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クラウド・ワン  作者: Syun
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6 Show Me《覚悟を見せ給え》

「神無さぁん。ありましたよぉ」

 ここはとあるマンションの一室。でも実態は誰かの住居じゃない。NPLの倉庫だ。

 世界中の各地にこういう場所があって、備品の貸与や弾薬の受け取りができるようになっている。もちろん、そういう場所だってことは秘密だ。生活用のワンルーム以外の部屋に盗聴器だの防弾チョッキだの特殊警棒だのがしまい込まれてるなんてバレたら、警察とマスコミと野次馬が殺到する。

「でもぉ、防弾の巫女服なんて何に使うんですかぁ? もしかして神無さんが着るんですかぁ?」

「…………着るワケないでしょ」

 俺をなんだと思ってるんだ。

 ここの担当のこの人、水城みずき瑞希みずきさんって言うんだけど…………なんか名前どおり思考が一周してる人らしくて苦手だ。

「あぁ! 彼女さんに着せてコスプレでやらしぃことするとかダメですよぉ? 私だって怒られるんですからぁ!」

「しねえよ! いい加減もうちょっと真面目な思考をしろよ!」

 この人よくNPLの採用選考通ったな!?

 しかも風の噂によると三十路手前らしいし。もうちょっとしっかりしてくれよ。ボヤ騒ぎとかあったら一発でアウトなんだから。

「うぅ、怒鳴らなくてもいいじゃないですかぁ。なんでみなさん、ここに来ると怒って帰っていくんですかぁ」

 すんすんと涙目で鼻をすする水城さん。

 あー、ダメだこの人。もうどうしようもないんじゃないかな、これ。たぶん治らないだろこの性格。

 うん、心配しなくても大丈夫か。ボヤ騒ぎあったら自爆するよな、この部屋。やばいモノがいろいろありそうだし。

「はいはい怒ってすいません…………とにかく、ニッチな要求に答えてもらってありがとうございます」

「えへへぇ。いいんですよぉ。それが仕事ですからねぇ。それに年上ですからぁ。じゃんじゃんお姉さんに頼ってくださいねぇ。ふふん」

 泣いた何かが何とやら。腰に手を当てて胸を張って、子供みたいな人だよなホント。

「んじゃ、また来ます」

「はぁい。気をつけてくださいねぇ。元気でまた会いましょぉ」

 ……………………気が抜けるなあ。結局みんな、最終的にこんな感じで帰ってくんだろうな。弱いものイジメできない人の集団なわけだし。

 しっかし、永久の調査依頼といいこの巫女服といい、今月は査定に響きそうだ。弁解の機会があっても「春だから頭沸いたんだろ? あ?」とか「公私混同は禁止だと言いませんでしたか?」なんて言われたら否定できないかもしれない。実際沸いてるし。

 沸いてるよな、頭。ホントに。永久のことが最優先になってるし。

 いやそれはそれでいいんだけどね。大事だし、永久のこと。

「うむ。今の私は実にバカである」

 よし、現実はちゃんと直視したぞ。これで問題ないだろう。どんと来い査定。正面から迎え撃ってやる。

 クビは怖いですけどね。

「…………はあ」

 ところで。

 いったいどこのどんなやつなんだろうな、「恋愛に障害は付き物だ」と言ったのは。

 少なくとも、普通の障害はすれ違いとか距離とか、その、一番の難関である親への面通しとかであって――――決して命の危険はないだろう。基本的には。

 いっそのことNPLを抜けてしまった方がいいんだろうか? 家庭を持ってから脱退した人も多いらしいし、通例一〇年間は装備の提供を受けられるらしいし。フェードアウトしていく分には誰も気にしないんだろう。

 でもそうなると先輩はどうするんだろう? まあ、あの人なら上手いことやっていきそうな気しかしないけどさ。新しい相棒を見つけて、変わらず微妙な持ちつ持たれつの関係でいそうだ。

 ただそうすると、罪悪感から逃げ切れるかって話にもなったりするんだろうな。自分だけ幸せになってそれでいいのかって。

 世界って矛盾してるよな。自分のことだけ考えた方が楽に生きられるなんて。

「…………しがらみって、思った以上に多いな」

 人間は一人では生きていけない。

 自分のことだけ考えて生きていくわけにもいかない。

 だからといって、考える対象が多くなりすぎると生きていけない。

「それでも、な」

 永久が肯定してくれたこの生き方、まだまだやめるわけにはいかなそうだ。



 そんなこんなで予定決行。我ら二人はホテルの部屋を借り受け、そこで着替えを済ませていた。

 隣の部屋ではターゲットが密談予定であり、録音機材を仕掛けておけばそれでお仕事完了。あとはデートでもしてこいやという悪魔の指令、いやいや、先輩による効率のいい計画である。

