第42話 ひとのこころ
「痛っ・・・」
割れるように痛む頭を抱え、椅子の上で眠っていたザードが目を覚ます。
自分の置かれた状況がすぐに把握出来なかったが、目の前に転がった酒瓶を見て理解する。自分の誕生日パーティーとして、ゲイルとレナの3人で騒いでいたのだ。アルコールに耐性の無いザードは、ゲイルに無理矢理ワインを飲まされてからの記憶が曖昧であったが。
窓から見える日の高さからすると、時刻は昼少し前くらいだろうか。毎日ほぼ決まった時間に目を覚ますザードだが、アルコールのせいで寝過ごしてしまったようだ。
ザードが立ち上がろうとすると、足元にグニャリとした感触が伝わる。
「痛ぇじゃねーかコノヤロォ!!」
スイッチが入ったかのように床で眠っていたゲイルが目を覚まし、ザードの足を叩いた。ザードはゲイルの頭を硬いブーツで蹴り返してから、改めて部屋を見回す。
テーブルの向かいで眠っていたレナの姿が無かった。先に目を覚まし、寝過ごすザード達をそのままに部屋を出たのかもしれない。そう考えたザードは、レナの名を呼びながら屋敷を歩いて回った。しかし、彼女の姿は無かった。
「おい、起きろゲイル」
ザードは床で伸びているゲイルの腕を掴み、引き起こす。
「うぅぅぅ。おい、ザード。お前、さっき俺の頭を蹴飛ばさなかったか?」
「・・・何の話だ?
そんな事より、レナの姿が見えない。知っているか?」
「いいや・・・俺も今起きた所だから・・・
痛てー・・酷い頭痛だ・・・そんなに飲み過ぎたかな昨日・・・?」
ザードと違い、ゲイルは度を過ぎた酒豪である。これまでもアルコールの強い酒を水のように飲みながら平気な顔をしているゲイルを、ザードは何度も見ている。
ふと気になり、ザードは床に転がるワイン瓶に貼られたラベルを見たが、そこに記されアルコール度数は大した物ではなかった。
「おかしいな、こんな酒で酔いつぶれるなんて・・・俺も年取ったって事かね・・・」
ゲイルもザードと同じように、瓶に視線を落としている。
ザードの胸に、嫌な予感がよぎった。
「このワイン、屋敷の警備の奴から貰った物だったよな」
ザードがゲイルに聞いた。
「あぁ、ゴードンとか言うオッサンだ。あいつにシスターの居場所は聞いたのか?」
「さっき見回ったが、今屋敷に居るのは俺達だけだ」
ゲイルの表情が、強張る。
「ザード、お前、何考えている?」
「早計かもしれんが・・・奴に一杯盛られて、レナをさらわれた事を考えている」
「・・・俺もだ」
レナにはゲイルの発信機を一つ持たせていた。しかしその反応は感知出来ず、それは発信機が壊されたか、信号の届かない洞窟等に居るかのどちらかを示していた。発信機の反応を捉えられない程離れた場所に居る、というケースは排除できた。ゲイルの発信機の受信範囲は広く、昨晩から現在までの半日程度の時間では、飛空艇でも使わなければ受信範囲から出る事は出来ないであろう。
「洞窟、ね。心当たりはあるよ」
ザードとゲイルは、族長であるシャノンに事態を説明した。現在、村中でシスター・レナとゴードンを探しているが、見つかったという知らせはまだ無い。ワインにも眠り薬が混ぜられていた事も分かり、このまま予感が的中する可能性が濃厚である。
「村の外の人間には絶対に内緒にして欲しいが・・・
実は、村の結果内から外に続く地下道がある。村の裏山から、村の外の街道近くまで続くものがね」
「結界の外って・・・かなりの長さの地下道にならないか?」
「そうだね。人の足で歩いて、半日。洞窟内に敷かれたトロッコレールを使えば3時間くらいの長い洞窟だ。
すぐ村の者に調べに行かせよう」
数分後、洞窟を調べに行った者からの報告は、入り口にあるトロッコが一台無くなっているというものであった。ザード達が異変に気付いてから約1時間程が経過していたが、これ以外レナの行方に可能性がある場所は見つからなかった。
