第17話 いつものできごと
雲一つ無い澄み切った青空。
そよぐ風も温かく、季節を逆行したようだ。
ヴェネツィアからアスラムへ向け出港して5日、肌寒かった秋の風に変化が出てきた。海水浴が出来るとまでは言わないが、薄着でも快適に過ごせる陽気だ。
「まるでバカンスに来てるみたいねー」
チャイムは日陰のベンチに寝そべり、流れる景色(と言っても海しか無いのだが)を見つめながら呟く。バカンス気分の筈なのに、その声には元気が無い。
「これでエアニスの稽古が無ければ・・・言う事・・・無い・・・のに・・・」
チャイムは湿布だらけの体をレイチェルに揉んでもらいながら海を眺めていた。
別に怪我や打ち身をしている訳ではない。ただの筋肉痛である。
「お風呂入った時に、動かした所を揉んだり伸ばしたりしないと駄目よ?」
「うー・・・こんなにヒドイ筋肉痛は初めてよ・・・年かな?」
「年って・・・」
ヴェネツィアを出港してから、エアニスの剣術稽古は毎日続いている。内容は、単純。ひたすらエアニスと組み手である。それも、日が沈んでから4時間余り。
戦いの基礎が出来ているレイチェルはエアニスと実戦を繰り返し、チャイムはエアニスに剣術の基礎から叩き込まれていた。筋肉トレーニングといったものはしていないのに、これだけの筋肉痛である。原因はエアニスを相手取るが故の運動量と、チャイムの身のこなしにまだまだ余計な力が入っている事である。
「・・・なんでレイチェルはそんな涼しい顔してられるの・・・?」
チャイムはやや恨めしそうに、頭上にあるレイチェルの顔を見上げた。
「私は・・・少し組み手してから、エアニスさんやトキさんからアドバイス受けて終わりだけど・・・。チャイムは私よりずっと長い時間組み手してるじゃない。仕方ないわよ」
「あうぅ~」
確かにエアニスが稽古に割り当てる時間は、レイチェルよりもチャイムに多く取っている。レイチェルの腕は、初日の手合わせでエアニスにとっては合格点だったが、チャイムは全く駄目であった。
チャイムの腕前を理解したエアニスは、このままではヤバイと直感し、急遽チャイム特別強化合宿に切り替えたのだ。
「あたしそんなに弱いかな・・・」
内心、大きく傷ついているチャイムはぽそりと呟く。宮廷魔導師を辞め、騎士団に入ってからの訓練は人並みにこなしてきたつもりだった。街にすっ転がるゴロツキなら2、3人まとめて相手どる自信もある。
しかし、エアニスやトキは常識から外れた強さを持っている。実力を発揮しきれてないとはいえ、レイチェルも幼い頃から"石"を探す旅に備え修練を重ね、常人とは駆け離れた戦闘技術を持っていた。チャイムは4人の中で一番戦力にならない事を自覚する。
( あたしが役に立てるのは、やっぱり魔導で人の怪我を治す事しかないのかな・・・ )
見切りをつけた全盛の頃を思い出し、今の自分の道を少しだけ疑う。
やはり自分が求められる場所は、ここにはないのだろうか、と。
「あっ」
チャイムは1フロア下の甲板に、エアニスとトキの姿を見つけた。2人で甲板の柵にもたれかかり、何か話している。頭上のチャイム達には気付いていないようだ。
「ちゃーんす・・・!」
チャイムは目を怪しく輝かせ、手近に立て掛けてあったデッキブラシを手に取った。
チャイムはエアニスとの稽古の合格条件とし、1発でもエアニスに攻撃を当てれば合格という、超甘い課題を課せられていた。それは夜の稽古の場だけではなく、昼間の平常時での不意撃ちでも良いとされていた。が、未だチャイムはエアニスにパンチ1発も入れられていない。
この稽古を始める前までは、頻繁にエアニスを殴ったりしていた気もするが、その課題を課せられてからはエアニスに触れる事すらも出来なくなってしまった。
談笑している最中にいきなり殴りかかってみた事もある。暗い通路で背後から襲いかかったこともあるし、昨晩は寝込みを襲ってみたが、布団にはどこから調達したのかダミー人形が寝かされていた。流石に風呂やトイレでの不意打ちには抵抗があったが、最後の手段として候補には入っている。
そして今。チャイムはエアニスの頭上にいる。頭上は人間の最大の死角でもあり、これまでの不意打ちパターンにも無いケースである。その機を逃すテは無い。
「見てなさいよ~っ、今日こそはっっっ!!」
瞳の奥に炎を燃やすチャイムに、レイチェルは小さくため息をついた。
◆
「どうですか?
