30 竜神2
突然、雷鳴が鳴り響き、雨が降ってきた。
バケツをひっくり返したような雨どころではない。
天が抜けたかのような雨。
雷が槍のように縦横無尽に王宮に突き刺さる。
「な、何事だ?」
弥勒は驚いて空を見あげた。
ついさっきまで雲一つなかったのだ。
女官達は悲鳴をあげて、王宮の奥に隠れ、警備の兵もさすがに屋根の下へ逃げ込んだ。
「貴様が弥勒か」
天から声が響く。
「誰だ?」
弥勒が王宮の中庭に面した濡れ縁に出ると、中庭に巨大な竜が降りたった。
竜はすぐに人の形となる。
「竜神・・・か・・・?」
弥勒は茫然として、その青年を見ていた。天狗も恐ろしかったが、竜神には更なる迫力があった。
「初音を泣かせたというのは本当か」
天狗の次は竜神か・・・。
弥勒は呻いた。
いくら自分が人間の中では最強でも、竜神に敵うわけがない。
さすがは、初音だ。
普通ではないと思っていたが、天狗だけでなく竜神まで守護につけているとは。
竜神は殺気立っている。
・・・俺の命も・・・ここまでか。
一瞬、そう思ったが、負けず嫌いの弥勒だ。
ぐっと奥歯をかみしめ、背筋を伸ばす。
弥勒と竜神はにらみ合って対峙していた。
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
竜神を前にして、弥勒は奇妙な感情を抱いていた。
恐ろしいはずなのに。
なぜか、懐かしい。
竜神も弥勒を睨みつけてはいたが、緊張感も威圧感も抜けていた。
「・・・お前、わずかだが竜の血が流れているな。同じ血を持つ者は攻撃できぬ」
竜神は息を吐くといった。
「俺に、竜の血が?」
弥勒は驚いて自分の両手をみるが、特に変わったところはない。
もし、竜の血が流れているとすれば、母親だろうか。
母である王妃は恐ろしかった。すさまじい美貌に激しい気性。誰一人として彼女にはむかう者はいなかった。そう。王である父でさえも。
「竜の血といってもお前のは薄い。だから、お前が竜に変化することもない。まぁ、俺とお前は遠い親戚ってところだ。よろしくな。だが、それと初音のことは別だ。初音を泣かせたのは本当なのか? 何をした?」
竜神はギロリ、と弥勒をにらむ。
チュウをしたら、泣いちゃいました。
言っても言わなくても殺されるような気がする。
弥勒はゴクリと唾を飲みこんだ。
竜神はじっと弥勒をみていた。観察していた、といった方がいいかもしれない。
「・・・お前、初音が好きなのか?」
ぽつりと竜神がきいた。
クルミをむぐむぐ食べる初音。
褒めると嬉しそうな顔をする初音。
チュウすると泣いちゃう初音。
初音と一緒にすごした時間は長いとはいえない。
それでも、その一瞬一瞬を鮮明に覚えているし、もっとずっと一緒にいたいと思う。そばをうろちょろされれば捕まえてしまいたくなる。
サル、サル、サル。
いつも思うのはサル娘のことばかりだ。
「好きだ」
弥勒が答えると、竜神はうむ、とうなずく。が、牽制するようにいった。
「初音は愛らしくて、優しくて、とても良い子だ。だが、人間のヨメになるには純粋すぎる」
純粋、というのだろうか?
「純粋」というよりは「単純」なのではないだろうか、と弥勒は思った。
「いや、初音は純粋というよりは、単純なだけだと思う。俺も親友からは、軍人馬鹿と呼ばれることもあるし、単純という面ではあっているのではないかと思う」
弥勒はちょっと力説してみた。が、逆効果だったようだ。竜神の表情がみるみる険しくなる。
「初音に相応しいのは自分だ、とでもいいたいのか? たしかに、初音は単純だ。だが、その初音を幼いころから可愛がり、よく遊んでやったのは俺だ。やっと年頃になったのに、横からお前のような軍人馬鹿にさらわれるのは、どうにも面白くない」
竜神は吐き捨てるように言う。
面白くないといわれても、初音を横からさらうどころか会うこともままならないのだ。
あの後、神官長が替わったらしい。前の神官長は強欲で、賄賂さえ渡せば姫巫女に占いをお願いすることができた。が、今度の神官長は潔癖らしく、賄賂などは通用しない。さらってやるつもりで色々な理由をつけ、初音に、姫巫女に面会を求めるが、蟻の子一匹入れない体制で丁重に門前払いされる。
一国の王子が神殿の前で刀を抜くわけにもいかず、頭を悩ませていたのだ。
弥勒は真っ直ぐに竜神を見つめると、口をひらいた。
「竜神。俺は、初音に会いたい。相応しいかどうかは初音が決めることだ。神殿は神を祀る所だろう? 竜神は自由に入れるのだろう? 初音に会えるよう取り計らってくれ」
弥勒の言葉に竜神は目を剝いた。
「お前は馬鹿か? 俺が恐ろしくないのか? なぜ、俺がお前の恋の橋渡しをしなければならないのだ」
竜神の目が爛々と光り、雷雲がわきあがる。それでも引くわけにはいかない。
「時間が無い。親戚なのだろう? 力を貸してくれ。初音は次の満月には姫巫女をおろされ、誰かと結婚させられるときいた」
弥勒の言葉に竜神の動きが止まった。
「姫巫女をおりて、結婚? そんなこと聞いてないぞ。 ううぬ・・・。しばらく留守にしていた間に何がどうなったのだ? ちょっと調べてくるか」
俺もつれていけ、とわめく弥勒を残し、竜神は竜の姿になると王宮を飛び立った。