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月の光を纏う者  作者: 猫崎 歩
第二部
19/79

第18話 心を埋めるもの

 プンッ

  空気を裂く音と同時に、チャイムの鼻先をエアニスの斬っ先が行き過ぎる。

「ッ!!」

  思わず両腕で顔を庇い、怯むチャイム。

「戦いの最中に眼を閉じるな。

  何があっても、全ての攻撃を見届けろ。眼を瞑る事は自分の命を諦める事だと思え」

「そんな、無茶な・・・っうわっ!」

  そう言いながらもチャイムはエアニスの切っ先を紙一重でかわす。

  エアニスとチャイムは、いつものように組み手をしていた。

  トキとレイチェルの姿は無い。二人は既に船室に戻っている。チャイムだけの居残り訓練である。

「前もって言ってあるだろ。

  俺は絶対お前に攻撃は当てないって」

  エアニスの握る剣は鞘から抜き放たれ、月明かりが薄い刃を照らしていた。今日は真剣を使って稽古をしているのだ。

「アタマでは分かってるけど・・・

  怖いのはしょうがないじゃない・・・びびるなっ!て方が無理よ」

  今までは鞘に収めたままの剣や、木の棒を使って稽古をしていた。しかし、それでは実戦の緊張感が持てないと言う事で、今日から真剣を使った稽古を織り交ぜている。

  予想通りチャイムの挙動には恐れの色が現れ、途端に動きが鈍くなった。

「まぁ、慣れるまでは大変かもしれんが・・・。

  よし、じゃあ次は絶対に眼を閉じるなよ」

「う、うん」

「次の攻撃は、今と同じ、お前の鼻先を狙うからな」

「う、うん」

「絶対に当てないからな」

「う。うん?」

  たんっ、と、エアニスが踏み込み、宣言通りチャイムの鼻先へ横薙ぎの斬撃を放つ。チャイムは必死でエアニスの剣先を眼で追い、エアニスの当てる意思が無い斬撃から1歩、遠ざかった。

  しかし、チャイムの鼻先を行き過ぎる筈の斬撃が、思った以上にチャイムに迫る。

「ッ!!?」

  チャイムは更に後退する為、必死に床を蹴った。

  ざひゅんっ

  後ろに跳んだだけでは足りず、背中をそらせて仰け反った鼻先を、エアニスの切っ先が行き、過ぎた。頬を撫ぜた髪が数本、斬られて風に舞う。

  どだんっ

  跳んだ足が空を蹴り、チャイムは背中から甲板に倒れる。

  今のは、避けていなかったら間違いなく死んでいた。


「ほら、やればできるじゃないか」

「なっ・・・・・・!!」

  事も無げに言ったエアニスに対し、もう何度目か分からない怒りがこみ上げる。

  エアニスは、わざとチャイムに当たる斬撃を放ったのだ。

「ふざけんじゃないわよっ、今のは、やり過っ・・・」

  立ち上がって憤激するチャイムが、再びしゃがみ込んでしまった。

「どうした?」

「こ・・・腰抜けちゃった・・・」

「・・・・・・」

  見ると、チャイムの手足と唇は小刻みに震えていた。本気で怖かったようだ。流石にエアニスもやり過ぎたか、と罪悪感を覚える。

「すまん、でも当てる気は無かった。今のだって、いつでも剣を止めれたんだからな。

  ・・・えー・・・休憩にするか」

「あぁ、うん。そーして・・・」

  一気に緊張の糸が切れ、エアニスへの怒りも霧散してしまったチャイムは、そのまま仰向けに寝そべってしまう。エアニスもその場に座り込み、ポケットの煙草を探す。



「・・・ねぇ」

  時が止まったかのような沈黙を、チャイムの声が動かした。

「ん?」

「もう一度聞いていい?

  ヴェネツィアの倉庫街で、あたしが聞いた事・・・」

  エアニスは一瞬何の話か分からなかったが、チャイムに銃を持つ腕を押さえ付けられたあの時の事を思い出し、理解した。


  どうしてそんなに簡単に人を殺せるのに

  あなたは普段"殺さない"っていう選択肢を選ぶの?


