第41話 ハッピー・バースディ
ザードは"オブスキュア"を逆手に握り、静かに剣を振り始める。
始めはゆっくりと、徐々に剣を切り返すスピードを上げてゆき、自分の動きに怪我だらけだった体が付いて来るか、慎重に確かめる。
ザードは誰よりも剣による戦いに秀でていたが、誰かから剣術を学んだ訳ではない。昔から自分の身に降りかかる火の粉を払う為の道具として、自分で剣の使い方を見つけ出した。
ただ普通の人間と違うのは、相手の殺気が視える"能力"があるという事。この魔導とは違う特別な力と、"オブスキュア"だけで、ザードは幾千もの人間を斬り、己の技を磨いてきた。
ザードの振るう切っ先が常人の目では追いきれなくなるまで加速する。目の前の見えない仮想敵に向い、全力で突きを繰り出す。体は軋む事無く、刃はザードの思い通りの軌跡を描いた。
短く息を吐いて、今度はやや離れた木立に飛び掛かり、オブスキュアを太い幹に叩きつける。
バガアッ
鞘に収めたままの"オブスキュア"が、木の幹をえぐる。鞘が指先の半分程の深さに食い込んだ所で、その衝撃はザードの左腕に跳ね返る。しかし、全力を込めた打ち込みを弾き返されても、ザードの体勢は崩れない。
「・・・よし」
自分の体の完調を把握し、ザードは自分の左腕をさする。
「そういう事は、夜中か人目の無い所でやらないと危ない奴だと思われるぞ」
途中から視線は感じていたが、少し離れた所で、ゲイルとレナが籠や袋を抱えてザードを見ていた。
エルカカの村はずれ、シャノンがザード達三人にあてがった屋敷の庭先での出来事だった。
放っとけ、と毒づきながら、ザードは剣を腰のベルトに挿して二人に歩み寄る。
「もう怪我の方は大丈夫なんですか?」
籠を芝に置いて、レナはザードに駆け寄る。
「お陰さまで、な。最初はお前の言う通り、治してもらった怪我の場所を酷使すると違和感があったが、今では元の調子に戻っているようだ」
ザードはレナに、手のひらを握ったり、広げたりして見せる。
「ちょっと、見せてください」
不意にレナはザードの左手を取り、自分の手のひらをザードの手の甲に合わせ、目をつぶる。
レナはザードの怪我の状態を魔導を使い調べているだけなのだが、はた目から見ると、レナと手を取り合い向かい合っている形なので、ザードを何とも気恥ずかしい気分にさせる。横目でゲイルが腹立たしいほどのニヤケ顔でザードを見ていた。
「・・・大丈夫みたいですね。私の魔導の治療に、ザードさんの体の治癒力が追いついています。これなら、怪我をした所が痛み出すという事は無い筈です」
レナは、自分の事のように嬉しそうな顔でザードに告げる。ゲイルに突っかかろうとしていたザードは毒気を抜かれ、歯切れの悪い間の抜けた返事を返して頭を掻いた。
◆
ザード達がエルカカにやって来て1週間が過ぎようとしていた。
3人はシャノンに案内された屋敷を仮住まいとし、ザードとゲイル、そしてエルカカの魔導士達がレナの護衛に当たっている。
しかし、彼等の方から何らかの行動を起こす事も出来ず、ザードは体の傷を癒すためにほぼ1日中眠り、ゲイルは我関せずといった様子で村を見物したり近くの湖で釣りをしていた。レナは時折ザード達に自分の事や、"石"の事について相談していたが、日が経つにつれて、まるで目の前の問題を忘れようとしているんのように屋敷の家事に勤しむようになっていた。
問題を棚上げにしてしまったと言ってもいい。1週間という時間が経っていたが、何の進展も無く3人は怠惰な時間を過していた。
「随分と多い荷物だな。何するつもりだ?」
ザードは屋敷の門をくぐりながら、レナとゲイルの抱える荷物を指して問いかけた。
「あ、その、これは・・・・」
何故かザードの質問に言い淀むレナ。レナの言葉を遮るようにゲイルが口を挟んだ。
「湖で大物釣ってきたんだ。どうせなら、今晩のメシはコイツをメインに豪華にやりたいと思ってな。シスターに頼んで色々みつくろってもらったんだ」
「ふぅん」
気の無い返事を返すザード。自分から聞いておきながらどうでもよさそうな態度だった。
