第33話 今ここにいる事を
「今度は珊瑚礁の場所間違えないでよー」
「はいはい・・・」
泰然と船首に座るチャイムに、エアニスはボートの梶を取りながら投げやりに答える。エアニス達4人は再び港でボートを借り、先日見損ねてしまった珊瑚礁へ向かっていた。
今日はオーランドシティを立つ日。街を出る最後の思い出にと、チャイムがどうしても見に行きたいと言い出したのだ。時間を持て余したエアニスに反対する理由は無く、こうして暢気に海上の散歩を楽しんでいた。
「お前も、また海の底から爆弾とか引き上げたりするなよ」
「そうも頻繁にああいうモノ見つけられるワケないでしょーが!」
「お前はそういった確率論を無視して見つけてきそうだから怖いんだよ・・・。
それにしても、"イヴォーク"の件に関してはトキに見事に騙されたな」
エアニスは関心しているような、しかし何処か噛んで含むような口振りでトキを睨む。 対してレイチェルはトキを尊敬のまなざしで見つめながら言った。
「そうですね。まさかあの魔族が持ち去ったケースが偽物だったなんて、想像もつきませんでした。」
3日前の、魔族アイビスとの戦い。
トキはアイビスにイヴォークを奪われてしまったが、それはトキが事前に中身を入れ替えてた偽物であった。
たった4人で、相手の顔も頭数も分からないテロリスト達からたった1つの爆弾を守る。その難しさを正しく理解していたトキは、エアニス達にすら知らせず偽物の"イヴォーク"を用意し、それを大事そうに守っていたのだ。
「敵を騙すには味方からって言いますしねぇ。
とはいえ、僕はアイビスさんを騙すつもりではなかったのですけどね。いい気味です」
くっくっく、と、トキにしては珍しく意地悪そうな笑みを見せる。
因みに本物はというと、まだエアニス達の荷物に紛れていたりする。ひょっとしたら、これもトキが仕込んだ偽物かもしれないが。
その話を切っ欠けに、ふと4人の頭にあの戦いの直後が蘇る。
◆
エアニスがアイビスの呼び出したデーモンを倒した後。
幸い病院内で戦いに巻き込まれ、怪我をした者は一人も居なかった。アイビスの結界に生気を奪われた患者は沢山いたが、みな一晩休めば回復する程度のものだった。
戦いが終わり、日の昇り始めた早朝。外は軍隊や憲兵の現場検証で騒がしい中、エアニス達は吹き飛ばされた自室の代わりに新たな部屋を提供して貰い、ようやく一息つく事が出来た。
一息つく、と言ってもベッドや椅子に腰掛けた4人の表情は、暗い。長い沈黙が続いた後、部屋のドアがノックされクラインがトレイに紅茶を乗せて運んで来た。
それを待っていたかのように、エアニスは大きく息を吸って顔を上げる。
「丁度いい。先生、あんたも付き合ってくれよ」
エアニスが、カップを並べるクラインに声を掛ける。
「・・・あなたの、昔話に、ですか?
それならばもう結構です。私は昔のあなたを責めるつもりはありません」
事も無げに言うクラインに、エアニスは意外といった視線を向ける。
「私はただ、あなたがチャイムやレイチェルさんに、危害を加えるような人間ではないのかと心配していたのです。
が、取り越し苦労でしたね。あなたは、そういう人間でないという事は良く分かりました」
クラインの言葉に続き、チャイムもエアニスを励ますかのように肩を叩く。
「そうよ、昔のアンタが何してようが、どうだっていいわ。少なくとも、今のアンタは、あたし、嫌いじゃないしさ」
「・・・違う」
軽く言ったチャイムに、エアニスは俯きながら呟く。そのはっきりとしない反応に、チャイムは苛立ちを感じた。
やや口調を強め、チャイムは更に言いつのる。
「・・・ザード = ウォルサム・・・だっけ?
"月の光を纏う者"?
戦争中の事でしょ。昔の名前や、くだらない二つ名なんか、さっさと捨てちゃいなさいよ。
浜辺で皆で話したじゃない。"過去がどうあれ、未来があればいくらでも笑っていられる" って・・・」
「違うッ!!」
エアニスの短い叫びに部屋に居た全員が驚き、固まった。
これ程までに感情的なエアニスの声を、チャイム達は聞いた事が無かったからだ。
「俺が、どれだけの人間を殺してきたと思ってる・・・?
