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月の光を纏う者  作者: 猫崎 歩
第一部
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第01話 始まりの朝

 雨の音と、薄く窓から差し込む光で、エアニスは目を覚ました。


 いつも以上に気だるい朝。何故こうも不愉快な目覚めなのか分からぬまま身を起こし、琥珀色の長い髪を掻き上げる。

 夢を見ていたような気がした。でも、どのような夢かは思い出せなかった。どうせ、ろくでもない夢だろう。


 昨夜から降り続いている雨が窓ガラスを叩いていた。それを見てエアニスは目をすがめる。

 雨の日は嫌な事を思い出す。大戦中に見てきた幾つもの地獄の中で、たった一つの場面だけが彼の脳裏に焼き付いて離れない。


 雨の降りしきる暗い森

 目の前でじわりと広がる赤い染み

 繋いでいた暖かな手が離れてゆく感触


 頭を振り、浮かび上がる記憶を振り払った。

 忘れたい訳ではなく、忘れてはならない事だという事は分かっている。

 自分でも受け入れ、完全に終わった出来事だ。しかし、それをたかが雨という共通点だけで思い出すという事は、自分でも意識していない、割り切れない思いがあるのかもしれない。

 だとしても、だからそれはもう終わった事だ。今更どうにか出来るものでもない。


 自室まで引いた水道で顔を洗う。雨水をろ過して使っている為、雨の日は水が随分と冷たいが、この気分を拭うのには丁度良かった。

 腰まで届く琥珀色の髪を梳き、首の後ろで束ねた所で部屋の扉がノックされた。

「エアニス、起きていますか?」

 聞こえてきたのは、まるで教師のように落ち着いた声色と言葉遣い。

 扉から眼鏡をかけた黒髪の男が顔を覗かせた。

 エアニスと同居しているトキだった。年の頃はエアニスと同じくらいで、少し背が高い。これといった特長の無い顔立ちに、これまた特徴の無い服装をしている。強いて言えば、誰に対しても丁寧な言葉遣と、その顔に常に張り付く愛想笑いが特徴か。

「朝ご飯、とっくに出来てますよ。早く食べちゃってくださいね」

 笑顔でそれだけを言うと、トキはパタパタとキッチンへ戻ってゆく。


 エアニスはイライラと足を揺すりながら頭を掻く。

 何かが違う。普通このような場面で現れるのは男ではない筈だ。

 エアニスに浮ついた願望がある訳ではないが、毎日エプロン姿の野郎に起こされるという境遇にエアニスは不条理さを感じていた。今のまま野郎と二人で新婚生活のような暮らしを続ける事に危機感を感じるのは何故だろう。何の危機かは、考えたく無い。

 得体の知れない寒気に身体を震わせ、エアニスは自室を出た。秋も半ばの早朝である。単に肌寒いだけだ。

 リビングの扉を開けると、そこにはテーブルに料理を並べるトキの姿。

 今日も腹立たしいまでに似合う彼のエプロン姿がエアニスの神経を逆撫でる。



「今朝は随分と不機嫌なお目覚めですね?」

 パンをちぎりながらトキは尋ねた。

「そう見えるか?」

 エアニスのその日初めての言葉。

 エアニスは平均に比べ、やや背が低い。長く伸ばした髪に白い肌と、女性のように華奢な容姿の割には、声は男らしく低めだった。

「ええ。ムカついている時か、考え事をしている時の顔ですね」

「・・・人の顔ジロジロ見てんじゃねぇよ」

 エアニスは感情を表に出すタイプではないが、どうにもトキの前では気を許しているせいか顔に出てしまう事が多い。それでなくても、彼は他人の感情など周りの変化に対して敏感な人間である。

 エアニスの数少ない信頼できる仲間・・・なのだが、どうにも見透かされているようで面白くはない。トキとの会話で、話題の矛先が自分であるとろくな方向に進まない。エアニスは強引に話題を変える。

「大学はいつまでなんだ?」

「今日は早いですよ。授業は昼前に終わりますが、研究室に寄って帰りますので昼少し過ぎ位でしょうか」

 トキは街で唯一の大学に通っている。

 彼は生まれた時から戦争と共に過ごし、学業に就いた事が無いのだと言う。にも関わらず数日間の独学でこの街の最高学府の試験をクリアした。現在もかなりの成績を修めており、大学ではちょっとした有名人であった。しかし、エアニスはそれを大して不思議な事だとは思っていなかった。

