第34話 月の夢
雲ひとつ無い、澄んだ夜空。
真っ黒に塗られた飛空艇が、山肌をなぞるように駆け抜けた。
飛空艇と言ってもグライダーを金属で覆ったような、とても小さな船である。
「この山を越えた所で、レオニール軍の分隊がキャンプを張ってる筈だ。
用意はいいな?」
飛空挺の操縦者が、後ろのシートに座る相棒へ話しかける。
操縦桿を握るのは、肩まで伸びた金髪を首の後ろで纏めた青年だった。線の細い体つきで、まるで事務仕事をするかのような服装で操縦桿を握っている。しかし服装とは裏腹に、その目つきや口調のせいで "何処の町にでも居るような不良" という粗野な印象が先立っていた。
激しく震える操縦桿を握りながら、男はもう一度呼びかける。
「おい、聞いてんのか ザード!?」
後ろのシートから返事が無く、男は相棒の名を呼ぶ。
「あぁ。聞いてる」
操縦席の後ろに座る男は、紅い抜き身の剣に暗い視線を落とし、短く答える。
印象的な姿の男だった。
華奢な体を紺色のローブで包み、端整で白い顔をした男。そして鈍く光る銀の髪が、肩から腰へ流れていた。
年の頃は操縦桿を握る男より若く、僅かだが少年のあどけなさも感じる。銀の髪の男が、容姿の割りにやや低い声で問いかける。
「それよりもゲイル。今回は船の機関銃や爆撃の援護は要らないよ」
「あ。そりゃ構わないが・・・大丈夫なのか?」
「銃器もまともに支給されてない弱小部隊だろ? 弾だってタダじゃない。
それに、今日は調子がいいんだ」
「あっそ・・・。まぁ経費が浮いて助かるけどよ。
と、着いたぞ。この丘を昇りきった所だ。用意しろ」
ザードは腰に下げたライフルとリボルバーを手探りで確認し、左手の紅い剣を握り直した。
「いつでも」
◆
どんっ!!
レオニール軍のキャンプを突風が吹き抜けた。
見回りの兵士を何人かを吹き飛ばし、幾つかのテントがひっくり返った。
「何事だ!?」
「空を、何かが飛んで行ったぞ!!」
巻き上がる砂埃と闇夜で視界が殆ど無くなる。丘の上の兵隊達は、事態が飲み込めずに騒然とした。
「敵の爆撃か!?」
「それにしちゃ、爆風以外は何も・・・」
動揺を誤魔化すように、憶測を口にし合う兵士達の後ろで。
バガンッ!
彼らが背にしていた装甲車が大きく揺れた。振り向いた先では装甲車が真っ二つに割れ、綺麗な断面を見せながら浮かび上がっていた。
ボガアッ!
兵士達は何が起きたのか理解する事も出来ぬまま、爆発した装甲車の炎に巻かれた。
その爆発を皮切りに、所々に停まっている軍用車両が次々と爆発、又は真っ二つにされてゆく。相変わらず相手の姿は確認出来ず、兵士達は砂埃と黒煙が立ちこめるキャンプを駆け回る。
「火を消せ!!
6番隊は倉庫から火薬を運び出せ!!」
右往左往する兵士達へ怒鳴りつけるように命令する男に、一陣の紅い風が吹きつけた。
彼の目の前に舞っていた砂埃と黒煙は一瞬で吹き飛び、そこから姿を現したのは、上下に真っ二つに切り裂かれたテントや、木立。そして上半身が下半身から崩れ落ちようとしている部下達の姿。まるで見えない巨大な刃が、森や夜の空気を切り裂きながら迫ってくるような、非現実的な光景。そして、気付いた時には彼の体も腰の辺りで二つに分かれていた。
全てが二つに断たれた空間の先に、剣を携えた男が一人、立っていた。
この混乱の場に似つかわしくない静けさを持った青年は、月明かりを背に戸惑う兵士達を見下ろした。
その青年を見た兵士達は、ここ最近まことしやかに囁かれる一つの噂を思い出し、凍りつく。
突然戦場に現れ、たった一人で幾千もの人間を切り捨てる殺戮者。
銀の髪を舞わせ戦うその姿は、
まるで月の光りを纏っているかのようだった。
月の光を照り返し、男の鈍く輝く銀の髪が揺れた。
「つ・・・月の光を纏う者・・・!?」
ざばぁっ
呟いた兵士と、その周りに居た者や在った物がまとめて紅い風に吹き飛ばされ、バラバラになった。
"月の光を纏う者"、ザード = ウオルサムの手にする剣が、紅い魔力の光を輝かせていた。たった一振りで、遥か間合いの外の空間を見境無く裂いてしまう。この紅く薄い刀身の魔法剣と、彼が蔵する膨大な魔力の成す技の一つだ。
「"月の光を纏う者"だ!!
