5 Wall in Love?《障害が多い方が燃える?》
「……………………………………………………………………………………吐きそー」
時は翌日。所は屋上。開口一番、先輩は青ざめた顔で言った。大体いつもこういう物言いなんだけど、今日は一段と辛辣だな。
いや、そもそもここ数日会ってすらいなかったんだっけか。
「いきなりなんなんですか。未成年ですよ、先輩」
「飲み過ぎた訳じゃないやい。ピンク色のオーラが見えて超気持ち悪いんだよ。おえっぷ」
言ってから、先輩は口元に手を持っていった。かなり本気で吐きそうなんだけど、本当に二日酔いじゃないんだろうなこの人。前も酒がどうのとか言ってたし。
「一応聞いておきますけど、ピンク色のオーラってなんですか?」
「そこはかとないラヴスメル。昨日まで三歩後ろだった永久ポンの立ち位置が今は二歩後ろになってるし。あんたらなにしたのさ」
スメル言うな。
しかし、二歩後ろねえ? くるりっと。
「……………………」
振り向いて足元を見ると、確かに二歩分くらいかもしれない。
できれば隣の方がいいんだけどな――――そう思って永久の顔を見ると、ぽ、と朱に染まった。
「げろげろげろ」
「えーと先輩。お大事に?」
カエルの鳴き声みたいなのをあげられたので冗談と本気半々でそう言うと、先輩は後ろを向いて本気で吐くようなポーズをした。その後、天を見上げて高笑い。
「ヒーハッハー。まーもーどーでもいーやー。カンちゃんが亭主関白でもさー。私には関係ないぜー。ヘヒャハヒャヒ。クケケケケケ」
「誰が亭主関白だ誰が」
「……………………亭主」
どうやら、俺と永久では琴線が違ったらしい。
いや、その、なんだ。お嫁さんとか亭主とか、少なくとも二年後までどうにもなりませんからね? 法律的に。
「で、なに。婚約報告でもしに来たの? あ、入籍はできないけど結婚式やる分には歳は関係ないと思うよ。学生結婚じゃなくて生徒結婚だけどね。ヒャッハー! リア充は爆発だー!」
「く、久朗様!」
「いい加減そこから離れろ――――永久も目を輝かせるな」
とりあえず両方にツッコんでおいて、がしがしと頭をかく。二枚目とは言わないけどさ。俺、こんな三枚目ポジションだっけ?
……………………うん。三枚目かどうかはともかく、ずっとこんなポジションだったな。報われないツッコミ役だ。
「話が進まないんで本題だけ言いますけど、状況を通常進行に戻すって話ですよ」
「通常進行?」
「だから、先輩の言うところの正義の味方に戻るってことです」
端的にそう告げると、先輩の顔は驚き一色になった。「マジかコイツ?」みたいな。
「え? は? NPLの活動、再開するの? 本気? 正気? 元気? 勇気?」
「…………本気で正気ですって。冗談でこんなこと言いません」
後ろの永久を見ると、小さく笑って頷いてくれた。
「ああ、そうなのー。ならいいのがあるよー。へっ、ラブイズブラインドってか。うらーましーねー。バチカンにでも旅行に行ってこいバカチン」
対して、先輩はとんでもなくやさぐれていた。やさぐれながら、やさぐれた手つきでスマートフォンを叩く。
「ほい」
放られたスマートフォンを受け取る。映し出されていたのはとある政党の幹事長だ。
ついでに下にはズラズラと、ゴシップ系のライターさんたちが見たら狂喜乱舞しそうな文字の羅列。
「これ、マジな情報ですか?」
「マジも大マジ。談合。不正融資。裏金。口利き。実に素晴らしいネタのオンパレードだねー。あ、カンちゃんの弁当食べようとしてたアイツのオヤジも関わっていたりいなかったり」
あのとき言ってたアレか。それはともかく、これが本当だとしたらとんでもないな。政界がひっくり返りかねないぞ。
んで、だ。
「…………先輩の儲けは?」
「建設族だからねえ、その幹事長。そいつが潰れれば他の株がヒッヒッヒ。信用借りでもっとヒッヒッヒ」
テーレッテレー。そんな効果音を口で発しながら、先輩は悪魔の笑みを浮かべ続けている。
うーむ。俺が捕まえるべきなのって、やっぱりこの人なんじゃないのかな?
