第02話 切 掛 -キッカケ-
エアニスはこう考えていた。
この世界は全て、偶然の積み重ねだと。
この世に必然なんてものは無い。それは全て偶然の積み重ねから成り立っているのだから。
必然を紐解いてゆけば、それはとりとめも無い偶然の集まりである事に気づくだろう。
自分達は、そんな些細な偶然の積み重ねによって、この世界に翻弄され続けているのだ。
だから、そんな些細な偶然が、自分の未来に大きな影響を与える事も珍しくない。
この日、エアニスが目を覚ました時間や、空に晴れ間が覗いたタイミング、彼の気分や歩くペース、日に照らされキラキラと輝く濡れた草原に目を奪われ、暫く足を止めていた事など。
彼の何気ない行動のどれか一つが欠けていたら、今日の出会いから始まる物語は無かったのかもしれない。
後になってエアニスは思う。
この日はまさに、エアニスにとって奇跡のような日だったのだ。
無論、今現在の彼はそんな事に気付く筈もないのだが。
◆
時刻は十時を少し回った頃。
街に下りてきたエアニスは特にする事もなく大通りをぶらぶら歩いていた。
ミルフィスト。
大陸の北に位置し、二日ほど歩いた場所には港街がある。街の中では大きな街道が幾つも交差しており、そこから港へ向かう街道が分岐しているため、旅人や商人といった流れの人間がとても多い。その割に治安は良い方で、大通りの露店は大勢の人々で賑わっていた。
比較的物が手に入りやすい事と、それなりに機械文明の浸透した暮らしやすい街で、何より街並みが綺麗だった。街の石畳や家々の壁は殆どが白く塗られていて、ちょっとした観光地でもある。
山の中腹にある自分の家からは、この美しい白い街並みと、港町の方角に見える青い海が一緒に見える。エアニスがこの街に住んでいるのは、ある恩人から紹介して貰ったという理由なのだが、それ以上に、その景色が気に入っているという事がエアニスをこの街に留めている一番の理由なのかもしれない。
露店でコーヒーを買い、飲みながら歩くエアニス。
ふと、大通りから外れた路地にある無骨な建物が目に付く。エアニスがミルフィストに来てから暫く通っていたギルドだ。
ギルドというのは、旅人に仕事を斡旋する紹介所のような所で、土木作業から人の護衛まで、様々な仕事がある。戦争が終わって間もない今、新たな定住地を求める旅人が増えているので、どの街にも必ず一件は国が運営するギルドがあった。
( 久々に顔出しておくか )
思ったがままにギルドへ向かう。コーヒーのストローを咥えながら立て付けの悪いドアを開けた。
扉をくぐった途端、一斉に向けられる険しい視線。いかにも、といった柄の悪い大男達がエアニスを珍しそうに見ていた。何処の街のギルドも、似たようなものだった。
そんな視線など気づいていないかのように、真っ直ぐとカウンターに座る体躯の良い初老の男の元へ向かう。男がエアニスに気づいた。
「おぉ、エアニス、久しぶりだな」
笑って右手を上げるエアニス。
初老の男はバルガスといった。このギルドの管理人で、エアニスも以前、金とコネクションを得る為に仕事を紹介してもらっていた。強面で近づき辛い男だが、接してみると気さくな性格。戦時中はどこかの軍隊の将軍か何かをしていたらしい。何故その地位を捨てて、このような俗な仕事をしているのかとは尋ねていない。この世界では戦争中の話に触れるのはタブーといった風潮がある。大多数の人間にとって、戦争中の事は触れられたくない過去なのだ。
「何の用だ? 仕事でも探してんのか?」
「いや、これといった用は無いよ。近くを通ったから、ちょっと寄っただけ」
そう言いながら壁に貼られた賞金首の手配書を眺める。