 でも、展望レストランで食事とか高校生のデートの範疇を越えているのですが。まだ普通のデートすらしたことないのに。

「あ、あの、久朗様。おかしくはないですか?」

「おかしくない。前にも言ったとおりすごく似合ってる」

 それより俺の方が「着せられてる」感があるんじゃないかと思ってしまう。

 制服がブレザーだから結構慣れたつもりだったんだけどな、スーツ。なんだか肩身が狭い。

「そ、その……久朗様も素敵です」

「え? あ、そ、そう?」

 う、うーん。やっぱり思い過ごしなのか。永久がそう言うんだから、十割増しくらいだとしても信じていいんだろうきっと。

「それじゃ行こうか」

「は、はい」

 ドアを開けて外に出る。廊下に人影はない。誰に見られる心配もなさそうだ。

 って、なんで悪いことやってる気になってるんだ俺は。

「うう。少し歩きにくいです」

 後ろで、ピンヒールを履いている永久が泣きそうな声を出した。実際、履き慣れても怖いらしいし、いくら運動能力が高くても草履メインの永久には厳しいのかもしれない。

 男の甲斐性、かあ。

「どうぞ、お姫様」

 手を差し出す。

 それを見た永久は、ぱちぱちと瞬きをした。

「ほら、手を」

「はい。こうですか?」

「よっ」

 差し出された右手を引っ張ると、永久がつんのめってくる。それを受け止めて、手を腕に回した。

 映画なんかでよく見る、「淑女をエスコートする紳士の図」の出来上がりだ。

「こ、これはこれで歩きにくいかもしれないけど、我慢してくれよ」

「は、ひ、はいっ!」

 いや、画面の中でやってるの見て真似してみたけど、ほんと恥ずいなこれ。

 彼女がいる奴なら既に通った道なのかもしれないけど、って隣にいるのは私の彼女ですよね。よくよく考えれば、手を繋いで歩くイベントすらまだだった。階段飛ばしすぎだ。

「は、ははは。改めて、行こうか」

「は、はい」

 お互いに右手と右足が同時に出て、エレベーターにたどり着くのが二人三脚より難しかった。



「うーん」

 料理自体は不味くない。むしろ旨い。ただ、何かが違う気がする。

 ちなみに、ムード云々は入店前までのが刺激的すぎてぼんやりと流れる程度しかなかったりする。

「久朗様?」

「ん、ああ。いや、なんだろ」

 違和感を上手く言葉にできない。喉まで出かかってるけどやっぱり違うような。

「やはり、わたしと一緒ではつまらないでしょうか?」

「それは絶対ない」

 それだけはない。それならそもそも二人でこうしてないからな。

 ん、おかげでちょっとだけわかった気がする。

 気が休まらないんだ。

「俺は家で食事してた方が落ち着くみたいだ。その――――永久の料理を食べて、さ」

 シェフやオーナーに聞かれたら蹴り出されるかもしれないので、ちょっとトーンが小さくなる。

 それでも永久にはちゃんと伝わったようで、顔を赤くしてうつむいてしまった。

 かわいいなあ、もう。でも俺も同じくらい赤くなってたりするんだろうなあ。ははは。

(…………うっ。いかんいかん色ボケすぎだ)

 行儀が悪いとわかりつつも、口に入れたフォークで舌を突く。小さな痛みである程度冷静さは戻ってきた。

 そのままつつがなくデザートまで終わり、フルコースは終了となった。展望レストランからの夜景ともお別れだ。

「ごちそうさまでした」

 場所からか永久の声は小さかった。それでもちゃんと糧への礼をする彼女は立派だと思う。

「よし、行こうか」

「はい」

 もう少し夜景を楽しむのがベターなのかもしれないけど…………それはもっとこう、ちゃんとしたデートの時に。うん。

「ありがとうございました、久朗様」

「いやいや。日頃のお礼だよ」

 永久はもうピンヒールに慣れたのか、一人で歩けている。ちょっと悲しい。

 二十階から十四階へ。エレベーターから降りるとスーツを着た男の人とすれ違った。一瞬、目が合う。

 耳にはイヤホン。ボタンホールには「SP」のバッジ。おそらくジャケットの下には拳銃と警棒。

 やっぱりお付きがいるのか。その辺りは腐っても連立政党の幹事長ってことかもしれない。

 皮肉な話だよな。あの人たちは何を護らされてるんだろう? 人か、それとも役職か、はたまた潮流みたいなものなのか。政権変わってからマルタイ増やしたらしいのに、それでいて当の政治家たちはスパイやテロに対しては無防備無関心と来てる。