  答える義務はねーよ。

  いつもの調子で言葉が口を突きかけたが、エアニスは倉庫街での事件の後、チャイムの身の上話を聞かされた事を思い出した。あくまで彼女が自ら話した事で、エアニスが無理に聞きだした訳ではないのだが、ここで彼女の疑問を跳ね除けるのは彼女に対して不平等ではないかとも思った。

  だから、エアニスもチャイムのように少しだけ昔の自分の事を話しておこうと思った。


「・・・もう誰も傷付けないで」

「え?」

「ある人に、そう言われた事があるんだ」

  思いのほか素直に答えたエアニスに、チャイムは伺うような視線を向ける。

「戦争中、俺はそいつに逢うまで、本当に人間の命なんて塵みたいに考えてたんだ。

  何の価値もない、ただお互いに殺し合って、何も生み出さず、勝手に死んでいく。俺には人間が何の為に生きてるのか理解出来なかった」

  まるで人間を見下すかのようなエアニスの物言いに、チャイムは違和感を覚える。

  エアニスは話を続けた。

「とある仕事で、俺にとっては塵のような命を、必死で助けようとしてる人間と出会った。

  成り行き上、暫くあいつと一緒にいる事になったんだが、どうにも・・・なんだ、その人間が、気に入っちまってな。

  初めて剣を、自分の為じゃなく人の為に振るおうって・・・思えたんだ。

  でも、結局あいつに怒られたよ。

  "誰も傷つけないで" ってな」

  エアニスは懐かしそうな顔で、でも何処か虚しさを感じる笑みを浮かべながら言う。



「あいつは人を絶対に傷つけることは無かった。

  人の世で生きている限り、少なからず誰かと衝突したり心を傷付け合う人はあるだろ? でもあいつは、人一倍沢山の人間と関わっているのに、それが無かった。聖人みてーな奴だよ。

  あいつは、俺にもそうなって欲しいんだって言ってたよ」

  無茶言うなってのな。と、エアニスは笑った。

「誰も傷付けないなんて、誰がどう言おうと奇麗事だ。出来る訳が無い。あいつと出会った2年半前は戦争真っ只中で、そんな世の中でもなかった。

  でも、アイツはそんな綺麗事を最後まで貫き通しやがった。俺に、見せ付けてくれた。

  だから俺も、アイツに応えなければいけないと思った」


  こうして滔々と自分の想いが言葉になって出てくる事に、エアニスは内心驚いていた。これは、いつまで経っても自分の中にわだかまり続ける、整理する事も割り切ることの出来ない想いだった筈だ。それを言葉にして話す事が出来るという事は、彼自身気付かないうちにあの出来事を整理し、割り切ってしまったのだろうか。

  考えてみれば、もう2年半も前の話だ。時の流れが解決してしまったのだろうか。エアニスの中で、風化してしまったのだろうか。

  そんな思いに囚われ、そんな筈があるかと、エアニスはかぶりを振った。


  気を取り直し、話を続ける。

「・・・それ以来、俺は出来る限り人の命を奪わないようにしている・・・つもりだ」

  エアニスは自分の手を見下ろす。その思いの他白い手は、見えない真っ赤な血で染まっている。

「と言っても、その約束が守れているとはとても言えないがな」

  自嘲気味に笑って、手を振って見せた。

  その約束の後も、エアニスは数え切れない程の人間を斬って捨てているのだ。

「その人って・・・エアニスの大事な人?」

  随分と俗な事を聞いて来たなとエアニスはチャイムを見遣ったが、彼女の表情は真剣そのものだった。エアニスを案じている色すらある。

「どうだろうな」

  とはいえ、答えにくい質問だった。自分でも、良く分かっていないのだから。

  だから、エアニスは煙に巻くような返事を返す。

「お前も知ってると思うぞ。

  お前の国が、あいつの力を世の中に引っ張り出してきたんだからな」

  エアニスはここで言葉を切ると、彼女の名前を久々に口にした。

「レナ=アシュフォード。 エベネゼルではシスター・レナって呼ばれていた」


  チャイムは絶句する。エベネゼルの宮廷でその名を知らない者は少ない。

「シスター・レナって、あの・・・!?」

  エベネゼルの郊外で、どこの権力にも属さず、怪我人や病人を救いつづけた、凄腕の魔法医の名だった。貧しい人々にも分け隔てなくその力を与え、多くの人々が救いを求めて彼女の元へ訪れていたという。

