第56話 双子の夢- 前編 -
「双子?」
「はい、このようなケースは今までに無く・・・生まれる直前まで気付けなかったそうです」
「アルバ値は期待通りのものが出ているのか?」
「女児の方は想定値の112%ですが、男児の方は、86%に留まっています。それでも、常人に比べたら桁外れの数値です」
聞こえてくるのは、二人の男の声、それと、ラジオか蓄音機か、何処からか流れてくる静かな音楽。目は、まだ見えない。暗闇の中、聴覚だけが脳に情報を刻み込んでゆく。
「・・・"ガーデン"には女児を入れろ。両方のサンプルを育てる予算は、我々のチームには無いからな」
「男児の方はどうします?」
「兵器局に売りつけてやれ。レベルSの知能操作に、レベルBの身体強化も組み込んであるんだ。喜んで金を出すだろう」
「兵器局にですか? しかし、あそこは・・・」
「ならば、処分するか? お前が責任を持って育てるというのなら許可するぞ?」
「いや、・・・はい・・・わかりました・・・・」
この時、双子はまだ言葉というものを知らない。
双子がこの会話の意味を理解するのは約2年後、僅か2歳で一通りの言葉を覚え、自分が覚えている一番古い記憶を辿った時の事であった。
◆
世界大戦前期。
ルゴワールと呼ばれた犯罪組織は、帝国ベクタを発祥の地とし、兵器と麻薬の売買によって急成長を遂げた。
次々と開発され、破壊力を増してゆく銃火器の他に、彼らが注目していた兵器は、"人間"であった。
優れた頭脳や身体能力を持った人間の遺伝子を組み合わせ、人工的に人間を造り出す。動植物の配合すらタブーとされていたこの世界で、ルゴワールは最大の禁忌を犯し、それを成功させていたのだ。
◆
あちこちで煙がくすぶる古城の前、迷彩柄のマントを羽織った男が、魔導式の通信機を通して言った。
「敵の砦は完全に制圧。こちらの負傷者は無しです」
『・・・早かったな』
「しかし・・・信じられません。
まだ、年端もいかない子供ばかりの・・・たったの10人の少年兵が、敵の主要拠点を落としてしまうなんて・・・」
少年兵達は、小さな防弾服に身を包み、ベクタの兵士としては一般的なマシンガンとナイフだけを持って砦に忍び込んだ。彼らは全員がお互いの位置や状態を把握でもしているかのような完璧な連携を持っており、それが彼らの最大の武器であった。侵入した直後は、静かに侵食する様に。侵入が見つかってからは烈火の如く、敵の兵士達を倒してゆく。情報では60人が駐留している砦は、少年達は僅か30分で制圧した。それを見ていた監視兵は、まるで一つの意思に砦が飲み込まれたかのように見えた。
「彼らは・・・何者なんですか?」
『・・・あれは、存在しない人間だ。この作戦も、君達の部隊の成果だ。おめでとう』
「は? そ、それは・・・!」
通信はそこで切られた。
"U-66"と呼ばれていた少年も、造られた人間の一人だった。
彼が知っているのは、多人数による効率の良い人間の殺し方。ただ、それのみ。余計な事は一切教えられる事は無く、その為だけの道具としてU-66は存在していた。
古城での任務が終わり、ルゴワールの施設へと運ばれ、戻る場所は鍵の掛かった四角い部屋。
壁を白く塗られた部屋にある物は、白いシーツの掛けられたベッドと、質素な机と椅子のみ。机の上や棚には何も無かった。
任務の無い間、U-66は鍵の掛けられたこの部屋で一人で過ごしていた。生きるのに必要最低限の環境はあったものの、それは人間として生きているとは到底言えるものではなかった。しかし、U-66は自由や幸せという言葉の意味すらも知らないのだ。それが普通なのだから、それが苦痛と認識される事も無かった。
