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月の光を纏う者  作者: 猫崎 歩
第五部
53/79

第52話 Love and violence !

「おっと・・・」

 机に突っ伏して寝ていたトキが目を覚ます。

 場所はトキが脅迫まがいの交渉で国の病院から借り受けた大学病院の研究室。資料に埋もれた時計を見ると、時刻は早朝の4時を指していた。太陽はまだ昇っておらず、窓から見える空の端には僅かに藍色のグラデーションがかかっていた。落ちかけた眼鏡をかけ直し後を振り向くと、部屋の中央のソファーに、チャイムとレイチェルが寄り添うように眠っている。そしてドアの近くでは、エアニスが剣を抱きながら座っていた。

「よ。・・・起きたか」

「僕はどのくらい眠っていました?」

 エアニスは徹夜明けのようなガラガラした声で。トキは寝起きとは思えないほどはっきりした声で言葉を交わす。

「1時間と経ってない。今日で3日目だぞ。いい加減ちゃんと寝たらどうだ?」

「いやぁ。戦場では3日くらい眠らなくても平気だったんですけどねー・・・」

「そりゃ、クスリ使っていたからじゃないのか?」

「まぁ、そうなんですけどね」

 そう言ってトキは、あははと笑い、らしくもない溜息をついた。やはり、気丈に振舞っていても疲れた様子が見て取れる。

「で、あの娘のクスリは抜けそうか?」

 あの娘、というのは、エアニス達が助けたとある少女の事だ。人身売買組織に捕らわれ、麻薬漬けにされていた少女、ノキア。エアニス達は、トキを中心として彼女の体から麻薬の依存を取り払う為の方法を探しているのだ。

 しかし、酒や煙草を止められる特効薬が無いように、強力な麻薬の依存を消し去る事など容易な事ではない。

「僕には多少の医学と科学の知識があります。チャイムさんには一流の魔法医としての知識が、レイチェルさんにはエルカカ一族に古代から伝わる魔導の知識があります。これだけの要素があって、方法を見つけられない方がおかしいですよ」

 そう言って、トキは散らかった机の上の資料を片付け始める。それが強がりのように聞こえたエアニスは、しかめ顔で唇を弾いた。

「・・・そいえば、エアニスはあまり役に立ってませんね」

「・・・買い物でも行こうか?」

「お願いします」


 日が昇り街が動き始めた頃、エアニスは病院の敷地を出た。朝早い事もあり、外の空気は冷たい。オーランドシティの南に横たわる山脈を越えてから、季節は加速するように冬へ向っている。ほんの数週間前、常夏のオーランドシティで海水浴をしていた事がひどく昔の事のように感じた。

「ついでに冬用のマントでも買ってくかな・・・」

 肌寒さに首を縮め、エアニスは手元のメモを見た。そこには治療魔法の媒介として使われる植物の名前が沢山記されている。殆どが聞いた事も無い名前だ。

「そーね。この街で夏物処分して、冬の装備に変えたほうが良いかも」

 エアニスのすぐ後にはチャイムが居た。魔法医用の薬を買いに行くのに、魔法医の知識が無いエアニスだけでは不安だと言って彼女の方から付いて来たのだ。

「で、どこのお店行くの?」

「もちろん、ノキアの店だ」


 偶然にも、ノキアの家は魔法医に薬を卸す薬屋だったのだ。トキが実験で使う薬も、魔法医を相手にする薬屋でなら手に入る筈だった。もちろん、ノキアの様子を見に行くという理由もある。

「何より、薬をタダで譲ってくれそうだからな」

「うわっ、せこい」

 そんな事を話しながら、エアニスはノキアの店のドアを開けた。ドアに吊るしたベルが鳴り、カウンターの奥からノキアが顔を出した。

「エアニスさん!」

「どうも」

 エアニスが手を上げて挨拶をする。

「今日はお客だ。このメモにある薬が欲しいんだが」

「・・・ひょっとして・・・私の薬に使う材料ですか?」

「そんなとこだ」

「それならば、うちの店にある薬ならどれでも持って行って下さい。

 このメモにある物も・・・全部ありますから」

 そう言うとノキアはメモを片手に、店の棚から薬を集め始めた。

「ホントか?

