9 キツネかサルか
「弥勒様、もう戻りましょう。絶対におかしいですよ、ここ」
助六は気味悪そうにあたりを見わたす。
「そうだな・・・。引き上げるか」
先ほどまで日がさんさんと照り、雲一つないお天気だったはずなのに、あたりは鬱蒼と暗く、霧まで出始めている。
霊山のふもと、と思われる場所に足を踏み入れてみたものの、初音の姿は当然見つけられず、迷いそうな場所だ。天気まで怪しくなってきている。
「あれ? おかしいな。ここ、さっき通りましたよね? 弥勒様」
助六はキョロキョロと辺りを見渡す。
さっき通ったのと同じ風景なような気がするのは、気のせいか?
「まずいな。キツネの仕業か・・・」
弥勒は空を見る。
出ていたはずの太陽が、無い。
無いはずがない。木々の多くは葉を落とし、見通しは良いはずなのだ。今は正午。
方向がわからない。山から出られない。
これは、完全にキツネの術に落ちたか・・・。
あの姫巫女・・・、本当は俺を殺す気だったのか・・・?
悪い方へ、悪い方へ、と考えが向かってしまうのも、キツネの術の内なのかもしれない。
「ミロク! ミロク? いるの? いたら、返事をして!」
澄んだ声が響く。
・・・馬鹿な。
初音の声?
これも、キツネの罠なのか?
「ミロク! いないの?」
弥勒は辺りを見渡すが、初音の姿は見えない。
助六はブルブルと震えた。
「魔物ですよ。弥勒様。絶対に返事をしては、なりません」
「ミロクー?」
「ここだ! 初音。 きこえるか?」
弥勒は大声で叫んでいた。
「やっぱりミロクだったのね。こっちよ。あがってきて。沢に降りてはダメ。危ないから」
不意に近くで声がして、いきなり辺りが明るくなった。
声の方をみれば初音がすぐ近くで手をふっている。
さっきまでの暗さと霧は嘘のように晴れあがり、太陽がさんさんと照っていた。
弥勒と助六はキツネにつままれたような顔をした。
実際に、さっきまでキツネにつままれていたのだろう。
辺りを見わたし、自分達が沢の近くにいることに気が付く。沢の周りは深く落ち葉がつもり、滑れば沢へ落ちてしまう。
初音が手招きする方へ行くと、開けた場所に出た。
太陽が降り注ぎ、風も無く、気持ちのよい場所だった。遠くに家々もみえる。
「初音・・・」
弥勒はホッと息をつき、助六はへなへなとその場に崩れ落ちた。
「いきなり北の沢に入って、キツネに化かされるなんて、あきれちゃうわ。ここまでくればキツネも悪さしないから大丈夫よ」
助六はまだ放心状態で座っている。
「このヒト、大丈夫?」
初音が覗き込んでも、まだボンヤリしている。
「ああ。私の従者で助六という名前だ。しかし、驚いたな。キツネに化かされるのは初めてだ。初音、お前は本物だよな? まだ化かされているわけじゃないよな」
弥勒は初音の頬に手を伸ばした。
「え? ええ。本物よ。あなたのいうところの、サルよ」
初音の頬を撫でると、確かに柔らかな、人の温もりがあった。
「サルに助けられたな」
そういってもう一度頬に触れると、初音は耳まで真っ赤になると、後ろに跳び退った。
間違いなく、あのサルだ。
弥勒はおかしくなって笑った。
「あ~、お腹すいちゃった。ここでお弁当にしよう。ミロクは? お弁当ある?」
初音はごそごそと筍の皮の包みをあける。おにぎりが三個入っている。
従者の助六は、大事に抱えてきた袋をあけて驚いた。
「わぁぁ~。蜜柑を持ってきたのに・・・全部石に変わってる!!」
弥勒も感心して石をみている。
「あーあ、キツネに盗られちゃったの? 間抜けね~」
ケラケラ笑う初音を助六は恨めしそうに見た。
「三宝柑という珍しい旨い蜜柑らしいが、石に変わってしまっては食えんな。初音、お前に食わせてやりたかったんだが」
苦笑していう弥勒の言葉に、初音はピクリと動く。
「おのれ、キツネめ。毛皮にしてくれる!!」
全く、現金なことだ。
「饅頭も持ってきたのだが・・・饅頭は無事なようだな」
弥勒が包をあけると、旨そうな饅頭が10個並んでいる。昨日買ったものなので、既に固くなってしまってはいるが。
「わぁい、おいしそう!」
初音はさっさと饅頭を手にとるとパクつく。
「おいひい。あ、おにぎりは、一人一個ね」
幸せそうな顔をして饅頭を頬張る娘を、弥勒は不思議な気持ちで眺める。
この娘に会いたいと思った。
美女というわけでもなく、気立てがいいわけでもない。
当たり前のように、自分のすぐ隣にちょこんと座り、むぐむぐと口を動かせている娘。
この娘が何処に住んでいるのかもわからない。
苗字も教えてはくれない。
薬草摘みをしているといっていた。あちこちで薬草を摘み、調合して売り歩く薬師なのだろうか。たった一人で山の中を・・・? 考えれば考える程、不思議な娘だ。
「そういえば、初音は何故、俺が山で迷っているとわかった? 初音はこんなところで、何をしていたんだ?」
弥勒の言葉に、初音の饅頭を食べる手が止まる。
「え? ええと。その。薬草摘みにきていたの。そろそろ弁当にしようかな~と思っていたら、ミロクに似た人を見かけて。まさかとは思ったけれど、心配だったので、探してみました」
「そうか・・・」
初音の話におかしなところはない・・・よな?
