第27話 傷跡
「何なんだよ・・・アイツ」
憮然とした表情で、テーブルに並べられた料理からポテトをつまみ、口に運ぶエアニス。
「おや、気になりますか?」
「別に」
「そうですか、エアニスにしては珍しく些細な事を気にかけているように見えたのでね。
でも、僕は気になりますねぇ。チャイムさんの、昔の彼氏でしょうか?」
トキの言葉にポテトを喉に詰まらせ、エアニスは盛大に咳き込んだ。
「っぶわはっ!!
バカかぁお前!!アイツとあのオヤジ幾つ年が離れてると思ってんだよ!!」
「あっはっはー冗談ですよ、エアニス。リアクションが上手になってきましたねー」
「ぶっ殺すぞ!!」
腰の剣に手をかけるエアニスへ、よく出来ましたと言わんばかりに拍手を送るトキ。そしていつものように乾いた笑みで二人を見つめるレイチェル。
チャイムはエアニス達の囲むテーブルには居ない。
レイチェルが肩越しに後ろを振り向くと、少し離れたテーブルにチャイムと、宿の爆発現場で出会った、エベネゼルの魔導士が向かい合って座り、話をしていた。
「・・・昔、チャイムが魔法医をしていた時の先生だという話ですし・・・
チャイム、昔の自分の事はあまり話そうとしないじゃないですか。きっと、私達に聞かれたくない事もありますよ」
「分かってるよ・・・」
なだめるように諭され、エアニスは再び大人しく食事を続けた。
時刻は夕食時。偶然にも昔の知り合いと再会したチャイムは、状況を把握出来ないままのエアニス達を引き連れ、とあるレストランへ入った。
あたしは先生と話があるから、アンタ達はココで適当にごはん食べてて。
そうとだけ告げて、チャイムはエアニス達から少し離れたテーブルで、"先生"と呼ばれた四十代前半の男と向かい合い何やら会話をしながら食事をしていた。ふと、エアニスがチャイムのテーブルを見ると、最初は硬かったチャイムの表情も柔らかくなり、今では"先生"と談笑していたりする。
ガリッ
エアニスが無表情で噛み砕いた氷の音に、トキとレイチェルがビクリと肩を震わせる。エアニスをからかっていたトキも、彼が発する謎のオーラに押され大人しく注文した食事を待つ事にした。
「ごめん、おまたせ」
エアニス達が食事を終え、紅茶を飲みながらくつろいでいると、チャイムと"先生"が3人の居るテーブルへやって来た。「何でお前も来るんだよ」といった視線で"先生"と呼ばれる男を睨むエアニス。その視線に気付き、男は口を開いた。
「あぁ、名乗り遅れました。私はエベネゼルでチャイムに魔導を教えていた、クラインという者です。今は臨時の派遣魔法医として、ここに滞在していてね」
聞いてねぇよ。
そう言葉にはしなかったが、トキとレイチェルにはエアニスの心の声が聞こえたような気がした。嫌な汗がレイチェルの背中を湿らせる。
「先生が病院の部屋を貸してくれるって」
「何?」
意味が分からず眉根を寄せるエアニス。クラインは少しだけエアニスに顔を寄せると、
「大きな声では言えないが、今この街の観光施設はテロリスト達の標的になっているんだ。
悪い事は言わないから、街で宿を取るのは控えた方がいい」
顔を見合わせるエアニスとトキ。そんな事になっていたとは初耳だ。言われてみれば、街中の観光客も思いのほか少なく、この辺りで唯一の観光都市というふれ込みに拍子抜けしていた所だ。しかし、そのような理由があるのならば納得できる。ならば、街を歩いていた数少ない観光客風の人間達は、エアニス達のように街の事情を知らず観光に来てしまったのだろうか。あるいは危険を承知の上で、空いているビーチや割安になっている宿泊費を目的に訪れているのかもしれない。
「その点、私が勤める病院なら心配はいらないよ。彼らも、病院を標的にする事は無いからね」
クラインは大概の人ならば信用してしまう、人の良い笑顔で提案をする。トキの嘘臭い笑顔を見慣れているエアニスには分る。彼が本当に親切心から言っているという事が。
