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月の光を纏う者  作者: 猫崎 歩
第五部
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第53話 待ち侘びた再会

 レイチェルは、化学式がビッシリと書き込まれたトキのノートに目を通していた。時折、科学書を手に取り、ごく稀に魔導書のページをめくる。考えを纏めてペンを走らせ、今まで導き出した幾つかの解と照らし合わせ、トキの提唱する理論が魔導にも当てはまるかを検証してゆく。

 彼女がページをめくる音と、ペンを走らせる音だけが部屋で聞こえる音だった。小一時間ほどが経過し、ソファーに沈み込んでいたトキが船をこぎ出した頃、レイチェルはペンを置いて感嘆の息を吐いた。

「すごい・・・完璧です!!

 トキさんが言うこの論理は、魔導で実現可能です。昨日、不可能だと判断したグリモア草のレキスト分離も、トキさんが教えてくれた式の14番目で実現できそうですし・・・これなら、マゴリアの依存を中和できる薬が作れる筈です!!」

 レイチェルの喜びの声に、眠りかけていたトキはビクリと顔を上げる。

「あぁあぁ・・・そうですか。自分では少し自信が無かったのですが、魔導士から見ても意味が分かるという事は、僕の解釈は間違ってないみたいですね・・・。

 では、一度この線で薬の精製を試してみましょうか」

 トキは目を擦り、凶悪な睡魔を呼び起こすソファーから背中を引き剥がす。そして自分の定位置である、資料が山積みされた机についた。

「実験の準備ですか?

 まだ材料の薬草も届いてませんし、少し休んだ方が・・・」

「材料が無くても出来る準備はありますよ。

 僕はいいですから、レイチェルさんの方こそ、少し休んで下さい」

 疲れ果てた表情にいつものにこやかな笑顔を乗せて、トキはそう言った。レイチェルはそんなトキを見て、諦めたようにくすり、と笑う。


 レイチェルは、ここ最近になってから疑問に感じる事がある。

 彼女はトキと一緒に旅をして来て、トキがどのような人間か、ある程度は理解しているつもりだ。

 そんな彼女がトキに対し最も強く感じている事は、彼は人と関わろうとしない、という所だ。

 出会った当初、人当たりも良く社交的な性格から、そんな印象は欠片も感じられなかったが、一緒に旅をするうちにレイチェルは気付いた。トキは、その社会に溶け込みやすい容姿と性格を利用し、人を避けているのだと。

 エアニスのように、人間社会を掻き分け、ぶつかり、波風を立てながら通り過ぎるタイプではない。人々に溶け込み、表層的に交わり、そして何も残さずに通り過ぎて行く。トキはそんなタイプの人間だった。

 そんなトキも、ごく稀に積極的に人に関わろうとした時がある。他でもない、レイチェル自身が抱える"ヘヴンガレット"の件と、今回のノキアの件である。

 トキは何故、ノキアの為にここまで身を削り頑張るのか。そして、今更ながら何故自分の旅に協力してくれているのか。トキの性格をある程度理解できた今だからこそ、分からなくなった。


「その・・・トキさんは、どうしてノキアさんの為にそこまでするんですか?」

 レイチェルは感じた疑問をそのままトキに投げかけた。ややニュアンスに誤解が生まれそうな問いかけに、トキは首を傾げた。

「レイチェルさんらしくない質問ですね。

 困ってる人が居たら、助けるのが普通じゃないですか?」

「それは・・・」

 レイチェルは言葉を濁す。

 普通はそうかもしれないが、レイチェルの知るトキは、恐らくそれに当てはまらない。とはいえ、それは悪口以外の何でもないので彼女は言い淀んでしまった。レイチェルがトキと出会ってから、彼の方から関わり合いを求めた人物は自分とチャイム、そしてエアニス以外に心当たりが無かった。自分達を除き、ノキアは唯一トキの方から積極的に関わりを持とうとした人物なのだ。

