第00話 雨の夢
雨が強くなっていた。
闇も濃くなり視界は殆ど無い。
頭が鈍く痛む。
震える手足は随分と重い。
眠りもせずに丸一日剣を振るっていたのだから当然だろうか。
ここは不気味なほど静かだ。
聞こえて来るのは、雨が土と鉄板を叩く音だけ。
敵も味方の姿も、見当たらない。
もう、誰も居ないのかもしれない。
終わってしまった戦場。
そんな言葉が頭を過ぎった。
タイヤと爆発によって掘り返された大地。
ひしゃげて焦げた軍用車。
時代遅れの魔導師達が残した、地面に刻まれた薄気味悪い魔導式。
瓦礫から覗く人の手足。
ゴムと肉の焼ける匂い。
血と泥が混ざりあった地面は踏み締めるたび、
誰かに足首を掴まれているかのように、しつこく絡み付く。
酷い有様だが、それは今の時代何処にでもある風景。
だから、何も感じない。
いつの頃からか、それが日常の風景の一部となってしまった。
以前はもう少し何かを感じたような気もしたけれど、忘れた。
とぼとぼと黒い丘を歩く。
自分達を戦場まで運んでくれたトラックは真っ先に壊され、
辺りに使えそうな車は残っていない。
遠く離れた街へ帰るため
疲れきった体に鞭打ち仕方なく歩いているのだけれど、
戦場の外れに来た今でも時折敵兵に襲われる。
敵だけじゃない。味方の兵士にも背後から斬りかかられる始末だ。
皆、生きて家に帰るのに必死なのだ。敵と味方の判別をする余裕も無いのだろう。
そんな自分はというと、今は襲い来る兵士の事より
早く街に戻って柔らかいベッドで眠る事だけを考えていた。
自分の仕事は、もう終わっているのだから。
両軍を共倒れさせるという目的は、もう十分達成されたと言っていいだろう。
そこで、ようやく自分がやっている事を思い出した。
この戦争から、勝者も敗者も生み出さない事。
誰にも平等に、実りの無い不毛で虚しい結末ばかりを届ける事。
こんな事をしていても無駄だと、世界中の偉い人達に思い知って貰う為に。
そもそも自分は、味方の兵士に襲われたと文句を言えるような立場ではないのだ。
昨日から今日まで、どれだけ味方の背中を斬り付けたのか、忘れた訳ではないのに。
・・・いいや、忘れていたのか。
忘れて、"味方の兵士"なんて言葉を使ってしまったのだから。
遠くで銃声が響いた。
あぁ、まだこの戦場は終わってないのか。
その音に気が逸れた瞬間、
じゃりっ
土を踏む音と共に、瓦礫の中か血と泥にまみれた男が剣を振り上げ飛び出してきた。
男は立ち上がりざま、すくい上げるように刃を振るう。
でも、遅い。
自分は左手にぶら下げていた抜き身の剣で男の剣を弾く。
そして飛び散った火花が消える間もなく、
その反動を利用して、そのまま切っ先を男の首筋に食い込ませた。
傾く首から鮮血が噴き出す。
もうこれ以上返り血を浴びるのは御免だ。慌てて血を吹く男から遠ざかる。
安堵する間もなく、すぐ真横から殺気が吹きつけ後ずさる足を止めた。
鼓膜と頭の芯を揺さぶる銃声と共に、足元の岩が弾け飛んだ。
相手の姿は闇に飲まれて見えない。が、銃の閃光は見えた。
自分も腰に挿した拾い物の銃を抜いて、暗がりに向けて銃弾を撃ち込む。
男の短いうめき声と、人が倒れる音がした。が、まだ死んでいない。
ぞくり、と。
死が自分の身体を潜り抜ける未来を見た。
このままでは死ぬ。そんな時に感じる、第六感のようなものだ。
この不思議な力、あるいは勘のお陰で自分は余程の事が無い限り命に関わる傷を負う事は無い。
それでも、動かなければ死ぬ。
僅かな焦りを覚えつつ、体を反らし後ろに倒れ込みながら残りの銃弾を全てばら撒いた。
暗闇の中で相手の頭が爆ぜたのと、相手の銃弾が自分の鼻先を撫ぜて行ったのは同時だった。
それを見届けた自分は、そのままバランスを崩して倒れこみ・・・・・・
べしゃあぁっ、と、先に斬った男の血溜まりへ背中から突っ込んだ。
ゆっくりと服に生暖かい泥水が染み込む感触を味わいながら、濁った雨空を見上げる。
「 最悪・・・」
乾き切った喉を震わせ、呟いた。
横になった途端、今度は眠気に襲われる。
背中に伝わる生暖かい温もりさえ、冷え切った身体には心地よく感じられた。
このまま眠ってしまいたい気分だか、そういう訳にもいかない。
剣で身体を支えながら、嫌々と起き上がる。
腰まで届く銀糸の髪が血で固まり、首筋に張り付く。
髪に絡んだ血と雨水を絞ると、髪が指に絡みついた。
苛立ちながら無理矢理引っ張ると、
まだらな赤茶色に染まった髪はブチブチと千切れた。
溜息が漏れる。
もう嫌だ。
早く帰りたい。
そこでふと、自分はおかしな事を考えているなと思った。
今の自分は、敵に襲われる事より、服や髪が汚れる事の方がおおごとらしい。
そう考えると、訳の分からない笑いがこみ上げてきた。
くだらない事で価値観がズレている自分を滑稽に感じたのだ。
こんな感性を持つようになっては、人として終わりだ。
これまで化け物だの鬼だのと手酷く罵られてきたが、
これでは否定も出来ない。
自分は力を持っている。
誰にも負けないとは言わないが、
誰にも殺されないだけの力を持っている。
それは、この戦争を生き抜くには何よりも素晴らしい力。
しかし守れる物は自分の命のみ。
それ以外の物は、ボロボロと手のひらから零れ落ちてしまった。
この力で得た物など何も無く、失う物ばかり
目の前の者さえ守る事が出来ない
役立たずな力。
絶望的な虚しさ
力など要らない。
自分が持つモノ全てがどうでもよい。
欲しいものは、ただ一つ。
あの日俺が なくしたもの。
しかしそれは、どれほど渇望した所でこの手に戻る事は無い。
この手の中にありながらも失ってしまったそれは
二度と戻る事は無いのだ。
ああ。
もし神様が居るのなら
せめて、あいつの心だけでも救ってやれないだろうか?
そして、もし許されるなら、
俺の手で
この腐った世界を------
戦場の雨音は やけに耳に障った。