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フェアリーリング・ダイアリーズ  作者: Cigale
現世・桐野・イソマツ(2014-2017)
4/15

スネコスリのすね子〈2015年3月〉

 猫のような小さな動物が、氷雨に震えて蹲っていた。

 薄茶の毛皮には朱色がうっすらと滲んでいる。


 ……なー、なー。


 幼ない獣は力ない声で鳴いた。

 それは、スネコスリの子どもであった。

 赤い傘を指した現世は、この手負いの妖獣(ようじゅう)に憐れみの視線を投げかける。


「桐野……」


 現世は、隣に立っているダッフルコートの桐野に何かを訴えるような視線を向ける。


「……ダメだよ。これは、日輪山(ひのわやま)から降りてきた野生のスネコスリだよ」


 桐野は忠告するように言った。

 ここは山道に通じる裏路地。目の前の林を超えれば、もう日輪山である。

 二人はおつかいを頼まれた、その帰り途中だった。


涼二(りょうじ)先生からも、妖獣は拾ってくるなって言われているでしょ。可哀想だけど、つれていくわけにはいかないよ」

「だけど、あのままでは死んでしまうのだ! ――なあ、ケガが治るまでウチで保護するだけならよいであろう? 涼ちゃんも、こういう事情なら許してくれると思うのだ」

「ダメだって! 野生の妖獣には病気を持っているものもいるし、妖獣には妖獣たちの世界があって、人間が下手に手出ししない方がいいんだよ」


 桐野がそう言うと、現世はキッと目を三角にしてにらみつける。


「『どんな小さな動物にも命はあるからいつくしみ(・・・・・)の心をもって接しなければならない』と言ったのは、涼ちゃんではないか! 涼ちゃんは、自分の言ったことを取り消すような男なのか!?」


 現世は敢然とそう言い切る。

 それを受けて桐野は、根負けした素振りでため息をついた。


「わかったよ……。そのかわり、自分の口から言うんだよ」

「ありがとうなのだ、桐野!」


 現世はスネコスリをなだめるように声をかけ、静かに近寄った。


「だいじょうぶだぞー。現世はお前の敵じゃないぞー、こわくないからなー」


 現世が両手を優しくスネコスリに携える。

 水分を吸った毛皮が異様に重たく、冷たかった。

 スネコスリの子は、まるで抵抗しなかった。いや、抵抗できないほど体力がなくなっていたのだろう。

 掻き消えてしまいそうな鳴き声をあげるスネコスリを抱き、二人は家路を急いだ。

 日輪山の麓の東、その坂の上に現世たちが住む邸宅がある。インターホンとガレージが設えられた門があること以外は、典型的な日本家屋といっていい造りをしていた。

 現世と桐野が玄関まで来ると、中から引き戸が開けられた。


「おかえりー。おや、その毛玉は何? ――!Ay(アイ)!」


 出迎えたのはイソマツだった。無神経な言葉を吐いた彼の額と(スネ)を二人がどついた。




   ☆


「傷自体は浅いけど……。衰弱がひどいね。内臓を傷つけたのかな?」


 スネコスリに包帯を巻きながら、桐野が言った。

 二階にある現世の部屋に集まった三人は、ダンボールの中にタオルを敷いた即席ケージの中で震えるスネコスリを看ていた。タオルの底には、低温火傷しないようハンドタオルで二重に包んだカイロを入れている。


「¡Ay(アイ)......!(うーん) 僕の〔バクチク〕じゃ、焼くことはできても温めることはできないからなあ……」

「傷はすりむいた感じだね。骨は折れていないけど、打撲のあとがある。……これ、人間に蹴られたんじゃないかな」

「人間だと!? こんな小さな子に、そんなひどいことするヤツがおるのか!?」


 現世は憤慨して桐野に訊く。


「現世……。自分より弱い存在にひどいことをする人間は、いつでもどこでもいるんだよ。わたしたちが生まれる前にも『矢ガモ』なんていう事件があったんだ。今でも、動物の虐待は毎日のように起きている」


 桐野が目を伏して言う。その顔は、暴力を受けた痛みを知っている者の表情をしていた。


「そんな……。この者だって、現世たちと同じように一つの魂を持って生きておるのに」


 命。一つしかない生命(いのち)。それなのに、どうしてこんなひどいことができるのか。

 現世は、そんなことをする人間の心情を一切理解したくないと思った。


(ん? かけがえのない? 一つしかない、たった一つの命――)


