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月の光を纏う者  作者: 猫崎 歩
第三部
23/79

第22話 虚ろの中の

「ん・・・」

 食器の触れる音に気づいて、レイチェルは目を覚ます。

「あ・・・ごめん。起こしちゃった??」

 レイチェルのベットのすぐ横で、チャイムがカップを傾けながら本を読んでいた。

「ううん、いいの・・・。

 今、何時?」

 そう言いってベットから身を起こすレイチェル。心なしか、まだ体が重い。

「まだ8時よ。レイチェルも紅茶飲む?」

「うん、お願い」

「そ。じゃ、待ってて」

「ごめん」

 互いに短い言葉を交わし、チャイムはキッチンへと向かっていった。

 レイチェルは目を擦りながら部屋を見回すと、部屋の隅に置かれた椅子で、トキが座ったまま眠っていた。腕を組み、膝の上で本を広げたまま、天井を見上げるような格好で眠っている。流石にトキも疲れが溜まっていたのだろうか。


 あの後。

 ルゴワールの軍隊を退け、トキが本当に1人で奪ってしまった戦艦に旅客船の乗客を移し、一番近くの港まで船を走らせた。

 到着した港は、アスラムよりやや南の都市ベルヘイム。結果的には当面の目的地であるバイアルスにやや近い場所へ上陸出来た事になる。幸いな事に、トキの話ではベルヘイム領に対するルゴワールの影響力は皆無だという。

「まぁ、あんな襲撃をしてくるくらいですから・・・どこに居ても一緒って気もしますけどね」

 最後に付け加えられたトキの言葉にチャイム達は不安にさせられたが、今の所ルゴワールからの襲撃は無い。港に突然軍艦が入ってきて、ベルヘイムの街は大騒ぎになったのにも関わらずだ。この事はルゴワールの耳にも入っている筈であろうが、彼等から何のアプローチも無い事はがかえって不気味だった。

 もしくは、エアニスとトキの強さを警戒するようになったのか。たった2人の人間に、3隻の軍艦と数十人の兵隊が潰されたのだ。その常識を逸した事実を、果たしてルゴワールはどう受け止めたのか。

 それが2日前。

 港での騒ぎも収まらないうちに、4人は街を出て、バイアルスへ向けて旅を再開させた。しかし、隣町まで進んだ所で、レイチェルが倒れてしまったのだ。

 船上での戦いで過度剰に魔力を消耗し、その体で旅客船に乗っていた乗客達の救護手当てを続けるなど、レイチェルは動きづめだった。魔力の消耗による精神の衰弱と身体的疲労が重なり、レイチェルは熱を出してしまったのだ。

 当然、そんな状態で旅を続ける訳にはいかず、やむなくレイチェルの体調が戻るまで、この町に留まる事にしたのだ。それに疲れていたのはレイチェルだけでなく、チャイムも、トキも、そしてエアニスも同じであった。多少の危機感、焦りといったものはあったが、トキの言葉のように「何処に居ても同じ」、という感もあったので、皆この場に留まる事に異論は無かった。

 とはいえ、レイチェルも1日ゆっくり休んだだけで魔力は全快し、体調もほぼ元に戻りつつあった。自分が皆の足止めをしてしまったと感じているレイチェルにとって、こうしてベッドで横になっている時間がどかしい。

 チャイムがカップと砂糖を持ってキッチンから戻ってきた。

「エアニスさんは?」

「あいつ?

 まだ戻って無いわよ。明日には戻るって言ってたけど・・・」

 チャイム達の泊まる宿に、エアニスの姿は無かった。この町での滞在が決定するや否や、3日程別行動を取らせてもらう、と言い出したのだ。主戦力の離脱に不安を急き立てられたチャイムはエアニスを止めた。そのエアニスは、素っ気無くこう言った。

「墓参りだ」

 その一言で、つい口をつぐんでしまった。誰の墓参りかは聞けなかったが、チャイムの予想が当たっていた事は、後にトキから聞かされた話で確認する事が出来た。

 以前、トキがエアニスから聞いた話によると、 "レナ" という少女の故郷はこの地なのだという。そして彼女の墓標が、この街から離れた小さな村にあるという事も、トキは聞いていた。

 船上での稽古の合間に少しだけ聞いた、エアニスの過去。その話を聞く限り、レナという少女は、エアニスにとって特別な存在だったという事は間違いない。それを聞いている以上、チャイムはエアニスを引き止める事が出来なかった。それに、船での一件以来、どうにもエアニスの様子がおかしかった。常に考え事をしているような面持ちで、一言で言えば、無気力状態。もともと元気のある性格ではないが、いつもの様にチャイムがエアニスをからかうような事を言っても、心ここにあらずといった様子であっさりと受け流されてしまうのだ。その様子は露骨に表に出ており、そんなエアニスにトキは溜息を、レイチェルは戸惑った様子を見せていた。エアニスを墓参りへ送り出したのも、彼が1人になる事で、または墓参りをする事で何かしらの心の整理がつき、いつものエアニスに戻ってくれるのならば、それはチャイム達にとって歓迎すべきことであったからだ。