 困っているレイチェルを見て、トキは笑った。

「あはは、どうやら、見透かされているようですね」

「・・・え?」

 レイチェルは図星を突かれた事以上に、トキが話をはぐらかさず、自ら言葉の偽りを認めた事に驚いた。

 トキは眼鏡を外し、シャツの裾でレンズを拭きながら言う。

「もちろん、僕にだって出来れば助けたい、という気持ちは多少なりともありますよ。

 ですが、それ以上に試してみたかったんです」

「何を、ですか?」

「自分の研究成果をですよ」

 眼鏡を外し、淡々と喋るトキは、少し怖かった。

「僕がミルフィストで大学生をしていたのはね、ノキアさんみたいな人を助ける為なんです。

 ですが、机上の検証や普通の実験では、自分の理論が正しいかどうか証明するのに限界があります。

 まぁ、つまりは・・・」

 トキはそこで一度言葉を切ると、

「ノキアさんは、丁度良い実験体だったという事です」


 レイチェルに言葉は無かった。

 トキは肩をすくめて、

「もちろん、自信が無ければこんな事はしませんよ。人の命がかかっているのですからね。

 が、しかし、正直僕の自信は過信だったようです。ここまで薬の精製に苦労するとは思いませんでしたから。

 だから、手伝ってくれたレイチェルさんやチャイムさんには、本当に感謝しています。僕一人では、駄目だったかもしれませんからね」

 そう言って、トキは笑った。

 この場にチャイムが居たら、トキは間違いなく殴り飛ばされていただろう。誰が聞いても、身勝手な言葉だった。

 しかし、レイチェルはトキを責める事よりも、どうしても聞きたい事があった。

「それじゃ・・・トキさんは何で私の旅に協力してくれているんですか?」

 咄嗟に口を突いた言葉だった。

 トキにとって、ノキアは実験体だというのなら、自分はトキにとって何なのか。レイチェルは言葉にしてから気付いた。その答えを聞くのは、かなりの恐怖である事に。

 トキは苦笑いを浮かべ、

「もちろん、僕にメリットがあるからですよ。

 それについては・・・詳しくは話せませんが」

 回答は、曖昧にぼかされたものだった。トキは拭いた眼鏡をかけ直し、

「この旅が終わるまでには、必ずお話します。

 でも今は・・・もう少し、時間を下さい」


 その言葉を最後に、二人の間に沈黙が落ちた。

 研究室の中は街の喧騒も届かず、その静寂はレイチェルの耳の奥を、心を圧迫してゆく。

「・・・コーヒーを、淹れてきますね」

 レイチェルは静かにそう言って、逃げるように部屋を出て行った。

 一人になったトキは、椅子に沈み込み、深く深く、溜息をついた。



 レイチェル達が間借りしているこの大学病院は、丁度学生達が長期の休みの最中であり人気は全く無い。少し離れた別棟に、数人の教師が詰めているだけだという。

 そんな静まり返った廊下を、レイチェルは歩いていた。

 トキの言葉がレイチェルの心に影を落とす。トキは、レイチェルの為ではなく、自分の目的の為、この旅に同行しているという事。レイチェルは、トキに利用されているだけなのかもしれないと言う事。

 レイチェルは首を振った。もしそうだとしても、トキはエアニスと共に、自分ととチャイムを守ってくれている。アスラムへの船上で、ルゴワールの軍隊と戦った事、オーランドシティで、4人で疲れ果てるまで海で遊んだ事。苦楽を共にしている仲間だという事には、変わりは無い。エアニスはトキの笑顔を指して、愛想笑い、作り笑いだと蔑む事があるが、その笑顔の全てが偽物だとはレイチェルは思えなかった。

「きっと、事情があるのよ・・・うん、そうじゃなかったら、わざわざこんな事、当の私に言う事無いもんね・・・」

 廊下の突き当たりにある給湯室で、レイチェルはコーヒーを淹れながら、自分に言い聞かせるように呟く。


 何気なく。

 背後に生まれた気配に、レイチェルは振り向いた。

 そこに居たのは異様な姿の人間。全身をフード付きの赤黒いマントで多い、顔には真っ白なデスマスクをしていた。

 それは、レイチェルにとって忘れる事の出来ない仇の姿。

 レイチェルの故郷を襲った、ルゴワールの刺客達と同じ姿だった。

「・・・・!!」

 レイチェルは言葉を失い硬直する。よもやこんな街中でこの姿を目にするとは思いもしなかったのだ。レイチェルの硬直が解ける前に、デスマスクの男はレイチェルの顔にスプレーを吹きかけた。まともに吸い込んでしまったレイチェルの意識が薄れる。