 そこで、現世は何かを思いついたように目を輝かせた。


「……そうだ! この者に名前をつけよう!」 


 桐野は訝るように「名前だって……?」と言った。


「そう。この世に二つとない名前を、なのだ! そもそも『スネコスリの子ども』では呼びにくいであろう?」

「やめなよ! 名前なんてつけたら情が移るだろ」

「いいんじゃないの? 呼び名がないと困るし」


 そこで、イソマツが口を挿む。


 桐野が「ダメだって。別れるとき辛くなるだけだよ」と言う。


「それも覚悟のうちさ。そうでしょ、現世ちゃん?」


 イソマツが現世に問う。

 現世は、真剣な眼差しで首を縦に振った。


「はあ……わかったよ。でも、なんて名づけるの?」

「そうだな……。見たところ、こいつはどうもメスのようなのだ」


 イソマツは「え? そうなの?」と訊く。


「うん。わたしもさっき包帯巻いているときに気づいた」

「だから……、『すね子』なんてどうだ?」


 イソマツはプッと吹き出して「安直ゥ」と言った。


「笑うな! よいか、本来スネコスリはその名前の通り人間のすねにすりつく妖獣なのだが、こいつは今やそれすらできない。だからこそ、また人のすねにこすりつくことができるよう元気になって欲しいと、現世は願いをこの名前にこめたいのだ」

「まァ、現世ちゃんが保護したいっていったんだから、好きにしなよ」


 隣で、桐野は困った表情を浮かべていた。


「名前はいいとして……困ったね。明日日曜だから、どこの妖獣病院(ようじゅうびょういん)もやっていないよ」

「明後日か、キビしいね。とりあえず、徳長先生に聞いてみようよ」


 現世はスネコスリの子どもを見つめる。

 濡れる毛は渇き始め、ふわふわとした質感を取り戻していた。それまで隠れていた黒目が露わになっている。つぶらな眼に宿る、弱い弱い光。耳を傾けると、か細過ぎる声にならない鳴き声がかすかに聞こえてくる。


(……焦らずともよい。ゆっくり休んで元気になるのだぞ、すね子)




   ☆


「そうですか……ハイ。ハイ、わかりました。……ありがとうございました。失礼します」


 海松色(みるいろ)の和服を着込んだ男性が、黒電話の受話器を置いた。

 わずかに揺れた壁掛けの日めくりカレンダーには「2015年3月8日 日曜日」と印字されている。

 

