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フェアリーリング・ダイアリーズ  作者: Cigale
現世・桐野・イソマツ(2014-2017)
12/16

訪問するクネヒト・ループレヒト 〈2016年12月〉

「涼ちゃん! ドイツには二回クリスマスがあるって、本当か!?」


 現世はみかんを剥きながら、発問した。


「ええ。本当ですよ」


 海松色みるいろの着物を着た徳長涼二が、微笑んで答えた。

 現世とイソマツと徳長はお茶の間のこたつに入り、寝る前の憩いの時を過ごしていた。

 テレビラックの中のDVD・ブルーレイレコーダーは「2016年12月5日(月) 22時40分」と表示されている。


「ひとつは12月24日のクリストキント。これはキリストの生誕を祝う、私たちがよく知っているクリスマスです。もうひとつは12月6日に催される、聖ニコラウス祭です。これは帝政ローマの時代に活躍した伝説の聖人ニコラウスが12月6日に亡くなったことから、彼の功績を湛えるという意味で催されるようになったお祭りですね」

「ほう。しかし、そのニコラウス様とクリスマスとは、何の関係があるのだ?」

「聖ニコラウスは、子どもの守護者として活躍するエピソードが多く伝えられているのです。三人の娘がいる貧しい家の煙突から金貨を投げ入れていたとか、飢饉のとき肉屋に塩漬けにされてしまった子どもたちを聖なる力で復活させたとか、そういった類いの話がいくつも遺されているんですよ」

「あー。それママンから聞いたことあったなあ」


 イソマツが口を挿んできた。


「このニコラウス祭にはこんな言い伝えがありましてね。よい子にはプレゼントをあげるのですが、悪い子には付き人である従者(クネヒト・)ループレヒトにより罰を与えさせるのです。これが、西洋圏に伝わる『黒いサンタクロース』の起源だと一説では言われています」

「ば……罰だと? どんなことをされるのだ?」

「私が聞いた限りでは、灰の入った袋や(わら)で滅多打ちにしたり、袋に入れて森の中に放置したりといったバリエーションがありましたね」


 徳長がそう言うと、イソマツと現世は色めきだった反応をした。


「¡Que() diabros(ディアブロス)!(信じられない!) 児童虐待ィ!」

「そんなことをしたら、死んでしまうではないか!」


 すると徳長は苦笑いをして、こう釈明をした。


「まあ飽くまで言い伝えですから。それに昔と今とでは、道徳観念も当然違いますので」


 徳長は、DVD・ブルーレイレコーダーの時間表示を見る。23時になろうとしていた。


「さ。そろそろ寝る時間ですよ。部屋に戻って」


 イソマツは「えー。まだ宵の口だよ。マンデーナイトフィーバーだよ」とブツブツ文句をたれる。


「ありませんよそんな言葉――そうだ、イソマツくん」


 徳長が呼び止める。


「桐野さんが起きていたら、早く寝るように伝えてください」


 歯を磨き、自分の部屋に戻ったイソマツは隣の桐野の部屋をノックする。


「キリちゃーん……」


 イソマツが呼びかける。

 ガチャ。

 ノブが動いて、ドアが開いた


「……」


 イソマツは出てきた桐野を見て、少しのあいだ口を閉ざしてしまった。

 目の下にクマが溜まり、唇はカサカサ。枝毛だらけの栗色の髪は、乱暴に括られていた。

 ただでさえ吊り目で三白眼気味なため、一層怖く見える。


「何の用」

「あ、あの。徳長先生が、早く寝るようにって」

「……それだけ?」

「……うん」


 桐野の、眉間の皺が深くなる。

 バタン!

