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月の光を纏う者  作者: 猫崎 歩
第五部
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第55話 ふたりの復讐者

 頬に伝わる冷たい感触で、トキは目を覚ました。

 暗く、薄ぼんやりとした視界。意識や視覚に不具合がある訳ではない。実際に暗いのだ。トキの目の前には、僅かなオレンジ色の灯りを受けたレイチェルの顔があった。

「・・・トキさん? 気が付きましたか?」

 レイチェルが囁くように言う。トキはレイチェルの膝に頭を置き、塗れたハンカチで頬を拭われていた。

「うわ・・・何ですか、この状況は?」

 男として喜ぶべき状況ではあるが、トキにはこんな事をして頂ける覚えは無く、覚えと言うより何より、トキには暫く前の記憶が無かった。トキは身を起そうとして、

「うっ・・・!」

 右腕に走った痛みに、思わず声を漏らす。

 トキの右腕は血で真っ赤に染まった布が捲かれ、当て木がされていた。脇には止血用の為か布がきつく巻かれている。肘の辺りは熱を持ち、焼けるような痛みが伝わるが、肘から先の感覚は無かった。

「あらら・・・こんな怪我した覚えはありませんよ?」

「・・・瓦礫に飲まれた時です。トキさん、私を庇って、崩れた岩の下敷きになって・・・」

 トキは空を見上げる。しかしそこに空は無く、あるのは比較的高い、石造りの天井。僅かな灯りで確認できる範囲には、湿った煉瓦の壁と地面が続いていた。まるで洞窟の中だった。

「ここは旧市街の地下道です。大戦中、戦場になった街の下に、避難所や軍事作戦の為に作られたものだそうです。

 あの時、私達の周りに仕掛けられた爆弾が爆発して、地面が抜けてここに落ちたんです。トキさんの怪我も、その時に・・・」

 そこまで聞いて、ようやくトキにも状況が見えてきた。ツヴァイに逃げられた事、マスカレイドの刺客に追われた事、そして、両脇の建物の爆発に巻き込まれ、足元が崩れた事。トキの記憶はそこで途切れていたが、どうやらその時に右腕を潰してしまったらしい。

「レイチェルさんは、怪我はありませんか?」

 彼女は僅かに血の滲む自分の頬を擦って、

「トキさんのお陰で、掠り傷程度です。それよりも・・・」

 ぼろぼろになったトキの右腕に目を落とす。トキは指先を動かそうとして力を入れるが、すぐに諦めた。トキは自分の右腕を、使えないガラクタでも見るかのような目つきで蔑視する。

「・・・邪魔ですね。ツヴァイとやり合うには、いっそ落としてしまった方が楽ですか」

「駄目です!!

 チャイムが来たら、このくらいの怪我、すぐに治してくれます!!」

「冗談ですよ」

 半分以上本気で言った事だったが、トキはそう言って笑った。

 しかし、この邪魔な右腕がツヴァイとの戦いで命取りとなってはたまらない。とはいえ、トキもレイチェルの前で自分の腕にナイフを突き立てるほど、割り切った人間でもなかった。

 そうだ。今の自分は、マスカレイドの暗殺者などではない。休学期間を使って旅をしている、ただの大学生である。

 トキはコートの内ポケットに仕舞った眼鏡を取り出そうとした。しかし、眼鏡のフレームはぐしゃぐしゃに曲がり、レンズもバラバラに割れていた。もともと度の入っていない伊達眼鏡である。無くても問題無いどころか、視界を遮る邪魔者でしかない。

 しかしトキにとっては、この眼鏡はお気に入りの"仮面"であった。白いデスマスクという"仮面"を脱いでから、その代わりとしてずっとトキの素顔を隠し続けてきた、トキの今の"仮面"。

 それに、こんな殺伐とした状況下では、レイチェルの前で不意に昔の素顔を見せてしまいそうで、怖かった。この眼鏡は、トキにとって、役に入るための小道具のようなものだ。それは白いデスマスクも同じであり、こんなモノで自我が左右されてしまう自分が滑稽に感じた。