「やっぱり知ってるか。お前がエベネゼルの魔法医だったなら、当然か」

  しかしチャイムは、驚き以上に当惑して、自分の知っている事を話す。

「でも、シスター・レナは宮廷に呼ばれ、自分の住む村からエベネゼルに向かう途中に・・・」

  チャイムは一度言葉を切り、

「・・・行方不明になってるわ」

  レナという名の少女が有名になり、その有名人が宮廷へやってくると言われていた矢先、少女は忽然と姿を消してしまったのだ。

  タイミング的な事も手伝って、当時エベネゼル国内でを騒がせた事件だった。彼女の名を知る者であれば、彼女が失踪したという事も当然のように知っている。

  チャイムの認識を確かめると、エアニスが短く答える。

「レナは、その後すぐに死んでるよ」

  何て事も無いように、事の結末を明かした。


  行方不明の状態がずっと続いているのだ。その結末は誰しも予想していただろうが、何故エアニスがそのような事を知っているのか。

  チャイムは小さく息を呑む。

「・・・どうして・・・?」

「知りたいか?」

  エアニスは、どこか陰湿な笑みを浮かべる。

「エベネゼルが、ベクタにレナを売ったんだよ」

  なるべく普段の口振りでそう言った。が、その言葉の奥には、壮絶な憎悪と憎しみを抱いていた。隠したつもりだったが、チャイムに感じ取られてしまったかもしれない。

  ベクタとは、20年以上前に突如周辺諸国へ一斉侵略を始め、その後近年まで続いた世界大戦の火種となった国である。エベネゼルにとっても数少ない敵対関係にある国だ。チャイムは自分が信じて身を置く国が、そのような行為をしたとは思いたくなかった。

「どういう・・・事よ?」

「---・・・」

  チャイムの疑問に、エアニスは答えられない。何かが詰まったかのように、喉から言葉が出てこなかったのだ。

  思考が、止まる。これ以上の出来事を思い出し言葉にする事を、エアニスの頭が拒んでいるのだ。

  エアニスは疲れたように息を吐く。

「まあ、こんな恨み節をお前に言った所で、仕方ないんだけどな。

  気を悪くしたなら、謝る」

  フン、と鼻を鳴らし、エアニスは立ち上がる。

「なんか・・・冷めちまったな。今日の稽古はこれで終わりにするか」

  剣を担いで船室に戻ろうとするエアニスの服を、チャイムが掴んだ。彼女は真剣な目で、エアニスを見上げていた。


「あたしは自分の道を、自分の国を信じてるわ。エベネゼルが掲げる理想や信念があるからこそ、私は魔法医や騎士として、生きていこうと誓った。それは、誰にも間違っているとは言わせないわ」

  突然、そんな事を言われた。チャイムは真摯そのものといった表情でエアニスの瞳を見つめる。

「別にお前が間違っているとは言ってない・・・」

「でも、本当にエベネゼルのせいで、エアニスの大切な人が命を落としたと言うのなら、エアニスがエベネゼルを許せないという気持ちは分かるわ。

  それなら、あなたはどうすればエベネゼルを許す事が出来るの?

  私はあんたに、何をすればいいの?」

  エアニスは戸惑う。くそ、余計な事を話すんじゃなかった、と、心の中で毒づきながら、チャイムに返す言葉を捜した。

  許すも何も、だから、それは全て終わった事なのだ。復讐も、そして後悔も終わっている。今更何かをして誰かが救われる事など無い。

  それならばと、エアニスは一つの要望を挙げる。救いようのない過去にではなく、これから如何様にもなる未来への要望だ。

「・・・それじゃあ、お前は死ぬな。

  この旅の最後をお前が見届けるまで、死ななければいい。

  俺の目の前でくたばらなければ、それでいい」



「・・・そう」

  暫しの沈黙の後、静かに答えるチャイム。

  次の瞬間

  ガイィン!!

  チャイムの "ボーンクラッシャー" は、エアニスが咄嗟に構えた剣を打っていた。

「ってぇ! なにしやがる!?」

「稽古の続きッ!!」

  エアニスの怒声を上回る声量でチャイムが言い返した。エアニスは呆気にとられる。

「あんたが言い出した事でしょーがっ!! 最後まで稽古付き合いなさいよっ!!」

  言いながらも切っ先をエアニスへ叩きつける。

  ひゅんっ

  エアニスは鞘から抜き放った剣を、チャイムの胴へ向けて、そして振り抜いた。

  チャイムは体をねじり身をかわし、エアニスの剣は空しく空を斬った。チャイムの動きがまた一段と鋭さを増したような気がした。

「・・・なんだ、今頃になって火が点いたか?」

「少しでも強くなっておかないと、今の約束守れなくなっちゃうかもしんないからね!」

  不敵な笑みを浮かべるチャイムに、エアニスも同じ表情で返す。

「そうだな・・

  ・・・頼むぜ!!」

  その返事を合図に、2人は再び稽古を再開した。

(ったく・・・弱いくせに、頼もしい女だな・・・)