 それから、ドアが勢いよく閉められた。

 ギィィィー……。

 イソマツの左後ろのほうから、ドアが開かれる音がした。


「イソマツぅー……」


 現世が、困ったような顔をして出てきた。

 桐野の様子を訊きにきたのだ。


「桐野はどんな感じ……ああ、うむ。大体わかったのだ」


 現世はイソマツの表情を見て、悟ってくれた。

 今年受験生である桐野は、自治区内最難関である清丸魔導高校が第一志望であった。

 術師界にも模試はあり、桐野はその全国ランキング上位の常連であった。だが、夏が終わったあたりから他の受験生に追い越されがちになってしまう。特に先月の模試の結果は最悪で、とうとうランキング外となってしまった。担任の教師からも「このまま下がり続けると、合格は難しい」と釘を刺されてしまっている状態だ。


「桐野。たしか先週は、合計で十時間くらいしか寝ていないハズなのだ……」


 現世が心配そうな声で言った。


「もう何日もこんな感じだよね……。クリスマスの日にライブ行く約束もふいにしちゃうし」


 それから「冷たいよ、キリちゃん」と愚痴を零した。


「それどころではないのだ。このままじゃ、受験の日まで身体がもたんぞ」


 現世がたしなめるように言った。


「そうだねぇ……。だから余計、いきなり遊びを断ったらダメなんだよ。もっと余裕をもたないと」


 イソマツは、このところ桐野と全然遊んでいなかった。

 高校教師である徳長によって家の中で毎日ホームスクーリングを受けているイソマツには、同年代の友だちがいない。そのため家族同然である桐野と現世くらいしか、遊び相手がいないのだ。

 どうともしがたいさみしさを抱えながら、イソマツは自室に戻って行った。




   ☆


(う~……、頭痛い)


 授業を終えて下校する桐野。頭を抱えながら、重い足取りで一歩一歩坂を登る。

 その手には、英単語が書かれた手の平サイズの単語カードが握られている。


(――明らかに大量のカフェインと睡眠不足がたたってるわ。でも、呪文学のドリル三十ページと過去問やらなきゃ今日のノルマを達成できない……)


 桐野が、ここまで勉強に打ち込むのには理由があった。

 魔導の世界に入る前、桐野はその力ゆえに学校ではいじめられ、家では冷遇されていた。しかし勉強さえできれば「アイツらに何をされようと、何を言ってこようと、自分は優秀なんだ。低レベルなアイツらよりも、自分は選れた人間なんだ」と自負することができる。さらに、桐野はものごころついたときから、テストで点数を取ることに快楽を感じるようになっていた。この自尊心と本能的快楽を満たすために桐野は、まるでゲームにのめりこむ子どものように、勉強へと打ち込んでいったのである。このような意識は魔導の世界に入っても変わらず、点数と偏差値はひたすらに優等生であり続けた。


(……わたしをイジめた奴らは、群れないと生存できないクズばかりだった。――わたしは違う。独りで、全員追い越してやる……!)


 (なら)の木々が道に沿って立ち並ぶ坂を登り終えると、見慣れた大きな門が視界に入る。

 因幡邸の正門である。因幡邸は大きな塀で囲まれている日本家屋であり、中に人がいるときは門に設えられたインターホンを使って連絡を取っている。


「桐野です。ただいま帰りました」


 インターホンに話しかける桐野。


 すると、軽やかな男性の声で「お帰りィ」と返事がした。


 家主の因幡清一郎いなばせいいちろうである

 門が開けられる。

 玄関の引き戸の前で鍵を取り出し、開錠する。

 帰宅しても、手を洗う時以外は単語カードを手放さない。

 人影が通り過ぎた気がしたが、カードに神経が注がれている桐野は振り向きもしなかった。

 「田の字」の四部屋を「逆コ」の字に囲う廊下を経て、二階へつながる階段へ足を運ぶ。

(……〈opportunity 機会〉〈order ~を注文する〉〈ordinaly 普通の~〉……部屋に戻るまでに、あと三単語……)


「えいっ」


 桐野の手から、単語カードが消えた。

 そうではない。イソマツが掠め取ったのだ。


「――イソマツッ!!」


 剣呑な声を上げて、桐野はイソマツを睨みつけた。


Je(), je(), je(). 帰りの挨拶もしない子にはおしおきだよっ」

「ふざけんなッ。返せッ!!」


 奪い返そうとする桐野。

 しかしイソマツは、桐野の死角へ死角へと上手く回り込む。


「キリちゃん、少し根詰め過ぎ。このままじゃ身体壊しちゃうよ」


 イソマツの声音が、茶化すような口調から少し慈しむような声色に変わる。


「うるさい! 余計なお世話だッ」


 息を切らして、桐野は叫んだ。


「僕だって受験生だよ? でも、いつも通りじゃないか。もっと気楽にいこうよ」


 イソマツは今年の十月に魔導中学校卒業程度認定試験を合格し、来年の二月には徳長の勤める私立高校を受験する予定である。志望校の平均偏差値は47程度で、この前に初めて模試を受けてみたが、見事に合格圏内に入った。