 実際、今そこにある危機クリアーアンドプレゼントデンジャーってヤツは目に見えそうにないけどな。

 なんてことを考えていると、袖を引っ張られた。

「ああ、悪い。部屋に入ろうか」

 隣の部屋の前の方々を横目に見つつ、ドアを開けて中へ。

 入った瞬間、永久が耳元に口を寄せてきた。

「なんだかよくないことが起こる予感がします。気をつけてください」

 イヤな予感なら俺もする。「このまま何事もなく終わればいいのに」と思っている時点で何事もなく終わると思ってないってコトだからだ。

 ベッドルームに入ってイヤホンをつけると、隣の部屋の様子がしっかり聞こえてくる。レコーダーもしっかり回っている。こっちに関しては予感はハズレだった。

 だとすれば、荒事になるってコトか。一番イヤなパターンだ。

 永久は家でやるのと同じように脱衣所に引っ込んで、さっさと着替えて出てきてしまった。服自体は巫女服。ただしいつものものとは違って、その布の裏側には拳銃弾を防ぐクラス2の複合材が縫い込まれている。

 この先何があるかわからない。こっちもジャケットの下にショルダーホルスターを身につける。残念ながらこちらはゆとりのある和服と違って着膨れしやすい正装。ボディアーマーは着込めない。

 これで表のお付きの人たちとやり合える装備になった。多少の荒事ならなんとかなるだろう。

 かち、かち、と時計の秒針が動く音だけが部屋に反響する。それを二人、ベッドの上で聞く。

「……………………」

「……………………」

 き、気まずいな。

 いくらその、告白しあった仲だとはいえ。いや告白しあった仲だからこそ、ホテルで二人っきりっていうのは、なんだ。字面が。未成年だし。

 ま、家だと同じベッドで手を繋いで寝てたりするけどさ――――ってあれ? よく考えたらそれも恥ずかしいことじゃないか? 正常の境界線がインフレ起こしてないか?

 ――――いやまあ、それこそいまさらなんだけど。

 部屋に来た初めの日に、俺は永久の水垢離を見ているわけで。水垢離は当然水をかぶるわけで。水をかぶれば当然服は身体に張り付くわけで。その濡袢は薄いわけで。

 早い話が、永久さんのボディラインを知ってしまっているわけですね。はい。

(落ち着け)

 そう。大丈夫。

(こんなの、いつものことから比べれば特に変わりない。マンションもホテルも部屋は部屋だって。俺の部屋もベッドはあるって。むしろ二つあるなら分かれて寝られるわけだからいつもより残念いや残念ってなんだよ安心でもないけどさいやおまえ永久と寝られないで安心するってのもおかしいだろ待て待て巫女服着てるからまだ寝ないよ――――)


 ピ。


「――――ん?」

 オーバートップで暴走していた頭が一瞬でローギアに変わる。

 なんだ今の音。部屋の外から聞こえてきたぞ。

 まさかとは思うけどドアロックが解除された音か? 嘘だろおい。どんな安セキュリティーだよ。隣のSPどこ行った。

「――――」

 永久を手で制して立ち上がる。

 ベッドルームのドアを開き、

「――――――――」

 ジャキリ。

 そんな鉄の噛み合う音がして、銃口がこめかみに突きつけられた。

(…………マカロフ)

