12 土砂崩れ1
早朝
ピーヨロロロロ、ピーヨロロロロ
神殿の上でトンビが鳴いている。
ピーヨロロロロ、ピーヨロロロロ
神殿の縁側で薬草の目録を作っていた初音は空を見あげた。
トンビは急降下すると、ポトリ、と何かを落として飛び去った。
キュウリのヘタだ。
初音はトンビが落とした物を確認すると、急いで神殿の奥に駆け込む。
河童からの暗号だ。
急ぎ来られたし。
修行僧の行脚のような恰好に着替えると、急いで神殿を抜け出す。
「河童の親分、何かあったの?」
神殿から近い小さな沼につくと、緑の河童の横には見慣れない娘の河童がいた。
「初音、大変だ。西の山が緩んで、土砂崩れが起こりそうなんだ。この子は西沼の河童なんだけど、まだ足の悪い爺さん河童が西沼に残されているんだ。オラと一緒に行って助けてくれないかな。できれば、馬を借りたいのだけれど」
初音は西の山の方を見るが、いつもと変わった様子はない。
雨が降ったりやんだりしている。
「土砂崩れ?」
「西の山の南斜面がズルッといきそうなんです。お爺さん河童が足を痛めて、まだ逃げ出せないんです。イタチやウサギやキツネはもう、みんな避難しました」
娘河童が消え入りそうな声でいう。
「わかった。馬を連れてくる。行こう!」
河童と初音は駆け出す。
神殿にもどると、馬やに行き、馬を引き出す。
ぐずぐずしていると見つかってしまう。鞍をつけるのはあきらめる。
裏門にそっとまわると、見張りが2人立っていた。
「緊急時だから、仕方ないよね」
初音は言い訳するようにいうと、煙玉に火をつけ、遠くにそっと転がした。
黒い煙がモクモクと立ち上る。
「なんだ? 火事か?」
「大変だ! どこだ? 人を呼べ」
見張りは煙の方へ駆け寄る。
見張りが煙玉に気をとられているすきに、初音は裏門を開け、馬を外に出した。
裸馬に乗るのは久しぶりだ。
「急いで西の沼の方へ行って」
馬にささやく。
初音は足で馬の背を挟み、たてがみを掴む。
姿勢を低く保つその恰好は、どう見てもサルが馬にしがみついているようにしか見えない。しかもそのサルに緑の河童がへばりついている。
西の山のふもとには良い温泉がたくさんあり、ちょっとした療養所としても栄えている。
「西の沼の河童の爺さん、迎えに来たよ」
西の沼で声をかけると、河童の爺さんが沼から這い出てきた。
「助かった。ありがたや。大変じゃ、山がゴロゴロいってる。もうすぐ、地滑りじゃ」
「どうしよう? すぐそばに、家もあるのに」
初音は西の山のすぐふもとにポツポツ立つ家や畑を不安げにみる。
「ちょっと知らせてくるよ」
河童の爺さんを安全な場所に下ろすと、初音と緑の河童は馬で駆けだした。
『あやかし』と呼ばれるものの姿は全ての人間に見えるわけではない。力のあるものには見えるが、力の無いものには見えない。人里に出没する『あやかし』の代表選手である河童の姿も、見える者には見えるが、見えない者には見えない。
初音と河童は黒馬に乗り、山のすぐふもとにある家と、療養所を急いでまわる。
立派な黒馬、サルのような不思議な娘、緑の河童(見えない者もいる)という奇妙な組み合わせに戸惑ったものの、慌てて人々は荷をまとめ、家を後にした。
動けないものを馬の背に乗せたりして、全員避難させ終わり、やれやれと一息ついたころ、轟音とともに地面が揺れた。
木々が、斜面が、崩れ落ちる。
大切な家や畑は心配だが、それでも命は、助かった。
「サル姫様のおかげで、命拾いじゃ」
「河童様のおかげで、助かった」
人々は顔を見合わせ、手を合わせた。
鞍もない立派な黒馬にしがみついて現れた初音は、どこか人間離れしてみえるらしい。
サル?
今、サルっていいました?
初音がピクリ、とひきつる。
「サル姫様、ありがたや」
「河童様、ありがたや」
「おサル様ありがたや」
村人や療養所の若旦那の言葉も初音には嬉しくなかった。
河童が爺さんを馬に乗せてやってくる。
「初音、悪いけど、オラ河童の爺さんと一緒に馬に乗って帰るから、初音は歩いて帰ってきてくれるかなぁ? 馬は適当に神殿のそばに帰しておくからさ。初音? どうしたの?」
初音はふてくされていた。
サル、サル、サル。
あー、どうせ私はサルですよ。