 いやぁ、悪いなー・・・」

 白々しく言うエアニスを、チャイムは蔑んだ目で見下ろしていた。

「アンタって奴は・・・」

「いいじゃねーか・・・浮いた金でマントや服買って帰ろうぜ・・・」

「駄目よ! トキが怒るわよ・・・!」

 ノキアに聞こえない位の小さな声で、二人はコソコソと喧嘩を始める。

「構やしないよ・・・ついでにカフェでケーキでも食って帰るか?」

「あ、うん」

 ケーキでコロリと懐柔されたチャイムは、以後文句を言う事は無かった。


「店番なんてしてて大丈夫なのか?」

 薬を袋詰めしているノキアへ、エアニスは尋ねる。彼女は手早く薬を包みながら、

「はい、昨日もおとついも、決められた時間にあの紅茶を飲んだら発作は起こりませんでした。

 体も、具合が悪いという事もありませんし」

「そっか」

 それが根本的な治療どころか、現状を悪化させているだけの間に合わせの行為だという事を、彼女も知っている筈だ。しかし、今はそれしか出来る事が無いのだ。

 ノキアは薬の詰まった紙袋をエアニスに手渡す。

「あの、トキさんは・・・?」

「あいつは部屋に篭りっきりだ。あんたの薬作るために、がんばってる」

 ノキアはエアニスから1歩下がると、深々と頭を下げた。

「・・・トキさんに、どうかお願いしますと伝えて下さい。

 その・・・わたしでは、あまり大したお礼はできませんが・・・」

 申し訳無さそうに視線を落とす彼女に、エアニスは口元に人差し指を当てながら言う。

「そうだな・・・

 頬にキスの一つでもしてやれば、あのムッツリは大喜びするんじゃないのか?」

「えっ、えぇえ!?」

 エアニスの冗談に、ノキアはリアクションに困った驚き顔、チャイムは呆れ顔を見せる。

「まぁ、考えといてよ。それじゃ」

 そう言い残し、エアニスは店を出た。チャイムもノキアに笑いかけてから、エアニスを追った。

 ノキアは暫く二人の出て行った扉を見つめていたが、クスッと小さく笑った後、カウンターに残った瓶や包み紙を片付け始めた。



「チーズケーキとアップルティー」

「あ、あたしはモンブランとダージリンで」

 大通りに面したオープンカフェで、エアニスとチャイムは注文を待つ。エアニスが椅子に沈み込み、あくびを噛み殺した。

「・・・ね、寝てないの?」

「あんまりな」

「ふ、ふーん・・・・・・・・そう」

 トキが薬の研究に没頭している為、ルゴワールの襲撃に対する警戒はエアニス一人で行っている。一日中周りの気配に気を配っているせいで熟睡する事も出来ない。

 そう言うチャイムも寝不足である。夜遅くまで、トキとレイチェルと薬の精製について意見交換をしているからだ。

 魔導の原理には、科学で証明されている現象は多々ある。チャイムとレイチェルは、科学と共通項を持つ魔導をピックアップし、それらの魔導式を化学式へ置き換え、薬の精製に役立ちそうな要素をトキに教えていた。