 横目で見て、ゆっくりとホールドアップ。少なくとも警察官の使う銃じゃない。

 さすがにここでぶっ放すことはないとしても、この状況で偽物はありえない。

「おもしろいことしてるじゃないか」

「なんのことですか? 僕らは――――別に何も」

 手のひらをくるりと反転。則宗をつかんで動こうとする永久を押しとどめる。

 刀で戦うにはここは少々手狭だ。それに唯一の出入り口は俺がふさいでしまっている。

 敵は五人。銃は――――おそらく二丁ってところか。あとはナイフがいくつか。

 なんとかなりはする。ただ、ここで一発でも銃声が響けば俺たちも言い訳が利かない。駆けつけた誰かによって警察に突き出される。

 逆に相手はそういうお仕事。銃声聞かれるのなんて屁でもない。

「来い」

 襟首を引っ張られて部屋から連れ出される。そのまま非常階段に押し出され、後ろから銃口でつつかれたままひたすら上へ。

「なあ。ここで俺たちが突き落とされたとしたら、無理心中とかで処理されんの? センセイサマの力で」

「ガキのくせに大人の世界をよく知ってんじゃねえか。だがツメが甘え」

 十階分をひたすら昇るのはやっぱりしんどい。それが自分のペースでないなら尚更。

 たっぷり時間をかけて、やっとヘリポートのある屋上にたどり着いた。

 これはこれでムードがあるね。それもいらんムードが。この前見た二時間ドラマだと、誰か死んだぞ。

 銃も刀も取り上げられ、ベレッタと則宗はまるで今の俺たちのようにHの字の対角線上に捨てられる。

 永久は拘束されたまま。俺は俺でベレッタに手が届きそうで届かない位置に跪かされる。おいおい、二時間ドラマじゃなくて洋画かよ。こういうのやりたいならブルース・ウィリス呼んで来いよ。

「銃はやめとけよ。弾痕が残ったらさすがに事故じゃ済まされない」

 後頭部に押しつけられる銃口に一応抗議の声を上げておく。

「そいつは親切にどうも。安心しろ。頭が潰れりゃ誰も気がつかねえよ」

 状況は、最悪なんだか膠着なんだかわからない。

 高空の切り裂くような風の音がほとんどで、時間が永遠に感じ、


「なんかめんどくさくなってきた」


 上げていた両手を頭の後ろに回して、マカロフを掴んだ。人差し指はトリガーの裏側に突っ込んで発砲できないようにする。

 グリップは右手で握られていた。ということは、左手側に捻れば苦もなく銃は手から外れるかな。

「な――――」

 両手で挟んだ銃を一回転。握り直し、ヘリポートを転がる。

 マガジンを抜いたマカロフをヘリポートの端まで滑らせ、ベレッタに持ち替える。

 やっと状況が三対七くらいになったか。

「バカか? ホンモノ捨てて偽物拾うなんて――――」

 バン、と空に一発。それだけでヘリポートは静かになった。

「他に質問は?」

「……………………」

 無いらしい。思いも寄らない事態に全員固まっている。

 ならこっちのターンだ。

「その子を離せ、とか言うのは時間の無駄だろうな」

「ああ。甘く見んなよ」

 手をひねり上げられた永久が表情を歪める。それは手首の痛みからだけではないだろう。

 いくら剣術が使えると言っても、永久自身は普通の高校生の女の子だからな。それもちょっと周りが見えなくなることのある、少しだけ世間知らずの。

 ただそれ以上に、赤の他人に触れられてるってことが口惜しいって顔してる。本当に一途な子だよ、永久は。

「冷静だな、ガキ」

「――――――――おかげさまでね」

 冷静なわけがない。状況の打開策は思い浮かばなくて、頭に血が昇りかけてるのが何となくわかるくらいだ。

 気になるのは俺もたった一つだけ。


 永久に触れてやがる。


 なんだろうこの暴力的な感覚は。身体の芯からどす黒い怒りが引きずり出されてくる。

 は、笑えるね。永久が来てから変なことに気付かされてばっかりだ。

 いや、違うのか。人間に引き戻されてるんだな、俺自身が。

「銃を捨てろ」

「嫌だね。撃たれる危険がある限り、あんたらも誰も撃てない」

 それにこれがなくなったらてめえらをブチのめせねえだろ――――なんて安い挑発は飲み込む。

 やばいな。口に出かかるほど荒れてるのか、俺。

 独占欲。この感覚はたぶんそれだろう。他にこの状況で考えられるものなんてない。

 ははっ、ホントなんなんだよ俺は。どれだけ永久に逆上せてるんだ。ああ、簡単に逆上するほどか。誰が上手いこと言えって言ったよ。

「……|俺の女に手を出すな《You must not touch my lover.》、か。コイツはアンタらのセリフじゃないのかよ」

「あん?」

「気にするな。ただの独り言だ」

 疏羽さんの時と同じくらいノってきてるな、俺。ベータ波とかアドレナリンとか脳内麻薬とかの活性要素が頭の中で相互作用してるらしい。その状態でまだ自分のことを分析できるくらいには冷静ってことか。