「小一時間程度で終わるような仕事なら引き受けてもいいぜ」
「じゃあ店の裏のドブさらいを頼む。昨日腰をヤっちまってなぁ。このままじゃ町内会の連中にサボってると思われちまう。
こんな事を頼めるのはお前くらいだ。駄賃には色をつけるぜ」
「そう言って貰えるのは嬉しいが・・・すまん。他を当たってくれ・・・」
「つれねぇなぁ・・・」
バルガスの何処まで本気か分からない話を聞き流しながら、ずずず、とコーヒーを飲み干す。そろそろ本題に入ろう。
「最近、裏情報から離れてるからさ。何か変った話でも聞ければと思って来たんだが」
旅をしている時なら自然とそういった情報を知る機会はあったが、最近では街のニュースすら耳にしない浮世離れした生活を送っているのだ。街のニュースはともかく、裏事情というものは知っておかないと昔から落ち着かないのだ。
「べつに。相変わらず至って平和だぜ、この街は」
「ふーん、そっか・・・」
何故かつまらなさそうなエアニス。
「ただ、な」
トーンを落としたバルガスの言葉に、一度外した視線を彼へと戻す。
「噂の域を出ないんだが、最近、エイザムの連中が街に入り込んでるらしいぜ」
「エイザム・・・。確か・・・サカナ料理の名前だったな」
「違うよ・・・。犯罪組織の名前だ」
聞いたことの無い名前だった。名前の知られていないローカル組織か、エアニスが裏の情報に疎くなったここ1年半の間に出来た組織か。
「でかいのか?」
「いいや、ランバテイルの辺りでのさばってるチンピラ連中さ。バックでも付いたのか、最近調子付いて活動範囲を広めているらしい」
「ランバテイル? 随分田舎ら来てるんだな」
ランバテイルはここから車を使っても5日ほどかかる場所にある。小さな組織の活動範囲としては、ミルフィストは地理的に突出している。こんな離れた街では、抗争が起こったら応援など待っていられないだろう。この街にだって昔から犯罪組織は幾つも入り込んでいるのだ。
「仕事で出張して来てるんだう。何の仕事かまでは知らねぇがな。
悪い事は言わねぇから、ああいゆう連中といざこざ起こす事だけはやめておくんだぞ」
バルガスの忠告にエアニスは肩をすくめて答える。
「そうだな、もう懲り懲りだ」
犯罪組織に狙われると昼夜を問わず襲われるようになり、おちおち眠ってもいられなくなるのだ。エアニスは過去にそういった経験があるのだが、その時は身の安全よりも睡眠時間の方が深刻だった。
昔は少しくらい眠らなくても平気だったが、今は一日8時間は眠らないとだるくて仕方無い。そんな体の時につまらない連中に目を付けられては事である。
その後、バルガスと他愛無い世間話をしてからギルドを立ち去った。
本屋と刀剣屋に立ち寄り、買った本を馴染みの喫茶店で読みながら時間を潰す。時計を見ると昼を過ぎた所だった。
「もう少しでトキの大学が終わる時間だな・・・」
たまには迎えにでも行ってやるか、と思い、街の端に位置する大学へと向かう事にした。
エアニスは近道をしようと人通りの少ない裏路地に入る。
「・・・ん?」
声が聞こえた。
随分遠くからだが、多人数が走る足音と怒声、そして剣戟の音。耳の良いエアニスでないと気付けない、かすかなものだった。
早速バルガスと話していたエイザムという組織が頭をかすめ、足が止まる。何も好き好んで田舎猿どもにに関わる事は無い。さっさとこの場から立ち去ろうとしたのだが。
聞こえてくる声に、女の声が混じっている事に気づいてしまった。
それも、追われる側の声。
踵を返した足が再び止まる。
「・・・ち・・・。まあ、いいか」
一瞬だけ悩んだのち、エアニスは駆け出していた。
◆
「待ちやがれ!」
男の一人が粗暴な声を張り上げる。