チャイムさんの上達ぶりは」
トキの問い掛けに、エアニスは煙草の煙を吐きながら答える。
「悪く無い・・・と思う。
あいつ、自覚してないみたいだけど、この短期間で身のこなしや反応速度はかなり上がってきてる。
俺が戦いのレベル釣り上げて行っても、すぐに付いてきやがるんだ」
「へぇ。エアニス、いつもチャイムさんへの扱いがヒドイから、そんな風に思ってるとは思いませんでしたね。
上達してるんだったら、ちょっとくらい褒めてあげればいいじゃないですか」
「いいや、アイツの性格見れば分かるだろ。
褒めれば舞がって、調子に乗り、怠慢に繋がる。アイツにはこういう扱いした方がいいの」
「あー・・・
あはは。そうかもしれませんねぇ」
「アレでも、エベネゼルの聖騎士団員らしいからな。
あいつ、アタマでは戦い方分かってるんだよ。ただ、それが体で覚わっていないだけ。
アタマの中の戦い方を実践する為のアドバイスをしてやればいい。それだけならまだ簡単だ」
「エアニスの教え方もいいと思いますよ。
教えると言うより、戦いのレベルを合わせるのが上手いとでも言いましょうか」
「そうかな。あいつの戦いに関する知識がしっかりしてたから俺も教えやすいんだ。
元々、アタマを使う仕事をしていたみたいだしな。戦いもイメージだけが先行しちまってるみたいだ」
「え。チャイムさん、騎士団に入る前は何かされてたんですか?」
つい口を滑らせ、エアニスは黙り込む。
そういえばチャイムは、魔導が使える事を隠している節があった。
「・・・直接本人に聞いてみろ。
それより、レイチェルはどうだ」
話を誤魔化すため、同じ質問をトキに投げかける。最近のレイチェルの組み手は、トキが相手をしていた。
「驚きましたよ。あの年でウイザード級の魔導を扱えて、なおかつあれ程の体術でしょう。
エルカカの民っていうのはどういう集団ですか?」
「・・・奴らのご先祖の殆どが、石を探して世界中を旅して回ってた戦士と魔導士だ。
加えてあいつは伝説に名前が残る魔導士の子孫だからな」
「まぁ、僕に言わせれば、勿体無い話ですがね」
「どういう意味だ?」
「あれだけの魔導が使えるなら、相手が銃を持ち出そうが戦車で攻めて来ようが、手段を選ばなければいくらでも対抗できる、とんでもなく大きな戦力です。
ですが、彼女は人を殺すのを・・・いえ、傷付けるのを嫌がる。
そのお陰で、せっかくの力を振るおうとしない。
全く、勿体無い話です」
「・・・そういう言い方するなよ」
「別に悪いと言ってる訳じゃないですよ。ただ、勿体無い、と」
「嫌な奴・・・」
トキは人の心や思いを考慮に入れず、現実的な物差しで事を計ろうとする。
エアニスはなかなか直らないトキの悪癖に、嫌悪の声を漏らした。
甲板を囲う柵に肘をかけトキから視線を逸らすと、突然、背後に気配が生まれた。
いや。これは背後でも、頭上に生まれた気配。
即座に気付いたエアニスは空を仰ぐ。そこには予想通り、1フロア上の甲板から身を躍らせ宙を舞うチャイムの姿。ロングスカートをはためかせながら、デッキブラシをめいいっぱい振り上げていた。
エアニスに気付かれて表情を強張らせるチャイム。しかし、途中で止める事は出来ない。彼女は覚悟を決めたようにデッキブラシをエアニスに向けて振り下ろす。
「・・・!」
不覚にもエアニスの反応は遅れ、チャイムの攻撃を避ける事が出来なかった。身をかわす事を諦め、両腕で振り下ろされたモップを挟み込んだ。そのままモップを掴み、まだ着地したばかりで不安定な姿勢のチャイムをモップごと振り飛ばす。
「うわへっ!!」
突然ゴロンと甲板に投げ出されたチャイムに、何も知らない乗客は驚いた顔をする。しかしその視線もお構い無しに、床を転がって服を汚した少女が飛び起きる。
「くっそ~っもうちょっとだったのにっ!!」
地団太を踏んで悔しがるチャイム。周囲の視線が痛い。
エアニスはチャイムから取り上げたデッキブラシをクルクルと回しながら、
「お前の不意打ち、どんどん卑怯で、思い切りが良くなってくな・・・。褒めていい事なのか微妙だけど」
エアニスの微妙な賞賛はよそに、チャイムは腰に手を当て、首を捻った。
「そんな事よりあんた今、あたしに気付いた時一瞬動きが止まったでしょ?
あれは何? あたしの不意打ちに驚いただけ?」
チャイムの疑問に、エアニスは舌を巻いた。
チャイムはあの一瞬でエアニスの表情を読み取ったのだ。戦いの中でも相手を見るといった事にも慣れてきているようだった。
それはさておき、チャイムに疑問を問われたエアニスは珍しく顔を赤らめながら答える。
「いや・・・流石にパンツ見せながら飛び掛って来られたら、戸惑う所もあるだろ」
「パ・・・」
バッ!と、反射的に自分の腰に手を当てた。
あぁ・・・あたし今日はレギンス穿いてないや・・・。
みるみる顔から血の気が引いていったかと思うと、今度はすぐに顔を真っ赤に染めるチャイム。意味不明な叫び声を上げながらエアニスに掴みかかるも、俊敏な動きで身をかわすエアニスに張り手の一発も当てる事は出来なかった。暴れて疲れ果て、冷静さを取り戻した頃、チャイムは床にへたり込んだまま、さめざめと泣いた。
その可愛そうな姿を見たトキとレイチェルにエアニスは白い視線を向けられ、理不尽さを感じつつも彼はチャイムに頭を下げたのだった。
そんな、いつもの出来事。
4人はまだ出会って間もないが、そんな他愛無いやり取りが彼等の日常になりつつあった。
トキが心配していた船上での襲撃も無く、不穏な気配を感じる事も無い。4人は危機感を忘れて船旅を満喫していた。チャイムやレイチェルにとっては、稽古こそあるものの刺客に追われる事の無い久々の長休暇といった所だろうか。
船が目指すアスラムの港まで、あと2日。
その日の夜まで、平和な船旅が続いていた。