20 くしと魚の干物
弥勒は泉のそばをぐるぐると熊のように歩き回っていた。
天狗に会うのは恐ろしいが、初音と会えそうなのはここぐらいだ。
初音・・・。
真っ赤になって涙ぐんじゃう初音は悶える程愛らしかった。
やっぱり、サル娘に突然口づけは早かったか?
しかし、河童やら天狗とつるんで、あいつはいったい何者なんだ?
初音が来る気配もない。
弥勒は仕方なく、鼈甲でできた美しい櫛と蜜柑の入った袋を泉のそばの小枝に結びつける。初音の小さな頭を撫でてやったときの黒髪の感触を思い出し、柄にもなく櫛など買ってしまったのだ。
あいつは、蜜柑しか喜ばないかもしれないな・・・。
そう思いながら泉を後にした。
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「どくだみ、おおばこ、げんのしょうこ、あしたば~!」
初音は歌いながら薬草つみのついでに河童の住む泉に足をむける。緑の河童はあれ以来、ミロクの武道練習場である泉に住み着いている。
「初音、ちょうどいいところに来た。ミロクがあの木の枝にこれをぶら下げて行ったぞ。蜜柑は新しいヌシであるオラたちに対する貢物かとも思ったけど、これは何だろうなぁ? 痒いところをかく道具かなぁ?」
河童がごそごそと蜜柑と櫛を出してきた。
ミロクがこれを・・・?
初音はしばらくその美しい櫛をじっと見ていた。
べっ甲でできた櫛には細かな花が彫られている。
ミロクを思い出すとほおが熱くなる。
「痒いところがあるの?」
初音がきくと、河童は無いぞ、と断言した。
「じゃあ、これ、私がもらうね」
そういうと初音はべっ甲の櫛をそっと胸元にしまった。
櫛をしまった胸元が、ふわりと温かくなるような気がする。
「蜜柑、半分にわけよう。そうだ、初音、オラと一緒に魚、食うか? ここの魚、旨いぞ?」
初音は太陽を見あげた。そろそろ帰らないと、また女官の亜紀に小言をいわれてしまう。
「魚、生で食べるの? もう帰らないといけないし、いらない。蜜柑、半分もらうわよ。じゃあね」
初音は蜜柑をカゴに入れると神殿へと急いで帰った。
河童は初音の後ろ姿を見送っていたが、魚を木の枝の串に刺すと、泉の横に並べだした。
初音は生では魚は食べたくないのかもしれない。ちょっと、干物にするのも良いかもしれない。
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「弥勒様、ヒミツの逢引きの場所に魚の干物がございました」
木の枝の串に刺さった魚を持って、従者の助六が参上した。
助六は弥勒が泉に行けない日は、かわりに偵察に行くのが日課になっている。
「ううむ。・・・・どういう意味だろうな」
弥勒と助六は生臭い魚の干物を前に考え込む。
数日前に弥勒は初音を想い、鼈甲でできた美しい櫛を泉のそばの小枝に結びつけた。初音の唇を奪って泣かせてしまったお詫び、そしてこれからもヨロシクという意味を込めたのだが。
その回答が魚の干物?
怪答だ。
相変わらず、初音の考えることはさっぱりわからん。
が、まあたぶん俺の気持ちに応えたいということだろう。
弥勒は勝手に結論づけた。