第32話 デーモン
チャイムにとって、それは正に地獄のような光景だった。
どざぁっ
エアニスに切り飛ばされた人影が歪な形に崩れてチャイム達の目前に転がる。
「何よ、コレ・・・」
チャイムはその光景に思わず足が竦み、膝をついてしまった。そのチャイムを、トキがそっと支えた。
「チャイムさん、良く見て下さい。これは、人ではありません」
トキがチャイムを安心させるように落ち着いた声で言った。チャイムは足元の人影を良く見ると、それは人の形をした土の塊だった。途端に、全身を支配していた恐怖による緊張が、少しだけ緩んだ。
「ゴーレム・・・でも、こんなに沢山・・・!」
暗闇に慣れてきた目で中庭を見渡すと、百に上ろうかというゴーレムの残骸が散らばり、折り重なっていた。そして、それを踏み付けながら次々と襲い掛かるゴーレムを斬り払い続けるエアニス。
エアニスは、たった一人でこれだけの数のゴーレムを壊したのか。
チャイムとレイチェルの脳裏に、アイビスの言葉がよぎった。
たった一人で幾千もの人間を斬り、伝説となった殺戮者
月の光を纏う者。
「まさか、たった十数分でこんなにも減らされるとはねー。」
間延びしたアイビスの声は、トキ達の背後、中庭への出口から不意に聞こえた。トキが慌てて振り向くと、アイビスの振るったステッキが、トキに叩き付けられようとしていた。
ガンッ
咄嗟に持っていた銃の銃身でステッキを受け止めるも、アイビスの人間のそれではない力で弾き飛ばされてしまった。背中を壁に叩きつけられ、息を詰まらせ倒れるトキ。
「・・・っ、この!」
僅かに怯み、反応を遅らせながらも、チャイムとレイチェルはアイビスに向って武器を振り上げ、クラインも呪文を唱え始める。しかし、アイビスはふわりと宙に舞い、チャイム達の手の届かない木立の枝に立った。その手には、いつの間にかトキから奪った、"イヴォーク"のケースが下げられていた。
「さっきも言ったけど、あたしの目的はこの爆弾なの。あんた達にはちょっと挨拶したかっただけだから」
チラリと、アイビスは中庭に散乱したゴーレムの山を見て、笑った。
「けっこう楽しかったわ。あの有名な、月の光を纏う者の戦いも見れたし・・・」
そこで言葉を切り、アイビスは戦場の異変に気付いた。エアニスが、どこにも居ない。
それに気付いた途端、頭上から強烈な殺気が降りかかる。体をねじる様に飛びながら、エアニスが斬り掛かって来たのだ。
「 返せ 」
声は聞こえなかったが、エアニスの唇がそう動くのを見た。アイビスは笑みを浮かべながら、その場から飛びさがる。
ざごぉっ!
エアニスの剣が木立の太い幹を斬り裂いた。飛びさがったアイビスを、エアニスの感情を持たない瞳が追う。その落ち着いた瞳は、とても誰かを殺そうとしているとは思えない静かな光をたたえていた。それが逆に異常で、アイビスはたかが人間相手に恐怖を感じた。
( こいつ、噂以上の化け物みたいね・・・ )
アイビスは、エアニスに向って不敵に笑って見せる。しかし、それがぎこちない笑みになっていた事に気付いていなかった。
斬り裂いた幹を蹴り、エアニスがチャイム達の元に着地した。
「無事か?