 トキの頭と身体は、特別製だという事を知っているから。


「エアニスは? 今日も家でごろごろするだけですか?」

「別に・・・やる事も無いしな・・・」

 スプーンをかじりながら相変わらずの調子で返事をする。

「もう1週間近く街に出てないじゃないですか。たまには運動しないと体なまりますよ」

 説教臭く言うトキに、ものすごく嫌そうな顔をするエアニス。

「・・・最近寒いし、今日は雨降ってるから嫌だ」

「・・・とても去年まで世界中を旅して回っていた人間とは思えない言葉ですね・・・」

「はっ、1年もすりゃ、人間じゅーぶん変わるって」

 天井を見上げ、おどけた調子で笑ってみせる。

 そこで話は一瞬途切れ、スープを飲みながらトキが言う。

「あまり変わった様には見えませんけどね」


 エアニスの過去を知るトキの何気ない一言。その意味は十分エアニスも分かっていたが、気づかないフリをしておくことにした。

「そうか? 自分ではけっこう社交的になったんじゃないかなーって思ってるけど。昔に比べれば人当たりも良くなったと思わないか?」

「街のチンピラに少しからかわれたくらいで、相手を動かなくなるまで殴るのが社交的ですか?」

 街のごろつきに女みたいな奴だと絡まれ、怒りに任せ相手5人を張り倒したのは10日ほど前の事だったか。

「斬られなかっただけ感謝して貰いたいな」

「まあ・・・どうとは言いませんけど・・・」

 真顔のエアニスに、トキは目を逸らして溜息を吐く。

 エアニスの性格矯正は遠の昔に諦めている。


 確かに、変わっていない、と言うには語弊があるのかもしれない。

 新たな一面を得た、と言うべきか。トキがエアニスと出会ったのは一年半程前の事だが、彼はその頃に比べると良く笑うようになった。自分からふざけた事を口にし、トキを笑わせる事もある。

 しかし、トキが感じる限り、エアニスの本質は変わっていない。

 自分だけの正義を持ち、己のルールから決して外れない。

 女と子供には心配になる程甘く、自分の中で定義する悪に対しては大物小物問わずに叩き潰す。

 しかし、一般的に悪とされる存在がエアニスにとって正義と映ってしまう事もあれば、自分の定義する正義の為に罪を犯す事を厭わない。

 それが、エアニス=ブルーゲイルの本質。


 トキは呆れた顔で自分の食器を片付け、薄い割りに妙に重そうな鞄を肩に玄関へ向かう。

「さて、と、僕はもう大学へ行きますから。食べ終わったら食器を水に浸けといてくださいよ」

「はいはい・・・」

 その気の無い返事に何を感じたか、トキは苦笑いを浮かべて窓を開けた。

「おや、雨、上がりそうですね」

「ほんとか?」

 そんな些細な事にエアニスは過剰に反応し、トキと共に玄関から顔を出して空を見上げる。目覚めた時には薄暗かった空は今では薄日が射し込み、二人の影を濡れた芝に落としていた。

「ふーん、じきに晴れそうだな・・・」

 朝からずっとむっつりしていたエアニスが嬉しそうな顔をする。雨上がりの晴天は空気が澄んでいて大好きなのだ。こんな日なら、気分転換に街へ出てみようという気にもなれる。

 にこにこしながらトキが言う。

「あまりはしゃいで怪我しないでくださいよ」

「子供か? 俺は?」

「今の表情は子供そのものでしたよ。

  ・・・その辺りは変わったと言えるのかもしれませんね」

 その言葉に、エアニスは今まで以上に不機嫌な顔でトキを睨みつける。

「おっと、いい加減出発しないと遅刻ですね。

 それでは・・・」

 言いたい事だけ言って街へ向かうトキ。まるで当て逃げである。


 トキが大学へ行った後、エアニスは食事を済ませて食器を洗い、歯を磨いてから再び窓の外を見る。もう雨は殆ど降っておらず、街の方角の空は青空を覗かせていた。

「・・・ふん」

 満足そうに頷き、窓に腰掛けて煙草を取り出し火を点ける。眼下に広がるミルフィストの街と、雲の隙間の青空を眺めながら、暫しまどろみの時間を楽しむ。

 この家は街から半時ほど歩いた山の中腹に建っている。1年前、この街に流れ着いたエアニスとトキが、放置され朽ち果てた炭焼き小屋を改装、増築したもので、立地条件的にも人間嫌いなエアニスにとって丁度よい場所だった。最初は街に出る為に少し位歩く事は大した労力では無いと思っていたのだが、元々面倒臭がり屋のエアニスは日が経つにつれ街に出向く頻度が少なくなっていった。だが、こういう日なら街に用が無くても、散歩がてらぶらぶらするのも気持ちがいいだろう。

 勢いよく紫煙を吐き出し、立ち上がるエアニス。

「さて、と。行くかっ」

 ベコベコの灰皿に煙草を押し付け、自室で身支度をする。


 外出する時、普段は着慣れた厚手のローブを羽織っていくのだが、あの服は雨に濡れやすかったので今日は裾の短い身軽な服を着た。しかし軽装でも腰に剣を下げていたり、シャツの下に細かな鎖を編み込んだ防刃服を着たりと、戦争中の習慣が未だに抜けないのは悪癖と呼ぶべきか。しかし、戦争が終わったとはいえ、これらを手放すのはまだ早過ぎるとエアニスは感じていた。

 支度を終え玄関を出た頃には雨は上がり、澄んだ空気を通し日が射していた。

 妙に嬉しくなり、エアニスは小走りで街に向かった。

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