放課後の二重奏 〈1996年5月〉
それはおれがまだ、独りでランドセルを鳴らしながら帰っていた頃のことだ。
「緒澤平祐です。東京からやってきました。よろしくお願いします」
そいつは坊ちゃん坊ちゃんしていて大人しそうに見えたが、実際はかなり社交的で、クラス全員と話すのに一週間もかからなかった。ただし、おれを除いて。
ときどき気にしてそうにこっちを見ては、他の奴から「いや、あいつは……」と止められてしまい、平祐はおれに話しかけられずにいた。
うん、それでいいぞ。オレはコドクが好きだ。ヘンに絡まれるのはゴメンだ。
ある日の放課後。音楽の授業で口パクをしていたことが音楽のババアにバレたおれは、帰りの会の後に音楽室で居残りをさせられ、終わらせていないリコーダーの課題を無理矢理やらされた。校舎の中が完全にオレンジに染まる時間になってようやく解放され、教室に戻ったおれを迎えたのは、リコーダーの音色だった。
平祐が、夕焼けに染まる教室の中でリコーダーを吹いていたのだ。
「やあお帰り、羽山くん」
そうか、この課題が出たのはこいつが転校してくる前だから、知らなかったのか。だけど、ちゃんとした理由なら居残りはさせられないだろうし、そもそもなぜ教室で練習を? ……さてはこいつ、おれを待ち構えていたな?
「羽山くん、みんなの前で歌うのがキライなんだ」
そら見ろ。おれと無理やり接点を作るためにここに残っていたな。身勝手な達成感におれを利用するな。そう考えたおれはシカトを決め込むことにした。
「――オレも超きらい!」
だが、この一言でおれの思惑は一瞬で打ち破られた。
「……は? お前、ちゃんと歌えてただろ。初めてなのにって褒められたじゃん」
「うん。だから、羽山くんにだけ言うね」
そいつは信じがたいことに、満面の笑顔で他人を騙したことを平気で言った。
他人がおれに話しかけてくるときは、質問か暴言か、あるいは叱責のどれかだった。けれども平祐はそのどれでもない。そこには遠慮も物怖じもなかった。
ぷっ、……くくっ。おれは思わず、噴き出してしまっていた。
「その……、羽山くんてのやめろ。先公みたいでむずがゆいから」
平祐は微笑んで、「わかったよ、維弦」と言った。
その日から帰り道のランドセルの音はもう、一つじゃなくなった。




