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藁人形二律背反

作者: nino


 つたない文章ですが、何卒よろしくお願いいたします。



  藁人形二律背反


       1 (John Doe)


「飯はまだか」

 リビングから波奈南(なみな・みなみの声が聞こえる。僕がベッドから身を起こして声のした方を見遣ると、すでに波奈は勝手知ったるなんとやら、で冷蔵庫を漁り始めていた。

 波奈が僕の下宿であるアパートにて居候を始めてはや半月。すっかり部屋に馴染んでしまった波奈に遠慮のようなものはなく、僕の頭痛ばかりが酷くなる。

 好き勝手に食い散らかされるのもシャクなので、冷蔵庫の中身を思い出しつつ僕は波奈に声を掛ける。

「たしか卵の消費期限が今日までだから焼いて食べて」

「えー、俺あんまし卵って好きじゃねーんだけど……ってかチョコアイスあるじゃん。食べていい?」

「駄目。我侭言うと追い出すから」

 波奈は「悪い悪い」と明らかに罪悪感は抱いてないであろう様子で謝りつつ、冷蔵庫から卵を取り出した。一つ、二つ、三つ……っていくつ食べる気だよ。

「ツカサも食べるか?」

 どうやら僕の分も作ってくれるつもりだったらしい。一応最低限の礼儀を備えているのが波奈のいいところであるが、そのせいで僕はこいつをあまり強くは叱れない。困ったものだ。

「食べる。誰かさんのせいで早起きしちゃったし」

 せめてもの反抗として、軽く皮肉を絡ませた返事をする。


 時計を確認すると七時前を指していた。平均的な僕の起床時間を考えると早すぎる部類だ。そもそも、このアパートから学校までは徒歩で五分も掛からないのだから本当なら八時に起きても十分間に合う。そんな僕を勝手な都合で叩き起こしてくれた波奈は許せない。万死に値する。

「目玉焼き? スクランブルエッグ?」

 台所から波奈が聞いてくる。僕はどっちでもいいと答え、半ば習慣化されている動作でテレビの電源をいれた。

『――S市で発生した女子高生殺人事件の重要参考人となっている少年Aは未だ行方不明で、警察は目撃情報の提供を呼びかけ――』

 朝の情報番組ではキャスターが真面目くさった顔をして殺人事件についての記事を読み上げていた。

 S市。

 それは僕が住んでいるこの街の名前であり、つまり今、話題となっている殺人事件は普段報道されるそれらと比べ、この街に住んでいる人間にとって少しだけ身近なリアリティーを伴って受け止められている。事実、街は普段より少しだけ静かで、緊張感を孕んでいるような、そんな気がする。

 けれどまあ、ニュース自体にはたいして興味ない。

 今更過ぎる情報ばかりで、つまらない。

 この事件に関する情報は誰よりも多く持っている人間の一人、それが僕だ。


 例えば被害者の女子高生。

 名前は時田翔子(ときた・しょうこ)。私立灰楼院(はいろういん)高校一年生であり、僕も知らない仲ではなかった。中学時代のクラスメイト。赤いフレームの眼鏡と校則違反の茶髪ばかりが印象的で、顔自体はあまり記憶に残っていなかったが、先日のニュースで見た被害者の顔写真は紛れもなく彼女であり、疑いの余地はなかった。


 例えば殺人方法。

 失血死。

 全身を大振りのサバイバルナイフと林業用の大鉈でずたずたに引き裂かれた彼女の死体は一目では人間かどうかすら判別できなかったらしい。

 ぐちゃぐちゃ。


 例えば重要参考人。

 被害者、時田翔子の元・彼氏であり、事件当日のアリバイがない人物。事件発覚以降自宅から失踪し、目下行方不明となっている、怪しさ満点の少年。

 “少年A”こと、彼の居場所を僕は知っている。


 と、いうか……。

「熱ッ! 火傷したあああああああああ!」

 今、僕の下宿で卵をスクランブルエッグに加工しようと悪戦苦闘中の不器用な男、波奈南こそがその“少年A”であった。

「はぁ……」

 どういう経緯があって、殺人犯(推定)を自宅に居候させるはこびになったのか。

 思い出そうとしたが、もとよりそんな経緯はないのだった。


       2 (Recollection)