 あえて話すまでもなく、お互いの事情やそれによる寝不足の事は知っているので、これ以上話す事も無いと言わんばかりに二人の間に沈黙が落ちる。

 暫くすると二人のテーブルにウエイターがやってきて、丁寧な手つきでケーキと紅茶を置いていった。エアニスは小さく息を吐くと、カップに口を付けてからフォークを握った。

 しかし、切り崩したケーキを口に運ぶよりも先に、エアニスはどうしても気になっている事を尋ねた。

「おいチャイム・・・おまえさっきから何か変だぞ?」

 エアニスは眉をひそめて言う。彼女はさっきから言葉がどもらせ、妙にソワソワと落ち着かない素振りをしているのだ。問われてチャイムは椅子ごとビクリと飛び上がり、

「べつに! 何でもないにょ!!」

 遂には言葉尻を噛んだ。どう見てもおかしかった。


 よくよく考えたら、何かコレってデートみたいじゃん。

 カフェに入ってそう考えた時から、チャイムは何故か平常心を保てなくなってしまった。

 って、何考えてんのよあたしは!! こんな社会に馴染めないロクデナシを意識するなんてっ!!

 チャイムはお冷の氷をバリバリと噛み砕きながら頭を掻き毟る。因みにこれはチャイムにとって無意識の行動である。暴走気味の感情が行動に現れてしまうという現象を初めて体験しながらも、彼女自身にはその自覚が無かった。

 グルグル巡り始めた思考に翻弄され、遂にはガンガンとテーブルに額を打ちつけ始めたチャイム。エアニスは冷や汗を流す。

「お、おい大丈夫かお前・・・。

 寝不足か? 調子悪いのか?

 ま、まさかトキにクスリの実験体にでもされてるんじゃねーだろうな!?」

 非常にありえる可能性に思い至ったエアニスがチャイムの肩を掴んだ。ひっ、と声を上げ、顔を真っ赤にしたチャイムが叫ぶ。

「ギャアァァァーーー!!!触るなあぁぁぁーーー!!!」

 チャイムが反射的に放ったアッパーカットがエアニスの顎を捉える。

 エアニスの体は、隣のテーブルを美しい放物線を描きながら飛び越え、頭から植え込みに突っ込んだ。周囲の客と通行人からは壮絶な痴話喧嘩だと思われたのだろうか。気まずそうな顔で誰もが見て見ぬフリをした。

「うおぁっ!! ごめんエアニス!!」

「ぉぉ、お前そんなに俺の事嫌いなのか・・・」

「なっ!! ちょっ・・・!!

 すっ、き・・・って、そ、そんなの知らないわよっ!!」

「は、はぁ・・・?」

 熱くなった頬を両手で覆い隠し、チャイムは叫んだ。


「それにしても・・・トキは何であんなにノキアちゃんにこだわってるのかな?」

 運ばれてきたケーキをつついているうちに落ち着きを取り戻したチャイムは、今まで疑問にしていた事を口にした。

「トキってさ・・・その、外面はいいけど、極端に他人への関心が無いじゃない?