 まるで俺はこのベレッタそのものだ。安全装置が外れて、引き金を引けば弾が飛び出しそうな。

 ただし、引き金は自分の意志で引かないと最悪の展開を招く。射出と加速。それを自己の意識で行うためには、とりあえず深呼吸だ。

 大丈夫。手はある。

「もう一度言う。銃を捨てろ、ガキ」

「そっちこそバカか? 何度も言わせるな。捨てるわけ無いだろうが。人質は取ってる間しか効力を発揮しない。そっちこそ大人しく彼女を解放すれば命くらいは助けてやる」

 周囲から息を呑む音が聞こえてくる。一歩下がるような足音もだ。

 普通思わないよな。ただの高校生がホンモノの、それも米軍で正式採用されてるような――いやそれは知らないかもしれないけど――銃を持っていて、荒事にすら慣れてるなんて。

 っと、そんなことを考えてると口元がにやついてテンションがあがってきちまった。

「まったく、世も末だな。警察は善良な市民を護らずに灰色の偉人を護っていると来た」

 再度、現状把握。とりあえずまずは落ち着け。

「その上、その相手が国の舵を取ってる。末の末だ」

 でも落ち着きすぎるな。ハイテンションは維持しろ。思考と感覚の速度を落とすな。

「確かに世の中上手くは行かないけどさ。あんたらは人生上手く行ってる? ハッピー?」

「いい加減口閉じろ、クソガキ。うっとおしいんだよ」

「はいはい」

 よし。

 そろそろ動かないと精神力が保たないかもしれないな。

 あと、俺自身が暴発するかもしれない。

「だ、そうだ。この大人たちはおまえを離す気がないらしい」

「そのようです」

 永久と視線を交わす。

 人間はそう簡単に以心伝心の関係になれない。だから言葉で示すしかない。

「俺を信じられるかい、お姫様?」

 いや、以心伝心でなくても言葉に表す必要のないことはあるな。

 いくら人間が言葉だけで心を伝え合うわけではないと言っても。

「はい。いつでも、どんなときでも、わたしは王子様を信じています」

 す、と閉じられる目。

 愚問だったな。永久が俺を疑うことなんてありえない。

 だからきっと、信じてくれというべきだった。それだけで十分だった。

『久朗様は私のことを護ってくれますから』

 ああ、上等。信頼には応えなきゃ――――いや。

 俺が応えたいんだ。永久のその想いに。

「終わりだ。銃を捨てろ」

「断る」

 相手の言葉なんて待ってやれない。ベレッタの銃口を動かして引き金を引く。

 撃ったのは――――――――永久の心臓。火薬の炸裂音と共に紅の花が咲き、白衣を染めていく。

 時間が止まる。風と俺と、崩れ落ちる永久以外の時間が。

 目を閉じたまま永久は地面に倒れていくのがコマ送りで見え、

「…………見通し良好(クリアーライン)

 壁がなくなり、全員の姿が露わになる。

 細く呼吸。脳味噌に酸素を叩き込んで意識を再構成させる。

 ターゲットの総数は五。ベレッタの最大装弾数は十五で、現在十三発。普通なら十分なのかもしれないが、人殺しのできない俺には少々キツい。

 それでも容赦なく人差し指を動かす。俺の武器はこれしかないんだから。

 一発。永久を捕まえていた奴が眉間に食らって仰け反った。

 二発、三発、四発。スケート選手のように回転しながら、腕を振り回して連射。

 一発一中。されど一中一殺とはいかない。9mm弾の直撃はプロボウラーの投球くらいのエネルギーを持つが、この弾は貫通しない。当たり所が悪ければ痛いだけで済む。

 狙いを変えながら立ち位置を変えていく。視線を誘導し、意識を誘導し、移動を繰り返す。

 銃撃を牽制にして、蹴りと肘打ちで打撃を加える。

 何とか二人ほど倒したところでやっと、カツッとつま先が目的のモノに当たった。

 足下には菊一文字則宗。国宝級の刀を雑に扱うのは少々覚悟がいるが――――――――

「受け取れ!」

 相応しい持ち主の元へ返すためだ。少々我慢してもらおうか。

 アンダースローの要領で鞘を掴み、倒れている永久の手元に向かって投げつけた。

「――――承りました」

 カッと目を見開いた永久は、手元に飛んできた刀を掴んで舞うように立ち上がる。円運動の中で抜き、峰打ちに持ち替え、近くにいた敵の一人を胴打ちで叩き伏せる。

 全員の目が驚愕に開かれる中、間髪入れず上体を落として姿を消す。それを「走る」と表現するのは間違いだ。

 評するなら、あのときの疏羽さんと同じ「疾駆」。旋風か雷光のように永久はヘリポートを駆ける。

「はっ!」

 腕の一振りだけで、腹に一撃を受けた相手が崩れ落ちる。まるで時代劇の殺陣のように。

 心配する必要もないみたいだな。ここは俺たちの独壇場だ。

「形勢逆転だ」

 敵は全員銃やナイフを持っていた。けれど、無思考になることでマンターゲットへの射撃はできても発砲経験なんてない素人と、銃や刀に比べればとんでもなく短い間合いの得物。人差し指は動かせても狙いは甘いし反動抑制もできてない。

