第44話 世界の門を開く者
細身の赤い長剣と、巨大な黒い大鎌がぶつかり合う。
両者は互いの力に押されず、刃を弾かれた勢いを利用し、次の斬撃を繰り出す。
再び二人の刃がぶつかった時、突然デミルの姿がかき消えザードは姿勢を崩す。ザードの頭上へ瞬間移動したデミルは、ザードの延髄めがけ大鎌を振り下ろした。
ザードはデミルに視線もくれず、腰に下げたライフルをベルトに繋げたまま自分の背後へ撃ち込んだ。大きな銃弾はデミルの大鎌に当たり、空中でデミルの体ごと弾き飛ばした。
「があっ!!」
ザードはデミルが地面に落ちる前に、剣をデミルの体に叩きつける。首元から右肺を切り裂いたつもりだが、ザードの手元にはパンを切る程度の僅かな手応えを残し、剣はデミルの体を素通りした。デミルの体から血の代わりに黒いザラザラした霧が吹き出す。
「手応えが無いってのはやり辛いな。幽霊と斬り合ってる気分だ」
傷口から黒い霧をくすぶらせ、デミルは立ち上がる。見た目では分かりにくいが、デミルには確実にダメージが蓄積されていた。対してザードは、かすり傷程度の怪我しか負っていない。
「くそっ、人間如きに・・・何故俺の動きについてこれる・・・?」
「さて、どうしてかな?」
笑って答えるザード。
巨大な大鎌を果物ナイフのように軽々と振り回したり、突然の瞬間移動をしたり。最初は物理法則を無視したデミルの戦い方に戸惑ったが、徐々にデミルの太刀筋が、癖が、そして性格が分ってきた。
動きを目で追っているようでは敵わないであろうが、ザードが持つ相手の"殺意"を明確に感じ取る能力によって、デミルは特別な敵でもなくなっていた。むしろ、殺意剥き出しで攻めて来るデミルはザードにとって戦いやすい相手とも言える。
ザードがそう考えていた、まさにその時。
不意に、デミルから向けられる"殺意"が消えた。
これはデミルに自分を傷つける意思が無くなった事を示しているが、デミルはザードに大鎌を向けたままで居る。ザードの命を奪うつもりは無いが、戦いは続けようという事なのか。
ザードはほぞを噛む。殺気が無くなってしまった以上、デミルの動きをザードの能力で先読みする事が出来なくなってしまったのだ。
(どういうつもりだ・・・何を企んでる・・・?
まさか、俺の"能力"の事を知っているのか? )
様々な可能性を考えながら、ザードは"オブスキュア"を握り直し、デミルを迎え撃つ姿勢を取る。
◆
一方、ゲイルとレナは森の木々を押しのけ、道無き道を走っていた。追って来る筈のオルレイの姿は無い。走り続けている為、ゲイルもそうであるがレナの息は上がり苦しそうにしている。それを見てゲイルは足を止める。
「レナちゃん、ちょっとここで隠れてて。すぐに戻るから」
腰のハンドガンを抜きながらそう言った。
「・・・どう、・・・するんですか?」
分かりきっている事を聞いた。
「もちろん、オルレイを迎え撃つ。逃げていったエベネゼル兵が戻って来るかもしれないから、茂みに隠れてじっとしてて」
「・・・気をつけて下さい。もし万一の事があっても、今の私では」
心配そうな顔で、レナはゲイルの身を案じる。
今のレナでは、死者の魂を呼び戻す術が使えない。
レナは今、"石"を持っていないのだ。
「分かってるって。でも、もし俺が殺られても、生き返らせなくていいから」
「え・・?」
当然の事の様に断りを入れたゲイルに、レナは驚いた。
「何度も人生再チャレンジしようと思うほど、人生に未練は無いしね。
それに、君にこんな事を言うのは失礼なんだろうけど・・・命の価値は死の瞬間に決まると思うんだ。だから、俺は何度も死んで自分の命の価値を薄めるような真似はしたくないんだ」
ゲイルはレナの力を拒み、そして否定した。
全く迷いの無い笑顔を見せながら。
「別にレナちゃんの命を呼び戻す術を悪く言ってる訳じゃないよ。君の力を必要としている人もいるけど、必要としていない人も居るって言う、ただ当たり前の話さ。
ザードもそう思ってる筈だけど・・・でも案外、今回の件であいつの意見は変わったかもしれないな。
ま、あいつはとにかく俺はそーゆ事だから、頼むね」
そう言って、ゲイルは元来た道を走り出す。思いもよらぬ事を言われ、レナは身を隠す事も忘れて暫く立ち尽くしていた。
◆
「何故お前らは"石"を、レナを狙う!?」
ザードの"オブスキュア"が、激しくデミルの大鎌とぶつかる。どう言う理由かは分からなかったが、攻撃の手を緩め出したデミルに向かい、ザードはここぞとばかりに攻めに出た。
「分りきった事を。当然、ベクタが魔力増幅機としてあの石を利用する為だろう。
あの石の力だけで一つの国が養われていたという話もあるんだ。同じように人間達への恵みの力としても、更なる領土拡大の為に軍事転用しても、絶大な力になると思わんか?」
「人間達・・・ベクタにとってはな。
だが、お前には何のメリットがある。人の幸せや、ベクタの軍事力に魔族のお前が関心を持つとは思えない。お前達は、俺達とまるで価値観が違うんだろ?
