「第三十七話」凍える救済
「何も言ってくれないんだな」
俯いたまま、地面に落ちた自分の剣を見つめている。
拾わなければという思いは、穴の空いたバケツに入っていた水のようにこぼれ出ていく。それを止める術も、身体を動かすだけの意思が、私には既に無かった。抜け落ちてしまっていた、燃え尽きてしまっていたのだ。
「そりゃそうか、姉ちゃんはヒーローだもんな。俺みたいな悪の手先とは話なんてしたくねぇよな」
違う、そんなんじゃない。
そう言い出すこともできやしないまま、私は未だに「正しい」にしがみついていた。それを執行するための剣を、とっくに手放してしまっているくせに。
「でも、俺はそんなの嫌だよ」
「……え?」
顔を上げると、クロはゆっくりと歩いてきていた。私の方へ、何の警戒も無しに。──心の底から、気を許している。でなければ、あんな……あんな隙だらけの行動ができるわけがなかった。
「だって俺達兄弟なんだぜ? あの日、あの檻の中で……そう誓ったじゃん」
思い返す、あの日の約束。他人同士、掃き溜めの中に生きる罪深い子供同士だった私達が、互いの傷を舐め合うように誓ったのを覚えている。──あの日、私達は……確かに兄弟になった。
「姉ちゃんが守りたがってる奴らは、一人も姉ちゃんのことを認めてくれていない」
投げかけられ続けてきた言葉の中に明るいものはなかった。石を投げられ、いたぶられ……本当に、人間として扱われていなかった。
「だけど、俺は違うよ」
目の前に、クロが立つ。
先程の獣のような笑みではない。あの頃と同じ、何も変わっていない……優しさと、思いやりに満ちた表情。私だけに向けられた、暖かな思い。唯一私を、人間として見てくれた人の温もり。
「感謝してるんだ。助けてくれたこと、庇ってくれたこと……俺を弟だって、家族になろうって言ってくれたこと。だから──」
抱きしめられて。ああ、と。私は全てを理解する。
この子は、本気で私を救うつもりなんだ、と。
「俺が、楽にしてあげる」
温もりは、安寧が具現化したような冷たさへと変わっていく。
私を包み込み、安らかな死を与えてくれる冷たさへ。
(……ああ)
今際の際に思い浮かぶのは、今も船の上で凍りついているあの人の顔だった。
生きてはいる、大丈夫。そう思っても、拭いきれない心配……バカだな、と。自分で自分を笑ってみる。なんで直前まで気づかない、気づかないふりをしていたんだろう。
あったじゃん、しがみつく理由。
いっぱいあるじゃん、やりたかったこと。
(……もう、遅いかぁ)
凍てついた下半身。
即ち「もう助からない」という事実を見て、私はそれらに目を背けようとした。
──その、刹那。
頭を巡っていた走馬灯の中の、彼が頭上から落ちてきていた。