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月の光を纏う者  作者: 猫崎 歩
第二部
22/79

第21話 覚めて見る悪夢

 エアニスは動かなくなったバルザックから手を離す。

  首から下の脊髄を絶ってやれば、"生ける屍"となっていても、動き出す事は無い。わざわざ体を押さえ込み最小限の傷でバルザックを仕留めたのは、エアニスなりのバルザックへの敬意だった。

「くそ・・・後味悪ぃな・・・」

  エアニスにとっても最高に楽しい戦いだった筈なのに、何とも言えない不快感が残った。当然負ける訳にはいかなかったうえ、バルザックを倒す事は彼を醜い不死から開放する事でもあった。

  エアニスは最良の結末を出した筈だ。

  しかし、割り切れないものが心に残った。

「ルゴワール・・・」

  エアニスは、レイチェルを付け狙う組織の名を呟いた。


  ガンンッ!

「痛ぇっ!!」

  頭に衝撃が走ったと思うと、足元に"頭上注意"と書かれた薄い看板が転がっていた。看板の飛んできた方を見ると、

「馬鹿エアニス!!

  あんた私達の護衛でしょーがーっ!!」

  チャイムとレイチェルが生き残っていた兵士達に囲まれ、窮地に立たされていた。

「やっべ。 忘れてた」

  兵士達がバルザックとエアニスの戦いに手出しが出来ずにボーッと突っ立っている所までは見ていたが、エアニスが戦いに集中している間に彼等は職務を思い出し、とりあえずチャイム達に襲い掛かっていたようだ。エアニスは慌ててチャイムとレイチェルに加勢する。



  一方、トキが乗り込んだ中型戦艦では、得体の知れない敵の侵入に騒然としていた。

「どうなってるんだ、侵入者はまだ見つからないのかっ!!」

  司令官だろうか、壮年の男が狭いブリッジで声を張り上げる。その声に、計器に向かう乗組員達は司令官の期待に応えることは出来ず、絶望的な報告をする。

「船内の通信機器、全て、不通です・・・。

  様子を見に行かせた護衛兵の無線も、応答がありません・・・

  現在、船内の状況は、このブリッジ以外、何も分からない状態です」

「・・・・」

  司令官の頬を脂汗が伝う。異変が始まってから、まだ1時間と経っていない。そんな短時間で、船はまともに機能しない状態へと陥ってしまったのだ。

  頭の中が真っ白になり、何も言えずにブリッジの中央で立ち尽くす司令官の男。

  船の駆動音だけがゴウンゴウンと響いていた。


  ボガンッ!

  突然ブリッジに破裂音が響いた。ロックされた鉄扉が内側に弾け飛び、煙を上げる小さな物体が飛び込んできたのだ。その煙に男達は反射的に口元を押さえる。催涙ガスだ。

  ブリッジに誰かが入ってきた。司令官の滲む視界には、その姿はマントを着た人間としか分からない。

  パン、パン、と軽い銃声が響いた。その音に続くように聞こえる人のうめき声と、どさり、という鈍い音。状況が見えなくても、それが侵入者の襲撃だと言う事は容易に想像できた。目を拭いながら腰から銃を抜き放つ。司令官の男が握る銃は、分厚い鉄板をも打ち抜ける火力を持った大型銃だ。

  バゴッ!!

  腹に響く轟音と共に飛び出した銃弾が、マントの男の眉間に当たる。侵入者は仰け反り、背中から倒れ伏した。

  突然訪れた静寂。

  司令官の男は窓を開けて外の空気を吸った。ガスを室内から逃がし、視界の戻ったブリッジの中を見回す。

  自分以外の乗組員は皆、血を流して倒れ伏していた。そして、それに混じって横たわる赤黒いコートを纏った一人の人間。

  司令官の男は銃を構えたまま、その侵入者に歩み寄る。

「な・・・!!」

  司令官の男は、その侵入者の姿に見覚えがあった。色は違っているものの、見覚えのある分厚いコート。そして、フードから覗く、白いデスマスク。

「何故・・ルゴワールの暗殺者がここにいる・・・!?」


「貴方はこの姿を知っているのですね?」

「ッ!!!」

  突然、倒れていた侵入者が首を持ち上げて喋った。反射的に司令官は侵入者に向けて発砲する。銃弾はコートの男の肩や側頭部に当たるが、男はそのまま起き上がり、おもむろに司令官の銃身を握り締めた。

