第50話 深き森の一夜 - 後編 -
つい数分前まで、共に笑いながら夕食を楽しんでいた男達が、明確な殺意と武器を持ってエアニス達へ殺到した。
トキは襲いかかる男へ銃弾を放ち数人の敵を撃ち倒した所で、別の男に掴みかかられる。すぐさま左手に持ったナイフで、相手の首を撫でるように浅く薙いだ。
別の男が、背後からトキの頭を酒瓶で殴った。瓶が砕け散り、トキが体勢を崩す。砕けて鋭利な刃物となった酒瓶を、男は片膝をついたトキに振り下ろす。
「この野郎!」
エアニスが、テーブルの上から男の頭を鉄板の入ったブーツで蹴り飛ばす。続けて殺到する男を数人、鞘に収めたままの剣で叩き伏せた。
しかし、いくらエアニス達でも、この狭い室内でこれだけの人数の相手をするのには無理があった。
「レイチェル!
構わないから小屋ごと吹き飛ばせ!!」
「は、はいッ!」
エアニスに言われ、レイチェルは呪文の詠唱を始める。詠唱を続けるレイチェルに襲い掛かってきた男が、チャイムに椅子を叩きつけられて倒れた。
レイチェルは紡ぎ上げた魔導式を解き放ち、床に手を当てる。エアニス達の回りの空気がゆっくりと渦巻いた後、爆発的な風が4人を中心に吹き荒れた。襲い掛かってきた男達は風に吹き飛ばされ壁に叩きつけられたり、窓ガラスを突き破り外へ投げ出される。レイチェルが床に当てた手を天井に向け振り上げると、その風の勢いは更に力を増す。バリバリと音を立て、風は小屋の壁を、屋根を内側から押し破り、中にいた男達と一緒に集会所をバラバラに吹き飛ばした。
エアニス達の立つ床板と数本の柱を除き、集会所の建物は跡形も無く吹き飛んだ。辺りには散乱した木材と、呻きながら立ち上がろうとする吹き飛ばされた男達。まるで竜巻が通り過ぎた後のようだ。そのような惨状にも関わらず、レイチェルの力加減によって大怪我をした者は居なかった。
エアニスは風で乱れた髪を掻き上げ、溜息をつく。
「何だか良く分からんが・・・・
とんだ無駄足だったな。荷物を引き上げ、さっさとおいとましよう」
剣を肩に担ぎ、歩き出したエアニスの腕を、トキが掴んだ。
「エアニス。
こういう連中のタチの悪さは知っているでしょう。
野放しにはできません」
トキの声は、いつもの浮ついた声とは違い、硬く冷たいものだった。表情にも、普段の薄い愛想笑いが無い。
「・・・どういう意味だ?
こいつら全員片始末するとでも言うのか」
トキはエアニスの問いに即答するつもりで口を開く。しかし、チャイムとレイチェルの視線に気付くと、渋々といった様子で答えた。
「・・・そう、言っているんです」
チャイムとレイチェルは驚いてトキを見る。エアニスはわざとらしく息を吐くと、
「・・・何度も言ってるだろ。俺はもう、殺しは極力したくない。
奴等がどれだけクズだろうと、俺が相手をする理由にはならん。
俺の気分が悪くなるだけだ」
「そう、ですか。
じゃあ、頼みません。僕一人でも出来る事ですからね」
そう言うとトキは唐突に後ろを振り向き、ナイフを握った左手を振るった。
ガンッ、という金属と共にトキの手元で火花が散り、同時にチャイムの足元に何かが突き立った。
それは、トキの背中に向けて投げつけられた手斧だった。
「ひえっ!」
トキは、驚くチャイムの足元に手を伸ばし、自分が叩き落した斧を拾い上げる。
「返しますよ」
それを、茂みの暗がりからトキに斧を投げた男へ、無造作に投げ返した。
暗くて良く見えなかったが、トキの投げつけた斧は湿った音を立てて男を突き倒した。
「・・・!」
チャイムとレイチェルが息を呑む。
そしてトキは、自分達を遠巻きに囲む男達に向けて駆け出した。
チャイムとレイチェルは、今までトキが戦う姿を見た事はあってもトキが人を手にかける所は、見た事が無かった。
それはとても自然で、普段のトキの姿そのままだった。
表情を崩す事無く、淡々とトキは襲い掛かる男達を殺してゆく。時折、相手からの返り血がトキの服を、頬を濡らした。
チャイムの表情に、僅かな怯えの色が浮ぶ。
それを見たエアニスは、舌打ちをして頭を抱えた。
トキは怯えながら棍棒を握る男に歩み寄る。
「こ、この化け物っ!」
男は一声叫ぶと、トキへ殴りかかった。