「お帰りなさい、お揃いですね」
屋敷の入り口に立っていた魔導士がザード達を迎えた。ザード達の護衛として屋敷に一緒に泊まっているゴードンという魔導士である。30代半ばといった年齢で、魔導士というよりは戦士のような体格をした男だ。三人はゴードンとそれぞれ挨拶をかわし、屋敷の玄関をくぐる。
レナは広々とした玄関を見渡した。普段護衛は2、3人居るのだが、今日はゴードンの姿しか見当たらなかった。
「今日はゴードンさんだけですか?」
「あぁ、若い連中は別件に駆り出されてな。今日、明日は来ないよ」
「それなら丁度いい、今日はシスターにご馳走作ってもらう事になってるんだけど、ゴードンさんも一緒にどうよ? 若い連中には内緒にしといてやるぜ?」
ゲイルが自慢するように荷物の食材を見せゴードンを誘うが、彼は苦笑いを浮かべて首を振った。
「誘ってくれるのは嬉しいけど、ちゃんと仕事しないと族長に怒られちまうからなぁ。遠慮しておくよ」
「あっそ、お堅いねぇ」
「そうだ。ウチにレンヴォールドのワインがあるから差し入れるよ」
「おぉっ、ホントか!! 悪いな、この村いい酒が手に入らなくて困ってた所なんだ」
酒に目が無いゲイルが小躍りして喜ぶ。
「緊張感の無い奴だな。俺達は遊びに来てるんじゃないぞ。レナの護衛として来てる事を忘れんなよ」
「レナちゃんの護衛に協力はするが、俺はお前やエルカカの連中に雇われてるワケじゃないぞ。
それに、一日中寝てばっかりの奴が言える台詞じゃねぇよ」
痛い所を突かれ、ザードの視線が真横に泳いだ。
「でもよ、たまにはいいんじゃないか?」
非難口調から一転、軽い口調でそう言うと、ゲイルは自分の持つ紙袋からリンゴを取り出しザードに投げて寄こした。
「狙われてるとはいえ、この村にいる以上は安全みたいだしよ。おまけに護衛付きときてる。これだけ安心して羽を伸ばせたのは・・・随分と久し振りだよ」
「エルカカの護衛はお前の為の護衛じゃねーよ」
ザードは受け取ったリンゴを服の袖で磨きながら文句を言う。
とはいえ、ザードはゲイルの言う事も分かる気がした。エルカカの村を囲む森と、その上空には人の方向感覚と村に対する認識力を狂わせる結界が張られており、普通の人間ではエルカカの村まで辿り着く事が出来ないようになっている。方位磁石など方角を示す道具や魔導も全く役に立たず、外部の人間がこの村に入り込む事はまず無い。
例外的に、ゲイルが村に辿り着けたのは発信機という目印をザードが結界内に持ち込んでしまった為だとシャノンは言った。
結界の効果は村の内部からも同じ事で、ザードは村を囲む森を抜けようと試みたが、散々迷った挙句帰り道すらも分からなくなってしまった。念の為にとゲイルから借りた発信機を頼りに村へ戻る事ができたが、それが無ければ今も森を彷徨い歩いていたかもしれない。
ハーフエルフであるザードは、普通の人間よりもずっと五感が優れている。もちろん、方向感覚も。そのザードが結界の力に飲まれてしまったというのだから、どうせ村の外から敵なんかやって来やしない、とタカを括りたくなるというものである。
ザード自身、折角安全な環境に護られているのだから、たまには襲撃を気にする事無く体を休めたいという欲求があった。
「前から聞きたかったんだけどよ」
ゲイルが煙草を吸いながらザードに話しかけた。
夕刻。レナが夕食の準備をしている間、ザードとゲイルが広い客間で伸びている時の事である。
「何だ?」
ザードは屋敷の本棚にあった、古い伝記を読みながら上の空で答える。
「お前、この戦争終わったらどうするつもりなんだ?」
「・・・考えた事ねーな」
一拍の間を置き、ザードは本から目を離さず上の空で答えた。
「マジメに答えろよな」
ソファーに浅く腰掛けていたゲイルは座り直して、ザードを睨みつけたが、
「真面目だよ。考えたく無いから、考えた事は無い」
「・・・・。」
真面目に返してきたザードに勢いを殺がれてしまった。
ザードは本を閉じて、腕を額に押し当て天井を仰いだ。
「俺は、戦う事しか出来ない奴だからな。
それ以外、何も無いだろ?」
