「第七話」おそまつさまでした
これまで、色んな景色を見てきた。
夜が明ける頃の日の出、川のせせらぎ、風に揺れる木々。
だが、それら全てを凌駕する絶景が……テーブルの上に広がっている。
生クリームとやらを塗ったケーキ、香ばしい香りのクッキー、ひんやりと冷たいアイス。そして……独特の色と甘い匂いを漂わせる、チョコ。
それら全てが並んだ食卓に、俺は座っていた。
「……これ、本当に食べて良いのか?」
夢を超え、現実を超越し……俺は今、人生の絶頂にいる。目の前に広がる天国が、本当に自分のために用意されたのか……それを享受する権利があるのか? 拝めただけでも幸せだと言うのに、こんな、こんな……っ!
「勿論! お口に合うかどうかわからないけど……」
「頂きますッッッ!!!!」
ケーキを鷲掴み、口に運ぶ。
これが……甘さ! なんと幸せで、優しくて暖かいんだ。この生クリームという白いやつは、なんでこう舌の上に乗っかった瞬間溶けて消えていくのだろう。
クッキーは固く、しかしほどけていくような食感。アイスは冷たく、生クリームとはまた違うように溶けていく甘さ……プリンは柔らかく、チョコは口の中に幸せを残していった。
一通り食べて、俺はとうとう涙がこぼれるのを許してしまった。ボロボロと溢れ出るそれは止まること無く流れていく。ティルは慌てふためき、俺の顔色を伺った。
「どっ、どうしたの!? やっぱり美味しくなかった!?」
「……うめぇ」
美味すぎる。駄目だ、止まらない……味わいたくても、身体が次の甘美を求めている。食って、食って、食いまくって……とうとう最後の一口。名残惜しく、それでも終わる定めにある夢に別れを告げるように、俺はチョコを口に放り込んだ。──さぁ、言うべきことを言わなければ。
「ティル」
「な、なぁに……えっ? ちょ、ええ!?」
立ち上がり、俺はティルの手を掴む。クリーム塗れで申し訳ないとは思うが、それでも今はこの気持ちを伝えたかった。──吟味。しかし、剥き出しの言葉が口から溢れ出る。
「お前、天才だよ!」
「なっ、何!? いや、私はただレシピ通りに作っただけで……」
「こんな美味ぇモン食うの、生まれて初めてだ!」
全身で感謝を伝えるべく、俺はティルを抱きしめる。ああ、本当に……本当に。
「ありがとう、ごちそうさまでした!」
夢を叶えてくれてありがとう。感謝の気持ちで腹一杯の背中を、ティルはさすった。
「おそまつ、さまでした」
「それじゃあ、お休み」
蝋燭の明かりが消え、部屋の中から明かりが消える。暖かい布団の温もりも相まって、俺はすぐさま泥沼のような眠気に襲われた。
「……明日から初任務だと思うから、一緒に頑張ろうね」
そう言って、ティルは布団に潜り込んできた。じんわりと伝わってくる彼女の体温が、俺の半身を温めていく。懐かしいな、母ちゃんもこうやって俺のことを温めてくれてたっけ。
「……前から聞きたかったんだけどさ、ティルはなんで騎士になったんだ?」
別に、深い意味は無い。ただ、自分を助けてくれた恩人のことを、ちょっとでいいから知りたいと思っただけだ。
「なんで、かぁ」
しばらく間をおいて、ティルはそっと答えた。
「お父さんみたいに、なりたかったんだよね」
「ふーん……怖くねぇのか?」
「そりゃぁ、怖いよ。怖いけど」
細くなっていく声。
「それ以上に、憧れちゃったから」
太く、重い声。
なんだか、触れてはいけない部分に触れたかもしれない。俺も母ちゃんに父ちゃんのことを聞いたら、凄く怖い顔と声で止めるように言われた。なんと答えれば良いのか分からず、俺はため息をついた。
「そっか。ティルはすごいなぁ」
そのまま寝返りをうち、瞼をそっと閉じる。
「俺は怖くて仕方ねぇよ……」
そのまま俺は微睡みに身を委ねた。布団とティルの温もりは、そのまま俺を優しく寝かしつけた。