「あ・・・う・・・」

 レイチェルはよろめきながら男のマントに掴みかかった。しかし、すぐに力なく崩れ落ち、床に倒れ伏した。


 同じ姿をした、デスマスクの男達が3人、隣の部屋から現れた。

 廊下に出てきた3人目の男は、赤黒いマントは羽織っていたものの、デスマスクは被らずに素顔を晒していた。

「あれだけ組織が手こずっていたこの女の確保も、不意をついてやればこんなものか・・・」

 その中の一人、金色の髪を長く伸ばした男が、床に崩れ落ちたレイチェルの腕を引き上げ、気を失っている彼女の顔を覗きこんだ。

 彼女の腕を掴む手に力を込める。

「久し振りだな。会いたかったぜ・・・」

 怨嗟にも似た声色で、男はそう言った。


 一通りの片づけを終えて、トキは手をはたいた。

「さてと、後はエアニス達の戻りを待つだけですが・・・遅いですね」

 そしてレイチェルが出て行ったドアを見る。

「・・・レイチェルさんも・・・」

 トキは、先のレイチェルとのやり取りを少しばかり後悔していた。ただでさえ、ノキアを助け出す時の一件で、あのような姿を見せてしまったのだ。もう少し、マシな言い方があっただろうに、どうしても自分の事は自虐的に話してしまう所がトキの悪い癖だった。

 レイチェルはいつもと変わらない様子で接してくれているが、彼女の内心はどうなっているのか。

 とはいえ、いつまでも秘密にしておくのも気分が悪い。

 自分の過去の話、この旅に同行している理由。いずれ話しておきたい事ではあるが、きっかけが掴めなかった。何より、出来るなら話したくないという思いが、心のどこかにあった。

 自分の女々しさに嫌気がさしたトキが額をゴンゴンと小突いていると、窓の外から乾いたエンジン音が響いた。

 エアニス達が車を使って買い物から帰ってきたのかと思ったが、違う。車のエンジン音が違っていたし、車のキーは自分が持っている。トキは窓に寄り、外の様子を見た。


 そこには幌のついた黒塗りのトラックが止まっていた。そして、見覚えのある赤黒いマントを纏った男達。マスクとフードは外していた。そして、今まさに、レイチェルが男の一人に抱えられ、車に乗せられようとしている所だった。

 トキはその男と目が合った。長く伸ばした金髪で、切れ長の目をした男。

 それは1年半振りに見る、よく知った顔だった。

 心臓がドクンと大きく跳ね上がる。


「ツヴァイ!!」

 トキが大声でその名を叫んだ。金髪の男、ツヴァイは、地上からトキが居る3階の室内に向けて、銃弾を放った。

 パァアン!

 トキの目の前でガラスが砕け散り、トキの耳元を銃弾が掠めていく。その衝撃で、後のソファーへ倒れこんでしまった。

「クソッ!!」

 トキは自分の荷物を掴むと、3階の割れた窓から身を躍らせる。壁を蹴り、少し離れた木立の枝を掴み、落下スピードを落としてから地面に着地する。

 その時には車は走り出し、建物の影へと消えていった。タイヤを打ち抜こうと銃を構えたが間に合わず、トキは舌打ちをしてからトラックとは逆の方向へ走り出す。自分達の車で追いかけるつもりだった。



 その出来事から数分後。エアニスとチャイムが研究室に戻ると、部屋には誰も居なかった。外出する前と違っていたのは、窓ガラスが割れ、天井に銃弾が撃ち込まれていた事。そして、トキとレイチェルの姿が見当たらない事。

「遅かった・・・か?」

 現状を把握出来ず、エアニスは戸惑う。とりあえず、他に変わった所は無いかと、部屋を見て回った。

「車も無くなってるし、二人とも居ないし・・・どうなってるのよ!?」

「知らねーよ。

 ・・・トキの荷物が無くなってるな。レイチェルの荷物はそのまま、ロッドも帽子も置きっ放しか・・・」

「それって、どういう事よ?」

「・・・さあな。全く見当が付かない」

「・・・・」

 二人は次の行動を決める事が出来ず、部屋の中で立ち尽くしていた。



 トキの運転する車が、路肩のごみ収集所を蹴散らしてカーブを曲がる。

 追跡を始めた時は黒いトラックの後姿を確認できたが、さっきから全く相手の姿が見えなくなってしまった。車を運転するのが久し振りという事もあるが、相手の運転手の腕はトキより遥かに上だった。焦りだけが先行する。

 しかし、トキの口元は笑みの形に歪んでいた。

 事はようやくトキが望んでいた方向へと動き出したのだ。

 すなわち、この旅を利用し、レイチェルを利用し、マスカレイド部隊の人間を誘い出す事。

 レイチェル達と出会い、彼女から事情を聞いたトキは、この旅について行けば、いずれツヴァイがトキの前に姿を見せるであろうと踏んでいた。そして、ようやくその時は来た。

 しかし、レイチェルが誘拐されてしまうなどという事態は、トキにとって最悪のシナリオである。夜中に隠密活動ばかりしていたマスカレイド部隊が、このような街中に、真っ昼間から現れるとは思いもしなかったのだ。

 一度戻って、エアニス達と合流するべきか?