◆
そんな彼らの生活は、突然終わった。
カシュン、と部屋の電子錠が鳴り、扉が開く。
任務だ。U-66は座っていたベッドから立ち上がり、外に出る。廊下にはU-66と同じ境遇の仲間達も居た。ほぼ全員が揃っている所をみると、久しぶりの大規模作戦のようだ。
しかし、廊下で彼らを待っていたのは、いつもとは違う人間だった。
全てのUナンバーズ達が部屋から出て来たのを確認して、彼女は話し始めた。
「・・・私は中央研究所の、アリシア=スティンブルグです。今日から皆さんは私のチームの管理下に置かれます」
Uナンバーの少年達は、無表情の中にも何処か戸惑いの色を滲ませながら、その少女を見ていた。
そう、それは少女だった。Uナンバーズの少年達と同じ年頃の14、5歳の少女で、眼鏡と白衣を身に着け、いかにも研究者といった装いをしていた。
U-66は、その少女の姿を呆然と見つめる。
「まずは、前任のカーティス所長による、皆さんへの非人道的な扱いを、新たな責任者として謝罪させてください」
U-66の耳に、その少女の声は届かない。
「皆さんは、これまで一般的な社会から隔絶された環境で、人間としてではなく、兵器として育てられました。これからも任務は通常通りこなして頂きますが、これからは普通の人間として、街で暮らして頂きます」
少女はゆるいウエーブのかかった黒髪を頭の後ろでまとめていた。眼鏡の奥の大きな瞳には、金色の光が宿っている。
「これから暫く、街で暮らすための訓練・・・というか、普通の礼儀やマナー・・・ええっと、お金の使い方とかも・・・知らないんですよね?」
少女の後ろに控える初老の研究員が、少女の疑問に頷いた。
「・・・を、覚えて貰います。最初は戸惑う事もあるかもしれませんが・・・でも、」
少女は、U-66と良く似た顔の少女は、一度言葉を切ってから声を高らかにして言った。
「わたしは、皆さんには兵器としてではなく、人間として強くなって貰いたいのです!
まず、ここの扉を出で下さい。戦場以外の世界を知ってください!
外の世界で人として生きて、人としての幸せを見つけて貰いたいのです!!」
◆
数日後。
U-66は、首都ベクタの郊外にあるアパートへ住む事になった。他のUナンバーズ達も、同じアパートや近くの建物に部屋をあてがわれた。もちろん、その建物はすべてルゴワールの息のかかったものである。
彼はこの数日間で、自分達がどれほどの自由を奪われていたのかを理解した。彼等にとって、外の世界は任務をこなす為の戦場でしかなかった。そんな世界に憧れる事など無かったが、外の世界はU-66が思っていた以上に広大だった。
8階の部屋の窓を開け、外の景色を眺める。この世界で最も機械技術の進んだベクタの街は、無数のビルが立ち並び、空にはビル同士を繋ぐ電線や水道管、魔導回線が、絡まりあう蔦のように張り巡らされていた。更にその向こうでは、工場から排出された煙が空を覆い、白く霞んだ空に太陽の光が鈍く滲んでいる。
突然広がった目の前の世界。
今まで自分の世界の全てだった、白くて四角い部屋に比べ、その世界はあまりににも広大で、あまりにも自由で、彼には手に負えなかった。U-66は、新たに与えられたこの環境を、どうすればいいのか分からなかった。
コンコン、とドアが鳴った。U-66は慌てて振り返る。
そこに立っていたのは、新たにUナンバーズ達の管理責任者となった、あの黒髪の少女だった。その後には、スーツ姿の初老の男も居る。いつも少女に付き従っている白衣の研究員だ。
「どう?