自慢じゃねぇが、多いぞ。一度に数え切れないほどの人間を殺して、数え切れないほどの戦場を渡り歩いてきたんだ。
例えば、その中にお前の知り合いや、仲間が居たらどうだ?
そんな簡単に俺を許せるのか!?」
エアニスは髪をくしゃりと掴み、引き攣った笑みをはりつかせながら喚いた。
チャイムを始め、レイチェルも、トキでさえも、エアニスにかける言葉を見つける事が出来なかった。彼女達の視線を感じて、エアニスは我に返る。
「・・・悪い・・・」
息を乱し、額に汗を滲ませたエアニスは、片手で額を覆う。胸の内を思わず口走ってしまった事を後悔し、力なくベッドに座り込んだ。
「その・・・ごめん。分かったような口、利いちゃったよね・・・」
珍しく素直に謝るチャイムに、エアニスは軽く首を振った。
「謝るのは、俺だ。
今言った事は、例えでも何でもねぇ・・・事実だ」
エアニスの返事を、チャイムが理解するのに一瞬の時を要した。そしてチャイムはぎこちなく、困ったような笑みを見せる。どういう反応を示せばよいのか分からない時の、チャイムの癖である。
「2年前になるか・・・
帝国の・・ベクタの暗殺者達がエベネゼルの王宮に入り込み、高官や衛兵、数十人が殺された事件を知っているか?」
当時、チャイムはエベネゼルの宮廷魔導師として各地の戦場を巡っていた。もちろん、王宮に勤める者として知らない訳が無い。チャイムは浅く頷く。
「あれは、ベクタの仕業なんかじゃない。俺がやったんだ」
チャイムの顔から表情が消えた。そして、驚くようにクラインを見た。クラインはチャイムにどう応えればわいのか分らなかったのだろう。俯くようにも頷くようにも見えるように視線を床に落とした。
「じゃあ2年前、先生を斬った暗殺者って・・・・!」
「俺だよ」
まるで胃に氷塊を詰め込まれたかのような感覚に陥るチャイム。その感覚は、ゆっくりと全身に広がってゆく。自分が立っているのか、座っているのかも分からなくなるほど、全身から感覚という感覚が消えた。足がもつれて背中が壁に当たった。
「チャイム・・・!」
一瞬にして顔色を失ったチャイムをレイチェルが支える。
「ごめん・・・」
その一言だけを告げると、チャイムは一人、部屋を飛び出してしまった。
「エアニスさん!!」
追いかけて、と言うようにレイチェルはエアニスの名を呼ぶ。しかし、エアニスは動こうとしない。黙って事の成り行きを見ていたトキも、我慢できず口を挟んだ。
「言いたかった事はそれだけですか?
これでは、誤解されたままですよ。」
「事実は全て話したよ。他に何を言っても、言い訳にしかならない。
あいつを混乱させるだけだ」
そう言い、エアニスは肩をすくめて見せた。
「憎まれ役は、慣れてるしな」
他人事のようなその仕草と言葉に、トキは一瞬で頭に血を昇らせる。反射的にエアニスに伸びた手を何とか押さえ込み、トキは出来る限り感情を隠した声でエアニスを弾劾する。
「そこまで話しておいて逃げる気ですか。
全てを話して拒絶されるより、誤解されたまま拒絶されてる方が、傷つかず済むからですか?」
「・・・っ!」
エアニス自身気付いていなかった本心を、トキは見事に言葉に変えて見せた。自分の弱さを気付かされた事により、反論するどころかエアニスはうつむき唇を噛んでしまう。その様子を見ていたクラインが、トキの言葉に続いた。
「全てを、チャイムに話してあげて下さい。このままでは、あなたもあの子も可哀そうです。
シスターレナと、ヘヴンガレットの事、エベネゼルがあなた達にした事、全て。
大丈夫。あの子なら、あなたの事情を受け入れてくれますよ」
エアニスは驚き、クラインを見上げる。
「あんた・・・レナやヘヴンガレッドの事まで知ってたのか?」
「えぇ。ですが貴方の人間性を直接知っている訳ではありませんでしたのでね。知らないフリをさせて頂きました」
呆気にとられたエアニスの顔が、苦笑いに変わる。
「へ・・・意地が悪いな」
そして、クラインの言葉を聞き流せなかった者がもう一人居た。
「クラインさん・・・ヘヴンガレットって、どういう事ですか?」
思いもよらぬ所で聞いたその名に、レイチェルは驚きに目を見開いていた。