トキは混雑する雑踏の人ごみを避けるように、自然に男の突進をすり抜けると、すれ違いざまに男の脇腹にナイフを突き立てようとした。
しかしその前に、棍棒を持った男はエアニスの鞘に納まった剣で殴り倒された。男は仰向けに倒れ込み、誤ってエアニスに触れそうになったトキのナイフが止まる。
トキの服を、エアニスが掴んだ。
「やめろ。らしくないのはお前じゃねーか。
こんなクズども相手に、何イラついてんだ!?」
エアニスは、やや声を荒げて言った。
「イラついている・・・という所は、否定しません。
エアニスは分かっているでしょう。僕は、彼らのような人間を許せないんですよ」
「・・・お前・・・」
トキの目つきが変わっていた。
エアニスがこの表情を見たのは随分と久し振りだ。
トキが、"敵" としてエアニスの前に初めて現れた時、彼はこんな目をしていた。
普段のふざけた仮面の下にある、トキの本当の素顔。
そのやりとりの間に、エアニスに殴り倒された男は起き上がり、力ない足取りで逃げ出した。
それに気付いたトキは、襟元をエアニスに捕まれたまま、右腕の銃を逃げる男の背中に向ける。
エアニスの頭へ一瞬にして血が昇る。思わず拳を握っていた。
しかし、トキの銃が男の背を撃つよりも早く、エアニスの拳がトキの頬を打つよりも早く。
レイチェルがトキの正面に立ち、胸の前で銃を両手で包み込んでいた。
「・・・・」
トキも、エアニスもチャイムも、思わず動きを止める。
レイチェルはゆっくりとトキの手から銃を取り上げると、彼女は取り上げた銃を空に向け、目をつむって引き金を引く。
ガンッ! ガンッ! ガンッ!
レイチェルは、銃は自分で撃ってみると、はた目から見ているよりもずっと大きな音と衝撃がある事を知った。
全ての弾丸を撃ち尽くしたレイチェルは力なく銃を下ろし、トキに言う。
「この人達のしている事が許されない事だというのは、分かっています。
ですが、こんな一方的な・・・殺戮を、見過ごす事は出来ません」
レイチェルの声は怯えの色を含んでいた。視線もトキの瞳からは外れ、彼の足元を見ている。
トキは、そんなレイチェルの様子にショックを感じていた。
「・・・彼らは、ヘタな殺し屋なんかより、ずっと沢山の人間を死に追いやりますよ」
トキの反論は、既に苦し紛れの言い訳をしているような口調であった。
「そうだとしても!!
私は見たくないんです!!
トキさんのそんな姿は!!」
レイチェルが叫んだ。
誰も言葉を口にしなかった。
暫くして、トキが震えるような溜息を吐いた。怒りか哀しみか、何らかの感情を押し殺しているような溜息だ。トキは、チャイムとレイチェルが見た事の無い表情をしていた。思い返してみれば、彼女達が今まで見た事のあるトキの表情の種類は、とても少ないような気がした。だから、それだけで彼が自分の知らない人物だと錯覚してしまいそうになる。
トキは左手に握ったナイフを手の中で回し逆手に握ると、腰の後のガンベルトについた鞘へ、それを納めた。
エアニスとチャイムは胸を撫で下ろす。レイチェルは変わらず、トキの顔から目を背けるように俯いていた。
エアニスが口を開く。
「とにかく・・・ここを出よう。落ち着いて話も出来・・・」
「あっ!!」
エアニスの耳元で、チャイムが思い出したかのように声を上げた。エアニスは身を仰け反らせ、
「な、何だよ?」
チャイムは興奮気味にまくしたてる。
「食事の時、アイツは村には女が一人も居ないって言ってた!!
じゃあ、あたし達が温泉で見た子は何だったんだろうって、考えてたんだけど、
もしかして・・・・!!」
アイツというのは、エアニス達と共に食事をした、開拓団の団長を名乗る男だ。エアニスも、会話の途中にチャイムと同じ疑問を抱いていた。エアニスが顔をしかめる。
「・・・あの女も、俺達みたいに嵌められて捕まっていたって事か。
そして何かの切っ掛けで逃げ出して、俺たちと鉢合わせた・・・?」
エアニス達に背を向けていたトキが動いた。そして、近くで倒れていた男を引きずり起こす。
「うわぁっ!! も、もう止めてくれ!!」
怯える男に、トキはいつもと同じ事務的な口調で言う。
「話しは聞いていましたね?