しかし、
「怪我もしていないのにクスリ臭いベッドで眠りたくは無いな」
エアニスはそう言い放った。クラインの所属する"エベネゼル"という国に思う所があるため、エアニスは彼の言葉を素直に受け入れる事が出来なかった。
「ちょっと、エアニス!!」
それを咎めるチャイム。トキが申し訳なさそうに言葉を挟んだ。
「まぁ、病院という場所は僕も気が進みませんけど・・・
先程の話が本当ならば、ここはお言葉に甘えさせてもらった方がいいと思いますよ?」
「でも、ご迷惑ではないですか?」
レイチェルの配慮を、クラインは穏やかな笑みで受け止める。
「なに、戦争が終わってから病室とベッドは幾つでも余っているからね」
全員の視線がエアニスに集まる。エアニスはチャイム達から非難されているような気分になり、面白く無い。
「・・・分かったよ」
「やったっ!」
◆
夜もとっぷり更けてから、エアニス達はクラインの勤める病院へ案内された。
あてがわれた部屋は患者の居る部屋から遠く離れた建物の端にある病室だった。
「夜の病院ですか。なかなかおもむきがあって良いじゃないですか。幽霊とか出れば最高ですね」
「幽・・・・あ、あはは! やめてくださいよトキさん!!」
「すみません、冗談ですよ。
・・・って、レイチェルさん、ひょっとしてそういう手の話駄目なんですか?」
「だだ、駄目じゃないですよっ。全然平気です! 普通に視えたりもしますし!!」
「えっ。視える・・・ですか?」
「楽しそーだな、お前ら・・・」
うんざりとした顔で、エアニスは腰掛けていたベットから立ち上がる。
「どこ行くの?」
「屋上。煙草吸ってくる」
壁にかけたローブのポケットから煙草を取り出し、エアニスは病室を一人で出て行った。
「そうだ、あたしも先生に、一言お礼言ってくるわ。トキ、レイチェルをお願いね」
「えぇ、分かりました。
ではレイチェルさん。暇潰しに僕の知ってる怪談を幾つか聞かせて差し上げましょう。
ココで語るには最高のお話が幾つかあるんですよ・・・」
「だ、ダメですよトキさん!!こういう場所でそーいう話をすると集まってくるんですから!!」
「え。集まる・・・ですか?」
レイチェルの "普通の人は知らない何か" を知っているかのような口振りが気になったが、楽しそうなトキの邪魔をしては悪いと思いチャイムもエアニスに少し遅れて病室を後にした。
◆
エアニスは暗い病院の廊下を月明りのみで歩く。トキの言うように、ある種の雰囲気は満点だったがエアニスは何も感じる事など無く屋上へ続く階段を登る。
屋上へ辿り着くと、そこには先客がいた。白衣と金髪の後姿。エアニスは思わず舌打ちをする。
「おや、貴方は確か・・・エアニスさんでしたね」
クラインがエアニスに気付き、言葉をかけた。
「何してんだ、アンタ。こんな所で」
「仕事の合間の一服ですよ」
クラインの指には煙草が挟まっていた。エアニスは鼻を鳴らし、自分の煙草を一本取り出し口に咥える。火をつけようとポケットの中のライターを探るが見当たらなかった。ローブのポケットへ忘れてきてしまったようだ。
「貸しましょうか?」
煙草を咥えたままポケットを探り続けるエアニスに、クラインは銀のオイルライターを差し出した。キン、という冷たい音と共に火が灯る。断るのもおかしな話なので、エアニスはクラインの差し出す火へ煙草の先を近づけた。
「先程、チャイムから話を聞きました。随分お世話になっているそうで」
「・・・別に」
エアニスは余計な事を話さずクラインの言葉に相槌だけを打つ。チャイムがクラインに、自分達の状況をどう話したのか分からなかったので、下手な事を喋れないと思ったのだ。まさか"石"の事を話しているとは思えないが、エアニスは念の為この旅の事については触れられないよう、話を逸らす事にした。
「こっちも助けられてるよ。あいつ、今は騎士団所属らしいけど、その前は腕利きの魔法医だったんだろ?