レイチェルの素性を知らないクラインは、その言葉に反応した彼女を不思議そうに見つめる。
「レイチェルにも・・・エルカカの人間にも関係のある話だ。
すまない。本当は、お前と出会った時に話しておくべきだったんだ」
困惑するレイチェル。エアニスも迷うように視線を足元に漂わせる。やがて意を決したようにチャイムとクラインの間を抜け、病室の扉を開けた。
「チャイムを追いかける。そして、全て話すよ」
◆
エアニスとトキ、レイチェルは病院の屋上へ続く扉を開けると、そこには頼りない鉄柵にもたれかかったチャイムがいた。チャイムはやって来た3人に気付くと、複雑な表情を浮かべる。
「ごめんね。
ちょっと、アタマの整理がつかなくて・・・何て言えばいいのか、分からなくて・・・」
いつもは、相手を真っ直ぐ見て話をするチャイムが、視線を伏せたままエアニスに言った。
「チャイム。それに、レイチェルも。
お前たちに、話しておきたい事がある。2年前、俺がエベネゼルを襲った事と、そして前回の・・・6つ目のヘヴンガレットを巡る戦いの話だ」
「・・・!?」
エベネゼルの事件とヘヴンガレット。エアニスの言う二つの出来事の関連性を見出せず、チャイムとレイチェルは驚きと、戸惑いの表情を見せる。
エアニスは二人の目を真っ直ぐ見据えて、決然と言葉を紡ぐ。
「聞いて欲しい。二年前の戦いの事を。
6つ目のヘヴンガレッドの持ち主の話を・・・」
◆
「ひゃあー・・・すごい、すごい!!」
チャイムは船首に立ち、視線を慌しく巡らせる。危ないから立たないで、と言うトキの言葉も、今のチャイムの耳には入らなかった。
青く澄んだ海に、珊瑚礁が広がっていた。この辺りの海水は特に透明度が高く、海面の上からでも、珊瑚礁が綺麗に見渡せた。
「確かに・・・これは凄いですねぇ」
「きれい・・・」
トキとレイチェルも、船の縁から身を乗り出し、海面を覗き込んでいる。エアニスはというと、心ここにあらずといった風情で薄汚れた船底を見つめている。チャイムはそんなエアニスの様子を見て、声をかける。
「ちょっとエアニスも見てみなさいよ!」
「・・・・。」
「ちよっと、エアニス?」
「あ? あぁ、すまん。ボーッとしてた」
チャイムは腰に手を当て、やれやれといった顔で座り込んだエアニスを見下ろす。
「すまなかったな、今まで黙っていて・・・」
「まーたその話?」
はあぁ、と、わざとらしい溜息をつき、呆れ顔を見せるチャイム。
「アンタなりの正義だったんでしょ?
戦争中の事だもの。自分の正義が、他人の目には悪に映る事もあるわ。
アンタの正義は、あたしの目から見たら・・・悪かもしれないけど。
でも、あたしの正義だって他人から見たらただのエゴだったり、悪だったりするのかもしれないわ。
人それぞれ違う価値観を持つ以上、ぶつかり合ったり、すれ違ったりするのは仕方の無い事でしょ」
「理屈はな。でも、人の心は理屈じゃ納得しない。
お前は俺が憎く無いのか?」
「もう、困らせるような質問しないでよ・・・」
エアニスを気遣い笑顔を見せていたチャイムも、いい加減うんざりして表情を曇らせる。
「そりゃ、あんたは先生や私の仲間を何人も傷つけたんだもの。
許せないという気持ちは、あるわ」
「じゃあ・・・」
「でも、人の心は理屈じゃないんでしょ?」
少しだけ、悪戯めいた笑顔を見せ、チャイムはエアニスに言われた言葉をそのまま返してやった。その小悪魔めいた微笑みに、エアニスははなじろむ。そして、
「・・・すまん」
苦笑して、その一言だけを返すエアニス。チャイムはしてやったりと言った笑みを浮かべ、エアニスに頷きかけた。
「はいはい。では、そのお話はそれでオワリとしまして・・・。
後の問題は、コレをどーするかですね」
そう言って、トキは "イヴォーク" を荷物から引きずり出した。ケースは病室での爆発に巻き込まれたり、エアニスに蹴り飛ばされたり、トキに分解されかけたりして、随分と傷だらけになっていた。とても爆弾に対する扱いとは思えない。
「海に沈めるか、山に埋めるか・・・。バラすのは無理なんだろ?」
「申し訳ありませんが、僕の知識では無理ですね」
「ったく、厄介なもの拾ってくれたもんだ。元はといえばコイツを拾ったから、ややこしい事になったんじゃねーか」