 しかし、これはトキ1人で解決するべき問題であった。ツヴァイはレイチェルをさらって行ったが、ツヴァイが本当に用があるのはトキの筈である。無論、ルゴワールの刺客として"石"の奪取という命を受けているのだろうが、それは彼にとっては"ついで"の用でしか無いだろう。ツヴァイの目的は、恐らくトキの命。レイチェルは、トキを誘い出す為に誘拐されたのだと、トキは思っていた。

 しかし、それは半分誤りであった。ツヴァイは、トキだけでなく、レイチェルにも恨みを持っている事。そして、エルカカの村を襲ったのがツヴァイの部隊だった事を、この時点でトキは知らなかった。

 トキは自分だけで事を片付けようと判断する。引き返す事を止め、黒いトラックが走り去った方角へ走り続けた。


 トキの車は、寂れた街外れへ辿り着いた。

 エルバークの旧市街。先の世界大戦中期に戦場となり、10年以上昔に破棄された区画である。現在では新市街に居場所の無い者達が暮らす、スラムと成り果てている。そう聞いてはいたが、旧市街に入ってから人を見かける事は無く、そこは無人街の呈を見せていた。

 ガォン!

 トキの目の前、車のボンネットから火花が散った。続いて車のあちこちを銃弾が叩く。道の両脇に立つ廃墟の窓から発砲の光が見て取れた。しかしこの車は、外装から窓ガラス、タイヤまでもが全てエアニスの趣味によって防弾仕様に交換されており、車の足が止まる事も、トキに銃弾が届く事も無かった。このまま走り抜ける事も可能であったが、トキはブレーキをかけ車を止めた。同時に銃撃が止む。

 車の正面、やや離れた場所に、マントとデスマスクの男達が5、6人立ちはだかっていた。その中央には、ただ一人素顔を晒すツヴァイの姿があった。

「・・・ツヴァイ」

 一瞬だけ、フロントガラス越しに、トキとツヴァイは睨み合う。

「待ち侘びましたよ、この時を」

 トキは助手席に置いた自分の荷物に手を掛けた。


 止まったままアイドリングを続ける車の周りに、赤黒いマントと白いデスマスクの男達が集まり始めた。路地裏や、廃墟の中から次々と現れる。ツヴァイの周りに居る刺客達も含め、20人弱。更に廃屋の中で、狙撃手が数人、身を隠している。

 車のドアが開き、トキが姿を見せる。その姿を見て、刺客達は動揺の色を浮かべる。

 車から降りてきたトキは、赤黒いコートに身を包み、手には真っ白なデスマスクを持っている。

 それは、マスカレイド部隊の刺客達と、よく似た姿だった。


「久しいな。1年半振りって所か」

 姿を見せたトキに、ツヴァイは嘲るような声色で話しかける。

「無駄話は結構です。こんな誘い出すような真似をしてくれたという事は、僕とやり合う気があるのでしょう?

 さっさと始めましょう」

 トキの言葉に、もとい、その口調にツヴァイは鼻白む。

「何だ、そのふざけた言葉使いは?」

 その言葉に、トキはハッと口を噤む。

「あぁ、いや・・・気に・・・しないでください。癖のようなものです」

 唇をなぞりトキは笑った。ツヴァイはその余裕に満ちたトキの態度が気に入らなかった。

「たった一人で俺達を相手にするつもりか?

 もう俺達は、お前の居た頃のマスカレイド部隊じゃない。組織を離れ、ぬるま湯に浸かっているお前じゃ、俺達には敵わないぞ」

 ツヴァイの声を聞きながら、トキはコートのフードを被り、鋼鉄と魔導鉱石で作られたデスマスクを顔にあてた。途端に、トキが振りまいていた敵意や殺気が消えた。刺客達の目はトキの異形の姿を目に写しながも、不思議とその姿を頭ではっきりと認識する事が出来なかった。敵意や殺気、感情ばかりではなく、完全な"存在感"の消失。それは人でありながら、人の精神を越えた人外の"存在"。


「やはりその姿が一番似合っているぞ。

 ・・・マスカレイド創設メンバー、トラキア=スティンブルグ」

 ツヴァイが右手を振り上げると、刺客たちが一斉に武器を抜く。

 戦いの始まりの合図だった。

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