「そういえば・・・レイチェルさんと一緒にいたのは・・・」

「ここに居ますよ」

 少し離れた通路の向こうから、見覚えのある顔が覗いた。その男は、マスカレイド部隊の赤黒いマントを羽織り、大きなライフル銃を持って、曲がり角の向こうで立っていた。

 トキはその顔を見て、その男がノキアの兄である事、そして、この男が自分やレイチェルの手助けに回ったおおよその理由を悟った。

「あぁ・・・何処かで聞いた声だとは思っていたんですよ。・・・・納得しました。

 こんな事をしたのは、妹さんの為ですか?」

 カインはトキに背を向けて、地下道の見張りをしながら答える。地下道には、トキ達の話し声と、何処かで水が流れている音しか聞こえてこない。反響する水音のお陰で、話し声が遠くへ聞こえてしまう事も無いだろう。

「ノキアがああなってしまったのは、あの山で組織が薬の栽培や誘拐をしている事を知っていたのに、何もしなかった僕の責任でもあります。

 ノキアを助けると言ってくれたあなた方が、ルゴワールに手配されている人間だと知って焦りましたよ。ノキアの為に、あなた方を組織に渡す訳にはいきませんから。

 ・・・こうなっては、もう組織にも、街にも居られませんね」

 カインは顎を撫ぜる。その表情は苦笑いと呼べなくもなかったが、それは何処か強張り、青ざめていた。ルゴワールを裏切り、組織を抜けるという事が、どれだけ大変な事かを知っているからだ。

「あなたは、ルゴワールの構成員・・・しかも、マスカレイド部隊の人間だったんですね」

「ルゴワール北バイアルス支部・マスカレイド05師団所属。カイン=ウェイカーです。

 妹は私が組織の人間だという事は知りませんし、組織とは全く無関係です。

 私は大戦中、兵役で戦場に居た頃に組織に関わって・・・お金の為に、終戦した今もそのまま組織に残ったクチです」

「・・・レイチェルさんを助けたのも、僕にあの狙撃を気付かせてくれたのも、あたなですね。事情はどうあれ、礼を言わせてもらいますよ」

「いいえ。ノキアがお世話になっていますからね。

 ・・・さて、そろそろ移動をしましょう。私たちを探している兵達も、そろそろこの通路に気付く筈です」


 レイチェルは手のひらに小さな魔導の灯りを灯し、前を行くトキとカインの足元を照らしていた。レイチェルがツヴァイに打たれた、魔導を使おうとすると体に痛みの走る薬は、カインの持っていた解毒剤で効力を失っていた。

 何故こんなものを持っているのかとカインに訪ねると、私の本職は薬師ですよ? と言って丸められたツールバックの中に納まった、多種多様の薬品と道具を見せてくれた。

 3人は、カインを先頭に暗い地下道を進む。時折、遠くで人の声や足音が聞こえた。マスカレイドの兵達が地下道に降りて、3人を探しているようだが、結局一度も鉢合わせをする事は無かった。

 不意にカインは歩みを止めると、ライフルのグリップで崩れかけた壁の煉瓦を崩し始める。トキとレイチェルが顔を見合わせ、何をしているのかと訪ねようとしたら、崩れた壁の向こうに鉄の扉が現れた。

「大戦中に使われていた通信室です。

 鍵が掛かっていますね・・・。流石に銃を使う訳にもいきませんし・・・。音を立てずに、この鎖を斬る事は出来ますか?」

 トキは利き腕とは逆の腕でナイフを握った。刃を鎖と鉄の扉に押し当て、その刃を素早く引き抜く。

 ギュガ、という小さな耳障りな音と共に鎖は千切れ、湿った煉瓦の床に落ちた。カインは見事な切り口を見せる鎖を拾い上げ、

「こんな小さなナイフで鉄が斬れるものなんですね・・・。あなたの現役時代を見てみたかった気がします」

「・・・やめてください。もう、思い出したくもない事です」

 トキは鉄扉を押して、暗い室内に入った。


 隠し部屋となっていた空間には、機械式の通信機が部屋を囲む壁の半分を埋め尽くしていた。カインは、街の電話回線に繋がらないかと機器を操作してみたが、それは徒労に終わった。そもそも、電気が来ていない。この通信機が機械式でなく魔導式であったら、レイチェルの魔導で何とかなっていたであろう。