エアニスは毒づきながら、"イヴォーク"のケースをガン、と蹴飛ばした。
ピコ
エアニスがケースを蹴ったと同時に、ケースから短い電子音が響いた。暫しの沈黙の後、4人は無言で互いの顔を見合わせる。
「なに、今の・・・?」
「なんか、ピコッて言いましたよ・・・?」
「えっ。俺、何かやった??」
『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。』
トキがケースの蓋を開けると、蓋の裏のパネルには"46"という数字が示され、それは一秒ごとに、"45"、"44"と表示が映り変わっていった。更に長い沈黙が続き、4人は10秒ほどその数字の変化を眺めていた。
「トキ、こいつは何のカウントダウンをしてるんだ?」
「そうですね・・・丁度、あと30秒程で正午です。
お昼の合図か何かじゃないですかね」
「・・・爆発までのカウントダウンじゃないの?」
『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。』
現実逃避しかけていたトキを、チャイムが現実へ引き戻した。
「えっと、俺は何をすればいいのかな?」
「僕が教えて貰いたい所ですね」
「あの・・・あと15秒・・・」
「ちょっと・・・・ちょっとちょっとっ!! マジ!? マジでっ!!!」
ようやく慌て始めた4人だが、残り時間は10秒も無い。
「トキ、解体、解体しろ!!適当でもいいからコイツぶっ壊せ!!」
「道具がありませんよ、壊すならエアニスの方が適任でしょう!!」
「喧嘩してる場合かぁ!!
ああああたし達知らないからねっ!! アンタらで何とかしなさいよ!!」
「あぁ!?元はと言えばお前が・・・」
「あー、あはは。こりゃ駄目ですね」
残り1秒の表示を見て、トキが十字をきったその直後
ドヒュン
突如、腹に響く低音が響き、"イヴォーク"を黒い霞が包み込み込んだ。そしてその霞は一瞬で小さく収束し、姿を消した。イヴォークのケースごと。
『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。』
エアニスとトキ、チャイムは情け無い姿で取っ組み合ったまま、暫く固まっていた。
どさっ
音と共に、ボートが揺れた。音のした方を見ると、息を切らし冷や汗を流すレイチェルが仰向けに倒れていた。その姿を見て、何が起こったのかを理解するエアニス。
「今の・・・空間転移か!?」
「レイチェル、ナイス!!!」
レイチェルは自分の家系に伝わる時間と空間を司る魔導で、"イヴォーク"を空間転移させたのだ。
小さく飛び跳ねると、チャイムはレイチェルの首に抱きつく。
「はぁ、はぁ・・・ちょっとチャイム、苦しいよ・・・」
「大丈夫? かなりの魔力を使うって聞いたけど・・・」
「うん。"石"で魔力増幅する暇も無かったから・・・かなり魔力を使っちゃったみたい・・・。でも、少し休めば大丈夫だから・・・」
その言葉に3人は空気の抜けた風船のように、力なくへたり込む。
「いやぁ、流石に・・・今のは焦りました・・・・」
「あぁ・・・。
でもよ・・・"イヴォーク"は何処へ消えたんだ?」
「空間転移の行き先を指定する事は、まだ私の魔力では出来ません。こことは違う、何処か別の世界か、この世界の何処かか・・・」
「え。じゃあ、どこかの街中に飛ばされて・・・そこで爆発したりとか・・・・ 」
「・・・・してるかも・・・・。」
『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。』
一筋の汗を流しながら恐る恐る尋ねたチャイムに、レイチェルは視線を泳がせながら答えた。
そのレイチェルの頭に、エアニスの手がポンと乗る。
「とりあえず・・・今のは聞かなかった事にしよう。
そしてレイチェル、マジで良くやった」
「よ、良かったでしょうか・・・今ので・・・。」
「いい。もういい。」
そう言いながらエアニスはレイチェルの頭を乱暴に撫ぜた。
ミシ・・・ギシシッ・・・
4人の耳に、木が軋む小さな音が届いた。
「ん? 何の音?」
チャイムが辺りを見回すと、
ぶしゅっ、ごほぼっ!
