10 婚約者
採集してきた薬草を並べたり、枝と葉を分けたり、入れ物に詰めたり、ちょこまか動き回っていた初音は、ゼンマイが切れたお人形のように畳の上でころんと寝てしまった。
同じ部屋で書を点検していた神官の榊は苦笑すると初音を抱き上げる。
女官に布団を用意させ、そっと初音を寝かしつけた。初音とももう長い付き合いになる。
初めて初音の舞を見たときは、正直、驚いた。それ程に、初音の舞は壊滅的だった。少し大きめの白い小袖に緋色の袴という巫女装束を着た初音は、袴の裾を踏んで転んだ。舞なんてものじゃない。酔っ払いのサルだった。
そんな初音だったが、神殿の人事を握る長老達の人望は厚かった。巫女修行に入った7歳のとき、初音は神隠しにあったという。先輩巫女につれられて、薬草採りに山に入って行方不明となり、一年後ひょっこり戻ってきたというのだ。初音の話によれば、その一年、天狗に育てられたという。舞は下手だが、初音が雨が降るといえば雨が降り、風が吹くといえば風が吹き、大水がくるといえば大水になった。竜神や山神が教えてくれるのだという。
長老達――多くは元神官であったり、神領区の領主であったりした――は、初音を姫巫女に指名し、榊にはその婚約者となるよう定めた。
・・・酔っ払いのサルが嫁か・・・。少々複雑な気持ちではあったが、まだまだ先の話だ。初音との婚約は、次の神官長の座と抱き合わせの話でもある。榊にとって、悪い話ではなかった。
「少々難しい時代だ。王族派が神領区をとりあげる話をしている。武人共の力が強くなりすぎておるのだ。神領区はもともと神々が住まう場所だ。竜神の湖、山の神の住まう山、冥界と結ぶ硫黄谷・・・。今ある数々の神領区を手放してはならん。やつらに神領区をとられれば、無茶苦茶することは目にみえておる。今の神官長は確かに財力をつけるには、必要な男だ。だが、私欲に走りすぎるきらいがある。早々に、お前を神官長にするつもりだ。巫女あっての神官だ。初音は未熟だが、力は強い。守ってやれ。大切な子だ」
長老達は口々にいった。
天狗に育てられた娘か。確かに普通の娘ではない。大水を予言したときは河童に教えてもらったといっていた。厨房からキュウリを失敬して、神殿を抜け出る初音を追えば、確かに河童と並んで座り、キュウリを食べていた。
大切な娘。自分の未来はこの娘にかかっているといってもいい。そう思えば大切にもできた。山から戻ってきた擦り傷だらけの初音に軟膏を塗ってやり、葉やマツヤニに汚れた髪を梳いてやり、疲れてその辺に転がって寝てしまう初音を布団に寝かしつけてやる。
本来は女官がやるであろう仕事まで、初音に関しては面倒をみてきた。
初音は何も知らない。巫女は神の花嫁で、生涯誰とも結婚しないと思っている。男と深く触れ合えば穢れ、力が無くなるという嘘を信じている。それで、いい。姫巫女を引退するまで、余計な情報など無くて良いのだ。
実際には、男と結ばれたからといって巫女の力が無くなるわけではない。巫女は公平な立場でなければならず、特定の男に恋い焦がれるのはあまり都合がよろしくない、というだけの話だ。
最近、頻繁に貴族達が神殿に出入りしている。私利私欲にまみれた神官長が個人的な占いを斡旋したせいだ。これだけ人が出入りすれば、何かあってもおかしくは無い。相変わらずサルだが、初音もそろそろお年頃だ。
守らなければならない。
大切な、私の姫巫女を。
榊はすやすやとあどけない顔で眠る初音の頭をそっとなでた。