「まぁ、期待はしていませんでしたがね」

「ここへ来たのは、この機械を調べる為ですか?」

 期待していないと言いつつも、あからさまに落胆しているカインに、トキが訪ねた。

「いいえ。ここで、日が落ちるまで待っていようと思います。この部屋は見つけられる事はまず無いでしょうし、万一見つかったとしても、この部屋から出る為の通路や通風孔は幾つもあります」

 話しながらカインは部屋に散乱するケースや棚を漁る。

「それに・・・ここなら水も食料もありますからね」

 そう言って、埃まみれの保存食と水のボトルを取り出した。

「大戦が終結し、この通信室が破棄されたのは、2年程前です。このテの保存食は5年くらい持つ筈ですから、食べれない事は無いでしょう」

 多分、と小さく付け加え、カインは銀紙に包まれていた保存食をかじる。微妙な表情を浮かべた後、やはり微妙な表情で笑って見せた。食べられない事は無いらしい。トキとレイチェルも、まともに食事を取っていなかったので、ケースに仕舞われていた保存食を食べる事にする。保存食は、量だけは無駄に沢山あったが、味は全て同じだった。

 カインはサビだらけの折り畳み椅子に座り、トキとレイチェルは埃を被った木箱に並んで腰を掛け、保存食と水を交互に口にする。黙々と味気ない塊を口に運ぶという、食事とも呼べないような"作業"に飽きたレイチェルが、カインに訊ねた。

「カインさんは、何でこの地下道の事、こんなに詳しいんですか?」

 それはトキも聞いておきたい事だった。

「大戦中、私もこの地下道に潜って、戦っていたんですよ。この街を守る為に戦った人間は、誰でも知っています。

 ・・・この街が最後まで帝国の手に落ちなかったのは、この上の旧市街と、この地下道のお陰ですね」

この街の兵士達は、、街の外ではなく、生活の場であった街の中で帝国ベクタの侵攻を迎え撃ち、"自分達の街"という地の利を最大限に利用し、勝利を収めたのだった。そして、カインも、街を帝国の侵攻から守る兵士の一人だった。

「なるほど、どおりで」

「因みに、今回派遣されてきたマスカレイドの兵達は皆余所者です。ツヴァイ隊長のクロス部隊と、東支部で動ける"マスク"達が、合わせて20人ほど駆りだされています」

 カインの口にした男の名前に、レイチェルの体が震えた。


「・・・トキさん。お願いがあります」

 レイチェルの、重く硬い声色に、トキは顔を上げる。

「ツヴァイと呼ばれているあの男は、私に倒させて下さい」

 レイチェルは、鋭い視線で自分の足元を睨みながら言った。その様子と発言に、トキは驚くよりも、戸惑っていた。

「なぜ・・・ですか?

 ツヴァイと、何かあったんですか?」

 レイチェルは、両手で掴んだ保存食料を握り潰し、顔を俯け震える声で叫ぶように言った。

「あの男は・・・っ、私の村を、襲った奴です!

 わたしの前で、お父さんを殺した奴ですッ!」

 旅立ちの前、レイチェルの村が軍隊の襲撃を受けたという話を聞いた時、白いマスクに赤黒い戦闘服を着た集団と聞いて、すぐにルゴワールのマスカレイド部隊だという事は推測出来た。

 しかしその部隊が、ツヴァイの指揮するものだったとは、トキは思いもしなかった。

 いや、心の何処かで、ゼロではないその可能性も考えてはいた。しかし、襲撃者達の事を詳しく聞くのはレイチェルを傷つける事になるうえ、そのような事を知りたがるトキに対し、不信感を抱かせるだろう。それらの理由から、トキはその可能性を握り潰したのだ。

 トキは言葉を無くし、全てを理解し、自分の額を手のひらで覆った。

「・・・知らなかったのですか?