この部屋は、気に入ってもらえたかな?」
「・・・」
明るい口調で訪ねるも、U-66は視線を落とし黙ってしまった。黒髪の少女、アリシアは、笑顔を残念そうに曇らせる。
「・・・少しお話してもいいかしら」
「・・・」
U-66は、アリシアの顔を見て、こくり、と頷く。
「ありがと、座らせて貰うわね」
「・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・・・・あー、えっと、ほら、あなたも座って!」
椅子に座ったアリシアは、いつまでも立ったままのU-66に、席を促した。
「わたしはね、ずっとあなたの事を探していたの」
アリシアは、U-66の顔を正面から見つめた。
「・・・私が誰か、分かる?」
U-66はアリシアの手元を見たまま、答えない。
「そう、よね・・・あなたは、何も教えられていないものね・・・。
その、あのね、私は・・・」
アリシアはどうやって話したものかと悩み、眠る時間を削って考えてきた説明を始めようとしたら、
「き・・い、か」
「え?」
U-66が掠れた声で呟いた。声を出す事など滅多に無いので、思い通りに声が出なかったのだ。少しだけ咳をして、U-66は言い直した。
「兄妹、か?」
U-66の言った一言に、アリシアは驚き口元を覆う。後に控えた初老の男も、驚きの表情を浮かべていた。
「・・・自分を尋ねてくる人間の心当たりなんて、そのくらいしか無いから・・・。
双子、なんだろ?
頭の中を弄られたお陰かな。生まれた時の事から、覚えてるんだ」
U-66の最も古い記憶は、生まれた時に自分の周りで交わされた男の会話だった。生まれたばかりで目が見えていなかったせいか、残っている記憶は男達の会話のみだが、一字一句違えずに覚えていた。生命の種子である頃から知能操作を施されているU-66は、覚えておこうと思った事柄は、まるで写真やボイスレコーダーのように、正確に記憶する事が出来た。
もちろん、その会話を聞いた時は言葉など知らない赤子だったのだが、U-66が一通りの言葉を覚えた2歳の頃、自分が生まれた時に交わされていた会話を思い出し、理解した。
自分には、双子の兄妹が居るという事を。
「君は、本当に、僕の兄妹なのか?」
U-66の問いに、アリシアは小声で、歌を歌い始めた。そのメロディーを聞き、U-66の顔に初めて表情の変化があった。
「あなたも覚えてるのね、わたし達が生まれた時に、研究室で流れていた歌・・・」
「・・・覚えてる」
U-66も、アリシアと同じように、そのメロディーをなぞりはじめた。お互いを確かめ合うように、名も知らぬ歌を静かに歌う。
不意にアリシアはU-66の手を取り、声を震わせて泣き出した。
「ずっと、ずっと探してたのよ。誰も、そうだとは言ってくれなかったけど、私には兄妹が居るって、ずっと信じてた!
たった一人の、血の繋がった家族が、何処かに、何処かに居るって信じてた!」
「・・・家族・・」
「・・・そう、家族よ。もう、わたしたちは一人じゃないの!」
「・・・もう、一人じゃ、ない・・・」
確認するように、U-66は言葉を繰り返し、アリシアの手を握り返した。
◆
アリシアはルゴワールによって運営されていた、人間の頭脳を研究する"ガーデン"と呼ばれる施設で育った。彼女は恵まれた環境で育てられ、研究者達も驚くスピードで知識を吸収してゆき、12歳にして研究チームの班長を任されるようになっていた。頭の良さだけでなく、アリシアの性格は誰からも好かれ、大人の研究者達からは同僚でありながら子供のように可愛がられていた。
しかし、どこまで行っても自分自身ルゴワールの研究対象でしかない事。そして、実の親も誰だか分からない、人の手によって造られた命だという事が、アリシアを孤独にさせた。