「・・・あいつでも凹む事あんのね・・・」

 自分の紅茶をすすりながらチャイムが呟く。レイチェルは苦笑した。あいつと言うのはもちろんエアニスの事だ。

「そうね・・・。流石にあんな派手な襲撃に遭うとは思わなかったし・・・」

 チャイムもレイチェルも、ルゴワールを甘く見ていた。たった4人の人間を相手にするのに、まさか軍隊を引っ張り出して来る事など、考えもしなかった。ルゴワールが、次はどのような手を打ってくるのか考えると気が重くなる。チャイムもレイチェルも、その事が心に引っかかり、一時取り戻していた元気を無くしつつあった。

「エアニスが気にかけているのは、その事じゃ無いでしょう」

 眠っていた筈のトキが、突然話し出した。

「あんた、起きてたの・・・?」

「たった今目が覚めました。それより、あまり気に病まないで下さい。

 僕達が責任を持って、お二人をバイアルスまでお連れしますから」

 いつもの軽く中身の無い笑顔とは違い、珍しく自信に満ちた笑みを浮かべるトキ。それすらも、作り物なのかもしれないが。

「こんな言い方は自慢みたいで嫌ですけど・・・今回の襲撃にしろ、他の乗客も守るという目的が無ければ、もっと早く片付いていました。はっきり言って、僕もエアニスも、ああいうのが何人集まったとしても、敵ではありません。それは今回の戦いで証明出来たと思いますが?」

 チャイムはトキが一人で制圧したという戦艦の事を思い出した。船内のあちこちで乗組員が息絶えていた。あるものは心臓を一突きに。またあるものは額を撃ち抜かれて。殆どの乗組員が、最小限の傷で死に至っていた。

 あいつは仕事が綺麗だからな。

 旅客船の甲板で、トキの戦い方をそう評したエアニスの言葉が今では良く分かる。

 トキは膝の上の本を閉じて、考えるような仕草を見せる。

「エアニスが気にしているのは、最後に現れた2人組みの事でしょう」

 戦いの最後に現れた、銀髪の2人の男女。エアニスは、”向こう側の人間”。レッドエデンの住人と言っていた。

「あれは・・・何者なの?」

 トキはわざとらしく肩を竦めて見せる。

「さあ?

 僕は直接彼等を見た訳ではありませんし・・・元々僕も、そんな存在はおとぎ話の中だけだと思っていたクチですからね。

 僕より、レイチェルさんの方が詳しいのでは?」

 話を振られて固まるレイチェル。暫くして溜息とともに肩の力を抜いた。

「私も、世間で知られているおとぎ話程度の事しか知りません。

 ただ村の教えでは、それはおとぎ話ではなく本当に存在するのだと、昔から聞かされていましたけど・・・」

 殆どの魔物は、250年も昔にレイチェルの先祖、魔導師エレクトラによって封印されたと伝えられるおとぎ話。それによると、彼等はエレクトラの手によりこの世界とは別の世界、"レッドエデン"と呼ばれる地へと追放されたのだという。しかし、中には封印から逃れた者や、封印された世界から抜け出し、こちらの世界へ戻って来る者が存在しており、今もこの世界に魔物という存在は潜んでいるのだという。

 それは誰もが知っているおとぎ話であるが、魔物が今の世界に存在しているというフレーズは、誰も信じていない。あくまで、ただの"御伽噺"。そのような存在が確認され、世間にその認識が広まったという話は聞いた事が無い。しかし、レイチェルはエルカカの魔導師達に、その存在は実在するという事を子供の頃から教えられてきた。

 レイチェルは、まさかそのような存在と遭遇したり、ましてや敵対するなどとは、思ってもみなかった。レイチェルも自分の言葉にどこか現実味を欠いている事は自覚していた。受け止める事実にしては大きすぎる事だと、心の底で感じているからだろうか。そのように自己分析している自分も、また何処かひとごとだ。レイチェルは堂々巡りをする自分の考えを打ち切った。

「魔族・・・ね」

「はぁ・・」

 呟くチャイムとトキも、どこかピンと来ていない様子だった。あの銀髪の二人組はやはりただの人間で、チャイムたちは担がれているのかもしれない。そう考えたくなる。

「・・・なんだか、エアニスはやたらビビってたけどね。何か知ってるのかしら」

「エアニスの事ですから、案外魔族と喧嘩した経験でもあるのかもしれませんね。

 そうそう、良くは知りませんが、エアニスの剣はそういった存在にも対抗できる、魔力を持った剣だそうですよ。以前、そんな事を自慢された覚えがあります」

 チャイムとレイチェルは上目遣いでエアニスの持つ剣を思い出す。

 薄い刀身の長剣。剣の腹は赤黒い石のような質感を持ち、見た事が無い文字か記号かが刻み込まれている。刃の部分だけ磨き込まれた金属の輝きを持ち、柄はコウモリか悪魔の羽を思わせるような装飾と、ルビーのような石が収まっていた。確かに不思議な力を持っていてもおかしくは無い、怪しい雰囲気を持つ剣だ。