 もちろん悪い事じゃないんだけど、そんなトキにしては今回の件はらしくない気がしちゃってさ・・・」

 エアニスはフォークを止める。

「へぇ・・・良く見てるな」

「まぁ、あんた達とは一日中一緒に居る訳・・・だしね」

 そこで何故か再び言葉をどもらせてチャイムは言った。

 エアニスは手にしたティーカップをソーサーに戻し、抜けるような青空を見上げる。

 そして、言うか言うまいか迷った後、言葉を選ぶようにして話し始めた。

「多分・・・あいつは今の自分を、昔の自分と重ねてるんだろ」

「どういう意味?」

 チャイムが眉を寄せる。エアニスは組んでいた足を戻し、トーンを落とした声でチャイムに言う。

「あいつは、麻薬のせいで唯一の家族を失ってる」

 ゆっくりと、チャイムは息を詰めた。

 トキの身の上話話など聞いた事が無かった為、チャイムは一瞬その言葉の意味を掴みかねた。エアニスはチャイムと視線を合わせず、ぽつり、ぽつりと話を続ける。

「その時、あいつは何も出来なかったんだ。

 だが、今のあいつなら、昔と違って知識も金もある。同じ境遇の人間を、あの時助けられなかった人を、今度は救う事ができるかもしれない。

 多分、そう思ったんだろ」

 チャイムは黙ってエアニスの話に耳を傾ける。口を挟みたい所は多々あるが、聞いて良いものかどうか分からず言葉に出来ない。

「・・・だとしたら、トキにしては珍しく人間らしい行動だよ。

 だから、今回ばかりはアイツに協力してやりたくてな。

 レイチェルや、もちろんお前にも感謝してる。

 ありがとうな、アイツにつきあってくれて」

 苦笑い、といった表情を見せるエアニス。アップルティーの最後の一口を飲み干し、そう話を締めくくった。


「・・・トキは・・・」

 チャイムが何かを言いかけた時、

『!』

 チャイムとエアニスは、何かに気付いたように肩を震わせる。

「・・・エアニスのうしろ・・・向こうの通りから、誰か見てた・・・」

 チャイムは、視線の主と一瞬だが目を合わせてしまった。何ともいえない、気味の悪い敵意が向けられていた。エアニスは律儀にフォークとナイフを紙ナフキンで拭い、ケーキ皿に置いて溜息をつく。

「あぁ、嫌な感じの気配だったな・・・

 どんな奴か見たか?」

「少しだけ・・・2人組みで、揃いのマントを着てたわ。フード付きで、黒っぽいマント」

 チャイムの証言に、エアニスの表情が強張る。

( まさか・・・あの連中か?)

 揃いのマントを纏った集団。エアニスはそれに心当たりがあった。以前、エアニスが一人でレナの墓標へ赴いた時、彼を襲った襲撃者達。

 そして恐らく、レイチェルの故郷を襲ったのも----

「トキの所へ戻るぞ」

「あ、うん!」

 エアニスがコインをテーブルに置いて、席を立った。チャイムも残ったケーキを急いでかき込み、エアニスの後に続く。


 カフェを後にしたエアニスとチャイムの後を、例の気配は追いかけてきた。

「ど、どうするのよ?」

 背後に気配を感じながら、チャイムはエアニスに聞く。

「撒いた所で・・・意味は無いかな・・・。

 どうせこの街での拠点・・・研究室の方も知られてるだろう。

 あーあー。マジで見つかっちまったなぁ・・・」

 アテが外れたといった程度の落胆を見せ、エアニスは早足で歩く。その間にも、敵の手が何処まで伸びているのだろうかと考える。戦いの最中、直感と経験で相手の出方を読むのは慣れているが、こういった読みは面倒だ。

「じゃあ、後の奴ら無視して、早くトキ達の所に戻ろ!」

 チャイムの提案に、エアニスは暫し考え、

「・・・そうだな」

 チャイムの意見に賛同し、エアニスは歩みを速めた。当然のように、後の気配もエアニスの歩幅に合わせるように付いて来る。

 エアニスが後を振り向いた。

 付いてくる気配が、2つから3つへ増えていた。それだけに留まらず、一つ、また一つと、エアニス達を追う気配が増えてゆく。

「え、エアニス、これって・・・!」

 そうしているうちに、前方にも新たな気配が現れた。赤黒い、揃いのマントを羽織った4人組の男。

 その姿を見てエアニスは確信する。赤黒いマントと、白いデスマスクを身に着けた集団。ルゴワールで暗殺を主な任務とする"マスカレイド"と呼ばれる部隊である。しかし、目の前の4人はフードもデスマスクも被っていない為、街中でも違和感を感じる格好では無い。

 突然、エアニスは、チャイムの手を引いて走り出した。そして、大通りのど真ん中にも関わらず、腰の剣を抜いた。抜き身の剣を携えて走るエアニスを見て、周りの通行人が驚く。

「ち、ちょっと!! エアニス!!」

「付いて来い!」

 そう言って前方の4人組に向けて走り出す。エアニスに手を引かれたチャイムはダッシュについて行けず、足をもつれさせながら必死で走った。

 エアニスは身構えるマントの男達へ、走り込みながら剣を一閃させる。立ちはだかる男達は驚き顔で、左右に飛んでエアニスの剣戟を避けた。

 うわぁっ!!