この前、肩をハデに壊してあいつに治して貰ったよ」
アスラム行きの船の戦いで負った、怪我の跡を叩く。骨にまで届く傷だったにも関わらず、チャイムの治療は傷跡を残す事なく完璧に施されていた。
「あの子の昔を知っているんですか。あまり自分の事を話そうとしない子と思っていましたが・・・。
貴方はチャイムに信頼されているようですね」
ふっ、と、煙草の煙を勢い良く吐き出すエアニス。鼻で笑ったつもりだった。
「それにしても・・・あの子がよく、この街に立ち入る気になれたものですね」
溜息をつくようにクラインがそう言った。
「どういう事だ?」
一瞬だけ考えてみるも、その言葉の意味が分からずにエアニスは尋ねる。
「あの子から、この街での出来事については、聞いていないのですね?」
「・・・あぁ」
クラインはゆっくりと煙草の煙を吐き出し、エアニスから視線を外した。
「先の戦争中、チャイムが魔法医として働いていた事はご存知ですね。
そして・・・私もなのですが、チャイムがこの町に派遣されていたという事はご存知ですか?」
「・・・いいや」
エアニスもクラインから視線をはずし、月明りの映る海を眺める。病院が小高い丘の上に建っているという事もあり、美しい夜景が視界いっぱいに広がる。
「では戦時中、この街が市民をも巻き込む激戦地だったという事は?」
その言葉を聞いた途端、目の前に広がる美しい夜景の見え方が変った。
「この街に来た事は無いが、その噂だけなら聞いた事があるよ。
町外れのスラムも見た。酷いもんだな」
「あれでも戦争の爪痕の一部です。本当に酷い場所は、終戦直後に跡形も無く片付けられてしまいました」
クラインは苦い表情を浮かべ、煙草を備え付けられた灰皿へ押し込んだ。
「それは・・・ひどいものでね。
国境線を突破したベクタ軍が、このオーランド・シティの駐留軍に毎日のようにゲリラ戦を仕掛けてくるんです。彼等の進攻のためには、このオーランドシティは補給地としてとても重要な街だったようでね。どうしても欲しかったようです。
もちろん街には一般市民も住んでいますから、沢山の人が巻き込まれ、沢山の人が私達の詰める病院へ運ばれて来ました。周りを砂漠に囲まれたこの街では、逃げる場所もありませんからね」
エアニスは吸っていた煙草を灰皿に押し付け、箱からもう一本煙草を抜き取る。何も言わずにクラインは言葉を切り、火を貸してくれた。
「派遣されていたのは、この病院か?」
「いいえ。もっと町外れにあった別の病院です。今はもう焼け落ちてありませんけど、ね」
クラインは何度目か分からない溜息をつきながら答えた。
「駐留軍がベクタの本隊に敗れ、遂にオーランド・シティがベクタに制圧された日でした。
彼らは怪我人を収容する、我々の病院までをも標的にしたのです。
我々は動ける病人、怪我人と共に、軍の施設へと避難しました。しかし、数が数でね、動かせない病人もいましたから・・・」
ここに来て、流暢だったクラインの語りが鈍り始め、口をつぐんでしまった。
「・・・要は、我々は患者の一部を見捨てたのです」
エアニスは黙ってクラインの話に耳を傾ける。
「あの子・・チャイムは、ベクタ兵がやって来るギリギリまで、患者達を避難させていました。そして、病院内で行われた殺戮を見てしまった・・・」
無表情を装いつつも、クラインの話を聞き続ける事に耐えられなくなるエアニス。手を当てた口元で、歯の擦れる音が聞こえた。
「私があの子を無理矢理病院から連れ出したのですが・・・あの日の事は思い出したくありませんね。
我々の患者達が次々と銃で撃ち殺されていく光景、それを見た、あの子の叫びが・・・
焼け落ちてゆく病院を見ていた、あの子の表情が未だに忘れられませんよ」
「・・・もういい、聞きたくない」
片手を振って、クラインの話を遮るエアニス。
「よくある話だ。
戦争中、どこの町でも似たような事が起こってきたんだ。お前らが特別不幸じゃないんだよ」
冷たい声で自分の思いを述べるエアニス。エアニスにとって、それは事実であり、世界を広く知る者からすれば、正しい意見だった。しかし、その言葉を吐いた時、エアニスの心は鈍く軋んだ。
「・・・そうですね。すみませんでした」
クラインは煙草のケースをしまい、オイルライターをエアニスに渡した。
「貸しておきましょう。私はこれで失礼します」
オイルライターを受け取り、クラインを睨むエアニス。特にクラインを憎む理由は無いが、何故か嫌悪感を強く感じるようになった。
クラインが、これまでの話をエアニスに聞かせる理由が分らない。ただ単に口の軽い軽薄男という訳でもないだろう。
では、何故?