「ゲイル、船を出せ。ひょっとしたら洞窟の出口に先回り出来るかもしれん。
族長さん。悪いけど、村側の洞窟の封鎖を頼んでもいいか?」
「手配しよう。少し遅れるかもしれないが、我々も洞窟の出口へ向かう。
全く、とんだヘマをしたね。依頼料は減額させて貰うよ」
「・・・すまない」
ザードは一言だけ謝ると、シャノンは軽くザードの胸を叩いて、他の村人が集まる中央広場へ向った。洞窟出口の座標を控えたザードとゲイルは、走って村はずれの岩山、飛空艇の格納庫へ向う。ゲイルのグライダーを使えば、洞窟の出口まで半時もあれば到着出来る筈だった。
◆
同じ頃。村から続く地下道をトロッコが一台、質素な見た目にそぐわぬ滑らかな滑走音を響かせて走っていた。
トロッコに乗るのは、シスター・レナと、屋敷の警備役をしていたゴードンの二人である。
「う・・・」
小さく呻いて、レナが目を覚ます。時折ガタゴトと揺れる硬い地面に違和感を感じて起き上がると、その両腕は縄で縛られトロッコの床板に固定したアンカーに繋がれていた。
「目が覚めましたか・・・?」
すぐ隣で、屋敷の警備をしていたゴードンが座っていた。
レナが慌てて周りを見回すと、小さなランタンで照らされた身の回り以外は真っ暗で、自分達が何かの乗り物に乗っているという事くらいしか分からなかった。
「村の外へ続く地下道をトロッコで走っている所です。
もう数分もすれば、出口です。どうか、大人しくしていて貰いたい」
ゴードンは落ち着いた様子で、この異常な状況を説明した。しかし、レナは益々混乱するばかりである。
「これは・・・どういう事ですか?
ザードさんや、ゲイルさんは!?」
「昨晩、私の差し入れたワインに眠り薬を盛らせて貰いました。二人には危害は加えていません。
そして、レナさん、貴女は私と一緒に、エベネゼルまで来て貰いたい」
「・・・エベネゼルへ?」
「この村の人間に協力せず、エベネゼルに協力して欲しいのです。
元々エベネゼルへ行くつもりだったのでしょう?
助けられたとはいえ、族長にさらわれてきたも同然じゃないですか」
「それは・・・そうですが・・・。
何故、こんな事をするんですか、あなたは、エルカカの人間なのでしょう?」
ゴードンはレナから視線を外し、俯くように話し始めた。
「心情としては、私はエルカカの民として"石"と貴女の力を安全な方向へ導きたいと思っています。
ですが、私は村の外、エベネゼルの都に家族を持っていましてね。
その家族を・・・人質にとられているのです」
レナが目を見開く。
「"石"を、ヘヴンガレッドの力を操る貴女の身柄を確保して、何としてでもエベネゼルへお連れするようにと。
それが私に命じられたことです。
彼等は貴女の力がどうしても欲しいようですね」
エベネゼルは、この世界大戦の中でも中立を保っている。戦地へ医師団を派遣したり、戦災の復興を牽引したりと誰からも世界に有益な働きをしていると認められている国である。そのような国が、人質という手段を使い石の奪取に関わってきた事にレナは動揺を覚える。そして、怒りも。
「・・・エベネゼルでもエルカカでも、私の力が人の為になるのなら誰にでも協力はします。
ですが、あなたの家族を人質に取り、エルカカを裏切るように仕向けたエベネゼルのやり方は、許せません。
私はエベネゼルに協力する事は、できません」
ゴードンは自嘲めいた笑みを浮かべる。
「はは・・・君の怒りの矛先は僕ではなくてエベネゼルに向くのか。
納得出来ない気持ちは私も同じだ。でも、私はこうするしか無いんだ。分かって欲しい」
元々レナはエベネゼルに協力するつもりで村を出たのだから、この状況に身を任せていても問題は無いのかもしれない。
しかし人質を使って、ゴードンにエルカカを裏切らせたエベネゼルのやり口は、如何なる理由であれ納得できなかった。そう思うと、このまま自分の身柄がエベネゼルに渡る事に抵抗を感じる。