 抜いてるぞ!!

 きゃぁっ!!!

 多くの人々が行き交う大通りで剣を振り回すエアニスに驚き、群集が一斉に動いた。

 マントの男達は人波に飲まれて動きを封じられる。エアニスとチャイムは割れた人ごみの間を堂々と中央突破した。

 逃げまどう群集に行く手を遮られているマント男達を鼻で笑い、エアニスとチャイムは路地裏に飛び込んだ。


「はあっ、はぁ・・・エアニス・・・無茶しないでよ・・・!!」

「上手く振り切ったじゃねーか」

「まだこの街に居なきゃなんないんだから、目立つマネしちゃ駄目!!」

「うるさいなぁ・・・もし捕まったとしても、大した罪にはならねーよ」

 エアニス達は狭い路地裏をずんずんと歩きながら話す。チャイムは現在地が全く分からないが、エアニスは迷うそぶりも見せず歩みを進める。

「道分かるの?」

「この辺りの道は一通り頭に入れておいた。市街戦での鉄則だぞ」

「頼むから、この街を戦場にはしないでね・・・・」

「奴ら次第だな」

 ゲッソリとうな垂れるチャイム。

「さてさて・・・奴らの目的は何だと思う?

 俺じゃぁあるまいし、まさかあの大通りで仕掛けて来る気は無かったと思うが・・・っ!」

 エアニスは唐突に歩みを止め、チャイムの手を引き横手の壁際に隠れた。それとほぼ同時に足音が近づき、対面する路地からマントを羽織った人影が現れる。しかし彼らは、二人の存在には気づかず、そのまま通り過ぎて行った。

「・・・さっきの奴ら?」

「あぁ。物騒な気配だったなぁ・・・どういうつもりだ?」

 二人は来た道を引き返し、ルートを変えてトキとレイチェルが待つ大学病院へ向う。しかし、エアニスが選ぶ道は何処もマント男達に遮られており、身を隠しながら突破をする事は難しかった。

 5度目に出くわしたマント男をやり過ごし、路地裏の物影でチャイムは小声でエアニスに話しかけた。

「これって・・・囲まれてるわよね?」

「ああ。こうなると、もう邪魔な奴を倒すしかないな・・・」

 彼等の着ているマントは、あらゆる銃弾も魔導も効かない、魔導技術で作られた特殊な生地と金属繊維で出来ている。例え人間一人を跳ね飛ばすだけの衝撃を与えても、マントはその衝撃を吸収し、装備者の体を僅かに揺さぶる程度の衝撃しか伝えない。エアニスが知る限り、戦車の装甲を貫通するような大口径ライフルを持ち出すか、エアニスの持つ"オブスキュア"で、マントに仕込まれた魔導式を打ち破りながら斬りつけるしか、彼らにダメージを与える手段は無い。しかし、それは相手を殺してしまう事に繋がり、街中に死体を一つ転がしてしまう事になる。とはいえ、あのマントを着られていては、手加減して気絶させるだけ、という事も難しい。マントの性能だけでなく、マスカレイドの刺客は誰もがそれなりの手練揃いだという事をエアニスは知っている。

「駄目よ。いくら相手が悪人でも、そんな事したら街に居られなくなるか、逆に憲兵隊に目を付けられて当分街を出れなくなっちゃう。

 まだノキアちゃんの薬出も出来てないし、レイチェルの旅も終わってないんだから」

「分かってるよ、んな事は。でも、いつまでもこんな所にいたらトキ達が・・・」

 そこまで言って、エアニスはハッと気付いた。

 何で奴らは仕掛けてこない?

 俺に以前、まるごと一部隊潰された事で警戒してるから?