孤独な心に唯一残された希望が、たった一人の兄妹の存在。普通の人間では持ち得ない、"生まれた時の記憶"という曖昧なものを頼りに、アリシアは唯一の家族を探し続けた。ルゴワールに与えられた頭脳を使い、アリシアは幾つもの功績を残し、大人に自分を認めさせる事によって、少しづつルゴワールの事を知る権利を得ていった。
そして、自分と一緒に生まれた兄妹は、まだルゴワールの組織内で生物兵器の研究サンプルとして生きている事を知った。アリシアは人体実験に反対する研究者達の協力と、自分の持つ全ての権限を行使し、兵器局が進めていた肉体と精神の完全管理による人間の生物兵器化実験を弾劾、それを解体に追い込んだ。
こうしてアリシアは、ようやく唯一の家族を救い出したのだった。
◆
生物兵器としての存在から開放されたUナンバーズ達は、新たな強さを求められた。
自由を得たとは言え、彼らの任務の内容には変わりは無く、ルゴワールに仇なす敵対組織への強襲や、要人の暗殺等といった仕事をこなしていた。時には "理不尽" と思える仕事もあったが、全ては組織の仲間を守るための戦い。Uナンバーズ達は生物兵器として扱われていた時と同じように、戦い続けた。
しかし、Uナンバーズ達の何人かは、時折感じる "理不尽" が徐々に大きくなり、心に迷いが生まれるようになった。彼らの中には、それが原因で戦いの中命を落としたり、中には組織の制裁を受け殺されてしまった者も居た。
それは、"人の心"さえ持っていなければ、生物兵器として在り続けてさえいれば、起こりえない事だったのかも知れない。
アリシアが引き継いだ時には30人近く居たUナンバーズは、数年後にはたったの8人にまで減っていた。アリシアは、こうなってしまったのは自分が彼らに無理矢理人間としての生活や、心を押し付けてしまったからだと自責の念に押し潰されそうになっていた。。
しかし、命を落としたUナンバーズ達は全員、アリシアに感謝の言葉を残して死んでいったのだ。
自分達を救い出してくれてありがとう、人間としての生活を与えてくれて、ありがとう、と。
彼女はこれ以上大切な仲間を失いたくないという想いから、アダマンタイトという魔導鉱石を使った特殊な防弾服を作った。アダマンタイトに魔導式を恒久的に記録する技術を作り出し、それに慣性干渉の魔導式を打ち込む。これにより、防弾服に触れた銃弾の慣性を殆どキャンセルする事ができ、防弾服を着ている者の身には、素手で叩かれた程度の衝撃しか伝わらないという、これまでに無い新たな身の守り方を作り出した。元々アダマンタイトには魔力を遮断する性質もあったため、魔導で作られた炎や衝撃にも耐性があり、相手が魔導士でも戦えるようになった。
アリシアは、その技術を施したコートと顔を守るマスクを作り、Uナンバーズ達に与えた。
もちろん慣性をキャンセルできる限界もあり、無敵の防弾服という訳ではなかったが、その装備を支給されてからのUナンバーズ達は、たった8人という人数にも関わらず一気に組織の戦闘部隊のトップへと躍り出た。
全身を覆った赤黒い生地の戦闘服に、白いマスクという姿から、かつてUナンバーズと呼ばれていた少年達は、いつしか仮面舞踏会、"マスカレイド"と呼ばれるようになった。
◆
更に月日は流れ、20年以上続いた世界大戦は突然の終結を迎えた。
世界が戦禍から脱したとはいえ、"マスカレイド"達には相変わらず頻繁に任務が舞い込んで来た。彼らにとって戦争の集結など関係の無い事だった。
「よう、トラキア。昼飯か?」
「もう済ませたよ、ワッツ。今はアリシアを待ってる」
アパートの一階に入っている食堂で、かつてU-102と呼ばれていた少年が、かつてU-66と呼ばれていた少年に、笑いながら話しかけた。