「アンタんところは、偏差値が30近く下だろうが! アンタとわたしとでは違うんだよ!」


 ……ピキ。

 桐野がそう言うと、イソマツの表情が一変した。

 口は薄笑いを浮かべているが、目が完全に据わっている。


「......¿Como(コモ)?(何だって?) 家族にそれ、言う?」

「ああ、いうさ。家の中でぬくぬくと勉強していた奴と一緒にするなっていってんだよ」


 桐野はきっぱりとした口調で言い放った。


 ドン!

 

 衝撃。

 桐野は、一瞬何が起こったのかわからなかった。

 左頬の横を、まっすぐ突かれたイソマツの右手。

 右手を中心に、壁にはひびが入っている。

 イソマツはうつむいたまま、震え声で言う。


「……キリちゃん。今の言葉は、例えキリちゃんでも許せない」

「――!」


 その行動に、桐野は少したじろぐ。

 いつも何を言われても飄々とかわすイソマツが、桐野に反論することは滅多にないことなのだ。


「僕が徳長先生に保護された当初、僕は普通の生活すらままならない状態だった。それなのに先生は、僕に根気良く勉強を教えてくれた。

 ――今のキリちゃんの言葉は、僕だけじゃなく、先生の恩義も否定する言葉だ」

「……」


 黙り込む桐野。

 桐野は、既に自分が言い過ぎたことを自覚し始めていた。

 沸々。沸々と、こみ上げる澱み。

 黒い黒いその感情を、桐野は知っていた。

 だがここまで大きな濁りは、経験のしたことがないものであった。


「――おい」


 ドキリ。

 さっきの壁の衝撃と、同じくらいの動揺が桐野を襲う。

 「田」の字の四部屋を構成する左上の部屋の襖から、インターホンからしたのと同じ声がした。


「うるせえぞ。家の中で暴れんじゃねえ」


 因幡であった。

 高いトーンでありながら威厳のある声は、ほんの子供である二人を萎縮させるのに十分だった。

 桐野は、ばつが悪そうにその場を無言で離れる。

 イソマツは、まだうつむいたまま棒立ちしていた。




   ☆


「う、あ……ううん」


 桐野が重いまぶたを開けると、まだ真っ黒な幕が視界を覆っていた。

 違う。そうではない。

 桐野はいつの間にか寝てしまい、夜になってしまったのだ。

 桐野は現世をかたどった抱き枕を脇に置いて、部屋の電気をつけた。

 乱暴に投げ出された学校指定のダッフルコート。通学鞄。

 どうやら制服姿のまま、ベッドで寝てしまっていたようだ。


「くしゅんッ」


 くしゃみが出た。

 冬だというのに、暖房もつけずろくに布団もかけないでうたた寝などすれば、身体が冷えても当然のことだ。


(ああ、今日のノルマが……。しかたない、夕飯の後でやるか。ん? 夕飯――!?)


 スマートフォンを見て、現在時刻を確認する。


「18時……大変だ! 夕飯の支度しなきゃ――」


 あわてて着替え始めようと、紺のスカートのホックに手をかける。

 だが、すぐさま動きを止めた。


(……そうだった。今日の台所担当は、イソマツ(あのバカ)だった)


 ぼすっ、とベッドの上に座りこむ。

 それから、大きくため息をついた。


「さんざ当たり散らして……。一番バカみたいのはわたしじゃない」


 ――バサッ。


「……?」


 気のせいか。窓が何かで叩かれた音がしたような……。


 バサン、バサン!!


「ひっ!」


 明らかに窓が外から叩かれている。

 だが、それはありえないことだった。

 家の構造上、桐野の部屋の窓の向こうは結構な広さを持つ屋根になっており、木の枝などがあたることはありえないのだ。

 桐野は、ケースから杖を取り出した。

 伸縮式の杖を窓に向けながら、一歩一歩近づいていく。

 フッ。

 電気が不意に消えた。

 桐野の緊張は頂点に達する。


(……ま、まさかポルターガイスト? 心霊障害物件(れいしょうぶつ)の一種か!? だが、このくらいのレベルなら何とか対応でき――)


 そこで、桐野は思考を止めた。


 ナイトキャップを被り大きな袋を持った黒い人影が、カーテンに映っていたのだ。


「――わああああッ!!」


 桐野は部屋のドアを開けて、勢い良く飛び出した。

 ガツン!


