雨の日のバス停 〈2015年11月〉
「白滝なら濡れていこうと思うけど、秋雨はちょっとねえ」
「『それをいうなら「春雨」でしょ』っていうツッコミ待ってんなら、血の雨降らすけど?」
イソマツと桐野は、坂の上のバス停で次のバスを待っていた。
先客は、極彩色の赤い雨傘を差した若い女性が一人のみ。
この辺りにはさしたる商業施設もなく、非常に閑散としていた。このバス停に停まるのも、三十分に一本の系統だけである。
鉛のような黄昏時に降りしきる十一月の雨は、身体を冷やし、重たくさせていく。
「ねーねー。キリちゃん」
「うるさい。黙って待ってられないのかい」
「急に寒くなったからね。口を閉じると、凍りついてしまいそうなんだ」
「そのまま凍結してしまいな。静かになって助かる」
イソマツは「うぅ~ん、いけずぅ」と嘲る。
「じゃあ、心理テストね! キリちゃんも参加してよ」
桐野は「しねーし」と一蹴する。
けれどもイソマツは、それを無視して話題を切り出す。
「こないだネットで見たんだけど、流行っているらしいよ。『二人の男女が公園でデートしていると、花が咲いていました。この花は、次のうち何色か? 赤・黄色・青・紫・ピンク』」
「人の話聞けよ……」
そう言いつつも、桐野は少し考え込む素振りを見せる。
それから、ぼそりとつぶやくように答えた。
「黄色」
「……!」
イソマツは、頬に熱が帯びていくのを感じた。
「アンタは何色にしたん?」
「……僕も、黄色」
うつむき加減にそう答えると、しばし口を閉ざしてしまった。
「おい。黙ってないで、結果教えろよ」
桐野は急かすようにイソマツに言う。
「……いや。実はこれね。恋人同士の相性を占うテストなんだ」
「は!? なんで、そんなんやらせたんだよ」
桐野は、眉を吊り上げて反感を口に出した。
「いや、まさか当たると思わなかったからサ……。冗談のつもりだったんだよ」
「『色が同じだったら相思相愛』なんていうんじゃないだろうね?」
「まあその通りなんだけど……、これには続きがあってね。共通していた『色』によって、これから起こることを予言する占いの要素もあるんだ……」
「で、黄色はなんなんだよ」
「――二人は、熱い抱擁を交わす」
げしっ。
「¡Ay!」
げし、げしっ。
「死ねッ。気色悪いモンやらせんじゃねえ」
桐野は執拗にイソマツのすねを蹴り続ける。灰色のジーパンに、桐野のスニーカーの靴跡が黒く染まっている。
「ごめんよ、もうしないよー。お詫びといっちゃなんだけど、ネットで読んだこの辺の面白い都市伝説話してあげる」
「いや、もう黙ってろよ」
「上州自治区に棲むAさんの家は、ちょっと変わっていてね。夕飯に『恐怖のみそ汁』っていう恐ろしい献立を――」
「『今日、麩の味噌汁』とかいったらぶん殴る」
「え……と、じゃあね。相州自治区の某小学校に通う、Bちゃんのお話ね。Bちゃんは学校でいじめられていてね。自分の部屋で夜な夜な、人形にその日にあったことを話しかけるらしいんだ。それは『悪魔』をかたどっているというウワサがクラスで立って――」
「『あ、クマの人形』とかいったら蹴っ飛ばす」
げしげしげし。
「もう蹴られたし! いま蹴ってるし!」
イソマツのジーパンの裾は完全に濡れそぼっていて、ゴワゴワになっていた。
「まともな話ねーのかよ」
「ええとね……。あ、思い出した! この清丸町! ここでも怪談じみた話があるんだ」
「いや、話せとは言ってねーよ」
桐野の言葉を無視して、イソマツが話す。
「で、その話ってのはね。
――バス停で待つ、赤い傘を差した女の悪霊の話なんだ」
「『白いワンピース』と同じくらいの定番アイテムだね」
「こんな、寒い雨の日の話ね。ある若い女性が赤い傘を差してバスを待っていたんだ。そこへバスがやってきたんだけど、どうも様子がおかしくてね。バスの運転手が過労で半分寝ていて蛇行運転していたんだ」
「話もテンプレそのものだね。てゆーか『赤』が見えたら、反射的にブレーキくらいかけそうなもんだけ……ど……」
「まあまあ。それでとにかく、バス停に突っ込んじゃったんだ。女の人はひかれちゃって即死でさ。それで浮かばれない女性は、そのバス停の地縛霊になってね。こんな寒い雨の日に現れては、バスをスリップさせて、事故を引き起こすんだって。だからその女性が現れたとき、けしてバス停にいちゃいけないんだ。バスに巻き込まれちゃうからね」
「……」
イソマツは、桐野の異変に気づいた。
黙り込み、イソマツを凝視している。
「ん? どうしたのキリちゃん。さっきから黙りこくって。ていうか顔真っ青だけど大丈夫? 風邪引いた?」
否。
桐野が見ていたのは、イソマツの後ろだった。
ようやくのことで震える人差し指を、イソマツの背後へ向けた。
「――イソマツ、後ろ」
イソマツは振り返る。
そこには、先客である血の様に赤い雨傘を差す若い女性が立っていた。
「……」
傘は見事な赤で、女性の着る白いダッフルコートまで染め上げて、地面にまで染み出しているような錯覚をイソマツは覚える。
そんなことは、当然あり得ない。
だが、それは錯覚ではなかった。
女性の頭の方から大量の血液が溢れ出し、白いダッフルコートを染み込ませて、下へと流れ落ちているのだ。
傘が傾き、女の顔が覗き見える。
剥がれた皮。えぐれた肉。凄惨な相貌が徐々に照らし出されて――
「――!」
突如、イソマツが桐野に飛びかかって巻き付いた。
放心していた桐野の目に、光が戻る。
――ギャキイイイイイイイイイィィィィィ
轟音。
宙を舞うバス停の標識。落ちて、木製のベンチを砕く。
イソマツが、桐野の胴に腕を回したまま後ろを振り向く。
さっきまでイソマツたちがいた場所に、バスの巨体がたたずんでいる。
あのまま居たら、二人とも確実に跳ね飛ばされていた。
「おーい、大丈夫か!?」
バスの中から、真っ青な顔をした中年の男性運転手が飛び出てきた。
「「……」」
ヘッドライトに照らされる、ずぶ濡れになったイソマツと桐野。
二人は固く抱きしめあったまま、ただただ呆然とバスを見つめていた。
赤い傘の女も、流れ出た血も、もうどこにも見当たらなかった。