彼らはアリシアの下についてから、すぐに名前を与えられた。U-66の"トラキア"という名前は、元々彼の為に用意されていた名前だった。男だったらトラキア、女だったらアリシアと、彼らが生まれる前から決められていたのだという。
青年と呼べる風貌にまで成長したトラキアは、ベージュのジャケットにシワ一つ無いシャツを着て、ゆるい癖のついた黒髪を肩まで伸ばしていた。対してワッツと呼ばれたトラキアと同じ年頃の男は、短い赤毛で黒いスーツと白いシャツ、ネクタイまで締めており、マフィアさながらの服装だ。しかしその装いとは裏腹に、誰にでも馴れ馴れしく話しかけて楽しげに笑うような、気さくな男だった。
「姫を? そうか、久し振りの兄妹水入らずを邪魔しちゃ悪いかな」
「気にしなくていい。それに久し振りじゃない。昨日も会ったし、おとついも会った」
カー、と、ワッツは喉を鳴らして呆れた。
「なーんか、お前ら兄妹を見てると恥ずかしくなってくるぜ・・・」
その時、店のドアに付いていたドアベルが鳴った。
「ごめんなさい、遅れて。あら、ワッツも来てたの?」
「どもー。ご機嫌うるわしゅー、姫様」
「ふふ、ありがと」
ワッツは気の抜けた挨拶とともに、舞踏会で女性に挨拶をするよう深々とこうべを垂れる。彼にとってアリシアは上官にあたるのだが、マスカレイドのメンバーとアリシアの間にはそういった意識は無く、皆同じ年頃の友達、あるいは家族と話すような感覚であった。その中でも、とりわけワッツの態度は砕けていたが。
「休暇にこんな所で話って・・・何かあったのか?」
トラキアは椅子にもたれ、やや心配そうにアリシアを見上げた。
「おっと、マジで俺は退散させてもらった方がいいかな?」
ワッツはカウンターから飛び降り、クルリと回ってから店の外に出ようとする。
「ううん、丁度いいわ。ワッツにも聞いてもらいたい話なの。仕事の、話よ」
マスカレイドにとっての仕事、それはもちろん、殺しの依頼である。
「まーたー?。戦争が終わったってのに、むしろ最近出番が増えてないか?
喧嘩仕掛けてきたべルゼフへの報復も終わってないでしょー?」
不満そうなワッツの言葉にトラキアは肩を竦める。
「戦争が終わったから、だろ。終戦でお得意さんを失った組織が、生き残りをかけて無茶をするようになってんだ。組織間の抗争も日に日に激しくなっているしな。文句言うな」
トラキアが冷めた言葉を浴びせる。ブーブーとワッツは唇を鳴らした。
「でも、今回の標的は、組織の人間じゃないの。見て」
アリシアはテーブルに司令部から渡された標的の資料を広げた。店には自分達と馴染みの店主以外誰も居なかったので、人目を気にする事は無い。無論、店主もルゴワールの構成員だ。
「こいつは・・・」
「わーぉ・・・大物じゃん♪」
資料には、標的の姿がぼやけて写った曖昧な写真や、曖昧な身体的特徴や、曖昧な経歴が記されていた。これらの資料にどれほどの信憑性があるかは分からないが、明確なのはターゲットの名前。
裏の世界に住む人間なら誰もが知っている、有名な男だった。
「これが、今回のターゲット?
色々と迷惑な奴みたいだけど・・・なんでまたウチがこんな奴の相手を?」
「何で司令部が彼を狙うのかは分からないわ。でも、ルゴワールにも彼のせいで失敗した作戦や取引は、幾つもあるという話よ」
ふうん、とワッツは声を漏らす。気の抜けた口調は相変わらずだが、瞳には既に鋭い光が宿っていた。
「その大物が、もうじきこの辺りの町に姿を現す、と」
「確かな情報みたい。一度消息を断つとなかなか見つけられない人物だから、このチャンスを逃さずルゴワールの手で倒しておきたいのね」
「たしかに・・・俺達がこいつを倒せば、"マスカレイド"の名は一層広まるな」
ワッツがにやり、と微笑む。
「そんな事はいいの。私が聞きたいのは、みんなに、この相手を倒す自信があるかどうか、という事よ。
今まで、これほど有名な相手と戦った事なんて、無いでしょ?
