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月の光を纏う者  作者: 猫崎 歩
第四部
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第46話 全てを失う前に

 薄暗い森の中。

 ザードの目の前に、二人の男が横たわっていた。

 一人は人の形を何とか留めた死体。顔の判別は出来なかったが、着ている服からレナとゲイルを追っていたオルレイだと判断出来る。

 胸の真ん中に、銀色のナイフが突き立っている。魔導を扱えない者でも魔力を断ち切る事が出来る、特別製の銀ナイフだ。これでゾンビやゴーレムも倒せるぜ、とゲイルが魔導具屋で大枚を叩いていたのを覚えている。

 そして少し離れた場所に、ゲイルが倒れていた。

 体を何箇所も撃ち抜かれ、周りの土には大量の血が染みている。


「・・・ゲイル。

 おい、起きろ」

 乱暴にゲイルの肩を揺さぶる。返事は無く、体は冷え切っていた。

 ザードは力無くゲイルの横に腰を落とし、呆然とうなだれる。時間が経つのも忘れ、暫くそうしていると

「・・・遅ぇょ・・」

 ゲイルが掠れた声で呟いた。ザードが飛び上がり、ゲイルに呼び掛ける。

「ゲイル!!

 良かった、大丈夫か!!?」

「大丈夫なワケねーだろ・・・」

 苦笑いでそう返した。

「お前が遅いから、俺一人で片付けちまったぞ・・・」

「あぁ、すまない。そんな事より、今すぐレナを連れて来るから・・・!」

 駆け出そうとしたザードの袖を、ゲイルが掴んだ。

「待て・・・念の為だ・・・

 お前に渡す物がある・・・」

 そう言って、ゲイルは腰に下げた小さなバックから一冊の手帳を取り出し、ザードに手渡した。

 それは、ミルフィストという国の市民証書だった。


 [ エアニス = ブルーゲイル ]


 そこには、ゲイルのフルネームが記されていた。

 しかし、その名の隣に貼り付けられた写真はゲイルの顔ではなく、長い銀髪の男。ザードの物だった。

「な、何だよ、コレ・・・?」

「お前、国籍も市民権も何も持ってないんだろ?

 戦争が終わったら、どうするつもりだ? 

 お前の分の市民証書を偽造して、くれてやるつもりだったんだよ」

 驚いて顔を上げるザード。まさかゲイルがこのような物を用意してくれているとは思ってもみなかった。

「まだ偽造情報が揃って無くてな・・・。

 今は俺の名前で登録してるが、もう2、3手間かければ、ちゃんとお前の名前で証書が偽造できる。

 でも、ひょっとしたら・・・俺にはもう、それが出来ないかもしれない。

 ま、俺の名前が気に入らないかもしれないが、コレが使えないという訳じゃない。

 くれてやるから、一応持っとけ・・・」

 そこまで喋ると、ゲイルは苦しそうに咳き込み、血を吐いた。

「喋るな!!

 待ってろ!! レナを連れて来る!!