  剣を振るいながら、エアニスは苦笑するのであった。



  轟々と鳴り響く、船のエンジン音。

  客室にまでその音と振動は伝わっており、初めは眠る時に気になってしまったが、慣れてしまえば、ある種の子守唄や揺り篭のように感じてしまうのが不思議だった。

  2段ベッドの1段目で、チャイムは寝付けずに寝返りをうった。

  稽古の時のエアニスの話が気になっているのだ。

  特に、エアニスがシスター・レナの事を話す時の表情が、チャイムを落ち着かない気持ちにさせた。

  寂しさと、悲しさと、懐かしさを混ぜ合わせたような。

  エアニスが、とても弱そうに見えた。

( やだな・・・何でこんなに引っかかるんだろ・・・)

  チャイムは再び寝返りをうった。


  ズ ドオ ォ ォ ン !!!

  突然、船を大きな衝撃が襲った。

  チャイムとレイチェルはベットから飛び起き、一瞬にして最悪の展開を予感した。言葉も無く二人は上着を羽織り、チャイムは剣を、レイチェルはハンマーロッドを握り、船室を飛び出す。通路には既にいつものローブを纏ったエアニスと、赤黒いコートを羽織ったトキの姿があった。他の乗客も、何事かと船室から顔を覗かせている。

「いくぞ。上だ」

  顎で階段を指し、駆け出すエアニス。3人も無言でその後に続いた。


「何よ・・・これ!?」

  甲板に上がったチャイムが見たものは、船体に巨大な鎖が突き刺さっている異様な光景だった。

  相手の船の動きを止めるためのアンカー・フックだ。その鎖の先を見ると、暗闇の海に、小さな明かりが点々と灯っている。

「レイチェル、明かりの魔導で海を照らしてくれるか?」

「は、はい・・!」

  レイチェルは呪文の詠唱も無しに、ハンマーロッドの先に明かりの球を作り出し、ロッドを振るい空に打ち上げた。

  ばしゅん・・・

  明かりの球は弾け、照明弾のような強烈な光で周囲の海を照らした。

  巨大な鎖の先は、鋼鉄で覆われた1隻の中型戦艦に繋がっていた。それと同じ型の船が、今見えるだけで2隻。まだ船の反対側にいるかもしれない。

  海賊にしては金のかかっている船だ。国の海軍なら、このような乱暴な真似はしない。ならば、あれは何か。

  考えるまでも無い。"石"を狙う、ルゴワールの船だ。

「これはこれは・・・僕達の為に艦隊まで用意してくれるとは、頭が下がりますね」

「ふん・・・」

  トキにとってもエアニスにとっても、予想外ではあった。たった4人の人間のために軍艦を何隻も引っ張り出してくるなど馬鹿けている。

  確かに、海の上での襲撃はどれだけ派手な事をしても、その騒ぎを船の中だけに留める事が出来る。街中での襲撃は、一度ヘタを打つとその騒ぎの広まりに上限は無い。事実、彼等はミルフィストでの襲撃でエアニスとトキの力を見誤り、街中での発砲や爆破、トラックの暴走に、果ては建築物の倒壊まで引き起こしている。それによりどれだけルゴワールの立場が危うくなったかは知らないが、それに懲りての判断かもしれない。

  船が一隻行方不明になったという事実は残るが、これならば彼らも全力でエアニスと戦う事が出来る。

  そう。敵はこの船もろともエアニス達を始末するつもりなのだ。


  チャイムとレイチェルは、突然の襲撃に動揺していた。久しく感じなかった恐怖。心臓は破裂しそうな程激しく鼓動し、口の中はいつの間にかカラカラになっていた。

「大丈夫か?」

  エアニスの問いかけに、我に返るチャイムとレイチェル。

「まぁ・・・心配するな。どうにかしてみせるさ」

  ぱちん、と、ライターの蓋を閉じ、煙草の煙を吐いて笑った。

  普段のエアニスなら、"どうにでもなるさ"と、投げやりな言葉が出ていたかもしれない。それよりも僅かに意思を感じさせる今の言葉は、かえって彼にとっては弱気な言葉だったのかもしれない。しかし、いつもの余裕の表情は健在だ。

「・・・うん」

  チャイムとレイチェルは、エアニスとトキの言葉に力を貰って、強く頷いた。


「やれやれ・・・戦争中を思い出すねぇ」

「ですね。久し振りに、いい運動ができそうです」

  エアニスは鞘から剣を抜き放ち、トキも銃とナイフをコートから抜いた。

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