討ち取って名を挙げろ!!!」
一人の兵士が大剣を振りかざし、ザードの背後へ飛び掛った。ザードは表情を動かす事無く、振り向きざまに襲い掛かる男を大剣ごと斬り裂いた。男の声と同時に、兵士達は武器を手に、ザードへ向い殺到した。流石に紅い風の"かまいたち"を放つ余裕が無く、ザードは次々と襲い来る兵士達を淡々と一本の剣で切り崩してゆく。
殺到する兵士達の間から長いバレルを持つ銃口が現れ、ザードへ向け突きつけられた。
ボッ!
ザードは剣を持つ手とは逆の手で銃のバレルを掴み、銃口を他所へ向けた。発射された散弾はザードの後ろにいた兵士数人を撃ち倒す。掴んだバレルを引き寄せてザードに倒れ込んできた兵士を斬り伏せ、散弾銃を奪う。一人づつ斬り倒すのが面倒になったザードは、散弾銃で密集する兵士達を次々と撃ち倒す。
最初に襲い掛かってきた兵士を斬り倒してから、その間わずか1分。ザードの足元には文字通り死体の山が積み上がっていた。ザードの常識を逸した強さをようやく理解した兵士達は慌てて後退し、ザードを遠巻きに囲む。
ザードは弾の切れた散弾銃を投げ捨て、紅い剣に魔力を集める。そして、距離を取ってしまった兵士達へ向かい、再び紅い風を叩き付けた。
見えない風の刃で、次々と斬り飛ばされる兵士達。攻撃をかいくぐり間近まで迫ってきた兵士は、ザードの持つリボルバーにより胸を打ちぬかれた。
一方的な戦い。
殺戮だった。
ピピッ
ザードの腕に巻かれた時計から電子音が響いた。
すると突然ザードは駆け出して、怯えて逃げ出す兵士達の脇をすり抜け崖から飛び降りてしまった。
「・・・!?」
怯える兵士達がザードの飛び降りた方角を見ると、黒いグライダーのような飛空挺が、轟音と共に飛び去っていった。一人の兵士の目は、その飛空艇の翼にザード = ウオルサムが捕まっている姿を写した。飛空艇はそのまま、空の彼方へ飛び去ってしまった。
「助かった・・・のか?」
兵士の一人が声を震わせて呟いた。
「みたい・・・だな・・・
でも、これじゃ作戦は続けられない・・・これからどうすればいい・・・?」
生き残った兵士達が座り込み途方に暮れていると、遠くから機械の駆動音が響いてきた。
「何だ・・・ベクタの・・・援軍か?」
「援軍の到着は明日だ、いくらなんでも早すぎ 」
最後まで言えぬまま、その兵士は森から飛来した弾幕に撃ち倒された。
森の奥には、各国の本隊が衝突する前線へ向い進軍を続ける、エベネゼル軍がいた。
◆
「あれだけ叩けば、貧弱なエベネゼルの部隊でもあの丘を通過出来るだろう。
お疲れさん」
操縦席の後ろに座ったザードへ、ゲイルは労いの言葉をかける。息ひとつ乱していないザードは短い溜息を吐いた。
「気に入らないな。エベネゼル絡みの仕事は。
まるで奴等のお芝居の裏方をやらされている気分だ」
その言い草を聞いたゲイルは鼻で短く笑う。
「違いねぇ。
宗教国家というお国柄強大な軍事力を抱える訳にもいかないし、だからといって大国である以上負ける訳にも行かないしな。
それで出来た構図が、名前が面に出ない同盟国や俺達傭兵に戦わせて、自分達は最後の仕上げと戦いの後の後始末・・・。
まるでお遊戯だな」
「そんな下らない体裁繕いに加担してるってのが、馬鹿馬鹿しくて気に入らない」
ザードの愚痴に、ゲイルは声を上げて笑った。
「何を今更、
この戦争に関わること自体、馬鹿けた行為だ」
ひとしきり笑い、皮肉を込めた本心を呟き、
「まぁ。金にはなるがな」
と、付け足す。
ザードは苦笑し、目を閉じた。
雲ひとつ無い、澄んだ夜空。
真っ黒に塗られた飛空艇が、山肌をなぞるように駆け抜け、飛び去った。