案内して下さい。あなた方の"商品棚"へ」
既に開拓村の男達は、戦意を喪失していた。
散発的に銃を持っている者が襲い掛かってきたが、トキとエアニスが男達の武器を持つ腕を正確に撃ち抜いてゆく。
案内役の男を引き連れ、エアニス達は借りていた小屋から荷物を引き上げ、車で村の中を移動する事にした。幸い、荷物や車は無事であった。
捕らえた男の案内によって、村の外れにある、唯一の石造りの建物にトキ達は辿り着いた。
「こ、ここだ」
男が小屋の中の床を指差して言った。エアニスは男の指差した床をブーツで踏み鳴らし、剣を抜いて床に突き立てた。そして剣をねじる様にして引き上げると床板は持ち上がり、地下に続く石の階段が姿を現した。
それを確認すると、トキは捕らえていた男の首筋を叩き、あっさりと昏倒させた。4人は暗い地下室への階段を覗き込む。
「・・・さてと、行くか」
エアニスが階段を数段降りると、
「ッ!!」
肺と脳髄がドクン、と疼いた。不慣れな体の内側からの衝撃に、危うく意識を失いかける。
「げはっ!!」
胸を押さえて、エアニスが膝をつく。
「エアニス!?」
危うく階段を転げ落ちそうになったエアニスを、チャイムが慌てて支えた。その"匂い"に気付いたトキは、チャイムに向かい叫ぶ。
「早くこの階段から離れて下さい!!
クスリが燻してあります!!」
トキの言葉にチャイムは慌てて口元を押さえ、トキと二人でエアニスの体を階段の上へ引きずり上げた。エアニスを壁にもたれ掛けさせ、階段の蓋を閉める。
「ちょっと、エアニス、どうしたのよ!!」
チャイムは首を垂らしたエアニスの頬をビシバシ叩く。エアニスはその腕を払いのけて、チャイムの頭をはたき返した。
「あぁ・・・クソッ・・・大丈夫だ・・・」
朦朧とした頭を抑え、エアニスは苦しそうに言った。
「・・・エアニスのハーフエルフとしての五感は、人間のそれよりも遥かに優れたものです。
その分、こういったクスリにも敏感に反応してしまうんですよ。
チャイムさん達も、あまり近づかない方が良いです。このクスリの濃度じゃ、5分も吸っていれば薬漬けになってしまいますから」
うっ、と、チャイムが呻いた。
「じゃぁ、この地下で捕まっているかもしれない人達は・・・」
「・・・とっくに重度の薬物中毒でしょうね。
ですが、助けられない訳ではありません」
そう言うと、トキは床下の階段を下り始めた。
「トキさん!!」
レイチェルがトキを呼び止める。
「すぐに戻りますよ。もう少しだけ離れて待っていて下さい」
「そうじゃなくて、トキさんまで薬に当てられてしまいます!!」
トキは一瞬呆けたような顔を見せて、レイチェルに苦笑いを見せる。
「僕の体は、こういうモノへの耐性ができているんですよ。心配しないで下さい」
そう言うと、さっさと地下へ降りていってしまった。
「なにそれ・・・どういう意味?」
チャイムとレイチェルが顔を見合わせた。
暫くして戻ってきたトキの背中には、一人の少女が背負われていた。
エアニス達が川原で会った、栗色の髪をした少女だ。チャイムがトキに駆け寄る。
「トキ・・・その子は・・・」
トキが背中の少女を車に乗せながら、
「・・・案の定、薬漬けにされて地下の牢屋に入れられていました。意識が戻らないので、そのまま連れてきました。他には誰も居ませんでしたよ。
エアニスの具合はどうですか?」
トキの質問に当のエアニスが身を起こし、手を上げる。
「あぁ、もう大丈夫だ・・・」
頭を振りながらエアニスは立ち上がった。
「・・・助けられそうか、その子?」
「森を抜けた南の街まで連れて行ければ・・・なんとかしてみせます。
クスリも何日分か、頂いて来ました」
そう言うとトキは、カラカラに干からびた草の束を見せた。
エアニス達も飲まされそうになった、麻薬の紅茶葉。"マゴリア"の葉だった。
「その薬・・・使うの?」
「えぇ、でなければ、街に着く前に薬が切れて、彼女は狂い死にでしょうからね」
困ったようにあっさりと言うトキ。チャイムとレイチェルの表情が強張る。
エアニスは片手で体を支えつつ、車の運転席に座った。
「それじゃ、行くぞ。
もうこんな所に用は無い」
開拓村、もとい麻薬密造組織のアジトを後にし、エアニス達の車は山道を走り抜ける。追ってくる者の姿は無かった。
