私のせいじゃない
私は決して、悪人ではない。
どんなに腹が立っても陰口は控える。第三者への不要な八つ当たりもしない。ゴミはきちんと持って帰って捨てるし、信号無視だってなるべくしない方だ。何か高尚な信念のもとに行動する、聖女のような存在とまではいかないが……「良心的な一般人」「ごく普通の小市民」ぐらいの評価は得られるべきであると思う。多くの人々に貶されるような悪行や、社会に忌み嫌われるような振る舞い。そういった行動とは無縁の、悪者とは程遠い存在だ。
――だが、そんな私に罪があるとすればそれは間違いなく隣人に関わることに違いない。
古い民家の立ち並ぶ、くたびれた住宅街。その一角にある我が家は、相場よりちょっと安い家賃と「ボロアパート」の称号を得るにふさわしい外観を兼ね揃えている。学生の時から住んでいる私は、このアパートにおいて、「古参住人」と言えるぐらいにはごく自然に馴染んでいたのだが……そんな愛すべき我が家の隣に、新しい人間が引っ越してきたのは二年ほど前のことだった。
最初……というか、正式に引っ越してくる前から非常識な連中だとは思っていた。ドタバタとやかましい足音。子どもたちの発する大声。そんなものが昼夜を問わず、続いているのだから深夜勤務の多い私はすっかり参ってしまった。その上、「今度、隣に越してきた〇〇です」なんて挨拶は一切なし。なので慌ただしく引っ越し作業を進めていたわりに、具体的にいつから彼らが私の「隣人」になったのかはわからない。
ただ「遠慮」なんて言葉を一切教えられずに育ってきたであろう、子どもたちの足音や発狂したかのような奇声に私のイライラは募る一方で……正直、「嫌な奴が隣人になってしまった」と思っていた。
不快なCMや迷惑系の動画が人々の目を引くように、忌むべき彼らの情報は嫌でも私の耳に入ってくる。どうやら子ども、特に少女が多い家庭らしい。そのファーストネームは良く言えば「イマドキ」、悪く言えば……親の知的レベルを察せられるぐらいにはキラキラと装飾過剰なものだった。その名づけを行ったであろう、大人も頻繁に出入りしていてしょっちゅうドアを開閉する音が聞こえてくる。そのついでにボイラーを動かし、湯を沸かす音が一日に何度も響き渡り……その合間に必ず、発狂したのかと思うほど甲高い声で叫ぶ子どもたちと、それに合わせて走り回る音が鳴り響くのだ。それらが平日の昼間、仕事を終えてやっと帰ってきた私の睡眠を妨げるのだから堪ったものではない。
マザー・グースに女の子は砂糖だの香辛料だの素敵なものでできている、なんて一説があったが隣家の子どもたちに限っては間違いなくそんなことないだろう。とにかく、その傍若無人な振る舞いは見過ごせるものでもなく私は一度、管理会社にクレームを入れたことがあった。
――返ってきたのは、「すいません」「気をつけます」の二言。
それを愚かな九官鳥のように繰り返す管理人は、ついでに「でもまぁ、子どもですからねえ」などとさらに余計な一言を付け加えやがった。
昨今のSNSでは、ちょっとでも子連れを非難すればすぐ「子育てに理解がない!」「育児の辛さを知って!」とたちまち大炎上する。その集中砲火の矛先など、誰もなりたくはないのだろう。特に結婚も出産もしていない私のような女は、僻んでいるとでも思われているのかもしれない……いずれにせよ、管理会社は私を黙らせて済ませようとしているようだ。もともと、雨漏りなども住人に自分でなんとかするよう言い返すぐらいには頼もしい連中だ。解決策など、はなから期待していなかったが私の訴えは一笑に付されて終わりだった。仕方なく、私はなるべくヘッドホンなどを着けて連中の騒音をやり過ごすことにした。
隣人は、子どもだけでなく大人も多いようだ。
しょっちゅう人間、特に男性が頻繁に出入りしているようでその度に物音が聞こえてくる。ある時は何か大きな荷物を運び出しているようだったり、またある時はやたらハイテンションで大笑いしていたり……その中にたまに、子どもの声が混ざってくる。
何が楽しいのか耳をつんざくような悲鳴をあげたり、気に入らないことがあったのかギャン泣きしていたり……あぁ、もういちいち挙げるのも不快で堪らない。とにかく、その全てが私のイライラは募らせるには十分だった。同時に、「この騒音に他の住人は気づいていないのか」という疑問も……そんな折、二人の男がアパートの前をうろついているのが見えた。
その男たちはどちらも鋭い目つきをしていて、とてもじゃないが一般人には見えなかった。どちらも何か武道でもやっているのか、がっしりとした体つきをしていてこちらに厳つい印象を与えてくる。そんな二人組にいきなり家を訪ねられ、「隣人のことでちょっと」なんて言われたら誰でも警戒するのではないだろうか?
