「第三十四話」凍てつく海
(エルマ視点です)
(ティル、遅いなぁ)
いつまで経っても帰ってこない。何かあったのだろうか? 流石に心配になってきたため、俺はティルが駆け込んでいった階段を降りていく。船の中はなんというか、まるで家のような作りになっていた。大きな船だとは思っていたが、まさか中にこんな空間があったとは。
(どこ行ったんだろ、まぁ適当に探すか)
三本の分かれ道の前に立つ。右側からは美味しそうな匂いが、左側には人の気配が……そして真っすぐ行った先には、そのまま続く道があった。
「……」
なんとなく、真っ直ぐ進むことにした。普段の俺ならこのまま右側に直行するだろうが、ティルがいるとしたら……そう考えると、何故か真っ直ぐ進むことが正解な気がしたのだ。
真っすぐ歩いていると、そこにはまたもや階段があった。今度は下ではなく上、つまりは甲板に上がっていくためのものだ。耳を澄ませてみるとなにやら騒がしい……船乗りやら他の乗客やらがたくさんいるようだ。
これだけ人が集まっているなら、ティルもいるかもしれない。
そう思った俺は、階段をゆっくりと登っていく。やはり甲板には人がたくさんいた。──気づく。その場にいる全員の目線が、海の方へと向いていることを。
「なぜ……」
違和感を覚えた直後、一人の男があとずさる。
「なぜ、海が凍っているのだ……!?」
俺は精一杯背伸びをして、海の方を見る。人混みの隙間から微かに見える海面は、確かに凍てつき始めていた……しかもそれは、どんどんこちら側に迫ってきていた。
(一体、何が──)
考えようとした俺の視界に、一つの違和感が映り込む。
それは凍った海面に立っていた。黒い髪、黒い服、黒くて長いズボン……とにかく真っ黒な男が歩く度に海面が凍てつく。──いいや違う。あの男が、海面を凍らせているのだ。
ひやり、と。
肌寒さを覚え、俺はその男と目が合った。──男の黒が霞むほどの、赤い瞳。俺が感じたのが威圧感で、放たれているのが殺意だということに気づいた頃には、俺は声を発していた。
「逃げ──」
急転直下。海面に留まらず船へ、船に留まらず甲板にいる俺達へと冷気が届く。足の先、指先から徐々に凍てついていくそれは、急激な眠気を押し付けてきた。周囲の人間も誰も喚かない、逃げようとしない……ただただ、唐突に突きつけられた微睡みに抗う間もなく、落ちていく。
(てぃ、る──!)
逃げろ。その一言を目の前の彼女に発するよりも前に、俺の身体は凍てついてしまった。
そして彼女は、勇敢にひとり飛び込んでいく。凍てついた海へ、赤い目の男が立つ氷塊の上へと。