それと、レナも一緒に狙っている質問にも答えろ!!」
裂帛の声と共に、ザードは"オブスキュア"の力を解放し、真空と魔力で作られた不可視の刃をデミルに叩きつける。触れたものを引き裂く一陣の突風は、デミルの振るった大鎌に吹き散らされたが、砕け散った幾つもの魔力片がまるで散弾のようにデミルの体を突き抜けた。風が吹き去った後に、デミルは表情を歪め片膝を突いた。
「・・・良く分かっているじゃないか。俺達の事を・・・。
確かに、俺には魔力増幅器として"石"の価値は無い。あれは、俺にとって"鍵"さ」
「"鍵"、だと?」
これまで、ヘヴンガレッドの事は誰もが"石"と呼んでいた。それを"鍵"と呼ばれた事にザードは眉を寄せる。
ゆらり、と立ち上がり、デミルは視線を空へと向ける。
遠い、別の世界を望むように。
「ヘヴンガレッドは、レッドエデンへの扉を開く"鍵"だ。
そして、あの女は"鍵"の使い方を知る、唯一の存在だ」
ガキンッ!!
ザードは再びデミルとの距離を詰めて大鎌に刃を叩きつける。
「お前の言っている意味が分からない」
分らない。そう言いながらも、ザードの胸には嫌な予感が湧き出していた。
「分からないか?
250年前、お前らが"レッドエデン"と呼ぶ異世界に、我々魔族を追いやった事は知っているな?
あの石があれば、この世界からレッドエデンへ繋がる扉を開く事が出来るのさ」
ギンッ!!
ザードに押されながらも、デミルは自分の真の目的について語る。
「それは・・・途方も無い話だな。簡単には信じられないし、信じたくも無いがな」
信じられない話ではあるが、魔族が人間と協力して行動している理由としては、納得の行くものではあった。
ザードの全身に、何とも言えぬ不安が染みるように広がってゆく。
「あの女が使う、死者の魂を呼び戻す術さ!」
「何がだ!?」
刃を滑らせ、ザードはデミルの大鎌を受け流しながら問う。
「つまり、あれは別の世界への扉を開く術だ。
この世界と死者の世界を繋いで死者の魂を呼び戻したように、この世界とレッドエデンを繋ぐ事も出来るという訳だ!」
ザードの頭の中で、これまでの出来事が全て繋がった。
石を欲しがる人間達の行動と、魔族の繋がり。世界の成り立ちに、シャノンから聞かされた御伽噺。
そして、石の魔力増幅によって初めて発動する、レナのみが知る死者を呼び戻す術。
有り得る話だと思った。
その可能性に気付き、ザードは戦いのさなか背筋を凍らせた。
ガシャッ!
ザードの手元にデミルの大鎌がぶつかり、鈍く硬い衝撃が走る。
我に返ったザードが手元を見ると、デミルの大鎌は"オブスキュア"の柄を直撃していた。そして、ザードの手元から血の色にも似た赤い煌めきが舞った。
「な・・・!?」
自分の手が斬られたのではない。それは、"オブスキュア"の柄に嵌め込まれた、飾り石の破片だった。大鎌の先端が柄に嵌った石を砕いてしまったのだ。
ザードの剣は、魔導の仕掛けが施された剣である。剣は"時"の魔導で時間が止められており、刀身の刃こぼれや腐食といった事は起きない筈である。実際ザードは、今まで自分の剣が破損したという経験が無かった。
「てめぇっ!!」
ザードにとって長年愛用している剣である。何故、壊れない筈の剣が傷付けられたのかという疑問が浮かぶよりも早く、ザードは密着したデミルを脳天から両断するように切り付ける。
ザードの剣が、デミルの体を素通りした。
今までのように僅かな手応えを感じる事も無く、デミルの体から黒い霧の血が吹き出る事も無い。空を斬る様に、ザードの刃はデミルの体をすり抜けた。
次の瞬間、それまでなりを潜めていたデミルの殺意が、再びザードに向かって吹きつける。
デミルの口元に歪んだ会心の笑みが張り付いているのを見て、ザードの胸に嫌な予感が走り抜けた。
「ッ!!」
声も無くザードはデミルから逃げるように飛び退いた。どちらかというと攻撃を避ける、というより、その場から逃げる、といった動きだった。しかし、デミルはザードに追いすがり、大鎌を横薙ぎに振るう。ザードは首をはねられる前に、長い髪と共にしゃがんでそれをやり過ごす。これ以上は逃げられる状態では無い。ザードは牽制の為デミルに向かい"オブスキュア"を突き出す。