座り込んだ彼女の足元から大量の水が溢れ出した。
「あ・・・おもら 」
「違うわッ!!」
何かを言いかけたトキの頭をチャイムは船底に叩きつけた。
驚いたチャイムがその場を立ち退くと、船底の板が小さく裂け、その穴から海水が噴き出していた。良く見ると船底が球体を押し付けた様に削れている。レイチェルの空間転移の魔導が、"イヴォーク"と一緒に船底もえぐり取ってしまったのだ。事態を把握した4人は慌てて船底の穴を手で押さえ付けて塞いだ。
「ちょっとちょっと!!何か穴塞ぐもの!!」
「チャ、チャイムさん!!そんなに強く押さえると穴が広がって・・・うわっ!!」
「あぁ。ちょっと詰めが甘かったな、レイチェル。今度は気を付けような」
「あー・・・ははは、咄嗟の事で、つい・・・スミマセン」
「な・・・!! 何でエアニスはレイチェルにはそんな優しいの がぼかぼぼぼ・・・・」
そして、4人の乗ったボートはほんの数十秒で沈没してしまった。
◆
「やれやれ。えらい目にあった」
珊瑚礁の海でボートを沈めてから数時間後。レンタルボートの弁償や着替えに手間取り、予定よりも随分遅れてエアニス達は出発の時を迎えた。この街に寄った本来の目的である車の修理は終わり、今はトキが機関の最終チェックをしている。
「せっかくのバカンスだってのに、最後は随分とバタバタしちまったな。
もうちょっとのんびりしたかったよ」
湿った髪をいじりながらぼやくエアニス。その言葉に、レイチェルは楽しそうに茶々を入れる。
「あら、エアニスさん、最初は仕方ないな、って感じで渋々この街に寄ったんじゃなかったですか?」
「んー? そうだったか?」
そうだったな。と思いながら、エアニスはとぼけてみせた。
最初はくだらないと感じていたが、それなりに楽しい休暇だと思えるようになっていた。そして、楽し かったのはこの3人と一緒だったからだという事も、口には出さずともエアニスは認めていた。一人で居るのもいいが、たまにはこういう奴等と旅をするのも悪くないな、と。たった5日の滞在だったのにも関わらず、随分と色々な事を考えたような気がするエアニスだった。
そして、様々な思いのあるこの街を再び訪れたチャイムは、何処か晴れ晴れしたような、でも少しだけ悲しげな顔で、眼下に広がる街並みを見渡している。その表情に気付いたエアニスがチャイムの横顔を見ていると、不意に彼女と目が合ってしまった。彼女はエアニスの視線に気付くと、にこりと笑い 「また、皆で来ようね」 と言った。
あぁ、と短く返し、エアニスは余計な心配だったか、と頭を掻く。
今回の件で、自分の素性を隠す事なく全て語ったエアニスは、ようやくチャイムとレイチェルに、素直に接する事が出来るようになった。今までは自分の素性に後ろめたさを感じ、一歩引いた場所で彼女達と接していたような気がする。だが、そんな自分の過去や素性を、チャイムとレイチェルはそれなりに受け入れてくれたようだ。
チャイムもこの街に再び訪れた事で、あの戦争中、この街で起きた事を、もう一度冷静に自分の中へ落とし込む事が出来たような気がした。同時に魔法医であった頃の師に、自分の今の姿を見せる事が出来た事で、今まで感じていた師に対する憂いの幾つかを解消する事が出来た。
チャイムもエアニスと同じく、この街に立ち寄る事に気が進まなかったが、今となっては立ち寄って本当に良かったと感じていた。
「エアニス、車の調子、完璧です。いつでも出れますよ」
油で汚れた手を拭きながら、トキがエアニスに呼びかけた。修理を終え各部の痛んだ部品を新調した車は、子気味良い排気音を響かせている。エアニスは咥えた煙草を携帯灰皿に押し込むと、気だるそうに伸びをした。
「それじゃ、行くか」
のんびりとしたエアニスの呼びかけに、他の3人は各々の言葉で返事を返した。
チャイムとレイチェルの後姿を見て、エアニスは想う。
自分が今ここに居る事は、
決して二年前の過去に縛られているからではなく、
彼女達の、そして自分の未来を紡ぐ為なのだと。
そうあるべきなのだと、エアニスは想った。
「・・・いつまでも過去に縛られてちゃ、
レナやゲイルにも怒られちまうな」
抜けるように蒼い秋の空を見上げて、エアニスはそう呟いた。
- 第三部 おわり -