「ダメですね。病床は満室で、五日後まで予約もいっぱいだそうです」


 (ヘーゼルナッツ)(カラー)の長髪をぼんのくぼのところで結わいた、見かけは二十半ばほどに見える青年が、現世たちにそう告げた。

 彼らの保護者である、徳長涼二(とくなが りょうじ)である。

 円島の病院は休業で全滅。いま徳長がかけたのは、相州自治区にある大きな病院だった。


「そんな……」


 桐野とイソマツが落胆する。


「アーケード商店街近くの病院が、月曜の朝八時からやっていますから、それまでできる限りのことをして、何とか持ち堪えさせるしかありませんね」


 大きくため息をつきながら、桐野とイソマツは現世の自室へと向かっていった。


「現世ちゃん、がっかりするだろうなあ……」


 イソマツがそう言いながら廊下を渡り、現世は部屋の前に立って二回叩く。


「入るよー」


 ふすまが開けられる。

 四畳半の和室で現世は、すね子に米と牛乳と砂糖でつくった薄いお粥を食べさせていた。


「ほら。ちょっとでも食べないと、力がつかないぞ」


 ……な……なー……


 ごく少量を二、三口食べては、吐き出してしまう。そうしたら、またしばらく置いて食べさせる。その繰りかえしだった。

 これは昨日、徳長が教えてくれた看護の仕方だった。

 だが、あまり効果が見られない。

 現世はすね子の小さな口許を、ぬるま湯のタオルで拭いてあげる。


「すね子……」 


 日が暮れ、夜が訪れた。

 すね子は相変わらず衰弱したままだった。


「……明日、僕と先生とで妖獣病院行ってくるよ」


 明日は現世はフリースクール。桐野は学校がある。そのため病院に行けるのは、ホームスクーリングをしているイソマツが徳長だけだった。

 その夜、床に入った桐野は現世のことを考えると胸が張り裂けそうだった。自分でさえそうなのだから、現世はもっと不安だろうなと思いながら眠りに就いた。




   ☆


 ……

 ……な……

 ……なー……なー……


「う、うん……」


 ……なー、なー。


「……ん?」


 現世は目を開ける。カーテンから漏れる、青い光が注がれた天井。

 足に違和感。

 毛玉がすりつけられているような感覚。

 驚き、現世は掛け布団をはねのける。


「なー、なー」


 現世の小さなふくらはぎに、すね子がすりついていた。

 ――はらり。

 現世の大きな黒目から、一粒の雫がこぼれた。


「……すね子!」


 歓喜の声が、四畳半のせまい空間に響く。

 小さな口がいっぱいに開き、すね子は声をあげていた。


「なー、なー。なー」


「元気になった! すね子が、元気になったのだ!!」


 ぎい。扉が開かれる音。

 パジャマ姿の桐野が入ってくる。


「どうしたの現世――あっ!」


 桐野が、現世に抱かれたすね子を見て声をあげた。


「なー……なー……」


 あとからイソマツも目をこすりながら入ってきた。


「何だい、みんな……。あれ?」

「桐野! イソマツ! 見るのだ! すね子が――」


「……なー……な……」 


 突如。声が細くなった。

 二十センチに満たない身体が、急に動きを止める。


「すね子……?」


 現世はすね子を見る。

 つぶらな瞳が、ゆっくりと閉じられる。

 

 そのまま、すね子は動かなくなった。


「――すね子ッ!!」


 ……

 …………

 ………………


「息をしていない……。蘇生は、まず無理ですね」


 徳長はそう言って、冷たくなっていくすね子を現世に返した。

 現世は無言ですね子を受け取り、そのまま抱きかかえた。


「……」


 その痛ましい姿に、桐野とイソマツは何も言えずにいた。


「……すね子を」


 それまで黙っていた現世が、口を開いた。


「すね子を、生き返らせたい」


『……!』


 イソマツと桐野の二人が息を呑んだ。


「そういう術は、昔からあるのだろう? 涼ちゃんならきっと……」


 全員が息を呑むような顔をする。


「ダメだよ、現世。それは、法に触れる行為だ」


 桐野の言う通りである。

 術師界では医学的に「死亡」と見なされて、蘇生の見込みが完全にない人間に対し、生き返りや反魂、死者使役といった術を行使することを、法律で禁じている。それは妖獣に対しても同様であり、研究目的などで特別に許可された場合を除いて、生き返りに類する術の使用は厳格に禁じられている。


「……いいでしょう」

「先生!?」


 桐野とイソマツは耳を疑った。

 徳長は彼らの保護者であり、倫理的支柱となる存在だった。その彼が、そんなことを言うなどとは。

 しかし、であった。


「ですが、そうして生き返ったもの(・・)は現世さんが看取った『すね子』とは、確実に違うものです。それでもいいのですか?」

「……!」


 敢然とそう言い切る徳長に、現世は二の句を告げなかった。


「生き返りに類する術を用いて、一度死んだ生き物が、そのままの記憶と性格を持ったまま生き返った事例は存在しません。身体が生体反応を示しても、全く元のその生き物とは思えない行動をし始めて、大体の場合はすぐにまた死んでしまいます。それでもよろしければ、術を行使いたしますが」


 徳長にそう言われ、現世は黙り込んでしまった。


「現世……。すね子の名前をつけたとき言ったよね。『現世たちと同じように一つの魂を持って生きておるのに』って」


 耐えかねて、桐野が口を開いた。


「その魂は、命は、いま終わりを向かえたんだよ。いま現世が抱いているのはもう、すね子じゃない。すね子だったもの(・・・・・・・・)なんだ」

「……」

「一度喪ってしまった(いのち)はもう戻らないんだよ。徳長先生の言った通り、仮に身体が動いたとしても、それはもう『すね子』じゃないんだ」


 現世を説得する桐野の唇は、次第に震え始めていた。


「だから、ね。現世……」


 がばり。

 現世は顔をあげた。

 それは、涙でくしゃくしゃになった表情だった。


「……う、……うう。――ああああああっ!!」


 号泣。

 黒い瞳から、滝のように涙を流す。

 人前で滅多に泣かない現世が、家族の前で泣いた。

 泣いた。

 泣き崩れた。


 ――ポン。

 イソマツが、現世の肩を軽く叩いた。


「月並みな言葉しかいえないけど……、すね子は現世ちゃんに『ありがとう』って言いたかったんじゃないかな。名前をつけてくれて、一つの命として見てくれた現世ちゃんに……」


(……そんなの、こっちがいいたいくらいなのだ)


 現世は、すね子の死を心の底から悼み、礼を以ってその命を見送った。


(ありがとう、すね子。「命」というのがどういうものかを、現世に教えてくれて。


そのたった一つしかない命の最期の時を現世にくれたお前は――私にとって間違いなく、かけがえのない存在だったのだ)

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