 コイツは預かっておくが、お前の名前なんて要らないからな!!」

 そう言って、ザードは駆け出した。

「もう一つ!」

 ゲイルが喉を絞るようにして、叫んだ。

「レナちゃんに・・・俺のエゴで辛い思いをさせてゴメンって、伝えてくれ・・・」

 力なく笑い、ゲイルは言った。

 ザードにはゲイルの言葉の意図が分らなかったが、今は詮索している時ではない。

 何度か頷き、森の奥へ駆け出した。


 ゲイルは胸元から潰れてしまった煙草の箱を取り出し、唯一折れていなかった一本に震える手で火を付けた。

 紫煙を胸いっぱいに吸い込み、ゆっくりと吐き出す。

 それは、これまで吸った煙草の中で一番美味い味がした。

「・・・・ふぅ

 まぁ、悪くない。 悪くない、 最期 だ ・・・」

 満足気にそう呟き、ゲイルは眠るように目を閉じた。



「レナ!!!」

 ザードはレナの名を呼びながら、森の中を走る。

 太陽は厚い雲に隠され、ただでさえ暗い森は一層視界が悪くなっていた。木の根に足を取られながらも、ザードは必死に走りレナを探した。

「ザードさん!!」

 ザードの名を呼び、レナが茂みの間から姿を見せた。足を止めて振り向いたザードに、レナは駆け寄りその胸に顔を埋めた。

「良かった・・・本当に良かった、無事で・・・」

 消え入りそうな泣き声で、レナはザードの服を掴み額を彼の胸へ押し当てる。その手と肩は小さく震えていた。

 ザードは震えるレナの肩に両手を回し、安心させるように言う。

「あぁ、俺は平気だ。

 全部終わったから・・・」

「ごめんなさい・・・また、私のせいで、こんなに・・・」

 ザードは首を横に振る。

「レナが謝る事じゃ無い。

 ・・・いや、むしろ俺は感謝している。

 今回の事で、ハッキリと分かったから・・・」

 ザードは今回の件を通じ、自分の変化に驚いていた。

 自分以外の人間など、どうなろうが知った事ではない。そう思い続けてきたザードが、それこそ自分の命すら顧みず、必死で他人の為に剣を振るったのだ。

 レナとゲイルが、それだけ自分にとって大切な人間、仲間であるのだと、気付かされた。

 いつの間にかザードの心に居場所を作ってしまったレナとゲイルを若干疎ましく思うも、不思議と悪い気にはならなかった。二人の為なら自分の心の幾ばかを裂いて提供するのもいいだろう。それと同じ様に、自分が二人の心の何処かに居られるのであれば。

 レナはザードの言葉意の味が分からず、小首を傾げていたが、

「いや、何でもない。

 ほら。ゲイルを引っ張り起して、村に帰ろう」

 ザードの優しい笑顔を見て、彼女は今、泣くべき時では無いと感じた。

 こぼれていた涙を拭い、ザードの顔を見上げる。

「はい!」

 まだ少し涙で濡れた顔で、レナは本当に嬉しそうに微笑んだ。

 その直後


 森の中に銃声が響いた。

 ザードの胸元に硬い衝撃が走り、息が詰まる。痛みの元へ手を伸ばすと、ローブの下に着ていた防弾服に、焼けた銃弾が食い込んでいた。

 銃弾は前方から飛来し、ザードの胸を打った。しかし目の前にはザードに肩を抱かれたレナが居る。

 何が起きたのかザードが理解したのは、

 背中を撃たれたレナが、自分の足元へ崩れ落ちた後の事だった。

 銃弾はレナの体を貫き、ザードの防弾服で止まったのだ。




 ザードは何の表情も浮かべず、足元でうつ伏せに倒れたレナを見下ろす。

 レナの背中に空いた小さな穴から、赤い染みが広がり始めた。

 突然思考が絡まり、ビクンとザードの体が震えた。

 肺が壊れたかのように息が吸えなくなり、全身の筋肉が収縮しながら震え始める。

 感情が、赤い闇に飲み込まれてゆく。


「馬鹿者が!!女は殺すなと言っただろうが!!!」

 耳障りな怒号が聞こえた。

 森の中で、気配が一つ、また一つと現れた。デミルの出現と共に逃げ出し、姿を消していたエベネゼルの兵隊達。レナを撃った狙撃兵を怒鳴りつけたのは、オルレイと一緒に居た太った軍人だ。男は露骨にイラついた様子で、被っていた制帽を握り潰す。

「あぁ、もういい!!

 女はこれ以上傷つけるな!!

 男の方を早く蜂の巣にして 」

 軍服の男は、言葉を最後まで放つ事無く、上半身を破裂させて肉片と血霧を撒き散らした。 銃を構えた周りの兵士達は、何が起きたのか分からずに凍りつく。

 彼らの囲みの中心には、銃弾に倒れた少女と、その傍らに細身の紅い剣を抜いた剣士が居た。

 その剣士の切っ先は、震えながら破裂した男の方を向いていた。


「  おぁ  ぁっ ぁああああああああッッッ !!!!  」


 喉が張り裂けんばかりの叫びを上げ、長い銀髪を掻き毟る。

 視界が真っ赤に染まり、全身の筋肉が縮みあがり、耳には何の音も届かなくなる。

 ザードの気は振れていた。


 "オブスキュア"の意識を受け入れたザードは、感情が磨耗し、無くなるまで破壊の限りを尽くした。周囲の木々は殆ど薙ぎ倒され、木屑となって転がっている。

 数十人居たエベネゼル兵達は、数分と持たずたった一人の相手に全滅させられた。しかしザードの気は収まらず、彼らの身体を何度も何度も斬り付け、叩き潰した。周囲の土や木屑に飛び散った赤い染みだけが、彼らが居た唯一の痕跡だった。