彼女がエベネゼルに対する気持ちは大きく変わっていた。
しかし、両手を縛られた非力な自分に出来る事は無く、レナは複雑な思いでゴードンの襟元を睨みつけることしか出来なかった。
村の岩山から飛び立ったグライダーは、最大速度でシャノンに教えられた洞窟の出口へ向かう。
いつものように操縦席にゲイルが、後部座席にザードが"オブスキュア"に手を掛けて座る。しかし、ザードにはいつもの落ち着きが無い。
「ソワソワするな。10分もしないうちに着くから」
ゲイルは激しく振動する操縦桿を抑え付けながら言う。船の外壁も、ギシギシと軋みを立てている。軽く柔軟な素材で作られたゲイルのグライダーは、速度を求めるあまり、エンジン出力の割りに船体の強度は極端に弱かった。最大出力で飛んだら、船体の制御は利かない。そのギリギリの速度で、ゲイルはエンジンを回し続けた。
「少しだけ、俺の思っている事を聞いて欲しいんだが・・・」
「何だよ、藪から棒に・・・・気持ち悪いな」
普段と違うザードの声色に、ゲイルは眉を寄せる。ザードは咳払いを一つしてから、
「昨日の夜、お前らに誕生日を祝ってもらった事だが・・・」
「あぁ」
「これまで生きていて、一番嬉しかった」
はっきりとした口調で言った。ザードが自分の気持ちを、これほど明確に言葉にした所を、ゲイルは見た事が無かった。
「今までで一番、楽しい時間だった。
あんな気持ちになったのは、生まれて初めてだ」
やや面食らいつつも、ゲイルはザードの気持ちを受け取る。
「・・・そうか。
悪くないだろ。他人とつるむのもよ」
「まぁな」
一瞬会話が途切れた後、やや口調を硬くしたザードが再び話し始める。
「生まれて初めて、仕事や金を抜きにして、守りたいモノが出来たんだ。
ゲイルやレナを失う事が怖いと思った。
昨日の夜をお前らとすごして、そう思った」
「な、何だよ。ははっ、マジで気持ち悪いぞお前?」
あまりにも真っ直ぐなザードの言葉に、ゲイルはムズ痒くなってくる。ザードは続く言葉を、今度は俯きながら言った。
「そう思った矢先に、この様、だ」
血を吐くようなザードの言葉。ゲイルの顔からも笑みが消えた。
「ゲイル、ここから先は仕事抜きでやらせて貰う。
俺は、レナを連れ戻したい。
どんな手を使っても、だ。
エルカカと衝突する事になっても、俺はレナの味方に付く」
ゲイルは苦笑いを浮べ、頷く。
「オッケー。
それじゃ、俺も今からオフだ。仕事は抜き!
その上で、レナちゃんを連れ戻しに行く」
そう言い、ゲイルはお気に入りのワインレッドのネクタイを緩めた。
「すまん。今回は俺の勝手ばかりだな」
「構わねーよ。
俺は、お前がそういう風に思ってくれた事が嬉しいし、お前の考えにも賛成だ」
「俺も、こんな思いで行動するのは初めてだ。自分でも良く分からない」
ザードは考えるように天井を仰ぎ、
「・・・やっぱり俺、恥ずかしい事言ってるよな?」
我に返ったように、そう言った。しかしゲイルは笑わず茶化さず、真面目に答える。
「自分の思いを素直に相手に伝える事の何処が悪い。まぁ、普通の人間は、なかなか言えないもんだけどな」
「それ、俺が普通じゃ無いって言ってるのか?」
「だから、悪い事じゃ無いって。
レナちゃんにも、今の言葉を伝えてやれよ。きっと喜ぶぜ?」
「? そ、そうか」
ザードには、ゲイルの言う意味が良く分からない。が、たまには素直にゲイルのアドバイスに従ってみようと思った。
「・・・さーて・・・。
見てみろザード。面白いモンが見えてきたぞ」
そう言われ、ザードはグライダーの操縦席前方を覗き込んだ。
晴れ渡った空の下、一面に広がる樹海。その先の空に、巨大な船影が見える。
それをグライダーに積まれた望遠カメラで写すと、白い大型の飛空挺が浮んでいる。
「エベネゼルの船だ・・・」
船に奢られた、十字架と羽と蛇のエンブレム。
それはレナの力を欲しているもう一つの勢力、エベネゼルのものだった。