 対してこっちは撃てるわ殴れるわ斬りつけられるわ蹴れるわのやりたい放題。どっちが有利かなんて火を見るより明らかだ。

 空になったマガジンを交換する。一回目にしてこれがラスト。

 被殺傷性のラバー弾を撃ち出す俺のベレッタはどうしたってストッピングパワーに欠ける。一発や二発でどうこうできるものじゃない。

 だから周囲に気を配らないと反撃を受ける。離れた場所で死んだ振りをしていたらしい敵の一人が、さっき投げ捨てたマカロフでこっちを狙っているのが見えた。

「チッ」

 ミスった。銃本体から弾を抜くのを忘れていた。

「させません!」

 遠くから向けられた銃口。その先の俺。

 その射線上に白と赤の着物が滑り込む。そのせいで俺も相手も反応が遅れ、人差し指の動きが止まってしまう。

 永久!

 おまえ、俺を後ろから撃たせないって、そんなことを望んでたわけじゃ――――

(――――――――あ)

 瞬間、光り輝くような軌跡が見えた気がした。

 それはまるで天の采配だ。普通ならそんなこと、思いつくはずも実行するはずもない。

(ああ。間違えてたな、俺は)

 苦笑、いや、微笑が浮かぶ。

 恋っていうのは盲目になることじゃないと思ってた。でもそれは違う。

 恋は確かに盲目を作り出すらしい。

 不可能ってモノに対する盲目を。

(――――――――行ける)

 残弾は泣いても笑っても一発。ただし、そいつは終わりを告げる一発だ。このふざけた悪意の終わりを。

 何度も手荒に扱って悪いな、菊一文字則宗。でもご主人様を護るためだ。許して欲しい。

 頼む、俺のベレッタ。どうか俺の道を造ってほしい。

 俺たちの、未来を。


 ――――この世界に神様なんていない。だから俺たちが必要なんだ。

 それでも、奇跡くらいは起こしてみせる――――!


 ベレッタのトリガーを引く。ハンマーが落ち、火薬が炸裂し、弾丸が撃ち出される。

 初速はおよそ三六〇m/s。それが再び永久に向かって飛んでいく。

 見えるはずなんてないのに、俺には弾の軌跡が見えていた。その弾は今度は永久には当たらない。微かに左に逸れ、則宗の刃へと向かう。刃に映った俺たちの敵へ。

 ガッ、という衝撃で則宗の刃がブレた。驚いた永久が柄を握りしめる。

 刀は鉛の玉を切り裂くことができる。けれどそれは正面からだけの話。刀身に当てられれば金属の板と変わらない。粉砕されてしまうだろう。

 でも。

(行けッ――――!)

 NPLから支給される弾は、金属製のフルメタルジャケットじゃない。非殺傷性のラバー弾だ。故に、金属の硬度に負けた弾丸は――――――――摩擦で回転力を増しながら反射する!

 跳弾は常に起こる。でもこれは金属性の弾丸には絶対にできない芸当だ。回転力を増した上にさらに僅かに捻れるように変形した弾は、まるで竜巻のように周囲の空気を巻き込んで一時的に真空を作り出し、空気抵抗を減少させる。

 衝突加速を行った弾は「く」の字の軌道を描き、永久が作り出した死角から最後の敵に向かって飛び、

「うわっ!」

 外れた。

 でも、物事がそんなに上手く行かないのは当たり前だ。だから、引き金を引くと同時に走り始めていた俺は、

「ほらよっ!」

 空になったマガジンを、正真正銘最後の玉として投げつけてやった。さすがにこれは命中。相手は一段高くなったヘリポートから姿を消した。

 ベレッタはホールドオープン。完全に弾切れ。

 けれど、立っているのも俺たち二人だけ。

「……………………ふう」

 終わったな、一応。

 なんとか、俺も永久も無傷で凌いだ。

「久朗様!」

「おっ、と、わったった」

 飛びついてきた永久に押し倒されそうになりながら、なんとか踏みとどまる。

「大丈夫だったか、永久?」

「はい。はい。大丈夫です」

 大丈夫と言いながら、やっぱり恐怖はあったんだろう。身体が震えている。

 当たり前だ。いくらわかっていたとしても本物の銃で撃たれたし、不死身でない身で銃口の前に立ちふさがったんだから。大丈夫じゃない方がどうかしてる。俺だって進んでこんな目に遭いたいわけじゃない。