俺が離れたせいで、危険な目に遭わせたみたいだな。悪かった」
エアニスは剣を構えながら、背後のチャイム達に謝った。その言葉に、チャイムとレイチェルは、どう答えれば良いか分からず、口ごもった。その二人の反応を背中で感じながら、エアニスは言葉を続ける。
「アイツが言った、俺の素性の話は・・・本当だ」
「 ・ ・ ・ !」
想像はついていたが、それでもやはり驚きを隠せなかったチャイムとレイチェル。
「それじゃあ・・・本当にエアニスは・・・」
「その話は後にしよう。今は・・・」
言葉を切り、エアニスは再びアイビスを睨んだ。
チャイムとレイチェルは、今のエアニスに対して違和感を感じていた。このような状況でも、いつものように落ち着いた声のエアニス。しかし、今のエアニス は、何かが違っていた。落ち着いているというよりも、まるで感情が欠如したような、どこか得体の知れない別人のように感じられた。今までエアニスから感じた事の無いものであった。
「エアニス、彼女の狙いは"イヴォーク"です”!」
苦しそうな声でエアニスに呼びかけるトキ。エアニスはアイビスの持つケースに視線を向けた。
「元々、今回はアンタ達に用はなかったの。今日はコレさえ手には入れはわたしのお仕事は終り。
だから、そろそろ退散させてもらうわ。楽しかったわ。また会いましょ」
そう言うと、アイビスは夜の空間に裂け目を作り出し、空間の断裂に手をかけた。
「このまま逃がすと思うか?」
紅い剣を肩に担いだエアニスは、アイビスの元へ駆け出す。病院の外壁と木立を使った三角飛びで、一瞬で宙に浮くアイビスの高みまで身を舞い上がらせた。
三階建ての建物に匹敵する高さだ。空中という絶対的な安全圏にいたつもりのアイビスはア慌てて身を翻す。
「あんた達の相手は、この子がしてくれるわ!」
アイビスの声と同時に、エアニスの目前の空間がねじれた。
「!!」
目前に現れた猛烈な不快感に、エアニスは反射的に剣をかざした。
がんっ!!
空間のねじれから、突然巨大な腕が飛び出し、宙に舞ったエアニスを弾き飛ばした。エアニスは足から地面に着地するものの、その衝撃を受け止めきれず砂埃を巻き上げながら地面を転がった。
「っつ・・・!この野郎!」
ばね人形のように身を起こしてアイビスに再び飛び掛かろうとするも、そこにアイビスの姿は無かった。悔しそうに舌打ちをするエアニス。ゴーレムと戦っているうちは嫌に頭が冴えていたが、今の事で急に頭に血が昇り始めた。
どすん
空間の裂け目から放逐されたそれは、エアニス達から少し離れた場所に地響きを立てて降り立った。チャイムとレイチェル、トキとクラインまでも、驚愕の表情を浮かべ、エアニスだけが、憮然とした表情で"それ"を見上げる。
「・・・うそ・・・?」
「化け物・・・!」
チャイムとレイチェルは、呆然と立ち尽くし、小さく声を漏らした。
それは文字通り、"化け物"だった。2本の足でかがむように立つ、3メートルは越えているだろうという巨体。頭には角が2本生え、青黒い皮膚とコウモリの羽を持った鬼のような怪物。それはまさしく、今や伝説やおとぎ話になりつつある、"魔物"という存在であった。
ゴォアアアアアアアアアアア!!!!
中庭に面した窓ガラスをビリビリと震わせながら、デーモンが雄叫びを上げた。腹の底を揺さぶられる、とても生き物の声とは思えない轟音。そのデーモンの姿にチャイム達は竦み上がった。
「ひ・・・」
半歩だけあとずさり、チャイムが短く声を上げた。
「も・・・もれた・・・」
「えっ。」
「・・・マジですか?」
レイチェルとトキは、思わずデーモンの存在を忘れチャイムから距離を取った。
「阿呆な事言ってないで逃げろ馬鹿!!」
どがあっ!!