「悪ィ、泊めてくれ」

 その夜、波奈は全くの自然体で当然のように僕の下宿を訪れ、当たり前のようにそう言い放った。

 ちょっと遊び人の雰囲気はあるが、美形の部類に入る整った顔立ちをした男、それが中学のクラスメイト波奈南であることに思い当たるまで、僕は多少の時間を要した。

 そもそも僕と波奈は中学時代、クラスメイトでこそあったものの、親しい間柄では決してなく、マトモに言葉を交わしたことさえ数回しかなかったと記憶している。

 だから急に再開しても誰だったかパッと思い出せないのは決して僕が悪いわけではない。唐突に何の前触れも無く僕の部屋を訪れた波奈が悪いのだ。

 一瞬追い返そうかとも思ったが、波奈が普通に僕の部屋に上がりこんできたため、何も言うことはできなかった。遠慮とかデリカシーが全く感じられない。酷い男だ。


「や、こんな時間にゴメンな、ツカサ」

 僕がとりあえず出してやった麦茶を一気飲みしてから、波奈はそう言った。

 久しぶりに出会ったクラスメイトにしてはやけに馴れ馴れしい口調だが、確かこいつは誰に対してもこんな口調だったような気がする。そしてそれが当然のように許される。人懐こく、誰からも愛される才能を持っていた。

「別にいいんだけど……どうして急に? 何かあったのか?」

 とはいえ、まだこの時点で僕は波奈の訪問と事件をつなげて考えていなかった。偶然に違いない、と。精々、終電でも逃した波奈がこの辺りで下宿をしている人間として僕を思い出しただけかもしれない、くらいに思っていた。僕の家の住所くらい中学時代の友達に聞いて調べれば簡単に分かるわけだし。知ったところで実際に来るかは別にして。

 だが、次に波奈の口から発せられた言葉は僕の予想を裏切るものであった。

「俺さ、今警察に追われてるんだわ。だからさ、しばらく匿ってくれよ」

 ドラマ以外で『匿う』なんて言葉を聞くのはこれが初めてだった。思わず「は?」と間抜けな声が出た。

「……何言ってんの?」

「いやいやお前、信じてないっしょー。これがマジなんだって。テレビとか見てる? 殺人事件あっただろ、あれの犯人らしーんだわ、俺」

 言って波奈は僕の断りなくテレビをつける。時間は午前零時を少し過ぎたところで、都合のいいことに丁度ニュース番組をやっている局があった。

「これって……、時田が殺されたっていう……」

「ああ、それだわ」

 ニュースの報道では重要参考人、少年Aはほとんど犯人間違いないといった感じで報じられていた。


「一応言っとくとさ、俺、やってねーから」

 波奈の言葉は実に嘘臭く響いた。

 そんな軽い調子じゃ誰も信じてくれないぞ?

「信じてくれよ、な? な?」

「う、疑ってないから……」

 もとより僕にはそういう他なかった。僕自身の安全の為にもそうだし、こいつを好き勝手にうろつかせておくのも危険すぎる。僕はそう判断して(表面上は)快く波奈の要求を呑むのだった。


       3 (Two admonition)


 波奈の作った真っ黒の物質(本人はスクランブルエッグと言い張った)を食べ終え、歯を磨き口をすすいでから改めて自分でスクランブルエッグを作リ直して食べていると、いつの間にか一時間ほどが経過していた。

「……さて、そろそろ行くかな」

 無論、学校へである。

 薄っぺらいスクールバッグを手に、僕は立ち上がる。

「おー、いってらっせー」

 やる気のない波奈の声を後ろに聞きつつ僕は部屋を出る。

 廊下の先にある狭い玄関で、散乱した靴を並べなおす。僕のスニーカーと革靴。それに波奈が履いてきたブーツ。サンダルは片一方がどうしても見つからなかった。仕方ないのでゴミとして出すことにする。それと何故か中身の入っていない日焼け止めの容器も転がっていた。はっきり言って時期外れの代物だ。どうしてこんなものがここに……?