 森が無くなり、開けた空からひとつ、またひとつと雨粒が落ちてきた。雨粒は赤い染みと混ざり合い、土に沈んで消える。



「レナ、今度こそ、終わったよ。

 全部、終わらせてやったから・・・今度こそ、帰ろ」

 横たわるレナを抱きかかえ、ザードはそう呼びかけた。

 泥で汚れた彼女の頬を血で汚れた手で拭うと、レナの瞼が僅かに震えた。

 ゆっくりと彼女の手が伸び、ザードの頬を撫ぜた。

「   ない で  」

「・・・え?」

 今にも消え入りそうな声に、ザードは耳を寄せる。

「 もう誰も、 傷つけないで・・・ 」

 ザードの頬に触れていたレナの手が離れる。

 その手は、ザードが浴びた兵士達の返り血で赤く濡れていた。

「それはきっと、ザードさん、あなた自身も傷つく事だから・・・」

 ザードは首を横に振る。

「構わないよ、お前の為だったら、俺はいくらでも剣を振るう・・・

 いくら傷ついても、俺は倒れないから・・・」

 ザードは初めて人の為に剣を振るえる気がした。彼女の為なら、剣を捧げても構わないと思った。

 どうしようもなく、優しすぎる。

 そんな彼女なら、自分の力を正しく使ってくれる。

 そう思った。

 しかし

「あなたの剣は、きっと私を傷つけるわ」

 レナの言葉に、ザードは凍りついたように息が止まる。

「ザードさんが私の為に戦ってくれても・・・

 それは私にとって辛い事でしかないの」

 レナの言葉に愕然とするザード。

 これは、ザードのエゴだった。ザードはそのエゴを、全てをレナに背負わせようとしているだけなのだ。

「そうか・・・お前は、そんな事を望んだりはしないよな・・・

 現に、俺のせいでレナは・・・

 ごめん・・・

 ごめん 」

 ザードは血で汚れたレナの手を握り、頭を垂らし謝った。

 レナはゆっくりと首を振る。

「ううん。これは、ザードさんのせいじゃないわ・・・

 これは、私の罪。

 人の命を操るなんて事をしたから、神様が、怒った のね・・・」

 レナが浮かべる表情は自嘲の笑み。

 ザードは、命を操る事の倫理についてレナが悩んでいた事を思い出した。

 レナの表情から、一瞬力が抜けた。ザードはレナを揺り起こし、意識が朦朧としている彼女に向かい叫んだ。

「神様なんて居やしない!!

 それに、レナは沢山の人に望まれた存在だ!!

 この戦争から、理不尽な死から沢山の人を救い出したんだろう!

 レナは何一つ間違えた事はしていない!!!」

 必死に呼びかけるザード。

 瞼を閉じ、レナはザードへ微笑んだ。

「だから・・・・!」

 ザードの言葉はそこで途絶える。続きは声にならなかった。


 ありがとう


 レナの唇がその言葉を形作ると、彼女の体は小さく息をついたように、ザードの腕の中へ沈み込んだ。




 雨に濡れ、冷えてゆくレナの肩を抱き、ザードは空を仰いだ。

 灰色の空から落ちる雫は、二人の身体へ降り注ぐ。

 雫はザードの長い髪を濡らし、額を流れ、目尻から流れ落ちる。

 泣いているようにも見えたが、ザードは涙を流してはいなかった。

 その胸に宿っていたのは、この世界に対する憎悪。

 瞳に確固とした意思を宿してザードは空を睨み続けた。


 シャノン達がザードとレナを見つけたのは、それからもう暫く後の事だった。



「ゲイル君の遺体は、我々の村の墓地へ丁重に埋葬させて貰った。

 ・・・出来る事なら、彼の帰るべき場所で弔ってあげたいけど・・・彼の素性が分からない以上、これで勘弁してほしい」

 翌日の昼過ぎ。

 ザードの泊まる屋敷へ、シャノンと3人の魔導師が彼の様子を見に訪れていた。

 ザードの血と泥にまみれていた肌と髪は綺麗に洗われ、ボロボロだったローブも村で貰った新品に着替えられている。いつも通りの無表情でベッドに腰かけ、疲れた様子は見受けられない。

 普段通りの、ザードだった。

「ありがとう。

 奴も、それで十分だと言ってくれるさ。

 それと、レナの事は」

「分かってる。レナちゃんは、我々が責任を持って、彼女の村まで送り届ける」

「あぁ、頼む」

 そこで、ザードとシャノンの会話は途切れた。

 シャノンは、ザードにどのような言葉をかければ良いのか分からなかった。ザードの表情から、彼が何を思っているのか読み取る事が出来なかったのだ。何か言わなければ、という思いから、シャノンは重い口を開く。