エアニスがチャイム達を突き飛ばすのと同時に、デーモンの両腕がその場に振り下ろされた。そのままエアニス達は茂みに飛び込み、デーモンの視界から姿を隠す。
「なになに、何なのよアレは!?」
茂みの中、チャイムは目を白黒させながらエアニスに詰め寄る。ややパニック状態のチャイムだが、あのような怪物を見て落ち着いていられる方が異常である。
「100年以上昔に絶滅したって言われてる、魔物・・・デーモンって奴だな。たまに、"向こう側"の世界からこっちに呼び出す馬鹿がいるんだ」
レイチェルが弾かれるように顔を上げた。
「向こう側って・・・まさか!?」
御伽噺の向こう側の世界。この世界から追放された者達の世界、"レッドエデン"。
エアニスはレイチェルの目を見ながら、無言で頷いた。
「まさか・・・ホントにあんな化け物が存在してるとは・・・
正直、今までおとぎ話のように何処か信じていない所もありましたが・・・
いやいや、参りましたね」
あまり参っている様子の無いトキが頭を掻く。現実逃避にも似た諦め感があった。
「実際に"魔族"がいるんだ。奴等より下等な"魔物"がいたって不思議じゃないだろ」
さも当たり前のようにエアニスは答えた。
「エアニスさん、随分落ち着いてますね・・・」
普段、エアニス達の気まずいかけあい漫才を見ている時と同じ乾いた笑みを浮かべるレイチェル。しかしその笑みは、いつもと違い恐怖を誤魔化すためのものだった。
「先の大戦でも、ああいう奴と戦った事はある。面倒な相手だが、まあ、なんとかしてみせるよ。
気をつけろよ。まともに殴られたらただじゃ済まない。アレでも魔導を使ってくるから、距離を取ってても油断するな。
救いと言えば、魔物は魔族よりも、存在を"精神"よりも"物質"に依存している点だ。物理的な打撃だけでもダメージを与える事はできるが・・・」
「ちょ、ちょっとタンマ! 物質とか精神って何の話よ!?」
「あー、難しく考えるな。とにかく、倒せない相手じゃないって事だ。
魔導使ってくる熊か何かだと思っていればいい」
「そ、そんなんでいいの?」
チャイムを始め魔物を見る3人の不安は、そんなエアニスの言葉で拭いきれるものではなかった。見た目のインパクトだけならば今まで目にした生き物の中で最高の禍々しさである。
「そんな事より、大丈夫なんですか、チャイムさん?」
デーモンを見て身震いするチャイムに、トキが心配そうに声をかけた。
「大丈夫って、何がよ?」
「先程の、おもら 」
「いっぺん死んで来いエロメガネ!!!」
どがあぁっ! と、トキはチャイムに茂みの外へ蹴り飛ばされた。
「うわっ!!」
チャイムに蹴り飛ばされ仰向けに倒れこんだトキの頭上に、デーモンの持ち上げた足の裏があった。トキは慌ててベルトに挿した銃を引き抜き、デーモンの顔を狙う。
トキの銃口が、爆音と火を吹く。
デーモンは短い悲鳴とともに仰け反っただけで、銃弾がデーモンの体を傷つける事は無かった。小石でもぶつけられた程度のものだったのかもしれない。トキはデーモンが怯んだ隙に起き上がり、距離を取る。
「効いてませんね・・・!?
対戦車砲でも持ってこればよかったですかね!」
トキが構える銃は、トキが持ち歩いてる銃の中で最も破壊力のある銃であった。鋼で出来た鎧でも簡単に貫通するほどの銃弾は、デーモンを怯ませる程度の役にしか立たないようだ。
ゴアアァ!
トキは無駄だと知りつつも、デーモンに銃弾を浴びせる。デーモンは銃弾に構う素振りを見せず、雄叫びを上げながらトキに向って襲い掛かる。
トキは、短絡的なデーモンの行動を見て僅かに笑みを浮かべた。そして、一発の銃弾を放つ為に慎重に狙いを定める。
パグシッ!
鈍い破裂音を立てデーモンの片目が破裂した。どんなに硬い皮膚を持っていても、眼球まではその丈夫さを持っていなかったようである。デーモンはその場にうずくまり、苦悶するかのような雄叫びを上げた。
「エアニス!」
トキの呼びかけと同時に、木立の枝からエアニスがデーモンの頭上へ飛び掛った。その手には、うっすらと輝く紅い剣が握られている。一撃で倒すつもりで、エアニスはデーモンの後頭部に剣を振り下ろした。が、
「くっ!」
エアニスの存在に気付いたデーモンが、エアニスを叩き落そうと当てずっぽうで腕を振るった。アイビスと違い空中で止まるといった芸の出来ないエアニスは、デーモンの頭に叩きつける筈だった剣を振るわれた腕に突き立てる。
さぶっ