「護ってくれてありがとう、永久」

「いいえ、それがわたしの役目ですから」

 震える背中をゆっくり撫でる。護ってくれて嬉しかったのは事実だからな。

 ただ、少しだけ怒りたいこともある。

「役目だからあんなことをしたのか?」

 この質問はちょっと意地が悪かったかな、と後悔した。

 なぜなら、背中に回された永久の手がちょっとだけきつく握られたから。

「それだけじゃありません。わたしがそうしたいと思いました。ですから――――」

「そうじゃなくてさ。俺も永久を護りたいよ? でも、盾になったりするのはダメだ。まだやってないことがたくさんあるだろ? それをやる前に死んでもいいのか?」

「……………………それは、嫌です」

 そうだ。護るのも護られるのも結構。人はそうしないと生きていけないから。

 だとしても、死ぬのはダメだ。盾になって、身代わりになって、それで終わりなんてのはダメだ。イヤだ。

 そんなことのために再会したなんて笑い話にもなりはしない。

「ですが、本当に撃たれたときは少し驚きました」

「そのことについてはごめんな。こんなことにならないのが一番よかったのに」

 永久は胸元からお守りを取り出す。朱色だった恋愛成就のお守りは、赤い塗料で濃く染まってしまっていた。

 これが永久に渡した手品道具の一つ。万が一の時のための「死んだフリ用血糊入りお守り」だ。もっとも、本当に使うことになるとは思わなかったけどな。

「ま、ハートブレイクショットかな。ナイチンゲールで足りないみたいだから一発撃ってみた」

 なんとなく、自然に軽口が出た。

 そもそも、殺傷能力のない弾が入っていなければこんな真似はできない。その上、わざわざ防弾能力のある巫女服を用意してもらってたんだから、万に一つでも失敗したら顔向けできない。

 って、結構カッコつけたつもりが永久は戸惑った顔をしていた。

「は、はーとぶれいく、ですか。その、砕けられては困るのですが」

「…………うん、確かにそうだ。言葉を間違えたな。じゃあ」

 右手の人差し指と親指を立てて、もう一度――――バン。

「キューピッドの矢。それならどうだ?」

 ぱちぱち、と瞬きをした永久は俺の言葉の意味を理解して、頬を染めた。

 う。かわいい。至近距離だからさらに。

「はい。確かに受け取りました、キューピッドの矢」

 顔を真っ赤にして――――それでも笑う永久を見ていると、この表現はアタリだったんだろうな。ちょっと芝居じみちまったけど。

 さて。

 このままこうしていたいのは山々なんだけど、別に俺は人の目が気にならないほどノロケてないんだ、幸か不幸か。

 ちょうど後ろにあった屋上への入り口に振り返る。

「いつまでも人の私生活を覗き見るのは感心しないんだけどな?」

「いや、邪魔するのもどうかと思ったんだよ」

 声に答えて、ひょいひょいとスーツの男の人が出てきた。部屋に戻るときにすれ違ったSPの人だ。

「よく言うよ。最初からずっと飛び出すチャンスをうかがってたくせに」

「ははは、バレてら。でも邪魔したくなかったのは本音。オレにだって青春時代はあったんだからさ。甘酸っぱい恋愛、実に結構。ははは。はっはっは…………はあ。オレにそんなもんあったっけ……………………?」

「…………は、はは」

 ひらひらと振られる手。

 どう聞いても茶化されてるよな、これ。

「ま、何はともあれお見事。無事でよかったよ」

「どういたしまして。善良な警察官さんがいてこっちも嬉しいよ」

「それこそどういたしまして――――――――ん? いや、本当は怒るところなのか?」

 善良な警察官のSPさんは、渋い顔で頭をかいた。皮肉は微妙な感じだったらしいな。

「でもそうだな。君の言っていた通り、オレたちが護るものは間違ってたのかもしれない。大人になると、見えるものが見えなくて見えないものが見えるようになるのかもしれないな。それだけオレも大人になっちゃったってことか。おっさんって呼ばれたくはないけど」