 いや、それを知っているならもっと頭数を連れてくるか、とびきりの手練を連れてくる筈だ。

 それとも、俺達の足を止める事そのものが・・・・

 そこまで考えて、ようやくエアニスは"マスカレイド"と、トキの関係を思い出した。

「あ・・・」

 くしゃり、と、エアニスは自分の髪を掴んだ。

 ようやく連中の目的が分かった。今の今まで気付けなかった自分を張り倒したくなった。

「エアニス?」

 裏道の真ん中で立ち尽くすエアニスに、チャイムが心配そうに声を掛ける。


「!!」

 背後に気配が生まれた。

 考えに没頭していた為、エアニスの反応は一瞬遅れた。チャイムの頭を掴んで、物陰に押し込もうとする。

「わっ! ちょっ・・・!!」

 いきなり押さえ込まれたチャイムがバランスを崩し、エアニスの襟を掴んだ。

( うぉあっ!)

 声にならない声を上げ、エアニスもバランスを崩して倒れ込む。幸い、新たに現れた気配がエアニス達に気づいた様子は無かった。

 チャイムは打ち付けた後頭部をさすりながら、息を潜めて身を起こそうとする。すると、今度は額にドスンと何かが当たった。

「う・・・わわ・・・っ!」

 チャイムの額にぶつかったのはエアニスの胸だった。仰向けに倒れこんだ彼女の上には、僅かに体を浮かせて覆いかぶさるエアニスが居た。

 間違ってもトキやレイチェルに見られたくない状況である。

( しーっ!)

( ・・・・・っ!)

 チャイムの顔の目の前で、エアニスが人差し指を口元に当てた。エアニスの顔が近い。

 エアニスの全く乱れていない息遣いが聞こえる。当然、彼には乱れまっくったチャイムの息遣いも聞こえているだろう。

( こ・・・この状況は・・・色々とマズイ・・・)

 どんどん顔に血が昇ってゆくのが分かる。


 エアニスは身を隠した木箱から、少しだけ顔を覗かせようとして身を起した。チャイムの内腿に触れていたエアニスの膝が動く。

( っ・・・!)

 口を押さえて、チャイムは身を震わせる。その顔に、バサリとエアニスの長い髪がこぼれ落ちてきた。

( うぶっ! )

 首を振って髪を払いのける。彼はチャイムの様子に気付いていない。

「何か話してるみたいだな・・・」

 マント男達の会話は、ハーフエルフであるエアニスの耳なら何とか聞き取れる声量だった。小声で囁き、エアニスはもう少し身を乗り出した。その時、チャイムの頬に落ちていたエアニスの髪が、彼女の首筋を撫でた。

 ぞぞぞぞぞぞぞぞ

( うひぃいいいいいいーーー!!!)