「その・・・こうなってしまったのも、我々の力不足が原因だ・・・。

 正直、君に、どう謝ればいいのか・・・分からない・・・」

「あんたは悪くない。謝る必要も無い。

 悪いのは、ベクタとエベネゼル・・・いいや、この戦争、この世界そのものだ」

 普段と同じ様に振舞うザードだったが、その目は暗く淀んでいた。

 ザードの変化にシャノンは目を伏せると、ふと思い出したかのように言った。

「そうだ・・・まだこれを渡していなかったね。報酬の"ノア"だ」

 シャノンが鞘に納まる一振りの剣を差し出した。

 そう、ザードは元々この剣が欲しくて、シャノンからの依頼を受けたのだ。人の精神のみを切り裂く、決して人の身体を傷つけないという魔法剣。これがあれば、無闇に人を殺す事無く戦えるかもしれないと思った。

 しかし、既にザードの考え方は変わっていた。

 ザードは傍らに立て掛けた"オブスキュア"を抜くと、シャノンの持った"ノア"の刀身を横に凪いだ。

 パキン、と。あまりにも軽い音を立てて、"ノア"は鞘ごと断ち切られた。その断面を呆れた顔で見ていたシャノンに向かって、言う。

「もう、そんな物は要らない。剣を向ける相手は全て殺す」

「・・・そうかい」

 シャノンは肩を竦めて、魔法剣の残骸をテーブルに置いた。


 剣を収めると、ザードは自分の荷物を肩に掛けて立ち上がった。そしてシャノン達の間を横切り、部屋の戸口に立つ。

「世話になった」

「・・・これからどうするつもりだい?」

 一瞬の間を置いて、ザードはシャノンに背を向けて言った。

「俺が、この腐った世界を変えてやる。

 ・・・この力があれば、世迷言でもないだろう」

 ザードは腰に吊った"オブスキュア"を握り、断言した。柄には今も、"ヘヴンガレッド"が収まっている。

「・・・いくら強大な力があっても、1人じゃ何も変えられないよ」

「やってみなくちゃ分からない」

 ザードの決意は固い。シャノンは大きく溜息をついた。

 そして、これまでの諭すような口調が、厳しい口調へと変わった。

「残念だけど、我々は"石"を守る義務がある。

 その"ヘヴンガレッド"は、置いて行って貰うよ」

「用が済んだらちゃんと返すさ」

「そういう訳にはいかないよ」

 シャノンと共にやって来た3人の魔導師が、ザードをゆっくりと取り囲んだ。

「だったら、止めてみればいい。

 この力を使ってお前達を斬り殺す事に、俺は躊躇しない」


 暫しの間、部屋に緊張が張り詰める。

 シャノンは両手を上げて、大きく溜息をついた。

「分かったよ・・・」

「族長!!」

 ザードの脅しにあっさりと屈した村の長に、村人達は非難の声を上げた。シャノンは諦めきった口調で、しかし、何かに期待するかのような眼差しで、ザードを見る。

「実力でも説得でも・・・もう君を止められるとは思えないからね。

 好きなようにすればいい。君にはその儀がある筈だから・・・」

「・・・すまない」

 最後にその一言を残し、ザードは静かに扉を閉めて屋敷の外へ出た。




 雨が強くなっていた。

 昨日から降り続く雨は、止む気配は無い。

 ザードは雨除けのマントを羽織り、深々とフードを被る。


- もう誰も傷つけないで -


 ザードの頭の中で、レナの言葉が反芻していた。

 ザードがこれからしようとしている事は、彼女の言葉に反する事である。

「でも、こうでもしないと、もう収まらないんだよ・・・・!」

 目深に被ったフードの下で、ザードは声を震わせた。

 ザードがこれから成すべき事。

 それは、復讐と力による世界の調律。


「まずは

 エベネゼルだ」

 空を睨み、ザードは歩き出した。



 その後

 ベクタを始めとする大国の有権者達が次々と不測の死を遂げるようになった。主に軍関係の権力者達を次々と襲った不幸は、様々な形に偽られ彼等の死と共に世間へと公表され、あるいは何事も無かったかのように歴史の闇へと葬られた。

 同じ頃、各地の戦場では不自然なまでの戦力の拮抗が続き、各国の疲弊は急速に増大し、極限に達した。指導者と戦う力を失った国々は、いつしか戦う目的すらも失っていた。

 20年以上続く戦争が突然の終結を迎えたのは、

 あの日の出来事から丁度一年後の事であった。

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