車の中には、いつもの4人に加え、死んだように眠る一人の少女がいた。本当に死人かと思わせるような顔色だったが、その胸は息をしている事を示すように浅く上下している。
「トキ、本当にこの子、大丈夫なの?」
チャイムが心配そうに問いかける。レイチェルは眠る少女の服の襟元を緩めてやっていた。
「僕は医者じゃないですから何とも言えませんがね。
薬のせいで意識が混濁しているだけかと思います」
「だと・・・いいんだけど・・・」
チャイムも医者といえば医者なのだが、薬物中毒患者は専門外である。彼女は少女の頬を触ると、少女の体が冷え切っている事に気付いた。チャイムは後部座席の後に突っ込んだ自分の毛布を引っ張り出し、少女の体に掛けた。
「くそったれ。とんだ無駄足だったな・・・」
愚痴をこぼしながら、エアニスは煙草に火を点ける。ハンドルを切り、車は大きくカーブを描きながら、真っ暗闇の山を登ってゆく。その時、山道の端にあった "それ" を、ヘッドライトが一瞬照らし出した。
「エアニス、車を止めて下さい」
助手席のトキが後を振り返りながら言った。
「あぁ、何で?」
「いいから止めて下さい」
そう言うとトキは身を乗り出し、エアニスの足ごとブレーキペダルを踏みつけた。
『うぉあぁあーーーー!!!』
エアニスとチャイムが声を上げる。急制動のかかった車は土の地面を数メートル横滑りし、幸運にも崖下に落ちる事無く止まった。
「ああ、危ないじゃないのーっ!!」
車が止まってチャイムが叫ぶと、既に助手席にトキの姿は無かった。トキは車から降りて、山道の外れを見ていた。
「エアニス、こっちをヘッドライトで照らして下さい」
「あ、あぁ」
エアニスはトキが指差す方へ車を回頭させ、山道の端をライトで照らす。
そこは花畑だった。真っ暗闇の山道の外れに、真っ白で繊細な花弁をもつ花が一面に咲き誇っている。
「わ・・・すごい・・・」
ヘッドライトの光の中だけに浮かび上がる、何処までも続く花畑。その幻想的な光景に、レイチェルは思わず声を漏らしていた。
「マゴリアの花です。
ここで薬を栽培していたようですね」
「え・・・!?」
その言葉に、レイチェルの気分は一瞬にして暗転する。
トキは車のトランクから、大きなタンクを引っ張り出した。トキは花畑へ降りると、タンクの蓋を外し、中に入っていた液体を撒きながら花畑を歩く。エアニスは車から降り、呆れた声で言う。
「おいおい、そいつは、予備の燃料・・・」
「その車には魔導機関も付いている筈です。燃料が無くなっても、エアニスの魔力を動力に走り続けられる筈ですよね」
「そうだけどさ・・・魔導機関動かすの、結構魔力喰われるんだぞ・・・」
そう言って、溜息と一緒に煙草の煙を吐く。こんな様子のトキには、何を言っても無駄と言う事を、エアニスは知っていた。
「借りますよ」
「あ」
エアニスの咥えていた煙草が、ひょい、と取り上げられた。トキは火の点いた煙草を指で弾き、花畑の中へ落とす。
煙草の火は一瞬にして花畑へ撒かれた燃料へ引火し、爆発的に燃え広がった。闇夜に慣れていた目には強烈過ぎる閃光に、4人は目を細める。
みるみるうちに花畑に炎が広がり、白く繊細な花はねじれる様に燃えてゆく。
「これで当分、彼らもこんな馬鹿な真似はできないでしょう」
「・・・ま、こうしておくべきなんだろうけどさ」
トキの言葉に、エアニスが答えた。
「行こう。追っ手が来ると面倒だ」
エアニスは燃え上がる花畑に背を向け、運転席に戻った。チャイムとレイチェルも、複雑な表情を浮かべ、車の中から炎を見つめていた。
エアニス達は、トキの本当の意図に気付いていなかった。
燃え上がったマゴリアの花畑から立ち上る、白い煙。その煙は風に流され、エアニス達の走ってきた方向へ流れる。そしてその流れは山の断崖に遮られ、行き場を失った煙はそこで溜まり滞留する。
そこはエアニス達が後にした開拓村のある場所だった。
「これだけの煙に巻かれれば・・・生き残った連中も夜明けには全員狂い死にでしょうかね」
トキは煙の流れる先を見て、つまらなさそうに呟いた。
「トキ、もういいだろ。早く行くぞ」
エアニスが新しい煙草に火を点けながら言った。
「えぇ。
もう、十分です」
燃え盛る炎に、トキは頭の後ろで手を組みながら背を向けた。
風向きは暫く変わりそうに無かった。