ゲイルの気のせいか、ザードの声は何処と無く寂しげだ。
「・・・そんな事も・・・無いだろ」
「じゃあ、何がある?」
ゲイルの言葉に期待しているような顔で聞き返してきた。ゲイルは暫く固まった後、
「・・・えーと、だな、
あぁ、サーカスとかどうだ。お前の器用さは異常だから何でもこなせるだろ多分?」
「殺すぞお前」
ザードに睨まれ、ゲイルはへらっと笑って見せる。
再びザードは腕で額を覆い、ゲイルに悟ったかのような事を言う。
「心配する事は無いさ。
どうせ、この戦争は終わらない。
ずっと、このままだよ」
ゲイルには、ザードがどういう思い出その言葉を口にしたのか分らなかった。世の中の愚昧さに呆れているのか。現実から目を逸らしているだけなのか。分らなかった。
「・・・良いとは思わなかったか?」
ゲイルが、妙に穏やかな口調で言った。
「何が?」
「この屋敷での生活。
とりあえず、ここにいれば身の危険は無い。村の連中も、俺達を迎えてくれたし、シスターは美味いメシを作ってくれている。
いつか、本当にこういう日常が来たら良いなって、思わないか?」
ザードはゲイルの問いに答えなかった。
ゲイルの質問を最後に会話が途切れていた客間へ、レナがやって来た。
「料理、できましたよ。ゲイルさん、手伝って貰えますか?」
「おっ、待ってましたっ!」
ゲイルは嬉しそうにソファーから立ち上がり、何事も無かったかのように厨房へ行ってしまった。
「・・・切り替えの早い奴だな」
一人になったザードは、続きを読む為に一旦閉じた本を開けた。
が、ゲイルの問いかけが引っかかり、目で文字を追っても内容が頭の中へ入って来ない。
「・・・クソが」
本を投げ出し、再びソファーへ沈み込むザード。
嫌な訳が無かった。
この数日間は、とても穏やかに時を過す事が出来た。ゲイルの言うように、このような日々が続けばどれだけ幸せかと思う。
しかし同時に、戦いの無い世界では自分の存在意義を見出す事が出来ず、ザードは平和な世界という物にある種の恐怖を感じていた。
そして、人を傷つける事にしか存在価値を見出せない自分に、愕然とする。
やはり、自分が居るべき場所は此処では無い。
例え人を傷つける事しか出来ない、害悪しか生まない存在だとしても、ザードは戦争のある世界に、自分の居場所を求めるのだろう。
平和な世界で自分の存在意義を失うなら、それは死んでいるも同然である。
しかし
「いいのかよ・・・それで・・・」
そのような考えに辿り着いた自分に失望し、ザードは大きく溜息をついてソファーに沈んでゆく。
「おーい、メシできたぞー」
廊下の向こうでゲイルの声が響いた。短く息を吐き、いつも以上に気だるい表情を浮かべながらザードは食堂へ向った。客間の2つ隣の部屋が食堂になっており、無駄に広いテーブルでいつも三人一緒に食事をしていた。ザードが食堂の扉を開く。
パン、パパンッ!
ザードが扉を開くと同時に撃ち鳴らされる破裂音。
ゲイルとレナ以外の気配は感じていなかった為、完全に不意を突かれたザードは反射的に身を屈め"オブスキュア"の柄に手を伸ばす。
かさり。
戦闘態勢に入りかけたザードの頭へ、色とりどりの紙テープが引っかかった。
『誕生日おめでとうっ!!』
クラッカーを持ったゲイルと、料理を運んでいるレナが、声をはもらせ豪華に飾られた食堂にザードを招き入れたのだった。
豪華、といっても、いつもと違うのは真っ白なテーブルクロスと、普段は暖炉の上に固めて置いてある蜀台に火が灯っている事。そして、いつもより豪華な食事。ついでに、暖炉の上に、「ハッピー・バースデー ザード」と、ゲイルの汚い文字で殴り書きされたプレートが立て掛けてある。
「どうよ? レナちゃんが提案したんたぜ。
お前へ何かお礼したいって言うから、お前の誕生日が近いって事を教えてあげたんだ」
ゲイルはレナの背中をポンと叩く。
「あ、その、改めてちゃんと御礼がしたくて。
あたしは普通にザードさんの誕生日を祝えたらよかったんですけど、ゲイルさんがびっくりさせようって・・・すみません・・・」
「あっ、俺だけ悪者かよ!
