「第三十一話」船酔い
船に乗り込むと、海からの風が更に強くなった。少し肌にベタつく……が、なんだか嫌いではない感じだ。寧ろ風は好きな方なため、両手を広げて全身に浴びる。
加えて景色もいい。時々海の上を飛んでいく鳥や、海と空の境目をぼんやりと眺めるのは、実に新鮮で面白かった。
「いいなぁ、ずっと見てられる。ティルもそう思うだろ?」
「……うん」
小さい返事をしたティルの顔色が、今にも吐きそうなほど悪かった。手すりに寄り掛かりながら、口元を抑えて蹲っている。変だな、船に乗る前は全然元気だったのに。
「どうしたんだ? 顔色悪いけど、腹減ったのか?」
「違う、多分、船酔い……うぷっ」
「ティル?」
「か、顔洗ってくる……!」
呼び止めるよりも前に、風のような速さで階段を降りていく。船酔いとは何なのだろうか? なんとなく着いていかないほうがいい気がして、俺は再び船の外の景色に目をやった。
「海を見るのは初めてか?」
隣から乾いた声がした。見るとそこには、マントの下に鎧を着込んだ老騎士がいた。かきあげられ乱暴にまとめられた、白髪混じりの黒髪。ゴツゴツとした荘厳な顔、誰が見ても分かる衰えの中には、常に隙のない警戒が滲み出ていた。
「おっさん、つえーだろ」
「ああ」
即答だった。否定することもなく、寧ろ笑ってもいる。
「だよな。じゃなきゃこんなに魔物の血の臭いがするワケねぇよな」
微かに滲み出る食欲を抑える。暴れだすほどではないが、念には念を入れておきたかった。
「小僧、名はなんと言う?」
「エルマ」
「エルマ……ふむ、いい名じゃな。ワシはジグド、お主と同じ聖騎士じゃ」
そう言うと、ジグドは手を俺の前に差し出してきた。虚空に佇むそれは握手を求めていた……だが、俺はその手を握らなかった。僅かではあるが殺意が見えたし、腰に差した剣にもう片方の手が伸びるのが見えたからだ。
「いい判断だ。どうやら、金目当てのクソガキではないらしい」
ジグドはそんな俺の態度に怒りではなく、笑顔を向けてきた。
「お主の噂は耳にタコができるほど聞いた。新米の中に魔人がいた……と」
「魔人? なんだそりゃ」
「魔物の力を持って生まれた人間のことだ」
そう言って、ジグドは俺の方をしっかりと見てきた。
釣られて俺も、向かい合うように立つ。──不味い。これは、間合いに入った。
「エルマとかいったな、お前は何故騎士になった?」
逃げることも、戦うなんてもってのほかだ。
絶体絶命、即死の間合いに入った俺は、腹を括るしか無かった。