「ひぁああっ!!」

「"ワグナス277"ですか。良い銃をお持ちで。

  眉間に当たった弾、結構痛かったですよ?」

  デスマスクが落ち着いた声で語りかける。

「お前は・・・お前は何者だ、ルゴワールの者なのか・・・?」

  銃を握られた司令官は、震える声を絞り出して問う。

「あぁ、僕はもう組織の人間じゃ無いんですよ」

  男は握った銃身を司令官のこめかみに押し当てた。

「そうですね・・・ただのしがない復讐者と言った所でしょうか」

  そして司令官の震える指に手を添え、そっと引き金を引かせた。



  レイチェルの魔導が最後の刺客を倒し、ようやくエアニス達の戦いは終わった。

  周りの気配を慎重に探り、敵がもう居ない事を確認してから、エアニスは腰を下ろす。

「随分てこずったな」

  煙草を取り出し、反対の手で火を点けようとした所で、エアニスは自分の右肩がまともに上がらなくなっている事を思い出した。

「見せて」

  エアニスの傍らにチャイムがしゃがみ込む。

「いいのか?」

  何となくレイチェルを見るエアニス。その視線を察してチャイムは言う。

「レイチェルもあたしの素性は知ってるわ。別に、魔法医のコト隠してる訳じゃないし。

  ただ、都合よくあたしの力を頼りにされるのが嫌なだけ。でも、あんた達にはそんな心配無用みたいだからね」

「あ、そう・・・」

  エアニスはどうでもいいように相槌をうち、視線を逸らせた。左手で煙草を咥え、左手で火を点ける。


「トキさん・・・大丈夫でしょうか・・・?」

  レイチェルが心配そうにトキの乗り込んだ戦艦を見る。遠目では、全く変わった様子は無い。爆発が起きているわけでもなく、煙が上がっている様子も無い。

「アイツの仕事は綺麗だからな」

  分かりづらい事を言うエアニス。

  動じた様子が無いところを見ると、トキの事は全く心配していないようだ。

  その横では、チャイムがエアニスの右肩に両手を当て、治療の術をかけている。温かい感触がエアニスの肩を包む。痛みは既に消えており、傷口も塞がりかけていた。

  エアニスの傷は骨まで達していた。チャイムが居なかったら、魔法医の居る町まで行かなければならない所だった。

「お前等は、怪我は無いのか?」

「あたしもレイチェルも、あんた程じゃ無いわよ」

  良く見ればチャイムもレイチェルもあちこちに小さな傷を作っていた。銃弾の破片などに当たったような傷だ。大きな怪我は無さそうだ。

  ふと気付くと、レイチェルがぼんやりと遠くを見つめている。その顔色はあまり良くない。

「レイチェル、大丈夫か?

  顔色が悪いぞ」

  びくん、と身を竦ませ、エアニスに視線を向けるレイチェル。

「えぇ、・・・その、・・大丈夫です。なんでも、ありません・・・」

  歯切れの悪いレイチェルの応えに眉を寄せるエアニス。

「・・・こんな状況で平気なカオしてられるのは、あんたくらいよ」

  チャイムに言われてエアニスは、そりゃそうかもな、と、鈍い自分の頭を小突いた。

  累々と横たわる死体。所々に血溜りが広がり、無数の赤い足跡が甲板を汚していた。チャイムは魔法医として働いていたのならば、これまでにも無残な戦場の姿を見た事があるだろう。しかしレイチェルは、この光景に馴染みが無いのだ。

「お前が選んだ道だろ」

  俯くレイチェル。エアニスの言う通りだ。

「じきに慣れる」

  エアニスの無神経な言葉に何か言ってやろうと思ったチャイムだったが、言葉が浮かばない。

  確かに、この道しか、エアニス達には無かったのだ。



「あーあ、

  もうやっつけられちゃったんだ」

  突然降って湧いた女の声に、チャイムとレイチェル、エアニスまでもが飛び上がり、辺りを見回す。

「上!!」

  エアニスはレイチェルの声に視線を巡らすと、2階の甲板の柵に銀髪の少女が腰掛けていた。

  その隣には銀髪の少女と似た印象の、同じく銀髪の男がエアニス達を見下ろしている。

  ざわっ

  エアニスの肌が泡立つ。

(いつの間に・・・)