エアニスはそのままデーモンの腕を斬り落とした。体勢をまともに崩してはいたが、エアニスは返す刃でデーモンの額を狙う。しかし、デーモンが身をよじったお陰で、エアニスの切っ先は紙一重の差でデーモンに届かなかった。
「ちっ、カンの良い奴だな!」
トキの銃で傷付かなかったデーモンの皮膚は、まるで焼いたナイフでバターを切るように易々と斬り裂かれた。
魔力を込めたエアニスの剣は普段以上の切れ味を見せていた。剣の魔力がデーモンの魔導的な存在に強く干渉しているのだ。
やや距離を取ってデーモンと対峙するエアニスは、次こそ仕留めようと剣に魔力を送り込む。
ぶわっ
デーモンが背中の翼を広げた。
「やべ、飛ばせるな!手が出せなくなる!!」
翼を羽ばたかせ、宙に舞い上がったデーモンの頭上に、トキが手投げ弾を放る。宙に浮かびかけたデーモンの丁度頭上で爆弾は炸裂し、爆風でデーモンを地面へ叩き付け翼も吹き飛ばした。エアニスはデーモンへ追い討ちをかける為、未だ収まらぬ爆風を裂いて駆け出した。
ばぢっ
エアニスを迎え討とうと起き上がったデーモンの体に、その動きを封じるよう幾条もの光の帯が巻き付いた。エアニスが横目で見ると、茂みの中から光る手のひらをデーモンに向ける チャイムとクラインの姿があった。いつかの港町でも見た、束縛の術である。エアニスはデーモンとの距離を更に縮める。
ボンッ
何の前触れも無く、光の帯に束縛されたデーモンの体の周りに、十程の光の玉が現れた。身動きの取れなくなったデーモンが作り出した魔導である。
しかし、エアニスは今にも自分に向けて放たれるであろう光球に構う事なくデーモンに飛び掛った。
どどどっ
エアニスが信じていた通り、デーモンの生み出した光球は横手から飛来した光の槍に一つ残らず撃ち抜かれ、粉々に砕け散った。レイチェルの放った魔導である。デーモンが光球を生み出したと同時に、エアニスはレイチェルが魔導を構築し始めた事に気付いていた。彼女が光球を全て破壊してくれると信じ、エアニスは追撃の手を緩めなかったのだ。
自由を奪われたデーモンと剣を振りかざすエアニスの間を遮る物は、もはや何も無い。
ざぶっ!
エアニスの剣が、デーモンの顎を突き上げるように貫いた。
鼓膜をつんざくデーモンの咆哮と盛大に噴出す黒い血液。焼けるように熱いそれが、エアニスの顔や服に噴き付ける。
その時、鎖を引き千切る様な音と共にデーモンの右腕が動き出した。チャイムとクラインの束縛の術を、デーモンは力づくで破ったのだ。デーモンは自分に剣を突き立てるエアニスを巨大な手のひらで鷲掴みにした。デーモンの手に力が込められ、エアニスの肋骨が悲鳴を上げる。
「・・・!
しつこいぜ!!」
エアニスはデーモンの顎に突き立てた剣に、ありったけの魔力を叩き込んだ。紅い剣が銀色に光を放つ。
ドジュッ!!
くぐもった爆音と共に、デーモンの体が大きく跳ねた。エアニスの魔力がデーモンの体を内側から焼き尽くしたのだ。
煙を上げるデーモンの体はゆっくりと傾いて行き、そのまま地響きを上げて倒れ動かなくなった。
・ ・ ・ しゅううううう ・ ・ ・ ・
エアニスが浴びたデーモンの血液は白煙を上げながら蒸発を始める。それと同じ様に、倒れたデーモンの死骸も真っ白な砂に変わり、ばらばらと風に溶け、程なくそれは跡形も無く消えて無くなった。
その頃には血で真っ黒に染まったエアニスの服からも、染み一つ残らずデーモンの血は消えていた。気付けば魔物の存在を示す物は、何も、無くなっていた。
「終わったの・・・?」
不安そうに周りを見回すチャイムがエアニスに問いかける。エアニスも暫く回りの様子を伺ってから、
「あぁ、あの女・・・アイビスの気配も消えたままだし。終わりだな」
霧の結界も、ゴーレムの大群も、アイビスの姿が消えると共に消えていた。所々に破壊の爪跡が残ってはいるものの、辺りにはいつもの夜の空気が戻っていた。
エアニスは剣を地面に突き立て、腰を下ろした。チャイムも安堵の溜息をついて、夜空を仰ぐ。
クラインを含む5人は脱力したようにその場で座り込み、今、この夜に起こった非現実的な出来事を受け入れるため、今一度目にした光景を思い出す。
そしてチャイムとレイチェルの胸に引っかかる、一つの疑念にも似た不安。
不意にエアニスが立ち上がった。
「・・お前達に、話しておきたい事がある」
重く、迷いを感じさせる声色で
どこか諦めと観念の色を含めて
エアニスが俯きながら言った。




