31 月夜1
そのころ、初音は神殿の本殿にはいなかった。
新しく神官長となった榊により、霊山「佐保山」のふもとにある神殿に移されていたのだ。神殿には、弥勒が色々な理由をつけ、姫巫女に面会を求めて現れる。危険を感じた榊の判断だった。
初音は月を眺めていた。
月の光は大好きだが、今回ばかりはそうもいっていられない。次の満月には夢乃へ姫巫女の座を明け渡す継承式を行う。そして、榊と婚姻することになっている。
榊は継承式の準備や、神官長としての引き継ぎなどで忙しいが、その合間を縫って、初音に会いに来ていた。その短い逢瀬は、今までのようなできそこないの姫巫女を守り、励ますようなものではなく、結婚を目前に控えた男女のそれであった。
初音は榊の突然の変貌に困惑と怯えを隠せないでいた。
「初音。おいで」
榊は初音を優しく抱き寄せると、吐息がかかるほど近くに顔を寄せる。
「初音、随分綺麗になった・・・。昔はサルのようだったのに」
今までは微塵もみせなかった恐ろしいほどの色香が漂う。
初音は困惑していた。
今も私、かなりサルですけど。
っていうか、自分より10倍綺麗な榊に綺麗とかいわれても、全然嬉しくないですけど。
それでも、榊の美しい笑顔にはぞくりとする。
「なぜ、榊と結婚しなくてはならないの?」
初音がたずねると、榊は艶然と笑い、初音の耳元に歌うように囁いた。
「巫女の血を残さなくてはならないからです。私の子を産んでください」
そういって、長い指で優しくほおを撫でる榊は淫靡で背徳的にすらみえる。
初音は怯える。
こんなの、榊じゃないよ。
変だよ。
怖い。
「初音? どうしたのです?」
榊は囁くようにいうと、低く笑った。
「初音、私が怖いのですか? まさか、そんなことはないでしょう? あれほど可愛がって、大切にしてあげたじゃないですか」
榊は初音の髪を撫で、耳元に吐息をおとす。
榊、絶対変。
ミロク、怖いよ。
初音は泣きそうになる。
榊の腕をすり抜け、中庭に逃げ出す。
月の光が静かに、燦々と降っている。
中庭には池があり、その池にも光が静かに落ちていた。
「見せつけてくれるのう。女神のいる霊山の前で男女のほにゃららを語り合うとは、なかなか見あげた根性じゃ」
突然、艶のある女の声が響いた。
月の光の中に美女が浮かび上がる。
「山神様!」
初音は美女に走り寄り、むぎゅ、と抱きついた。
初音を追って、中庭に出た榊は息を飲む。
「初音、久しぶりじゃ。この間のヘタクソなサルの舞以来じゃな。あの舞、なかなか楽しませてもらったぞ」
美女はカラカラと高らかに笑い、初音の頭を撫でる。
「しかしながら、榊。お前はちと調子に乗りすぎたようじゃ。山の女神の前で女を口説くなど、千年早いわ。だが、まあ、ふむ。なかなかに良い男じゃ。どれ、わらわが喰うとしよう。初音、この男はわらわがもらうぞ」
美女は笑いながら榊を指差した。
榊は茫然と美女をみている。
美女も美女、絶世の美女だ。千年の美女、白狐の化身ともいわれる山の女神なのだ。逆らえるわけがない。
くい、と白い指を自分の方へ曲げ、榊を手招きする。
榊はフラフラと女神の後をついてゆく。
「ほ、ほ、ほ。初音、良い男を連れてきてくれた。そのかわりといっては何だが、面白いものをみせてやろう。池に映る月をみよ。月がみているものならなんでも映すことができる。想い人と会えぬ夜は月など眺めたくなるものじゃ。お前の夫となる男が映るやもしれぬ」
女神はそういうと、榊を伴い、山へ消えてしまった。
「うわぁ~、榊様ヤバい。女神様にお持ち帰りされちゃいましたね!」
いきなりずいぃっと現れたのは、妹分の巫女、夢乃だった。
今回の継承式で、初音から夢乃へ姫巫女の座をわたすことになっている。既にいくつかの儀式を経て、占いに必要な道具などはすでに夢乃に託されている。儀式や、技術の伝達のために、夢乃も本殿からこちらへ移されていた。
「夢乃、おきてたの?」
初音がびっくりしていうと、夢乃はニマリと笑った。
「あったりまえじゃないですか。榊様が姫姉様に迫ってたときとか、覗き見してました! いつ押し倒すかと思ってワクワクしてたのに、姫姉様怯えて逃げちゃうし、自分、ちょっとガッカリしました」
「・・・・・」
「姫姉様、もしかして好きな人がいるんですか? 禁断の恋とか? だから、急に継承式になったんじゃないですか?」
「・・・・・・」
初音は夢乃の勢いに押されまくっていた。
「そうだ、姫姉様、池に映った月をみてみましょうよ! 姫姉様の夫が映るって」
夢乃に引きずられるようにして、池の淵へ行く。
池には美しい月がいつもより大きく映っていた。
「初音・・・」
弥勒は柄にもなく月など眺め、初音の名をつぶやいていた。
月をみあげる弥勒が池に映りこんでいる。
「ミロク・・・?」
初音は池に映る月をじっとみつめた。
「うっわー、コレ、姫姉様の彼氏ですか? めちゃイイ男じゃないですか」
がばり、と池に顔をつっこみそうな勢いでのぞきこむ夢乃。
「か、彼氏じゃないけど」
初音は、ほわん、と赤くなった。
「でも、姫巫女降ろされるような事、しちゃったんでしょ? 教えてくださいよ~!これが山神様のおっしゃっていた姫姉様の未来の旦那ですね!」
夢乃はウキウキしている。
・・・この子に姫巫女継承しちゃって、大丈夫なんだろうか。
ちょっと心配になる初音だった。