  反射的に剣を構え、距離を取った。

  全く、気配を、存在を感じなかった。しかし、今は目の前の2人の存在を感じる事が出来る。

  この世の異物のような存在を。


  銀髪の少女が、ふわり、とエアニス達の前へ降りてきた。

  何かの魔導を使っているか、まるで体重を感じさせない羽毛のような動きだった。

  一緒に居た男も、2階の甲板から飛び降りる。こちらは普通に床をダンッ、と鳴らして着地する。

  銀髪の少女は、この場に似つかわしくないゴシック調の短いドレスに身を包んでいた。黒に近い群青と白を基調にした、ドレスといってもヒラヒラしていない動きやすそうな服装だった。艶やかで綺麗な銀髪は、頭の左右で二つに分けて結わえている。年の頃はレイチェルと同い年か、それ以下か。幼いといった印象すら受ける。そして、誰もが振り返る小さくて可愛いらしいその顔には、人を小馬鹿にしたような浅い笑みが浮かんでいた。

  一緒にいる男は、少女のドレスと同じ色調のロングコートを羽織っている。年齢は20代半ば、といったところか。少女と同じ色の銀髪は後ろに撫で付けられ、切れ長の瞳を持つ端整な顔をしていた。顔を見るだけでは線の細い印象を受けるが、がっしりとした体躯をしており、コートの下からは大振りの大剣が覗いている。

  髪の色と服装の印象が同じなので、兄と妹といった関係にも見えた。

「ふぅん・・・」

  銀髪の少女がエアニス達を面白そうに、まじまじと見つめる。

「噂どおり、イイ男じゃない」

  チャイムは "はぁ?" と、呆れた様に口を開く。

「人間にしてはけっこうできるみたいだけど・・・

  どうしよっか、イビス?」

  イビスと呼ばれた男は、感情を感じさせない静かな声で答える。

「男は好きにすればいい。

  俺達が用のあるのは、エレクトラの子孫だけだ」

  イビスの冷たい視線が、レイチェルを射抜く。

  その視線に、レイチェルは違和感を覚えた。彼等から感じられる雰囲気が、空気感が、何とも表現し辛い"違和感"を感じるのだ。まるで、目の前にいるのに、そこに居ないような感覚。

  その違和感はエアニスも感じていた。そして、エアニスは彼等と同じ空気感を持つ者と過去に一度、会った事がある。

  その経験を元に、彼等の正体を推測する。

「・・・お前達、向こう側の人間か?」

  エアニスの問いかけに、銀髪の少女は目を丸く、イビスと呼ばれた男は目を細めた。

「レッド・エデンの人間かと聞いている」

  エアニスの言葉に、レイチェルは何処か納得したかのような気分になって、そして息を呑んだ。


  250年前。レイチェルの先祖であるエレクトラという魔導師が、魔族を封印したと言われる此処とは別の世界、"レッド・エデン"。

  レイチェルは、稀にレッドエデンからこの世界へと戻ってくる魔族や、250年前に追放されずこの世界に留まったままの魔族が、少なからず存在しているという話を聞いていた。世間では眉唾物の噂として扱われているが、エルカカの民はそれが真実だという事を知っている。


「ふーん。

  あなた、私達の事知ってるの?」

  アイビスは俄然興味が沸いたとでも言うように、エアニスに視線を送る。

「戦争中、あんたらのお仲間に会ったよ」

「あらそう? だあれ?」

「・・・あー。いや、名前は忘れた。でも、斬り捨てやったよ」

「へぇ・・・」

  銀髪の少女、アイビスは面白そうに唇をなぞる。まるで、新しい遊び道具を見つけたような目だ。

「ちょっと・・・エアニス・・・。

  どういう事よ??」

  状況についていけないチャイムは小声でエアニスに聞く。

「・・・離れておけ」

  エアニスも小声で返した。

「やばいぞ。魔族が出てくるなんて想定外だ。それに二人も・・・」

  普段の口調で言いながらも、エアニスは焦っていた。冗談ではなく、戦う事より逃げる事を考え始めていた。

しかし、こんな何も無い海の上で、何処へ?