だから、心配になって・・・」
アリシアはそう言って目を伏せる。とても人の上に立つ者の言葉とは思えなかった。それよりも、人の命を奪う話をしながら、人の命を心配しているという事が、彼女の思考の異常さを示していた。しかし、人を殺める事については、彼女の住む世界ではごく普通の事である。異常なのはアリシアではなく、彼女の置かれた環境だった。しかし、彼女がトラキアやワッツを心配する優しさは、彼女自身が持つ本当の感情である。
「どれだけ強いと言っても、相手はたった一人の人間だ。どんな手段でも構わないなら、どうにでも出来るよ」
「・・・本当に大丈夫? 私の権限で、この指令は拒否する事も出来るわ」
「大ー丈夫だよ姫。たった一人の人間に、俺達マスカレイドがやられるワケないって」
「あぁ、やるよ。相手が一人だからって、油断するつもりも無いしな」
「あ。お前今俺に毒吐いた?」
アリシアは短く息を吐いて、椅子の背に身を預けた。
「・・・わかったわ。今回の作戦には、トラキア、ワッツ、ロキ、アイザック、アイン、ガッシュ、ジェイガンの7人で当たって貰うわ。素性も良く分からない相手だから、こちらも全力で事に当たります」
トラキアは、8人のマスカレイドの中で中で唯一名前を呼ばれなかった仲間の事が気になった。
「ツヴァイは来ないのか?」
「彼は来月までカーティス班長の所にレンタル中なの。多分、どんな理由があってもそれまでは彼を返してくれないでしょうね。・・・わたしの事を嫌ってるみたいだし」
カーティスとは、アリシアの前にUナンバーズ達の管理をしていた兵器局の所長だった男だ。アリシアは、トラキア達を救い出すために、カーティスの非人道的な実験を糾弾し、彼の研究成果を奪ったのだ。
その禍根は、今も残っていた。
◆
「アリシアの部隊は、例の仕事を引き受けたそうだ」
カーティスは、自分の研究室に戻り、そこで待っていた金髪の男にそう告げた。
「第一関門突破、ですね。まぁ、大丈夫だとは思っていましたが・・・。
あとは、このターゲットが上手く使えれば文句は無いのですが」
金髪の男、ツヴァイは、ターゲットの男の資料を叩いて言った。
「・・・上手く行くと思うか?」
「行きますよ。チャンスじゃないですか。
アリシアと、マスカレイド部隊をまとめて処分するには、絶好の、ね」
ツヴァイは座っていたソファーから立ち上がり、カーティスと向き合った。
「・・・マスカレイド部隊の一人として、俺はあなたの意見に賛成です。
ここは犯罪組織だ。家族ごっこをする場所じゃない。現に、あなたからあの女に管理者権限が移ってから、何人もの仲間を失いました。すべて、あの女が組織に持ち込んだ"家族ごっこ"のお陰だ」
ツヴァイの瞳は暗く濁る。
「俺達は兵器だ。兵器に心なんて必要ない。
人の心なんてものを押し付けられなければ、こんな事にはならなかったッ・・・!」
それなのに、死んでいった仲間達は、皆アリシアに感謝の言葉を残していった。ツヴァイにはそれが理解出来なかった。アリシアの下につき、自由と人の心を得てからは、ツヴァイにとって辛い事ばかりだった。カーティスの下で、何も考える事無く、兵器として戦っていた時の方が、ずっと良かった。
戦果は高いとは言え、組織の統制を乱すアリシアの方針に否定的な意見を持つ者は少なくなかった。その中の一人、過去にUナンバーズを奪われ、最もアリシアに恨みを抱いているであろうカーティスに、ツヴァイは話を持ちかけた。
復讐するつもりはないか、と。
「アリシアの研究をあなたが引き継ぎ、マスカレイド部隊を再編成する・・・あなたなら、もっと強い部隊を作り上げる事ができると思いますよ」
ツヴァイの言葉にカーティスの目の色が変わった。やや弱気に見えた表情も一変、少女への憎悪を隠そうともしない。