 何ともコメントし難い感覚が全身を駆け抜け、チャイムはエアニスの下で身悶えする。



「居たか?」

「いいや、この包囲網の中をグルグルと回ってるようだ。やはり、向こうも我々とやり合うつもりはないようだな」

「そのくらいの分別はあるって事か。

 ・・・噂では連れの男もとんでもないバケモノらしいじゃないか」

「本当か嘘かは分からんがな・・・それより心配なのは向こうの方だ。

 戦力を分断したとはいえ、ターゲットはこれまでの任務の中で最悪の相手だ」

 そして、マント姿の片割れが言い淀むように、その名を口にする。


「トラキア=スティンブルク・・・。

 "マスカレイド"の、いや、"ルゴワール"屈指の暗殺者が、何故こんな街に・・・」



「やられた・・・

 連中の狙いはトキだ」

 トキの過去を知るエアニスは、男達の会話で全てを理解した。

 彼らの狙いは、レイチェルだけではない。

 "マスカレイド"は、今まで姿をくらましていた"裏切り者"の始末に来たのだ。

 面倒な事になってきたな、と唇を噛む。

 エアニスは、あの刺客達の事などは本当のところ、どうでもよかった。それよりも、このままではトキの素性がチャイムやレイチェルに知られてしまうという事を危惧した。

 しかし、今は目の前の状況を何とかしなければならない。ここを一刻も早く突破し、恐らく襲撃を受けていると思われるトキやレイチェルと合流しなくてはならない。

「チャイム、隠れんぼをしてる暇が無くなった。

 多少の騒ぎは覚悟で一気に・・・」

 そう言いながらチャイムを見て、エアニスは絶句する。

 エアニスの下で仰向けに倒れたチャイムは、顔を真っ赤にしてエアニスを見上げていた。しかも、その目にはうっすらと涙が浮かんでいて、見ている間にもそれはぽろぽろとこぼれ出した。

 ここに来て、エアニスはようやく自分がとんでもない事をしている事に気付く。

 男達の会話を聞くため身を乗り出した時、エアニスの右手は、チャイムの胸を鷲掴みにしていたのだ。

 それに気付いたエアニスは、すぐに右手を離す事が出来なかった。それどころか、自分でもよく分からない衝動に駆られ、彼女の胸の感触を確かめるようにフニフニと指を動かしてしまった。

「み、見た目より胸大きいんだな」

 気は確かかと自分に問いながら、そんな言葉を口走っていた。

 死んだ。エアニスがそう思い、そっと目を閉じた瞬間、

「死んで来いドスケベ!!!」

 チャイムの本日2発目のアッパーカットが、エアニスを空高く打ち上げた。


「なっ、何だ!!?」

 マント男達が驚きの声を上げる。路地裏の奥から、女の絶叫と共にスイカが砕け散るような音がしたのだ。

 男達が路地裏に振り向くと、

「すまん!! 今回ばかりは俺が悪かった!! 謝る!! 痛い!!」

「信じてたのに!! アンタはトキと違ってそういう奴じゃないと思ってたのにっ!!」

 男を片腕で吊るし上げた女が、泣きながら男へボディーブローを連打していた。

「お・・・おいおい、何だよこいつら・・・」

 マント男達は青ざめた顔を引きつらせ、一歩引く。出来れば関わりたくないが、このまま無視する訳にもいかない。

「お、おまえら・・・ココは今取り込み中だ。

 面倒ごとに巻き込まれたくなければ、さっさと出てけ・・・」

 どん引きしながらもチャイムとエアニスに近づくマント男。一方的にバイオレンスな暴行を受けている男が、自分達が追い込んでいるターゲットのひとりだとは微塵も思わなかったようだ。男を吊るし上げた女がグルリと振り向くと、

「コッチの方がお取り込んでんのよ!!」

 ぱぐしゃっ!!

 男の即頭部を、チャイムの裏拳が叩いた。エアニスの腹を打っていた拳が、一切の無駄な動きを見せず、お手本のようなコンボへと繋がった形だ。防弾・耐衝のフードを被っていなかった為、マント男はまともに脳を揺さぶられ、支えを失った操り人形のように崩れ落ちた。

「きさま!」

 男がナイフを抜いた。刃を艶の無い黒で塗った、暗殺用の物だ。しかし、その腕はエアニスの右手にねじ上げられ、そのままゴキンと肩を外された。男が悲鳴を上げるよりも早く、彼の顎はエアニスの左掌に打ち抜かれ、意識を刈り取られる。

 2人目のマント男を倒したのも束の間、今度はチャイムの正拳がエアニスの顔面を捉えた。まだチャイムの制裁は終わっていないのだ。

「待て!! 一旦待て!! お前の不満は後で受け止めてやるから今はコイツらを!!」

「問答無用ォーーーー!!」

 チャイムの折檻はもう暫く続く事になる。チャイムにとって敵はマント男ではなくエアニスだった。


 数分後、路地裏には倒れ伏した3人の男と、息を切らして仁王立ちする少女の姿があった。

 それは全て、彼女の乙女心が成した事だった。

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