優しいヒト、その傲慢な想い2
ニヤは、可愛らしい人形や小物が並ぶ部屋で、膝を抱えて座っていた。
「……れい」
ブレスレットを握りしめて名を呼ぶと、涙がひとつ頬を伝って落ちた。
慌てて袖でこすり、壁に掛けられた時計を見る。
十三時、少し前。
約束の時間には、まだ早い。
それでも、じっとしていられなかった。
黒いフード付きのコートを羽織り、外へ出る。
クリスマス・イブの街は、どこまでも眩しく飾られ、
行き交う人々は皆、幸せそうに見えた。
時間を潰すつもりで、同居人へのプレゼントを探す。
彼女が好きそうな雑貨や絵本を、順に手に取っては棚に戻す。
去年のクリスマス。
玲が、小さなパーティーを開いてくれた。
大きなツリーを買ってきて、
めちゃくちゃに飾りつけるニヤを、苦笑いしながらも止めなかった。
オーナメントを付けすぎてごちゃごちゃになったツリーの横で、
玲の焼いたチキンとケーキを一緒に食べた。
「クリスマスって、七面鳥じゃねーの?」
そう言ったら、
「じゃあ、来年は七面鳥を焼こう。
でもそのためには、大きなオーブンがいるね」
冗談みたいに言っていた玲が、
翌日、本当に大きなオーブンを買ってきた。
「……七面鳥、食いたかったな」
呟くと、また目頭が熱くなる。
ニヤはサンタの格好をした、小さな木製のネズミの人形をいくつか買い、
森川のいる画廊へ向かった。
午後、画廊に来るように言われていた。
クリスマスだというのに、店内には客がいない。
「お客さん、いねーのな」
からかうと、
「昨日までは忙しかったのよ!」と森川が拗ねたように返す。
奥の応接室で椅子に腰掛け、
出されたお茶に砂糖を三つ入れる。
「はい、これ。クリスマスプレゼント」
差し出すと、
「あら、ありがとう」と森川は微笑み、箱を覗き込んだ。
「可愛いわね」
そして、ニヤの顔を見て言う。
「……また、泣いてた?」
慌てて目元をこすると、
森川は小さく溜め息をつき、向かいの椅子に座った。
里親が見つかった。
そう言われて連れて来られたのは、なぜか森川のマンションだった。
手続きが済むまで、ここにいるようにと。
それから、随分と時間が経った。
けれど、森川の口から里親の話が出ることはなかった。
――でも、今日は違う。
画廊に呼ばれた。
それだけで、分かってしまう。
「ニヤちゃん、里親の話なんだけど」
唐突に言われ、ニヤは森川を見る。
「最後にもう一度聞くわ。
本当にいいのね?
もう、玲君のところには戻れないわよ?」
何度も繰り返された問い。
覚悟は、できている。
これが、最良の選択だ。
母親の元へ戻ると言えば、優しいあの人はきっと止める。
一人で生きることは、まだ出来ない。
そして、それを玲は許さない。
玲に心配をかけず、
玲の罪悪感を少しでも和らげるためには、
ニヤが自分で望んで、別の家庭へ行くこと。
それが、いちばんいい。
そう決めるまで、怖くて仕方なかった。
玲から離れるのが、あまりにも心細くて、
岩城や杏子を傷つけてしまった。
だから今は、自分がしっかりしなければならない。
そう、何度も言い聞かせて、
笑顔を作って頷いた――はずだった。
「あ……れ?」
ティーカップに、ぽたりと雫が落ちる。
止まらない。
「怪奇現象だ」
呟くと、森川が深く息を吐いた。
「ニヤちゃん。
玲君の幸せのために、自分に出来ることをする。
そう言ってたわよね?」
確かに、そう答えた。
なぜ今さら里親を探すのかと問われたときに。
玲は、責任感と罪悪感から、
ニヤの望む形で一緒にいてくれるだろう。
それは、恋人ごっこを続けるということ。
ニヤは、玲を諦められない。
そうなれば、甘え続けることになる。
それは、玲が本当に大切な人と一緒にいられないということ。
「今でも変わらねーよ。
これで、玲や杏子さんが幸せになれるなら」
涙を拭い、もう一度笑おうとすると、
森川は眉を寄せた。
「凄いわね。
他人を幸せにしてあげようなんて、
私には出来ない。
自分の幸せすら、掴めないのに」
「別に、幸せにしてあげるとか……」
「あら、違うの?」
馬鹿にするでもなく、
むしろ突き刺すような声。
「私、そういう考え方、大嫌い。
誰かの幸せのため、誰かの未来のため。
そう言う人に限って、自分の幸せが分かってないのよ。
自分すら幸せに出来ない人が、
他人を幸せに出来ると思う?」
ニヤは黙って唇を噛み締めた。
「昔、そんな人がいたわ。
親の幸せのためだって言って、絵を描き続けた人。
本当は、自分を見て欲しかったのに、それも言えなくて。
その人は、親を捨てた。
ありったけの罪悪感を背負って」
森川は窓の外を見る。
ニヤもつられて目を向ける。
人の少ないオフィス街。
寒そうに揺れる街路樹。
空は曇り、今夜はホワイトクリスマスになるだろう。
――玲は寒くないだろうか。
薄着のまま、どこかを歩いていないだろうか。
去年、一緒に買ったコートを、ちゃんと着ているだろうか。
「その人ね、
自分がいなくなれば、両親は元に戻るって信じてたみたい」
森川は冷めた紅茶を一口飲み、ニヤを見る。
「優しい人。
でも、とても傲慢な考え方。
人は、自分の幸せを掴むだけでも精一杯なのに、
誰かを幸せにしようなんて。
神様にでもなったつもりかしら?」
笑った顔は、とても寂しそうだった。
「玲君、ニヤちゃんが来てから、よく笑うようになった。
どうして離れようとしたのか、私には分からない。
でも、それは事実。
それに……絵は、もっと優しくなった。
同時に、悲しみも深くなったけれど」
そう言って、白い大きな封筒を差し出す。
外国の文字。
「玲君、欧州にアトリエを移すわ」
ニヤは目を見開く。
「それが彼の望みなら、止めない?」
もし日本にいれば、
いつか、また会えるかもしれない。
けれど、遠い国へ行ってしまったら――
「戻ってこなくても、
あなたは彼の幸せのために諦められるのよね?」
その言葉に、ニヤは弾かれたように顔を上げる。
森川は満足そうに微笑んだ。
「私はこう思うの。
自分の幸せが、誰かの幸せに続いていればいい。
人は他人を幸せになんて出来ない。
でも、自分だけなら、なんとか出来る。
もし、自分の幸せが、
大好きな人の幸せに繋がっているなら……
そんな素敵なこと、ないわよね」
同じ傲慢でも、
私はそっちのほうが好き。
そう言って立ち上がり、
画廊の扉を勢いよく開けた。
冷たい風が吹き込み、
「絵が悪くなりそう」と悪戯っぽく笑う。
「行きたいところへ、行ってらっしゃい」
ニヤは頷き、冬の街を走り出す。
空から、雪が舞い始めていた。
森川はその背を見送り、
「さあ、もう一仕事ね」と呟き、
携帯を取り出した。