・・・何か腑に落ちない気もするが・・・。
「一人でこんな山で薬草摘みをしているのか? 危険はないのか? キツネとか、悪い人間とか。ここは霊山で、神領区の敷地なのだろう? 見つかったら、いろいろマズいんじゃないのか?」
そういって初音をみると、初音はすでに横にはおらず、蜜柑であったはずの石を睨んでいた。
「蜜柑にもどらないかな。無理だよね」
「でも、食べた後でお腹の中で石になっちゃったら、もっと大変なことになりますよ」
従者の助六も蜜柑であったはずの石を睨んでいる。
「スケロクがちゃんと蜜柑を見張ってないから、こんなことになるんだよ! キツネは相手に幻覚をみせて油断させて、いろいろ盗むから」
「んなこといったって、キツネに化かされるのなんて初めてだし。そもそも弥勒様がこんな辺鄙なところまで、サル娘に会いに行くっていうからこんなことになったんですよ」
「サルサルとうるさいわね!!」
早速、初音と助六は喧嘩を始める。
「お前ら、仲良さそうだな」
弥勒は助六と初音の間にずい、と割って入った。
「そんなことないもん」
ぷい、と横を向く初音。
「・・・初音、俺に偶然会えて嬉しい、とかないわけ?」
弥勒は言ってしまってからきまり悪くなる。
まるで、会えて嬉しいといってくれ、といわんばかりだ。
初音から帰ってきた返事は甘くない、正直なものだった。
「えと。その。蜜柑が無事だったら、もっと嬉しかったかな! と思います」
その、正直な、媚びない、空気を読まない、人のココロをえぐるような所が・・・好き・・・なのか? 俺は?
「お前というやつは・・・」
サル娘のくせに生意気な。
初音を睨みつけると、きゃきゃきゃ、とサルのように笑い、逃げ出した。
「こらまてサル」
逃げ出したサルを後ろから捕まえる。
柔らかな香りが鼻をくすぐり、艶やかな黒髪がはね、小さな体が腕の中で暴れた。
「サルのくせに、暴れるな」
初音が逃げ出せないように、閉じ込める。
「ミロク、馬鹿、はなせ」
さらにもがく初音をしっかりと抱きしめる。
「初音・・・」
初音の黒髪に顔をうずめようとして、ハッと気が付いた。
従者の助六が、何ともいえない表情で弥勒を見つめ、固まっていた。
いつもだったら、美女と良い感じになれば気をきかせ、さっさといなくなる助六が口をあけたまま固まっていた。
思わず、初音を抱いていた腕から力が抜けた。
その隙に初音が逃げ出す。
「私はそろそろ、薬草摘みを再開しなくてわ、なりません! ミロクさんもスケロクさんも、気を付けてお帰りなさい。でわ!」
カゴを背負い、おにぎりをくわえ、そそくさと去ろうとする初音の腕をあわててつかみ、ぐいと引き寄せる。
「待て。次は何時、何処で会えるんだ?」
そう言って初音の方を見た弥勒は焦った。
恨めしそうな、悲しそうな、初音。
弥勒が初音の腕をつかんで引き寄せたせいで、初音がくわえていたおにぎりがすっとびコロコロと斜面を転がり落ちていったのだ。
「ああ・・・おにぎりが・・・」
ギリ、と初音は弥勒を睨みつけた。
「食べ物の恨みは恐ろしいんだからね!」
初音はそう捨て台詞を吐き、饅頭を3個つかんで弥勒の前から姿を消してしまったのだった。
・・・・・・・・・・・・・・・
「まさかとは思いますが、弥勒様。あのサル娘に惚れてしまったのですか?」
助六は主人の様子を伺う。
助六の主人はしょんぼりした表情でサル娘の消えた方を見ていた。
「まさかとは思いますが、弥勒様。弥勒様が、行事の日程を変えてまで会いたかった女子がアレですか」
「・・・いや。俺はただ、姫巫女の占いが当たるのかどうか、確かめに来ただけだ。姫巫女はここにくればあのサル娘に会えるといっていたから・・・。一応、当たっていたな・・・」
助六の主人はハァ、と切なげなため息すらもらした。
「まさかとは思いますが、弥勒様。賄賂をわたして変装までして姫巫女に占ってもらった内容が、あのサル娘と会える場所なんですか? 他には何か占ってもらわなかったのですか」
「・・・・・・」
主人の無言は肯定ということか。助六は頭を振った。有り得ない。
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