猫との決別1
僕には猫がいた。
父にも母にも懐かなかった、
真っ黒で、綺麗な猫。
たしかおばあちゃんから引き取ったのだったろうか?
いつもフーフーと唸っていたのに、
なぜか僕にはじゃれついた。
気まぐれに甘えて、
それが僕の、唯一の友達だった。
中学に上がる前の年の暮れ。
その猫は、動かなくなった。
眠るように横たわる、
真っ黒な綺麗な猫。
僕は猫が苦手で、抱くと咳が止まらなくなることがあった。
煩わしいと思ったこともあった。
だけど大好きだった。
だけど、猫が死んでも泣けなかった。
ただ、胸の奥が冷えていくのを感じるだけだった。
抱き上げると、驚くほど軽かった。
こんな軽いものに僕は頼って居たのだと知った。
僕は好きだったんじゃない、寂しさを埋めるのに猫を使っていただけなんだ。
だから涙なんて出ないんだ。
僕は、大切な友達よりも、自分の不安の方が大切なんだ、そう思った。
***
「神山、持久走だるくね?」
生真面目にグラウンドを周回していたニヤの横に並び、
岩城が声をかけてきた。
「ちょーだりぃ」
一言だけ返す。
運動神経は悪くないが、体力がない。
長距離走は、どう考えても向いていなかった。
サッカー部の岩城はまだ余裕そうだったが、
部活前に走らされるのが嫌なのか、
朝から体育の授業への愚痴が止まらない。
「ゴリ先、便所行ったっぽいからさ。
フケんべ」
朝礼台のほうを見ると、
たしかに体育教師の姿はなかった。
「らじゃー」
ニヤはそう言うや否や、
周回を装ってグラウンドを抜けた。
二人が向かったのは、
昼間はほとんど人の来ない部室裏だった。
薄暗いそこにへたり込むと、
岩城が部室からスポーツドリンクの缶を二本くすねてきて、
一本をニヤに投げてよこす。
「なにこれ、安物」
「仕方ねーだろ。これしかねーんだから」
岩城はそう言って缶を開け、
一息で喉へ流し込んだ。
ニヤも倣って口をつける。
外気で冷えた液体が、
火照った身体の奥へ染みていく。
二人は無言のまま、座って飲んでいた。
しばらくして――
「あのさ」
口を開いたのは岩城だった。
ニヤは、もう答えを決めていた。
ただ、言うタイミングがなかっただけだ。
「いいよ」
岩城が何か言う前に、
ニヤは立ち上がってそう言った。
意味が分からず固まる岩城を横目に、
空になった缶を大きく振りかぶって投げる。
十メートルほど先のゴミ箱に、
派手な音を立てて吸い込まれた。
「よっし。絶好調」
ガッツポーズをして、
ニヤは振り返る。
「何その間抜け面。
ほら行くぞ、もう授業終わるだろ」
「……神山?
いまの“いい”って、それ?」
「だから、付き合ってやるっつってんだよ」
ようやく理解したのか、
岩城は慌てて立ち上がった。
「マジで?!」
ニヤが面倒くさそうに頷くと、
「好きだ! 神山!」
岩城は恥ずかしげもなく叫び、
勢いのままニヤを抱きしめた。
「うっせぇな、お前。
ゴリ先に見つかんだろ」
苦笑しながら、ニヤは思う。
――これで、いいのだ、と。