()ッ!」

「¡Ay(アイ)!」


 出た瞬間、頭と頭がぶつかった。


「……イソマツ!?」

「いたた……。キ、キリちゃん! 大変だ、窓の外に人影が!」


 うろたえるイソマツ。


「……え?」


 ……

 …………

 ………………


「で。そのループレヒトこと黒いサンタクロースが、私たちの部屋の窓を叩いたと……」


 喋りながら、階段を下る二人。

 二人はそれぞれの部屋の窓の外を調べた。しかし、誰かがいた痕跡は何ひとつ見つからなかったのである。

 そこでイソマツは、昨日お茶の間でした話を思い出して、桐野に説明したというわけだ。


「でも、そんなのただの伝説でしょ?」

「まあ、そうだよね……。だけど、ならわたしたちが見たのは……何?」


「……――イソマツ! 桐野!」


 トテテテテ。

 遠くからこっちに向かって駆けてくる現世。


「どしたの、現世ちゃん」

「雪だ! 初雪なのだ!」


 二人は現世に引っ張られるまま、玄関の外に出る。

 

 ――ひらり。


 ――ひらり。はらり。


「……冷たッ!」


 桐野の耳に、白い結晶が光る。


 細かな白雪が、濃い紫の空から降り注いでいる。


「へえ……。湘南で十二月に初雪なんて珍しいね」


 玄関から溢れる光を反射し、雪がきらめく。

 輝くやわい氷。はらり、ひらり舞い、消えていく。


「……」


 桐野は溶けゆく白い雪が舞う暗闇の空。自分の心の中を映す。

 けれども心の中で淀むのは、溶けない解けない黒いどろどろ――


「あのさ……イソマツ」


 イソマツが、薄茶の潤んだ瞳をこっちに向ける。


「うん……」


 ……言いたいことは、互いに同じなようだ。


「さっきはごめん……。言い過ぎた」


 らしくない、弱々しい声で謝罪の言葉を紡ぐ桐野。


「みんな心配してくれているのに、自分だけが苦労していると、わかってくれないと思い込んで、当たり散らして……。バカみたい」


 すると、イソマツはゆっくりと首を振った。


「ううん。僕の方こそ、ごめん。キリちゃんの都合も考えず、小さな子どもみたいに淋しがって、自分勝手なことした」


 それから「こんな悪い子だから、ループレヒトが来たのかもね」とつけ加えた。


「おーい。夕飯はまだかあ?」


 廊下の奥から、因幡の声が響く。


「イソマツ、アンタ夕飯の支度は!?」


 桐野は我に返ったかのように表情を変え、イソマツに訊く。


「あ、いけない! あのあとずっと部屋で凹んでて、すっかり忘れてた!」


 隣で現世が「あーあ。これは店屋ものかのう」とぼやく。


 三人は、何だかおかしくなって笑い始める。

 黒く染まった心は言の葉に染め移り、白と優しい闇の世界に溶けていった。

 桐野とイソマツは、透明に澄んでいく互いの気持ちが目に見えるようだった。




   ☆


 門が開かれ、一人の人影が敷地の中に入ってくる。

 徳長だった。仕事のときは洋装であり、ダークグレーのスーツの上にベージュのダウンコートを羽織っている。非常勤講師としての職務を終えて、今帰宅したところだった。


「おや……。なんだか、楽しそうですね」


 玄関で哄笑している現世たちに、目をやる徳長。


(ん? あれは……?)


 門と家屋を結び道の脇に設えられた池。その傍らに何かがある。


 藁の束が入った袋が、雑然と置かれていた。


(まさか、ループレヒトが……?)


 それを見て、徳長は昨日イソマツたちにした話が頭をよぎった。


「いやいや。そんなわけないな」


 玄関の三人が、徳長に気づく。

 三つの「お帰りなさい」に、徳長は「ただいま帰りました」といつものように笑顔で応えた。

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