3 出会い1
抜き足、差し足、忍び足。
初音が神殿の裏口をそっと開けると、そこには女官の亜紀が仁王立ちしていた。
「姫巫女様。 ど こ へ お出かけですか?」
こっそり外に出ようとしていた初音は小さくなる。雨乞いの儀式をすっぽかして以来、監視が厳しくなっているようだ。いや、初音的にはきちんと雨乞いの儀式をやったつもりなのだが。
「今日は薬草を摘みに裏山へ・・・。その、今の時期しか生えていない貴重な薬草があって・・・」
しどろもどろに言い訳するが、亜紀の眉間のシワは深くなるばかりだ。
「薬草摘みは神殿の周辺にしてください。決して山奥まで採りにいってはいけません。門のそばに近づくのも厳禁です。男性に姿を見られでもしたら、姫巫女様の品位にかかわります。それから、絶対に遅くならないこと。いいですね?」
ダメダメ攻撃はくらったが、外出は許してもらえそうだ。
「はい! 薬草摘みは神殿周辺で、日の高いうちに終わらせます」
初音は思ってもいない事をすらすら口に出しながら、ニッコリ笑う。
薬草摘みは、初音が唯一自由に外に出られる言い訳だ。
病人を癒すのも巫女の仕事の一つなので、薬草摘みに野山に入るのは許されている。薬草を入れるカゴを背に担ぎ、初音はいそいそと神殿を出た。動きやすいように巫女装束ではなく、行脚中の修行僧のような格好だ。
初音は慣れた足取りでぐんぐんと裏山を登ってゆく。今日は少し山奥まで木の実を採取しにいくつもりだ。裏山一帯は神殿の敷地であり、一般人は入れない。さらに山奥は王宮の敷地とつながっているが、王宮の狩場となっているため、やはり一般人は入れない。
誰とも顔を会わせずにすむ・・・・・・はずだった。
小高い山からは神殿を一望できる。
初音はちらり、と神殿に目をやった。
神殿は、今の神官長に代わってから改築され、華美になった。神殿には税を免除されている神領区がいくつもあり、独自の収入源がある。神官長はそれをいいことに、やりたい放題だ。国の行く先を占うのが仕事である巫女に、貴族の個人的な占いまで斡旋してくる。巫女は外界の者――特に男性と顔を会わせるのはご法度である。それなのに、神官長の取り次ぐ相手と御簾一枚隔てた距離で対面しなければならない。時には、誰それを呪い殺してほしい、などお門違いな事を言い出す者までいる。
神殿の中はもう、うんざり。
初音はするするとサルのように身軽に木に登った。木々は思い思いに紅葉し、半分ほど葉を落としている。
「ひゃっほ~!!」
初音は高い木の上に登り、山に向かって叫ぶ。
ひゃっほ~!!
手のひらサイズの言霊の精、コダマ達が初音に言葉を返してくる。
「ねぇねぇ、初音。 ひゃっほ~ は何だかしまりがないよ。やっぱり やっほ~ にしようよ」
小さなコダマ達が初音にまとわりつく。
「いいのよ! 今日はひゃっほうな気分なんだから」
初音がいうと、コダマ達は首をかしげる。
「ひゃっほうな気分ってなあに? 初音」「なあに? 初音」
「ひ・み・つ」
初音がいうと、コダマ達も返す。
「ひ・み・つ?」「ひ・み・つ?」
「そ。ひみつ」
初音はそういうと、コダマ達を振り切って、山の中をつっきる。
今日は久々の外出だ。
気分も上々。なんだか、いいことがありそう。
チコの実は栄養豊富で滋養強壮にはかかせない。木に登って実を採るのに夢中になっていると、肩にドシン、と衝撃があった。初音は慌てて背負っていたカゴのフタをする。
「またお前なの?」
初音の肩には丸々と太ったリスがデン、と座っていた。この前はカゴに入り込み、せっかく採取した木の実を食い散らかした。
「もう。ちょっとだけだよ」
仕方なく初音はいくつか木の実をリスに分けてやる。リスは満足そうに頬をモグモグさせていたが、初音の肩の上で立ち上がるとピンと耳を立て、尻尾をふくらませた。
「どうしたの? 何かあるの?」
ふと手をとめ、リスが気にしている方向に注意を向ける。
・・・あれ?・・・人の気配がする・・・
初音は木につかまったまま、下を見下ろした。尾根になっているため、木の下は斜面となり、見渡すことができる。
・・・誰? 武人?
猛々しい気配。
木の枝葉が重なり合い、人の姿までは見えない。
斜面の下は小さな泉となっている。泉のあたりから先は神殿の敷地ではなく、王宮の敷地のはずだ。
なおも人の気配を探っていると、思わぬ衝撃が来た。
ゴォォッ
木々が、大地が揺れる。
荒々しい気が大気を引き裂いた。
細い枝につかまって下を覗き込んでいた初音はバランスを崩し、木から落ちた。
「キャァァ――――」
スローモーションで木の葉が舞い、折れた枝が宙を飛び、小鳥が飛び立つのが見える。
斜面になっていたため、地に落ちても止まれない。
そのまま、落ち葉や枯れ枝と一緒に斜面を滑って行く。
どげしっ!!
太い木の幹に激突してやっと止まる。
あまりの痛みと苦しさで声も出ない。動くことも、できない。
ザクザクという落ち葉を踏みしめ近づいてくる足音をききながら、初音は意識を手放した。