「当然だ。あの小娘の兵より、私の兵器達の方が優れている事を、今回の件ではっきりさせてみせよう。"コピー"達の準備は出来ている」
「期待してますよ。微力ながら、俺も協力させてもらいます」
そう言い残して、ツヴァイはカーティスの研究室を後にした。アリシアから授けられた赤いコートの襟で綻ぶ口元を覆う。
「ククッ、・・・さてと。
まずは例のターゲットが、どれだけ暴れてくれるかだな」
◆
トラキア達は監視係からの情報をを頼りに、ターゲットが野営をしているという森へ辿り着いた。近くに人の住む場所はなく、旅人が稀に通る小さな街道沿いから少し離れた森の奥だ。
今回の任務にはアリシアも同行する事となった。マスカレイドがぼぼフルメンバーで任務にあたる事は少なく、彼女にとって今回は貴重な実戦データの収集も兼ねていた。マスカレイドのメンバー達には、体の状態や現在地置を記録する魔導式の端末を持たされてあり、彼女は車から彼らの動きを把握し、必要であれば指示を飛ばせるように控えていた。
そして彼らはターゲットを発見し、気配を悟られぬようその場を取り囲んだ。
彼らは木々の上で待機し、少し離れた眼下のターゲットを見据える。ターゲットは月明かりも届かない暗い森の中で、焚き火の前で座っていた。暫く動かない所を見ると、眠っているのかもしれない。
アリシアは車の中で、7人のメンバーが作戦開始の予定位置に着いた事を確認すると、彼ら全員の魔導式通信機に指示を送った。
「・・・いいわよ。始めて」
バァン、とターゲットの前の焚き火がはぜた。
飛び散った炎はすぐに散り散りになって消え、辺りは暗闇に包まれる。間髪いれず木の上からメンバーの4人が、マシンガンで焚き火の周りに向け一斉射撃を始めた。更に一呼吸置いて、トラキアを初めとする3人が、ナイフを構えターゲットの頭上に飛び掛かる。
「!!?」
しかし、そこにターゲットの姿は無かった。
一斉射撃によって泡立つように抉れた地面の周りに人影は無く、向こう側に自分と同じ格好をした仲間が二人、やはりトラキアと同じように戸惑い立ち尽くしていた。
消えた。そうとしか言いようが無い状況に、トラキアは周りを警戒する。
ベキベキ、と、突然樹木が裂ける音が響いた。トラキアが振り返ると、背後から背の高い杉の木がゆっくりと自分に向かい倒れてくる所だった。しかもそれには、木の上からマシンガンで一斉射撃を行っていた仲間が一人、しがみ付いている。
「なっ・・・うわっ!」
倒れてきた木よりも、それに仲間の姿がくっついていた事に驚き、トラキアは僅かに判断を鈍らせ、間一髪で倒木の直撃をかわす。木と共に地面に叩きつけられた仲間は、体を押さえながらも何とか身を起していた。
「何日も前からずーっと誰かに見られてる気はしてたけど・・・・あんたたちか?」
少しだけ低い男の声が森に響く。
メンバーの誰の物でもない、ターゲットの声だ。
ガサガサと草の音を立て、彼は堂々とマスカレイド達の前に姿を見せた。
雲の隙間から月明かりが漏れた。
月明かりに照らされたその男は、ゆったりした青いローブを身に纏い、鈍く光る銀の髪を腰まで伸ばしていた。赤い薄刃の剣を肩に掛け、自分を取り囲む異形の姿を気だるそうに見回す。
「木の上の奴も含めて7人、か。誰だか知らねーが・・・やる気なら相手してやるぞ」
左手に剣を持ち、右手を腰に吊るした散弾銃に手を掛ける。
その物腰は、戦い慣れした者の態度だった。戦いに慣れ過ぎて、命を軽んじている者のそれだ。
戦場に突然現れ、たった一人で数百、数千という人間を斬り倒して行く。そのような眉唾ものの噂にまとわりつかれながらも、事実として史上類を見ない高額な賞金を掛けられた賞金首。
「"月の光を纏う者"・・・ザード=ウオルサムだな?」
「あぁ」
トラキアが訪ねると、銀の髪の男は小さく頷いた。