 ツヴァイ隊長のクロス部隊は、3ヶ月ほど前に、エルカカという魔導士の隠れ里へ、かなりの人数と装備で派遣されています。

 任務は村にある魔導鉱石の奪取と、住人を含め村を消し去る事・・・」

 カインは知っている範囲での情報を伝える。

「あの男だけは、絶対に許せないんです・・・。

 お父さんの、村のみんなの、仇だから・・・・!」

 レイチェルは怒りと悲しみの表情を浮かべ、声を震わせて言った。その様子を見て、真っ白になっていたトキの頭が、少しずつ動き始める。あぁ、と、トキは声を漏らした。

「そういう事だったんですか。そういう、事だったんですか・・・・」

 天井を仰ぎ、うわ言のように呟く。

 出来る事なら、最後までレイチェルに自分の素性を明かす事はしたくなかった。

 嫌われるから。

 恐れられるから。

 こんな事になるのなら、ミルフィストでレイチェルの事情を聞いた時に、自分の全てを話しておくべきだった。

 全てを打ち明けるには最悪のタイミングとなってしまったが、トキはこれ以上、自分の事をレイチェルに黙っている訳にはいかなかった。



 トキは眼鏡が無いのに眼鏡のブリッジを押し上げる仕草をして、短い溜息を吐いてから普段の様子を取り戻す。

「・・・レイチェルさんには申し訳ありませんが、それは無理です」

 レイチェルはトキの目を見ていた。それは、どのような理由であれ、これは譲れないという厳とした意思。

「こればかりは、誰にも譲るわけにはいきません。たとえ恩人のトキさんにも、エアニスさんにもです。

 わたしの手で、やらなくてはいけないんです。

 それとも、仇討ちなんて馬鹿けているとでも言いますか?

 そんな事をしても、お父さん達は喜ばないとでも言いますか!?」

 張り詰めた空気を纏い、レイチェルがトキに詰め寄った。普段の彼女からは想像できない剣幕にトキは驚くが、彼は表情を崩さず、レイチェルの目を見据えた。

「・・・私だって、馬鹿けているし、間違っているという事は分かります。

 でも、そうでもしないと、私の中の感情が、収まらないんです!!!」

 これほどまでに、レイチェルが己を主張するのは初めてではないだろうか。そして、普段は優しく、敵と戦う時でも相手の身を案じるようなレイチェルにも、このような感情があるという事にトキは驚いた。

トキはレイチェルの視線を受け止めながら、答えた。

「勘違いしないで下さい。僕はそんな、チャイムさんみたいな立派な事は言いませんよ。

 僕がレイチェルさんを止めるのは、もっと利己的な理由です」

 凛としたレイチェルの視線が、一瞬揺らいだ。


 トキの顔には、レイチェルが見た事の無い表情が浮んでいた。もちろん、眼鏡を外し、普段と印象が違う等というものではない。例えるならば、あの白いデスマスク達。トキの顔には、あの真っ白で、無表情の仮面が張り付いているように見えた。

「僕も唯一の家族を、ツヴァイに奪われました。

 だから奴は、僕がこの手で殺します」


 今度はレイチェルが驚き、呆然とする番だった。

 トキは自分の頬を叩き、顔に張り付いていた"仮面"を叩き落とす。自嘲めいた笑みを見せてから、コートのポケットに入っていた時計を取り出し、

「・・・まだ日没まで時間がありますね。

 少し、お話をさせて貰っていいですか。

 くだらない、昔話です・・・」


 そう前置きし、トキは全てを話し始めた。

 それは

 人に造られた

 二人の兄妹の昔話

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