レナちゃんももノリ気だったじゃん!!」
「い、言わないでくださいよー!」
レナとゲイルのやりとりを、ザードは固まったまま聞いていた。
今まで感じた事の無い感情だった。ザードの心の中で、何かが突き動かされる。ザード自身、自分が何を感じたのか良く分からなかったが。
ただ、この2人の仲間が、今の自分にとって何よりも大切な存在なのだと、この瞬間に気付いたのだ。
今まで誰とも組まずに旅をしてきたザードが、唯一行動を共にするようになったゲイル。
最初はゲイルの情報網を利用する為だけに協力関係を結んでいたが、いつの間にか彼と共に居る理由は、それだけでは無くなっていた。
仕事として、護衛をすることになった、シスター・レナ。
自分をかえりみない、優しすぎるその性格に興味を惹かれ、ザードにとって彼女は危なっかしくて放ってはおけない存在になっていた。
ザードの中で、"仲間"という言葉の意味が、この瞬間に大きく変わった。
これまでその言葉の意味を、軽く捉え過ぎていたようである。
ザードは誰に対しても、道を違えたり、死に別れようとも、何も感じる事は無いと思っていた。
しかし、そのような日が来た時、この2人に対していつものように無感情でいられるだろうか。
何も感じる事無く、諦める事が出来るだろうか。
それを思うと、ザードは何故か怖くなった。
「おい・・・ザード。
何ボーッとしてんだ。何か言う事は無いのか?」
ゲイルに顔を覗き込まれ、我に返るザード。自分は今、どのような表情をしているのだろうか?
そう思うと、2人へ真っ直ぐと顔を向けられなくなってしまった。
( 何やってんだ、俺は。子供かよ・・・ )
この一瞬で、ザードの中で色々な価値観が変わった。無茶苦茶になった心の整理は後回しにし、2人に言うべき事は言わなければならない。
「あ、ありがとう・・・」
そっぽを向いたまま、消え入りそうな声で礼を言うザード。恥ずかしさのあまり自分の声が上ずっている事に気付き、そして死にたくなる。
そんな気の利かないリアクションしか返せないザードに、ゲイルは満足げに「ん」と笑いながら頷き、レナはぱちぱちと拍手を送った。
まるで、ザードの反応を予想していたかのように。
◆
「さ、どうぞ。ゲイルさんが湖で釣ってきたんですよ。シャノンさんも見た事が無い大物だって言ってました。
おいしい料理の仕方を教えて貰って作ってみたんですけど・・・一応、自信作ですよ!」
「あぁ、おいしい。凄く」
「ケーキも焼いたので、最後に皆で食べましょうね。」
「・・・あぁ、すまん」
「じゃじゃーん!!!
ゴードンのおっさんに貰ったワインだ!!!」
「げ、ゲイルさん、一応私もザードさんも未成年なんですけど・・・・」
「未成年って、20歳以下って意味か?
俺の故郷では酒は16歳からオッケーなんだぜ。まぁ、俺はガキの頃から飲んでたけど。
レナちゃんは17歳で、ザードは今日で19歳だろ?
だから、問題ナシっ!」
「わわっ、注ぎ過ぎです、ゲイルさん!」
「待て、ゲイル。俺は酒は・・・」
「飲めん、なんて寒い事言うつもりじゃないだろーな!!
前々から空気読めない奴だとは思っていたが、コレを断ったら駄目だろう?」
「違うぞ、ゲイル。空気は読むものじゃない。吸うものだ」
「それが空気読めて無いって言ってんだ!!!」
「うぶっ!!」
「げ、ゲイルさんっ!?」
◆
ただ、漠然と物凄く楽しかったという記憶が残ってるだけで、パーティーの中盤から終わりまでの記憶はザードには無かった。
ふと気が付くと、椅子に座ったまま眠っていた。痛む首を曲げて部屋を見渡すと、レナは向かいのテーブルに突っ伏したまま寝息を立てており、ゲイルはザードの足元でうつ伏せになって伸びている。部屋も暖かいので、放っておいても風邪をひく事は無いだろう。
ザードはベッドのある自室に戻らず、そのまま二人と一緒に、この部屋で眠る事にした。
まどろむ意識の中で、ザードは自分の存在意義について、ひとつの答えを見つけていた。
この理不尽な暴力が渦巻く世界から、2人を守る為に戦うこと。
それは、金の為に戦うこれまでと比べ、どれだけ意義のあることか。
ザードはこの戦争でどれだけ戦っても、どれだけ高額な報酬を貰っても、全てが虚しかった。自分も世界も、全てが色あせていた。
それはきっと、ザードは今まで一人だったから。
今まで誰とも心が触れ合った事が無いから。
誰にも心を許した事が無いから。
しかし、今のザードには少なくともこの部屋だけは色づいて見えていた。
守ろうと思った仲間が居る、この部屋だけは。