33 月夜3
綺麗な月夜だった。
しかし、王宮の中の誰もが不穏な空気に怯えていた。
突然の雷雨が去ったかと思えば今度はびりびりと大気を震わす空振。
とてもではないが、眠れたものではない。
空振の源は弥勒だった。
王宮の中庭で一人黙々と汗を流している。
武道の型を繰り返しているだけだが、拳をふるうたびにびりびりと大気が震えるのだ。
他の者にしてみれば、迷惑な事この上ない。
弥勒が拳をふるう間にも刻々と時は過ぎ、月は高くあがっていた。
初音に会えないまま、時だけが流れていく。たいていのことには動じない弥勒も流石に焦りを感じていた。
竜神はどうしたのだろう?
初音に会ったのだろうか?
竜神も天狗と同じで、初音を可愛がり、大切にしているようだった。竜神が初音を悲しませることはしないだろうが、初音をとられてしまうことは十分に考えられる。
初音とはもう・・・会うことも叶わないのか・・・。
いや、まだなにか策はあるはず・・・。
武道の型を繰り返しながら、頭は初音のことばかり考えている。
もう、継承式のときに初音をさらうしかないか。
竜神がでてきたら勝ち目はないがな。
継承式の招待状は直前になって弥勒のもとにも届いた。
このところ、王宮と神殿は犬猿の仲で、継承式に王宮の者を招くことはなかった。神殿の関係者―長老達や、神領区の領主、神官、巫女それらの前でひっそりと行われるのが常だった。それなのに、今回の継承式は王族達まで招かれている。弥勒に対し、神殿の権威を見せつけ、牽制する意味での招待なのかもしれない。
不意に月明かりが陰った。
弥勒が空を仰ぐと、巨大な影が月の光を遮っていた。
竜神・・・と、初音?
竜神が初音を背に乗せ、空から降りてくる。
「ミロク・・・」
初音の小さな声がした。
弥勒は慌てて初音の方へ腕を伸ばした。
「初音っ」
竜神は黙ったまま、初音を弥勒の腕に渡すと、そのまま飛び去った。
竜神の目は「初音を頼んだぞ」といっていた。
と、弥勒は勝手に解釈した。
腕にかかる愛しい重み。
落とさないようお姫様抱っこにすると、初音が弥勒の首に腕をまわし、すがりついてくる。
月の光で照らされた初音は小さく微笑んだ。
「ミロク、会いたかった」
小さな消えいりそうな声が耳に届く。
サル娘のくせに・・・。
艶のある黒髪が肩を覆い、涙に潤んだ目が見あげてくる。
たまらん・・・。
初音の額に口づけると、首に回された腕にちょっと力が入るのがわかった。
夜風にあたり少し冷えた初音の体を抱きしめると急ぎ建物の中へ入る。
「初音、俺のことが好きか?」
初音を抱きしめたままそっと尋ねると、こっくりとうなずく。
「俺と一緒にいたいか?」
もう一度尋ねると、じっと澄んだ瞳で見つめ、またこっくりとうなずく。
初音をそっと寝台の上におろす。
「ならば、もう、神殿には帰れないようにしてしまおうか」
弥勒が初音の耳元で囁くと、初音はわかっているのか、いないのか、うん、と力強くうなずいた。
このサル娘、俺が何をいっているか、本当にわかっているのだろうか。
「誰の元にも帰れないようにしてしまうぞ。もう、姫巫女には戻れないのだぞ。いいのか?」
弥勒の言葉に初音はもう一度、力強くうなずく。
ならば・・・よいか。愛しい初音。
弥勒が初音の小さな唇をふさぎ、押し倒そうとしたとき。
「あのね、巫女に戻れなくなる方法があるの」
初音はじっと弥勒を見つめ、唐突にいった。
「・・・だから、そうしてしまおうといっている」
弥勒は初音の肩を抱いたままいう。
「ウナギなの」
初音は重大な秘密を打ち明けるようにいった。
「は?」
「ウナギが必要なの」
精力をつけるために? 俺には必要ないが。
「神領区はたくさんあって、それぞれに神様が祀ってあるの。その一つに川の神様がいるの。その川ではウナギはみんな神様のものなの。だからウナギも祀っているの。それで、巫女はウナギを食べるのは禁止されているの。だから、ウナギを食べれば、姫巫女失格なの!」
熱のこもった眼差しを初音から向けられる。
だが、弥勒は知っている。
その熱い眼差しは自分ではなく、まだ食べたことの無い ウ ナ ギ に向けられているのを。
ふ・・・。
弥勒から笑いがもれた。
それでこそ、初音だ。
相変わらず予想外の事を言ってくれる。
「・・・わかった。近いうちに、うな丼を一緒に食べような」
弥勒がいうと、初音の目が幸せに輝いた。
「ミロク、大好き!」
初音は弥勒に抱きついた。
弥勒はそのまま初音を抱きしめる。
「俺も初音が大好きだ」
「初音、うな丼以外にも姫巫女失格の方法はある」
熱い吐息を落とし、初音にささやく。
「それ、おいしいの?」
嬉しそうな初音。
「ああ・・・。初音・・・」
弥勒はそういうと、初音に口付けし、今度こそ押し倒した。