「第二十六話」不屈のフィン
(一日前のティル視点です)
意を決して、扉を叩く。
木材が軽やかな音を立てるが、私の心臓の音の方がうるさく感じた。
「入れ」
中から返ってきた低い声に、思わず肩が震えた。──怯むな、開けろ。ドアノブを握りしめ、捻り、ゆっくりと開ける。書斎のような空間の中には、やっぱりあの人がいた。
「お久しぶりです、フィン団長。……その目は?」
「大した事ではないさ」
そう言って、フィンさんは眼帯の上から左目を押さえた。顔に刻まれた大きな傷は、仮面でも付けない限り隠しきれなさそうだった。
「この前、大型の竜とやり合ってな……何、まだ左目も足も腕もある。何の問題もない」
──不屈のフィン。そんな異名を冠するほどに、この人の精神性は異常だった。
たとえ相手が魔物の群れであろうと、身の丈を遥かに超える巨体だろうと。この男は迷わず突っ込んでいく……骨が折れても止まらない、肉が抉れても怯まない。致命傷に思える攻撃を何度受けようが、最後は生きたまま血の海の上に立っている。
異常だからこそ、騎士団長という重圧にも耐え続けられるのかも知れないが。
「それともなんだ? 不敗の『刹那剣』からしてみれば、会う度に傷が増えていく男というのは変なのか?」
「……いいえ、申し訳ありません」
「いや、いいんだ」
そう言って、フィンさんは席に着いた。
背もたれに寄りかかり、くたびれたような声を出すその人には、今まで追ってきた背中から感じるような威厳は感じられなかった。
「私自身、自分の不甲斐なさに参っていてな……謝るのは私の方だ」
「違うんです! その……立派だと、思うんです。傷ついても、誰かを守ろうとするのって」
何を言っているんだろうな、と。自分でも思う。
恐る恐る顔色を伺ってみると、意外なことにフィンさんは驚いたような顔をしていた。私も驚いた。しばらくお互いに無言の間が生まれる。
「……変わった。というより、変えられたんだな君も」
優しい顔だった。安心するような、緊張の糸が解けるような顔。
「……そう、ですね」
思わず、私まで笑ってしまった。
「変わってみたいなって、思わせてくれる人に会えたんです」
別に、それで私の全てが救われたわけではない。これはただ私が縋っているだけで、彼が私のことをどう思っているかなんて分からない。──でも、それでも。今は、救われたつもりで笑いたい。
「……いいな、それは」
しばらく私から目を逸らしたフィンさんは、そっと瞼を閉じた。
そして再び開眼する。今度こそ、団長としての威厳ある目だった。
「長話はここまでにしよう。本題に入る、まずはそこに座れ」
「はい」
黒い質素なソファーに腰を掛け、私は再び腹を括る。
私がこの人に呼ばれたということは、きっと……これからとんでもないことが起きるということなのだから。