しかし、切っ先は再びデミルの体を素通りする。先の一撃と同じ手応えの無さにザードが呆けていると、彼の牽制を無視したデミルは更に一歩踏み込み大鎌を薙いだ。
その刃が、ザードの脇腹に食い込んだ。
「!!!」
大鎌はザードの脇腹に食い込み、そのまま振り抜かれるようにザードの身体は地面へと投げ出された。
二度、三度と地面を跳ねたザードが急いで体を起こそうとすると、体の下になった右腕がぬめった。
力が入らない。
うつ伏せになったザードの目の前に、自分の血溜まりが広がってゆく。
喉の奥が熱い塊に押し上げられ、呼吸が止まる。反射的に咳き込むと、喉からは血が溢れ出た。
自分が吐き出したものが何か分らないと言った様子で、ザードは目の前の赤い血溜まりを見る。
脇腹が引き攣れ、熱い液体が身体の内側と外側に溢れ出す。
自分の身体が水風船にでもなったような感覚だった。
そんな的外れな感想が、ザードが味わう初めての死の感覚だった。
「ご・・・ぐ・・・」
悪態をつこうと思ったが、ザードの口からは呻きと血溜まりしか出ない。大きくえぐられた右脇腹を抑え、ザードは身を起す。
「脆いもんだな、人間の身体は」
まるで失望したかのような沈んだ声で、デミルは空を仰ぎ言った。
「不思議そうだな、何で俺の体が斬れなくなったのか」
そう言って、デミルは足元に散らばる赤い石の破片を拾った。デミルが砕いた、"オブスキュア"の飾り石だ。
「お前、自分の剣の正体を知らないな?
それは、ただの魔法剣じゃない。
この世界を構築する"物質"以外にも、俺達魔族の存在を構築する"思念"をも破壊する事が出来る、いわば魔族殺しの剣だ。
大昔、魔族と戦争をしていた時代に人間が作ったモノだろうな」
沈みかけた意識の中で、ザードはデミルの声に耳を傾ける。
「"物質"は刀身の時間を凍結した超硬刃で破壊し、"思念"は使い手の魔力を剣に組み込まれた魔導石で増幅、刃を介して思念体にぶつける・・・
つまり、どれだけ凄腕の剣士でも、そういった思念へ対する攻撃性を持つ剣が無ければ、我々魔族を傷付ける事は出来ないのさ。
そして、魔導石を失ったお前の剣も、これで魔族の俺にとってはガラクタ同然という訳だ」
そう言い捨て、つまみ上げていた赤い石の欠片を放り投げた。
薄れゆく意識の中でザードはようやく悟る。
デミルの殺気が突然消え失せたのは、彼の狙いがザードの命ではなく、ザードの剣に移っていたからだったのだ。
脇腹を押さえ、剣を支えにしてザードは立ち上がる。出血は止まっておらず、地面の血溜まりを更に広げて行く。
全身の感覚を失い、意識までも失いかけながら、ザードは地面から剣を引き抜き、口元の血を拭った。
「俺の話は聞こえていないか?
諦めろ。もうお前に俺を傷付ける術は無いんだよ」
ザードは全てを聞いて、理解していた。そして、それを信じるならば、ザードに残されたすべは、一つだけ残っている。
沈みかける意識を必死で維持しながら、ザードは懐に手を伸ばし、赤黒い石の収まった首飾りを取り出した。
それは、レナから預かっていた、ヘヴンガレッドだった。
「お前・・・それは・・・!!」
デミルがそれに気付き目を剥く。ザードは残りの力を振り絞り、剣の柄で首飾りに収まった石を叩き割った。途端に、むせかえる程の濃い魔力が大気に充満する。
砕けた魔封じの石から現れたヘヴンガレッドを、ザードは"オブスキュア"の柄に押し当てた。
ずるり、と、鉱石である筈のヴンガレッドが、まるで生き物のように剣の柄に空いた穴へ流れ込んだ。歪だった石の欠片はオブスキュアの柄の中で綺麗にカットされた五面体に形を変える。ヘヴンガレッドがザードのイメージをトレースしかのか、それはデミルに砕かれた飾り石と全く同じ形だった。
ドクン、と、オブスキュアに収まったヘヴンガレッドは脈打つように蠢く。
そしてザードの意識は吸い込まれるように闇に落ちた。
紅く、黒々とした闇の中へ。