階段へ向かうクラインが歩みを止めて、思い出したかのように振り向いた。
「そうそう、一つだけ気になっていた事があるのですが・・・・」
「?」
小首を傾げるエアニス。
「どこかで・・・お会いした事はありませんか?」
「あ?」
突然思ってもみない問い掛けをされて、エアニスは間の抜けた声を上げた。
クラインに会った記憶などエアニスには無い。
「さあな。俺には覚えは無いが」
「そうですか。
私の勘違いかも知れないのですが・・・
2年前、エベネゼルの王宮で貴方を見た記憶があるのです」
益々眉根を寄せるエアニス。2年前、エベネゼルの、王宮 -
「・・・・ッ!!」
思わずエアニスは息を詰まらせ、驚きの表情でクラインを見てしまった。
エアニスには、2年前にエベネゼルの王宮へ行った事があった。
「いや、勘違いならば、それでいいのです。気にしないで下さい」
「・・・・っ」
エアニスはクラインから視線を逸らし、沈黙で答えた。長い前髪に隠れた額に、汗が浮かぶ。
ここで突然、階段への扉が開き屋上へチャイムがやって来た。
「あ、先生。ここに居たんですね!」
いつものように、悩みなど欠片も無い明るい顔で声をかけるチャイム。
「って・・エアニス?
なんでアンタがココに居るのよ」
「・・・」
訝しげな顔で聞くチャイムに、エアニスは言葉を返せなかった。
「どうしたんですか、チャイム?」
「あ、えっと、改めてお礼を言おうと思って、先生を探していたんですけど・・・」
「はは、今更改まる事もないでしょうに」
軽く笑って、チャイムを階段へ導くクライン。チャイムはチラリとエアニスを見て、
「エアニスは部屋に戻らないの??」
「・・・ああ。もう1本、煙草吸ってくよ」
「あっそ。
煙草、本数控えた方がいいわよ。あんた、1日に2箱吸っちゃう時もあるじゃない」
「放っとけよ・・」
妙に覇気の無いエアニスの様子が気にかかり、チャイムはクラインへ質問を投げかける。
「エアニスと、何の話をしていたんですか??」
「ん?
別に、当たり障りの無いただの昔話ですよ」
そう話しながら、チャイムとクラインは階段を下りて行き、屋上にはエアニスだけが残された。
「・・・っ!!」
指先の熱に驚くと、いつの間にか持っていた煙草は殆ど灰になり、火種がエアニスの指先に届いていた。
灰になった吸殻を投げ捨て、3本目の煙草を取り出し、クラインから渡されたオイルライターで火を付けた。
肺に吸い込んだ煙がやけに不味く感じ、クラインのオイルライターをギリ、と握り締めるエアニス。
「ックソッ!!」
ガンッッ!
エアニスは備え付けられた灰皿台を思い切り蹴り飛ばした。