 実際、製造方法が解明出来ない不思議な力を持つ古代の魔導具はこの世に幾つも存在する。それらの中には、刀剣類といった形を持つものも多い。

 その多くは宗教的な価値を持ち、強力な力を持つ物は寺院などで御神体として祭られていたり、そうでなくても博物館に納められていたり、魔導の研究所や学者が引き取るといったケースが多い。市場で取引される事は皆無に近い。エアニスのように実用しているといったケースは、更に稀だろう。

「物凄く高値で売れるらしいですよ。正直、腰に下げて出歩けるようなシロモノじゃ無いって話でした。

 本当か嘘かは知りませんけど」

「はぁ・・・」

「へぇ・・・」

 これまた現実味を欠く話で、レイチェルとチャイムは曖昧なあいづちを打つ。

「とにかく、アイツが帰ってきたらちょっと話、聞かせて貰いたいわね」

「エアニスの帰りは、明日の夕方以降にはなると思いますがね。

 今頃、目的の村に付いている頃じゃないでしょうか?」



 庭の掃き掃除をしている初老の婦人が、遠くから近づいてくるエンジンの音に気づいた。

「おや、まぁ」

 その車を見て、その老婦人は驚いた顔をした。車は庭から少し離れた木立の下に停まり、車から琥珀の髪を揺らし男が降りてくる。

「どうも。ご無沙汰しております」

 柄にも無い言葉遣いで挨拶をしたのは、車を走らせやって来たエアニスだ。

「お久し振りね。エアニスさん。どうしたの?

 ミルフィストから、はるばるここまでやってたの?」

「えぇ、仕事・・・みたいな事で、近くまで来たものですから」

 言いながらその場所から見える小さな丘を眺めるエアニス。丘の先には一本の木が立っていた。。

「レナさんのお墓参りに来たのでしょう?

 お墓は私が毎日掃除しているからね。でも、エアニスさんが来てくれないと、やっぱり寂しいんじゃないかしら?」

 老婦人の言葉にエアニスは困ったような顔で笑い、車から鞄を一つ取り出すと、それを持って丘を登り始めた。


 村の中で一番高い丘の上。ここからだとゆるやかに広がってゆく平原を見渡す事ができる。レナの好きな眺めだった。その丘に立つ木の下に、背の低い小さな墓標が立っている。

 レナ=アシュフォード。墓石に記された文字を見ると、わずか17年でその生涯を閉じた事になっている。

 その墓標の隣に、彼女はいた。



「よう。久し振り」

 軽く手を振るエアニスに、墓標の隣に佇む淡い髪色をした少女は柔らかく笑った。エアニスもその微笑を見て、優しく笑う。

 彼女の姿は、エアニスの目にだけ、映っていた。


 それは、この世に現れた霊魂というものか。それとも、エアニスが見ているただの幻か。

 それが何であろうと、エアニスは構わなかった。ただ、彼女が目の前にいるという事が全てであった。

 エアニスは小さな墓標の隣に腰掛け、鞄から2つのカップと瓶を取り出し、中身をカップに注いだ。

「アップルティー。好きだったよな、確か」

 カップを石碑の前に置き、エアニスも紅茶に口を付ける。

「また愚痴を話しに来たよ。

 前来た時に、トキっていう変な奴と同居する事になったって所までは話したよな。

 そうだな、どっから話すかな・・・」

 エアニスは最近の身の回りの出来事を話し出した。戦争が終わるまでは考えられなかった、平穏で何も無い、退屈な毎日。またま手助けをする事になった、2人の少女の事。

 そして"石"の事。


「全く、因果な話だよ」

 レナはエアニスの隣に座り、黙ってエアニスの話に耳を傾け、ただ優しく笑っていた。

 ここに来れば、彼女を強く感じる事が出来た。

 彼女は、エアニスが唯一全てを認めた存在。

 そして、自分のせいで死なせてしまった人。

 レナは自分を許してくれるのだろうか。

 エアニスの隣にいるレナは、今優しく微笑んでいる。

 ここに来る度、彼女に問いかけてみたいと思う事がある。

 お前は、俺を許してくれるのか、と。

 答えを聞きたい。

 声を聞きたい。

 しかし、それを口にすると、彼女が消えてしまうような気がした。

 根拠も何も無い。

 ただ、そんな気がするというだけで、エアニスの唇はその言葉を紡ぐ事は出来なかった。

 自分の予感が的中する事が、恐ろしかったから。


 夢のようで幻かもしれない2人だけの世界で、時間はゆっくり流れる。

 2人の時間に合わせるように、ゆっくりと空が紅く染まる。

 日が落ち、空に月が懸かろうとも、エアニスは彼女の元を離れる事は無かった。

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