程度のものだ。
ツヴァイは足元に散乱していた資料の束や小さな鞄を拾い上げる。トラックから落ちた荷物のようだった。その中の小さな鞄に、ひと束の薬袋がある事に気付いた。それを見たツヴァイは口元を歪める。
「アリシアは・・・放っておいても死ぬかもしれんな」
◆
「おい・・・なんで俺がお前らの運転手をしていなきゃならんのだ・・・」
「・・・」
「・・・別に頼んでねーよ・・・」
「なんだとこの野郎・・・・」
ハンドルを握るザードと、アリシアに怪我の手当てを受けているワッツの空気が険悪になる。
黒塗りのトラックは夜明け前の街道を結構なスピードで走っていた。このペースなら、日が昇る頃にはセトという大きな街に到着出来る筈だった。
「・・・あんたも足が欲しかったんだろう。このトラックは自由にしてもいい。だから、このまま追っ手を振り切って遠くの町まで俺達を連れて行って欲しい」
ザードの座るシートのすぐ後で、黒髪を伸ばした男、トラキアが言った。
「お前ら、俺を狙っていたんじゃないのか?」
「あぁ。でも・・・もうあんたを狙う理由は無くなった」
「そいつは・・・勝手な事で」
「全くだ。すまなかった」
そう言って、ザードの後でトラキアが頭を下げた気配がした。
チ、と、ザードは舌を鳴らす。この男と話していると調子が狂うようだ。
「これから、どうすればいいかな・・・?
私たち、ルゴワールに見捨てられたのよね・・・?」
ワッツの腕に包帯を巻きながら、アリシアが言う。その声色は軽く、あまり困っていないような印象を受けるが、その表情は虚ろで見るものを悲痛な気持ちにさせた。
「とりあえず、金には困らないだろう。組織の情報網が使えないのは厳しいが、一度この国を出よう。そして、組織の手の出しにくい国で身を隠す」
「それで?」
「ほとぼりが冷めた頃に、ツヴァイに接触する。真意を確かめて、もしそれでも俺達の敵に回るようなら・・・・」
「あいつはロキやアイザック達を、俺達以外のマスカレイド全員を殺したんだぞ・・・ッ!
何考えているか確かめる必要なんかねぇ! 奴は殺す!!」
ワッツは傷だらけの拳を握り締め、床を殴りつけた。アリシアを裏切り、仲間を殺したツヴァイへの怒りは勿論の事、今のワッツはトラキアの冷静さにすら苛立ちを感じていた。
震えるワッツの腕を、アリシアが握り締めた。
「なんで・・・・っ、どうしてこんな事に・・・・」
声を殺して鳴き始める。ワッツの表情は曇り、怒りの感情は一旦なりを潜める。無言でアリシアの頭に手を置いて、髪を撫でた。
辛気臭くなってゆく空気に、ハンドルを握るザードはわざとらしく溜息をついた。
びくん、と、ワッツが握るアリシアの手が震えた。
「・・・アリシア?」
「・・・っあ・・・」
胸を押さえ、苦しげな表情でアリシアはワッツを見上げる。その間もアリシアは呼吸を乱し、2度、肩を震わせた。
「薬だ!!
アリシア、薬はどこに仕舞った!?」
トラキアが飛び起きる。アリシアはトラックの荷台で中身をぶちまけていたた鞄をたぐりよせ、その中身をまさぐる。
「トラキアっ、どうしよ、薬が無いよ・・・!!」
トラキアはアリシアの鞄を取り上げ、乱暴に中身を探す、同じようにシートの下などに薬が転がり込んでいないか探し回るが、見つからなかった。鞄がトラックの扉の近くでひっくり返っていた事を考えると、トラックの外に落としてしまった可能性もある。
トラキアとワッツが顔色を変えて薬を探し回る間も、アリシアの意識は朦朧となり、呼吸が浅くなってゆく。
その様子に流石に心配になったザードが車のスピードを緩めながら後を振り向く。
「おい、その娘大丈夫なのか?
一度車を・・・」
「止めるな!! 街の医者まで走らせろ、急げ!!!」
その剣幕にザードはやや腰を引く。言いなりになるのは癪だったが、目の前で衰弱してゆく少女を見捨てるのも目覚めが悪かった。ザードは今日何度目になるか分からない溜息をつき、トラックのギアを一つ落とすと、横手の丘にトレーラーを突っ込ませた。
「丘を駆け上るから、その娘、しっかり抱いてシートに座ってろ。
それと・・・水とタオル。これぐらいしか無いが使え」
ザードは荷物から水筒と、旅人の持ち物とは思えない妙に真っ白なタオルをトラキアに放って渡した。
「・・・すまない」
ジグザグに丘を登る街道を無視し、ザードの運転するトラックは一直線にセトの街へ向けて走り出す。