「たまに子どもの声が聞こえますが、小さい子ならそんなものかなと……」
「あまり根掘り葉掘り他所の家のことを詮索するのは、良くないかと思って……」
「仕事や家事に追われて、近所付き合いもなかなか……」
緊張し、乾いた唇で言葉にできたのはそんな模範的な回答。それ以外、私に何が言えるだろう? こんな寂れた場所に表れた、明らかに異質な男たち。何かきな臭い、物騒なイメージを抱くのは私だけではないはずだ。もっとも、彼らが同じようなことをアパートに住む他の人間にも聞いたかどうか今となってはわからないが……そんな風に、ずいぶんと遠回しな方法で隣人のことを調査する人間は何度か現れた。それが重なる度に私は徐々に「ひょっとして隣人には何かやましいことがあるのでは……?」と考えるようになった。考えるようになった、が……だからと言って、私にできることなど何もない。
少なくとも管理会社にはクレームを入れたし、下手に隣の住人に関わればこちらが攻撃される危険もある。あの、やたらと出入りの激しい男たちや先述の厳つい二人組に何かされる可能性だってあったのだから……だから、私は私にできることをやった。私は最善を尽くした、何も知らないながらに頑張った。
だが――それでも聞こえてくるワードに耳を澄ませば、やはり胸が痛んでくる。
『幼児死亡』『日常的な暴力による衰弱死』
『母親を逮捕』『娘たちに売春斡旋の疑い』
『室内で大麻栽培』『使用・販売の痕跡もあり』
『事前の警察や児童相談所の調査では「問題なし」と判断』
マザー・グースに登場する、ハンプティ・ダンプティというキャラクター。壁から落ちた彼は、どんなに人手を集めても元通りにすることはできない……と謡われている。今回の件だってそうだ。地に落ち、割れてしまったハンプティ・ダンプティなんて私にはどうすることもできない。
それに――そもそも、今回の件は私だけのせいじゃないはずだ。
私が最初にクレームを入れた、管理会社。管理人でなくとも、同じ会社に所属する他の誰かが少しでも隣人に疑問を持ち調査していたら「厳しい躾」の段階で事は済んでいたかもしれない。自らの娘を売る前に、思い直すよう説得できていたかもしれない。少なくとも何か、どこかで最悪のシナリオを回避するポイントができていたはずだ。
それから、警察と児童相談所の人間。彼らがもう少し、慎重に行動していたらまだスムーズに情報を得られていたはずだ。
隣人がすぐ側にいる状況で、見ず知らずの人間に普段の隣人の様子など聞かれても馬鹿正直に答えられるわけがないだろう。誰もが無難で、情報と呼ぶにはあまりにお粗末なふわふわの言葉ばかり口にしたはずだ。調査方法がもっと丁寧なら、せめて隣人のいない時にそれとなく聞きに来ていたなら、もう少し何か有益な「情報」を得られたかもしれない。もし、そうすれば……もし、あぁしていたら……いずれも、起こってしまった後に言ったって仕方がないことだ。
だから、私は何も悪くない。子どもたちの大声を「うるさい」と感じる一方で、違和感を抱いたとしても。あまりに大勢の大人が出入りする隣の家に違和感を持っていたとしても。私にできることは、全てやった。私自身に危害が加えられないように、という範疇であるとはいえ確かにやることはやったはずだ。
だが――だとしたら誰が、隣室の子どもたちを精神・肉体ともに追い込んだというんだろう?
警察、児童相談所。小学校や幼稚園の先生たちも少しは変だと思わなかったのだろうか? 同じアパートの住人、特に隣に住んでいた私なら、何かもう少しできることがあったのではないか――そんなことを考える度に私は「違う、私のせいじゃない」と自分に言い聞かせる。
きっと、誰にもどうしようもできなかった。みんな、できることは精一杯やった。だから隣人一家の子どもたちが犠牲になったのは、きっと私のせいじゃない。私だけのせいじゃない。隣人一家の子どもたちが傷つき、命を奪われたのはきっと――そこで私の頭の中に、マザー・グースの一節が何度も繰り返される。
――Who killed ××?
(誰が××を殺したの?)
――I, said the ××
(私、と××が言った)
――Who killed ××?
(誰が××を殺したの?)
――I, said the ××
(私、と××が言った)
――Who killed ××?
(誰が××を殺したの?)
――I, said the ××
(私、と××が言った)
「……私のせいじゃない、から」