表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/19

再開

綺麗だと思った。


青年も、その青年が描く絵も。


みすぼらしい自分とは、何もかもが違っていて――

追い払われないのをいいことに、日が落ちる直前まで、ニヤは彼の背後にいた。

青年と、空の絵を、ずっと見ていた。


差し出された、あたたかい手。

やわらかな目。


彼と一緒にいられるなら、何もいらない。

そう、思った。


彼が望むなら、何にでもなろう。

飼われることにすら、甘んじようと。


***



――長い夏休みが終わり、ひと月のあいだほとんど家にいなかった僕の生活も、

ようやく落ち着きを取り戻していた。


相変わらず画廊に顔を出す以外は、自宅のアトリエに引きこもる日々。

カレンダーを見やって、ふと気づく。


「来月はニヤの誕生日か」


十月の初め、ニヤは十四歳になる。


長く室内に籠もっていた僕は、外の空気を吸いたい衝動に駆られた。

誕生日プレゼントの下見がてら、珍しく街に出る。



繁華街の一角に、欧州風を意識した意匠のショッピングモールが広がっている。

休日ともなればカップルや家族連れで賑わう場所だが、平日の昼間とあって人影はまばらだった。


天気は生憎の曇り空。

ガラスに映る光は薄く、ショーウィンドウの中だけが妙に明るい。


いつもより人が少ないメインストリートを、僕はゆっくり歩いた。

視線は店の前を滑るのに、足はなぜか止まる。


いざ何か贈ろうと思うと、何も思いつかない。


ジーンズ好きのニヤには、これまで何本も贈っている。

身の回りのものは、暮らし始めてすぐに大方買い揃えてしまった。


アクセサリーや化粧品は僕にはよくわからない。

そもそもニヤは、そういった煩いものを嫌う。

枕代わりにハリネズミのぬいぐるみを抱いて眠るくせに、

ぬいぐるみが好き、というわけでもなさそうだ。


――結局、僕は彼女の輪郭を掴めないまま、贈り物だけを探している。


しばらく店先で立ち尽くしていると、


「玲君?」


不意に、背後から声をかけられた。


振り返ると、小柄な女性が一人立っていた。

淡い茶色の髪を軽くウェーブさせ、淡色のカーディガンにフレアスカート。

いかにも「女の子らしい」装いだ。


いつもジーンズにTシャツのニヤを思い浮かべ、

彼女もこんな格好をしたら可愛いのに――などと余計なことを考えていると、


水瀬みなせ玲君……だよね?」


念を押すように、彼女が尋ねる。


「ええ……。失礼ですが、以前どこかで?」


「えっと、高校のとき同じクラスだった、矢野杏子やの・きょうこ。覚えて……ないかな?」


その名には聞き覚えがあった。

欠席がちだった僕に、よくノートやプリントを見せてくれていた女の子。


ただ、記憶の中の彼女は、眼鏡に黒髪を二つ結びにした、

どちらかといえば目立たない少女だったが。


「ちょっと待ってね」


考え込む僕に、彼女は鞄を探り、ペンケースのようなものを取り出した。

中にはフレームのない眼鏡が収まっている。


「ほら」


そう言って、目に掛ける。


「矢野さん!」


思わず声が出た。

矢野さんは、安心したように笑った。


「すっかり変わってしまって、分からなかったよ」


「あれから二年……三年くらい経ってるから、しょうがないよ。

でも眼鏡かけても分からなかったらどうしよう、って思っちゃった」


それから、少しだけ間を置く。


「……それにしても久しぶりだね。玲君、突然いなくなったから」


高校三年の夏、僕は高校を辞めた。

もともと欠席がちだったし、勉強自体は嫌いではなかったから、

知識だけなら後からどうにでもなるだろう、と勝手に思っていた。


なにより――早く、あの家を出たかった。


「色々あってね……矢野さんは?」


「私は一応大学生。今日はサボって買い物だけど」


にっこり笑う顔は、どこか以前のままだった。

僕もつられるように、口元が緩む。



僕たちは近くの落ち着いた喫茶店に入り、懐かしい話をした。


矢野さんとは三年間――僕が学校を辞めるまで同じクラスだった。

欠席がちだった僕は、いろいろと世話になっていた。


最初に言葉を交わしたのは、図書室だった気がする。

読もうと思った本を棚から抜こうとしたら、彼女の手に触れてしまって、

まるで古いドラマみたいな「お約束」がおかしくて、

静かな図書室で二人、声を殺して笑った。


「玲君、相変わらず忙しそうだね。そういえば、この間の対談読んだよ!

元気そうで安心したけど、なんか遠い世界の人になっちゃったみたい」


「対談……」


苦い記憶が蘇る。

結局、雑誌は手元に届いていないままだが――正直、今はあまり見たくなかった。

思い起こすほど、余計なことばかり喋った気がする。


「ああいうのは得意じゃないんだけど、

懇意にしてくださってる方からのお願いで……どうしても断れなかったんだ」


苦い笑みで言うと、矢野さんは大げさに首を振った。


「そんな! すごく格好よかったよ。

雑誌であんなふうに落ち着いて話せるなんて、私だったらもうしどろもどろで、

何話したらいいか分からなくなっちゃう!」


勢いよく言い切ってから、照れたように続ける。


「……まあ、私なんかに対談のお願いなんて来ないから、心配しなくていいんだけどね」


お茶を口に運ぶ仕草まで、どこか真っ直ぐだ。


「僕も実はしどろもどろで、何を話したか覚えてないんだけどね」


僕の告白に、矢野さんは「玲君でも?」と驚き、

それから嬉しそうにまた笑った。


普段、棘のある空気を纏うニヤと向き合うことが多いせいか、

この穏やかさに、僕の肩はいつの間にかほどけていた。


気づけば、いつもの夕飯の時間をすっかり回っている。

僕たちは慌てて会計を済ませ、外へ飛び出した。


時間も時間で、雨も降り出していたから、

僕は矢野さんを自宅まで車で送ることにした。


大学に通い始めてから一人暮らしを始めたという彼女は、

僕の家からそう離れていない、学生向けのマンションに住んでいた。


「せっかくだから、部屋寄っていかない?」


そう言ってくれた申し出を丁寧に断り、

後日あらためて食事をする約束だけを交わして、

僕は少し遅い帰路についたのだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