  エアニスは自分に問い掛ける。

  そんなエアニスの心境を読み取ったのか、アイビスが笑った。

「おっと、逃げちゃ駄目よ」

  アイビスがパチンと指を鳴らした。


  ざざざぁあああっ

  まるで操り人形のように、エアニス達の周りの死体が、立ち上がった。

「ひっ!」

  チャイムは思わず声を漏らし、エアニスの腕を掴む。

  エアニスが斬り倒し、明らかにこと切れている刺客達が血を流しながら、首を異様な角度に曲げながら、ガクガクと震えて銃を構えた。刺客達に撃ち殺された乗客達までもが、操り人形のように不自然な姿で立っている。エアニスが、チャイムにも聞こえるような歯軋りをした。

「" 生ける屍 "・・・・

  お前がバルザックをそそのかしたのか!」

  アイビスはキョトンと目をしばたたかせた後、すぐに何の事か思い当たる。

「あぁ、そいえば、自分から術をかけてくれっていう妙な人間が居たわね。

  何、そいつもやられちゃったの?」

  ふと視線を巡らすと、すぐ近くにその人間、バルザックが横たわっていた。

「あーあ、首切られちゃったんだ。

  まだ動くのかな?」

  パチン、ともう一度指を鳴らすアイビス。

  途端にバルザックの体が壊れたカラクリ人形のように暴れだし、バタバタと甲板を転がる。

  まるで絶命する間際の苦しみもがくような姿に、チャイムとレイチェルは思わず目をそむけた。

「あははっ、やーっぱもう使えないかぁ」

  滑稽にすら見えるバルザックを笑い、アイビスが視線を戻すと、目の前からエアニスの姿が消えていた。

  アイビスは弾かれるように空を見上げる。

「貴っ様あぁああああァァッ!!!」

  エアニスは剣を振り上げ、アイビスの頭上から斬りかかろうとしていた。

  激昂するエアニスにアイビスはその笑みを深くする。エアニスは一瞬にして頭に血が上り我を見失っていた。彼女のした事は、バルザックへの冒涜だ。それはエアニスの中のルールで、決して許してはいけない事だった。


  ガイン!!

  しかし、空中でエアニスの斬撃はイビスの振るった大剣に弾かれてしまった。

  視界の端にアイビスを捉えつつ、舌打ちをしてイビスに向き合う。

「邪魔 を  」

  空中で壁を蹴り、イビスへ向かい飛びかかる。

「  する なァァッ!!!」

  バギンッ!!

  二人の剣が火花を散らせてぶつかる。

「・・・!」

  イビスは、その乏しい表情を驚きの色に染める。

  エアニスの剣が、イビスの大剣の半ばばで喰い込んでいたのだ。

  ビギッ!

  剣の亀裂が深くなる。イビスは剣を引くようにして振り払い、エアニスの間合いから離れた。しかしエアニスはイビスに目もくれず、再びアイビスに向けて斬りかかる。

「おあぁぁぁぁッ!!」

  咆哮を上げ駆けるエアニス。その時、アイビスの体は羽毛が風に吹かれるように空へと舞い上がった。一瞬で建物の3階程の高さに達する。しかしエアニスは諦めず、振りかぶった剣を真上のアイビスに向かい投擲する。

  バシュッ!

  アイビスは剣が自分の体に届く直前エアニスの投げつけた剣を素手で叩き落した。エアニスの剣は一直線に、甲板へ突き刺さる。

「!」

  アイビスが目を剥く。剣を叩き落とした自分の右手が、はぜ割れていた。その傷口から血は流れず、肌と同じ色をした断面から、肌と同じ色をした破片がパラパラと零れ落ちていた。素手で剣を叩き落したとはいえ、彼女達魔族の体はそう柔には出来ていない。アイビス自身、この程度の事でこれほど大きく体を損傷した経験は無かった。

「降りて来い!!

  貴様は殺す!!!」

  眼下の男は殺気を剥き出しに物凄い剣幕で叫んでいる。アイビスには何で男が怒っているのか、全く分からなかった。彼女の隣にイビスも宙に浮いてやってきた。

「・・・イビス、何なの、あの男?」

  イビスは黙って自分のひび割れた剣をアイビスに見せた。彼の持つ剣は、ただの金属ではない。魔族としての自分の力を具現化させた、いわば自分の体の一部であった。アイビスはイビスの剣が傷を付けているのを初めて見た。