「まあいいか」

 ゴミ袋にサンダルと日焼け止めの容器を乱暴に放り込む。来週のゴミの日にでも捨てに行こう。ドアを開け、そこで波奈に言い忘れたことに気付いた。

「あ、そうそう」

 玄関前で立ち止まって、言う。

「家からは絶対出ないように」

「分かってるって」

 波奈の事を信用していないわけではないが、僕だって部屋に殺人犯(推定)がいることなんて知られたくない。匿ってこそやるが、僕の方に火の粉が降りかかるような展開だけはゴメンだ。波奈がどうなったところで知ったことではないが、僕は犯罪者になりたくないのだ。

「あと、クローゼットは開けないように」

「分かってるよ。つーか、鍵掛かってんだろ? 開けられねーし」

 まあそうだけどさ。

「鍵まで掛けて、中に何が入ってんだよ」

「クローゼットの中に入ってるものなんて決まってるだろ?」

「……服かよ。信用ねーな、俺」

 苦笑する波奈を無視して出かけることにする。

「いってらー」

 殺人犯(推定)に見送られるという稀有な体験をしつつ、僕は学校へと足を向ける。


       4 (Classmate)


「おはよー」

「おー」

 教室に入ると、クラスメイトはまばらに登校してきていた。

「伊藤、今日は早いね」

 丁度僕の席の真後ろで暇そうにしていた男、伊藤浩司(いとう・こうじ)に話しかける。

「まーな。野球部の朝練がなくなったんだよ」

「は? なんで」

「ほら、この前殺人事件があっただろ? あれの関係でしばらく部活動は禁止なんだってよ」

 伊藤は不愉快そうに眉を顰める。部活以外にやることなど無いと、普段から公言しているような男だ。伊藤にしてみれば部活動禁止とは学校へ来る目的の全てを奪われたに等しい。

「それは残念。早く事件が解決すればいいね」

「ああ。でも、犯人って逃げてるんだろ? どこにいるんだろうな」

 実はすぐ近くにいるんですが。

「……捕まるかは微妙なところかな」

 白々しく、僕はそんなことを言う。

「まーそうだな。今朝はニュースも見たけどよ、まだ凶器だって分かってないんだろ?」

「あー……そうだっけ」

 正直、今さらニュースを見る必要性を感じていないのでその辺りは良く分からない。まあ伊藤がそう言うならそうなのだろう。

「ま、なんにせよ気を付けろよ。夜道とか……なんだったら家まで送ってやってもいいし」

 伊藤にしては珍しく、歯切れの悪いもの言いだった。

「いや、そこまではいいよ。別に通り魔ってわけでもないしさ」

「そうか、ならいいんだ。ま、用心しとくに越したことはねーけどな」

 ニカッと好青年的に笑う伊藤を見て、僕はコイツの為にも波奈を警察に引き渡そうかと考える。

 だけど、なー……。

 僕はどうしたらいいんだろう。


       5 (Thanks for what you did!)


「よぉ」

「ただいま……」

「どうした? お疲れだな」

 誰のせいでこんなに疲れてると思っているのか。

 波奈は僕のパソコンを勝手に使い、自分が犯人扱いされている事件についての報道を追いかけていた。

『――事件に使用された凶器などは未だ発見されておらず、警察は事件当日より行方が分からなくなっている少年を重要参考人として追うとともに、事件の目撃情報などについての情報提供を呼びかけ――』