ごろつきの集団に追われているのは2人の少女だった。
一人は明るい赤毛の剣士風の少女、大柄な剣を片手にもう一人の少女の手を取り、走る。手を引かれて走っているのは、金髪のロングヘアを結んだ、魔導師風の少女。二人ともまだあどけなさが残る顔立ちだ。赤毛の少女の方が僅かに年上といったところか。
追っているのは何処にでも転がっているような、ごろつき風の4人の男達。ただのごろつきと少し違うのは、全員が手に剣やナイフを持っていたという事だ。路地裏とはいえ白昼堂々そのようなものをぶら下げているのだ。通報されればその井手達だけで役人や憲兵隊に撃たれかねない暴挙である。彼らもそれなりの覚悟を持って事に当っているのか、それとも単に頭が悪いのか。
「レイチェル!、先に逃げて!!」
逃げ切れないと悟ったか、剣士風の少女は立ち止まり、大剣を構える。
「でも・・・っチャイムは!?」
「スグに追いつくからっ!!」
一瞬だけ迷い、走り出すレイチェルと呼ばれた魔導師風の少女。
チャイムという名の赤毛の少女が後ろに視線を戻すと、追ってきた先頭の男が剣でチャイムに切りかかろうとしているところだった。完全に、相手を殺そうとしている太刀筋だ。
慌てて剣で斬撃を弾き、男の横腹に思いっきり蹴りを入れる。よろけた男を後続の追っ手に向けて突き飛ばし、再び走り出そうとすると・・・。
「きゃあっ!!」
前から聞こえたレイチェルの悲鳴。先回りでもしていたのか、彼女は追っ手のごろつき達と同じタイプの男に捕まっていた。
「レイチェル!!」
チャイムの意識がそちらに向いた瞬間、
ガィイン!!
追っ手の剣がチャイムの剣を弾き飛ばし、同時にチャイムの肩口を浅く捉えていった。
「つッ・・・!」
傷は深くはないが、思わずあとずさるチャイム。飛ばされた剣は、追っ手達の足元に転がる。気づくと、二人は完全に囲まれていた。
場所は背の高い煉瓦造りの家が立ち並ぶ裏路地。逃げ道は塞がれ、人目も全く無い。相手はごろつき風の男が前方に2人、後ろに4人。前方の男にレイチェルが捕らえられ、まさに打つ手なしという状況にチャイムは息を呑む。
「散々逃げ回ってくれたなぁ・・・」
リーダ格だろうか。レイチェルを捕らえているごろつきと一緒にいた男がドスを効かせた声を出す。腰の大振りのナイフを抜いて、チャイムに歩み寄る。
「やめて! 用があるのは私だけでしょ!! チャイムは関係ないっ!!」
叫ぶレイチェルにニヤついた視線を向けるリーダーの男。
その瞬間
どがっ!
レイチェルを捕らえていた男が盛大に吹っ飛ぶ。
突然、狭い路地から長髪の男が飛び出してきて、そのままごろつきに飛び蹴りを叩き込んだのだ。まともに横っ面に入り、レイチェルを捕らえていた男は伸びてしまう。
突然現れた長髪の男。もちろん、騒ぎに首を突っ込みに来たエアニスだった。
唐突な出来事に、その場にいた全員の動きが止まる。エアニスは何も喋らず、その場に立ち尽くして自分が蹴り倒した男と、二人の少女、その他のごろつき達の順に視線を巡らせる。彼なりに状況を推測しようとしているのだが、のんびりとしたその間が悪かった。一向に相手にされないリーダー格の男が、しびれを切らしたように叫ぶ。
「なっ、なんだてめぇはっ!?」
第三者の登場に焦ったのか、問答無用でナイフを構え向かってくる。
エアニスには状況が全く分からなかったが、とりあえずこの男は自分にとっては敵らしい。体ごとぶつかって来ずに、腕だけで切っ先を向けてくるリーダ格の男。エアニスは姿勢を低くしながらナイフを持った腕を軽く受け流し、男の懐に潜り込む。そのままジャンプをするように、斜め下の位置から男の顎に手の平を打ち付けた。
グシャッ!!