「分からない。

  ただ、今奴を相手にする事は、エレクトラの子孫を巻き込む事になるかもしれん」

「だったら、死体達に手伝わせ・・・」

  ボワッ

  アイビスの言葉は途中で中断された。突如、アイビスの術下にある"生ける屍"達が、一斉に青白い炎に包まれたのだ。アイビスは呆然と眼下に転がる光景を見つめ、イビスは眩しそうに目を細めた。

「浄化の炎・・・エレクトラの子孫か」

  イビスは術の正体を見抜く。


  レイチェルはハンマーロッドを頭上に掲げ、力を解き放った。

  甲板の上をさまよう"生ける屍"達が一斉に青い炎に包まれ、ざらざらと灰になってゆく。ただの炎の術ではない。邪悪な存在に対してのみに発動する、魔物や幽体を相手に効果を生む術である。

  魔物など記録では200年以上前に魔族とともに絶滅した種族であり、必然的にそれらを相手にする術も世界から消えてしまった筈である。しかしレイチェル達エルカカの民は、それらの技術を途絶えさせずに今も伝え続けていた。

  昔のレイチェルは、使う相手のいない術を伝え続ける事が何の為なのかが分からなかった。しかし、今は分かったような気がした。エルカカの民は"石"を追って旅を続けると、きっと必然的に彼らのような存在と、遭遇するのだ。

  レイチェル達の周りに佇む"生ける屍"達は次々と崩れ、風に溶けてゆく。炎が消えた後に残ったのは、彼らが手にしていた銃と、僅かに燃え残った着衣のみであった。レイチェルは膝をついて、ロッドにもたれ掛かった。

「レイチェル・・!」

チャイムがレイチェルの体を支える。レイチェルにとっては文献で読んだだけで、一度も使った事の無い術だった。予想以上に魔力を消耗し、レイチェルの意識は朦朧とする。



「イビス・・・」

「何だ?」

  アイビスは握った拳を震わせて言った。

「まだ船にルゴワールの人間達が残ってるわよね。そいつらみんなこの船に上げて頂戴」

  アイビスは半ば向きになっていた。たかが人間にコケにされたのだ。プライドの高い彼女にとって我慢のならない事だった。

「無理をするな。

  奴等を追い詰めたとしても、もし石を海にでも捨てられたら俺達でも手に負えなくなぞ。

  これから先、機会は幾らでもある。

  今回は引くぞ」

「でも!!」

  ドグワッッ!!

  イビスの視線の先、アイビスの背に、巨大な火の玉が生まれた。アイビスが振り向くと、旅客船を囲んでいた戦艦の一隻が、火柱を上げて轟々と燃え上がっていた。ギゴゴゴと不気味な軋み音を上げて、ゆっくりと炎に包まれた鉄の戦艦が二つに折れて行く。

「は・・・?」

  何が起こったのか分からないといった様子で、彼女は残りの戦艦を見る。

  ドゥンッ・・

  闇夜に響く重低音が聞こえた。続いてヒュルルと空気を引き裂く音が行き過ぎ、

  ボガァアアン!!

  更にもう1隻の戦艦が吹き飛んだ。

  砲撃は最後に残った1隻のルゴワールの戦艦から放たれたものだった。

「な・・・何よこれ・・・人間共は何してんのよッ!!」

  理解不能な状況に、アイビスが戸惑いの色を混じらせ叫ぶ。

「・・・奴等は4人で動いている筈だ。残りの1人が、見当たらない」

「何よ・・・その一人があの戦艦乗っ取って、組織の船を撃ったとでも言うの!?」

  八つ当たりのような叫びに、イビスは何も答えない。

「引くぞ」

  再び静かに、しかし鋭い視線でアイビスを見据えてイビスは言った。

「・・・っ!

  分かったわよっ・・・!」

  キッとエアニス達を睨み付け、アイビスはスカートを翻した。その姿は黒く滲むと、夜空に溶け込むようにして、消えた。その後を追うようにイビスの姿も消える。



  甲板は波と風と、戦艦が燃え上がる炎の音が支配していた。

  エアニスも、チャイムもレイチェルも、その場を動こうとせず、2人の魔族が消えた空を呆然と見上げていた。

「くそっ!」

  エアニスは拳を壁に叩き付けた。

( また、魔族が石を狙ってるのか・・・)

  2年半前の戦いが脳裏をよぎる。

  あの時と同じだ。

  絶望的な思いで、エアニスは暗闇の空を仰いだ。

  夜が明けるまでは、まだ暫く時間があった。



- 第二部 おわり -

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