 画面に表示されている文字を読む。

 報道の内容は朝からあまり変わっていない。

「波奈」

「何だ?」

「波奈は、時田が死んだことについてどう思ってんの?」

 唐突な僕の問いに驚いたように波奈は僕の方を振り返る。

「そんなこと聞いてどうするつもりだ」

 波奈が目を細める。普段とは違う、真剣な表情になる。

「別に、ただ気になっただけだよ」

「嘘だ。やっぱりお前も疑ってるんだよな、俺のことを」

「や、そういうわけじゃ……」

 僕が弁明しようとした努力も空しく、次の瞬間には僕は波奈に右頬を強く殴られていた。

「――――ッ! 痛……」

 背中を強く打った影響で、息が詰まる。その場で何度か強く咳き込み、波奈を見上げる。

 波奈が怒っていた。

「俺は……俺はやってないんだ! 信じろよ、友達だろ?」

 端正な顔立ちを怒りに歪ませて、波奈が叫ぶ。

 しかし、だ。

 僕にはそれが恐怖に怯えた必死の声であるようにも思えた。

 助けてくれ、助けてくれと僕に懇願するような。

「…………」

 波奈の瞳が僕を映す。助けてくれと訴える。

 だけど――


「もういい。短い間だけど、世話になった。ありがとう」

 僕が無言でいると、波奈はそう言い残して僕の部屋を去っていった。

 どこへ行くつもりなのか、波奈は荷物の一つも持っていかなかった。

 着の身着のまま、行く当てもない逃亡生活など、一日だってもつわけがない。僕にだってそれくらい分かるし、波奈も当然分かっているだろう。

「…………」

 だからどうした。

 もとから僕と波奈は単なる中学時代のクラスメイト。それだけの関係でしかない。


 あいつは僕のことを友達と呼んだが、僕達の関係は本当にそんなものなのか?

 殺人犯とその元・クラスメイト。あまりにも歪な関係性だ。

 だからいいんだ。

 アイツが警察に捕まろうが、そんなことは全然僕には関係ない。


 関係ない?


       6 (Namina's Side)


 逃げるのは初めから無理だと分かっていた。

 相手は日本という独立国家が保持する最大の治安維持組織であり、波奈南は何の力も後ろ盾もないただの男子高校生だった。

「…………ハァッ、ハァッ……」

 波奈が友人の部屋を後にしてから一日近くが経過していた。

 どこからかサイレンの音が聞こえる。それが自分を探している警官の存在を否応無しに認識させる。

「これは夢だ。これは夢だこれは夢だこれは夢だ……」

 覚えている。

 波奈は昔、自分が無実の罪で追われ、暗い牢獄に閉じ込められる夢を見たことがあった。そのときも今と同じくらいの恐怖を感じていたし、今もそのときと同じくらい現実感が希薄だった。

 だから、これは夢。

 ――これは夢だ。これは夢だ。これは夢だ。これは夢だ。これは夢だ。これは夢だこれは夢だこれは夢だこれは夢だこれは夢だこれは夢だこれは夢だこれは夢だこれは夢だこれは夢だこれは夢だこれは夢だこれは夢だこれは夢だこれは夢だこれは夢だこれは夢だこれは夢だこれは夢だこれは夢だこれは夢だこれは夢だこれは夢だこれは夢だこれは夢だ!


 そうでなければならない。


 なのに、息の苦しさと喉の渇きがそれを否定する。

 辛い、苦しい。

 これは現実――?


「助けて……助けてくれ、誰か――ッ!」


 叫ぶ。

 叫びは誰にも届かず、夜の闇の中に消えていく。


 ――ハズだった。


「……見つけた」

 波奈の足元に小柄な影がかかる。

 見上げると、そこにはとある高校の制服を着た女子生徒の姿があった。

 真っ直ぐに伸ばされた長い黒髪。気だるげに細められた目。白い肌。よくできた人形のように整った顔立ち。男性の理想を体現したような、ある種完成された美貌を持ちながらそのことに何の自覚も無く、あまりにも無防備。そんな彼女のことを波奈は誰よりもよく知っていた。

「ツカサ……?」

 自分のことを“僕”などと称する変わり者だが、たかが中学時代のクラスメイトでしかない男子生徒、それも殺人の容疑を掛けられた自分を、何も言わずに匿ってくれた優しい“少女”。

 華魅山月傘(かみやま・つかさ)

「どうして……だって、俺……」

 波奈の言葉はしどろもどろになって要領を得ない。

 ツカサは無言で波奈に一本のペットボトルを手渡す。中身は冷たい水だった。波奈はほとんど丸一日補給していなかった水を貪欲に喉の奥へと流し込む。

 水はどこか薬品じみた味がして、決して美味しいものではなかったが、そんなことは関係なかった。


 ツカサが助けに来てくれた。

 愛しい、あまりにも愛しい。


「なあ、ツカサ」

「何」

「俺、お前のことがs――」


 ――アレ?


 声が出ない。

 目が回る。

 回る。

 回る。

 ぐるぐる回る。

 気持ち悪い。

 気持ち悪い。

 キモチワルイ。

 これは一体……?