「いやいや、綺麗にまとめようとするなよ。確かに大まかはあんたの言うとおりなんだと思うよ。だけど、目を逸らしたら見えるものが見えないのは当たり前だろ」

「ああ…………うん。少年の言うとおりだな。目を逸らしてたかもしれない。いろんなことから」

 彼は、少しだけ皮肉めいた笑顔になった。世界をどこか斜めに構えて見ているような。

 ひょっとしたら、永久と出会う前の俺もそんな顔をしてたのかもしれない。世界がわかって、それでどうにもならなくて一歩引いてるみたいな顔を。

「俺はちょっと前まで自分が大人なんだと思ってた。あのときの俺が大人なんだったら…………それって、自分が世界に巻かれて生きてるってことと同じなんじゃないかな」

 それで俺は失敗した。大事なものを失いそうになった。自分から手放しかけた。

 だからそういう「賢い生き方」はもうしない。そう決めた。

 もちろん、欲しいものが何もかも手に入るとは思わない。それでも、本当に大切なものだけはどんなに足掻いても手放さない。格好悪かろうが愚かだろうが構わない。汚い真似さえしなければ。

「そうだな。大人になるっていうのは――――いや、大人が言う大人ってのは少年の言うとおり、都合よく生きてるってことなのかもな」

「それでも構わない時代はあるんだと思う。でも今はダメだ。だから俺たちがいるんだろうし」

「それだ。少年はなんなんだ? その銃は本物で、使っている弾は量産された9mmのゴム弾だろ。明らかに組織的な力を感じるぞ」

 鋭いな。この人はやっぱり普通のSPとは違う。護る人が攻めてるっていうのもそれはそれで矛盾してはいるけど。

「……………………Non-Govermental Private-Investigation League」

 だから、少しだけ迷ったものの――――自分が何者なのか告げることにした。

「んー、直訳すると『非政府私立捜査同盟』? 国際組織なのか?」

「日本支部では国際捜査連盟が正式だそうだよ。目的はそのものずばり、悪の打倒。官僚主義も国家主義も限界を迎えてる。大元自体が巨大になりすぎたからかな。権謀術数と絡んでしまえば、司法機関はそれこそ『期待通り』にしか機能しない。SPやってるとよくわかると思うけど」

「そうだな、まさにその通りだ。だからノンガバメンタル、国家に依存しない組織なんだな」

 世界は変わっていく。犯罪組織やテロが国際化していくのなら、司法機関もそれに合わせて変わっていかなければならない。

 けれど、組織がどこかと結びつけばそれが足枷になることもある。時には司法組織が犯罪に対して身動きを封じられることさえある。NPLの背景は俺の知る由もないけど、上手い組織構造だというのはわかる。

「やれやれ、今は未成年が正義の味方をやる時代か――――あ、オレの高校生の頃もそういう特撮ヒーローがいたな。時代がようやく追いついたってことか」

 うんうん、と頷くSPさん。よりにもよってそういう例えを持ってくるか。やってることは同じかもしれないけど、あそこまでヒロイックじゃないぞ。

「それはともかく、ちゃんと銃刀法違反と暴行に未成年者略取で逮捕してくれるんだろうな?」

「少年を?」

「おい。本気で言ってたら前言全部撤回するぞ」

「もちろん冗談だよ。でもこれ、手錠が足りないぞ?」

「ほい、どうぞ」

 取り出したるは、今時一〇〇均でも売ってる結束バンド。海外では手錠代わりに使われたりする。

「さすが国際なんとか。用意がいいねえ」

「感心してる場合じゃないだろ。起きる前に片づけないと」

 気絶している黒服の方々をずるずると引きずって一カ所に集めて、後ろ手に拘束していく。

「…………いい子だな。大事にしてやれよ?」

「…………言われなくても」

 途中そんなやりとりをしたりもして、全員を縛り終えた。

「言い訳考えないとな。頭痛い」

「それこそ頭のいい方々が適当にやってくれるんじゃないかな。これだけ証拠があれば拳銃所持で強制捜査もかけられる。それでもダメなら俺たちの出番だ」

 胸ポケットに差してあったペンを指で弾く。

 正確には、隣の部屋からさっきの会話までフル録音されたペン型のボイスレコーダーを。

「ちゃっかりしてるなあ」

「これがこっちのお仕事ですから。それに、警察が本気になれば証拠なんていくらでも掴める。行動したあとに必ず残るモノなんだから」

「そうだな」

 まじめな顔で彼は深く頷いてくれた。

 これで何かがいい方に変わってくれるのなら、危ない橋を渡った価値もあったってものだ。

「じゃ」

 右手を差し出す。

 その意図を察して、相手も同じように手を差し出して握り返してくれた。

「世話になったな、正義の味方の少年」

「こちらこそ。人のいいSPさん」

 離した手で拳を作って、お互いに小突く。

 さあ、あとは無事にあの家まで帰り着こう。帰るまでがお仕事だ。

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