男の顎を砕き、そのまま後ろの壁に後頭部を叩きつけた。
バラバラと男の歯が石畳に落ちる。エアニスは男の顎を掴んだまま、壁に押し付け離さない。
「まだやるか?」
視線は自分が壁に押し付けている男に向いていたが、そのメッセージは残りの男達に言ったものだろう。エアニスが顎を砕いた男は、既に意識を失っている。
まともに色めき立つ男達。チャイムもレイチェルも、その場から逃げる事を忘れ男達と同じようにエアニスを見ていた。
「こ、ここまで来て引けるかよ!!」
怯んだ表情を見せながらも、残りの4人が同時に剣を構え向かってくる。
呆れた表情でリーダーの男を放り投げ、エアニスは腰の剣をベルトから外した。刀身を鞘に収めたまま剣を構える。こんな相手の為に剣を汚すのは気分が悪かったからだ。
男の二人がエアニスを挟み込むような斬撃を放つ。剣で受けると鞘に傷が付くため、エアニスはジャンプして刃をかわす。軽々と大人を飛び越せるほどの跳躍力だった。呆けたようにエアニスを見上げる二人の男。エアニスは空中で体をひねり、一人の男の肩に鞘の一撃を、もう一人の男には、着地する為の足を男の首に引っ掛け、頭から地面に叩きつけた。男の首から足を抜く前に三人目が向かってきたが、エアニスはしゃがみ込んだままで、男のスネを真横に薙ぎ払う。男は綺麗に体が半回転して頭から地面に倒れこんだ。
この間僅か数秒。あまりにもあっさりと男達をいなしてしまったエアニスを、呆然と眺める二人の少女。そんな不覚となっていた彼女達の意識が覚醒する。最後の一人を見ると、その手には黒光りする鉄塊が握られていた。
拳銃。
「!?」
彼女達より少し遅れて男の銃に気づくエアニス。油断していた事も加えて、対応が僅かに遅れた。男の視線と銃口はエアニスの胸の中心に向けられている。こんな雑魚相手に体を張った博打を打つつもりはない。立ち尽くしている少女二人をかっさらい、エアニスは建物の影に飛び込んだ。
乾いた数発の発砲音。盾にした煉瓦の壁が小さな破片を撒き散らす。
銃声が止んで、暫くして路地を覗き込むと、最後の一人の男が背中を向けて走り去っていく所だった。追いかけようとも思ったが、そこまで執着する事でもない。あっさり諦め、座り込んで小さく息を吐いた。
「大丈夫か? 怪我は?」
煙草を出しながら襲われていた少女二人に、のほほん、とした調子で話しかける。
よく見ると、赤毛の少女の肩からは血が流れていた。
「大丈夫、たいしたこと、ないわ」
「お宅はたいした事なさそうだけど、連れが気を失ってるみたいだぞ?」
「え」
チャイムが隣に座っているレイチェルを見ると、チャイムにもたれるようにうなだれていた。怪我はしていないはずなので、安心して気が抜けたのだろうか?
「ちょっとレイチェル! 大丈夫!? ねぇ!!」
やれやれ、といった雰囲気でエアニスは伸びた男達を見る。
どうやらこの少女達、ワケありのようだ。逃げていった男が拳銃を持っていたのがその理由である。
この国に限らず、何処の国でも拳銃は軍隊しか持つことしか許されず、一般人が持つ事はできない。裏の取引を介さない限りは。
こんなトラブルなど、エアニスにとっては取るに足りない下らない出来事だった。せいぜい、一ヶ月もすれば忘れてしまうだろう。
しかし結局、エアニスはこの日を生涯忘れる事はなかった。
それは些細な偶然が呼び起こした、奇跡の日だったのだから。