「できれば最初から最後まで、僕は波奈と無関係でいたかったんだ。それがお互いの為だった。なのにどうしてかな……よりにもよって僕の家に来るなんて」

「な、何を……?」

「ありがとう、波奈。僕も好きだよ。でも、駄目なんだ」


「好きだから殺したくなくて、好きだから殺さないといけない。矛盾だよね」


 最後の言葉の意味を知ることなく、波奈の意識は闇に落ちていった。


       7 (Epilogue)


「危なかった」

 部屋に戻り、僕は一人呟く。

「困るんだよ、逃げるなんて」


 クローゼットの鍵穴に小さな鍵を差し込んで回す。カチャ、と小さな音がして錠が開く。

 中には時田翔子の私物とサバイバルナイフ。それに林業用の大鉈。いずれも血に塗れている。これにサンダルと日焼け止めの容器を合わせて殺人証拠品詰め合わせ。

 それに加えて、波奈が使ったものや残していった私物も全て処分しないといけない。

 来週のゴミの日にでも捨てに行こう。


『――と、いうわけで死体の遺棄現場からは時田さんの荷物は見つかっておらず、また履いていたサンダルの片一方も見つかっていないことから、殺人現場は別の場所と考えられ――』


 何の気なしにテレビに目をやるとまた事件の報道が始まった。代わり映えしない内容だと思っていたら突然スタジオが騒がしくなり、キャスターには新しい原稿が渡された。

『――はい、今速報が入りました! 重要参考人とされていた少年ですがS市の郊外で自殺しているのが先ほど警察によって発見されました! 少年は致死量を越える睡眠薬を服用したと見られ、遺体の傍には空になったペットボトルが――』


「…………」

 波奈には悪いことをしたと思っている。

 本当なら殺す必要はなかった。

 そもそも僕が悪かったのだ。僕がもっと早くやるべきことを終わらせていればよかったのだ。

 さっさと終わらせておけば、波奈の逮捕はいつでもよかった。完全に言い逃れのできない状況ならきっと波奈は時田殺しの犯人として断定されただろう。

 そして数年ほど“僕の代わりに”少年院にでも入っていてくれれば、それでよかったのに。


「まったく、どうしてよりにもよって僕のところに……」


 初めに計画が狂ったのは、あの夜だった。

 殺人の疑いをかけられた波奈が大して親しくもなかった旧友の、しかも女性である僕のところに助けを求めてくるなんて誰が予想できるだろうか。

 おおかた、あまり親しい友人の家では簡単に見つかってしまう、などとちょっとは知恵を働かせたのだろうが、それでもやはり僕の家を選んでやってきたのは偶然だったはずだ。あるいはこういうのを運命とでもいうのか。

 ともかく波奈のこの行動のせいで僕の計画は大幅な軌道修正をせざるを得なくなった。

 適当に疑われた末に逮捕されてくれればよかったものを。

 仕方なく僕は波奈を匿い、その間に少しずつ証拠隠滅を行っていた。最終的にいつかは波奈を警察に引き渡す覚悟はできていたが、その際に波奈の関係者として万に一つも家宅捜索などされてしまったら困るからだ。

 だというのに波奈は証拠隠滅が終わる前に僕の家を飛び出して、勝手に捕まりそうになった。

 こうなってしまえばもう僕に選択肢はなかった。

 殺して口封じ。

 謎を残したまま、全ての罪を波奈に着せて、犯人自殺で事件を終わりにしてしまう。

 それが最善だった。

 罪悪感はあまり感じない。

 けれど、波奈は最後まで僕のことを信じていた。信じていたし、そのことで僕に恋愛感情も抱いていたようだった。それを思うと少しだけ心が痛む。


 ……好き、か。


 波奈は良いやつだった。いいかげんで、馴れ馴れしくて、バカで、底抜けの楽観主義者だったけど、別にそんなあいつのことが嫌いではなかった。友達にだって、あるいはそれ以上にだってなれたかもしれない。

 でも駄目だった。


 好きになればなるほど殺したくなくなったけど、好きになればなるほど自分の身が危なくなる。

 好かれれば好かれるほど僕の身が危なくなるから、好かれれば好かれるほどに波奈を殺したくなった。


 いわゆる二律背反(アンチノミー)的矛盾。


 ちょっとだけ零れた涙を拭って、僕はクローゼットに鍵をかけた。


                          [the Antinomy of Scapegoat] is the end.



 読了ありがとうございます。

 感想、意見などいただけましたら幸いです。

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