「おやおやカンちゃん、苦い顔をして。チキったのかね?」
「いえ別に。数日分でもツケが溜まったのかと思っただけで」
「ツケなんてねーですよダンナー。ただね、そのくらいのデカい山を切り抜けられないと愛しいカノジョを護ることなんてできやせんぜー」
っ、言い方はちょっとアレだけど、先輩の言うことはもっともだ。
自分の行動の制限を永久のせいにしてしまうことはしたくない。危ない橋を渡りたくないっていうのはいつも思ってることなんだけどな。
「平気だよ平気。ちょっと相手がデカいだけで手法はとっても簡単だから」
ちょいちょい、と手招き。呼ばれるまま近づくと耳を引っ張られる。それからがしっと肩組み。
うむ、実にデビルな笑顔でいらっしゃる。楽しそうで何より。
「……………………不正談合が行われるホテルの情報と隣の部屋はゲットしてあるからよ。奥さんと一緒に食事にも行っちゃえYO」
「……………………そこまでやってあるんですか、相変わらず手際がいいですね。あと奥さん言うな」
「……………………おいおい。反応薄いからストレートに言うけど、着飾ってデートに行けって言ってるんだYO?」
「……………………なるほど――――――――――――――――――――――――――――――――え?」
は?
で、デート?
「……………………永久ポンにドレスなんかプレゼントしちゃったりしてYO。もちろんカンちゃんはタキスィード。うひゃっほ」
「……………………デートって、世間一般に言われるアレですよね。それは結構ハードル高いんですが」
「……………………なに言ってんのカンちゃん。恋人同士なんだゼ? それにカンちゃんだってちょっと見てみたいだろ、永久ポンのO★ME★KA★SHI」
「……………………うっ。そりゃ、本音を言うと見たいです」
「……………………否定もしやがらねえ。くそっ、ノロケ腐って。でも実際、それくらいの甲斐性がないとアンタただのダメ亭主ですけどNE?」
ぐっっっっっっっっっっっっっっっっっっさり。
「………………………………………………」
「……………………あ、あれ? カンちゃん? へんじがないよ? ただのしかばねなの?」
「………………………………………………………………………………………………」
「……………………か、カンちゃーん、帰ってこーい。おーい、私が悪かったー」
「………………………………………………はっ!?」
な、なんだ? 俺今、先輩に刺し殺されなかったか? なんか夕焼けの川が見えたぞ。
「……………………あー、気にしてるってことはわかったよ。でもさ、日頃からなんやかんややってもらってるんでしょ。なにかお返しをしたくなったりしないのかい?」
「……………………それは、たしかに」
「……………………だったらいい機会じゃん。こっそりと還元したまへ」
「……………………考えておきます」
そう答えながらも口元がひきつる。
なにやら大いなる力を感じるぞ。それが善意じゃないっていうのだけはよくわかる力を。
でも、永久が着飾った姿を見たいのは本当だし、それくらいしてもいいのかもしれないな。
「つーわけで、月曜あたり作戦会議ね。それまでにカンちゃんにはミッションを達成してもらう」
ミッションか。
たしかにこれは高度なミッションかもしれない。俺にはちょっと――――いや、かなり難しめの。
そういうの、完全に門外漢だからな。
「あと、永久ポンは間接じゃないキスぐらいしておくとよい。恋人同士なんだからサ」
「――――――――」
ぼん。
その言葉を聞いていた永久が一瞬で真っ赤になった。
真っ赤になったまま、視線を俺の顔のちょうど下半分辺りに移して、
「きゅう――――――――」
いつかのように目を回して倒れた。
うむ。道は遠いな、お互いに。
/
翌日の土曜日。夕食の買い出しに行くという永久に置いて行かれたので、俺は一人でふて寝をしていた。
一緒に行くっていったんだけどなあ。真っ赤になって手を振っていた辺り、いつもの線引きではなくて恥ずかしいってことだったんだろうか。
そりゃそうか。それってまさにその――――新婚みたいだからな。
だ、ダメだ。先輩の言葉を否定できない。セルフで脳内ピンク色にしそうになってる。
「あー、えーと、別のこと別のこと。別の。こと」
…………本格的にダメだ。思いついたのが永久にプレゼントの件だけだった。でも、避けられないって意味では考える必要のあることだよな、うん。
で、だ。プレゼントって別にドレスとかじゃなくてもいいんじゃないのかな。
もっとこう、うーん。
「…………………………………………うーむ」
ダメだ。なにも思いつかない。
そもそも、永久が制服と巫女服と襦袢と先輩コーディネートのあれ以外の布地を身につけているのを見たことがない。十一年前に初めて逢ったときも巫女服だったような気がする。
じゃあいったい何をプレゼントすればいいんだ? 巫女服を着てることを考えると着物か? いや、浴衣とかならまだしも紬や絣を普段着にする年齢でもないような気がする。
第一、浮くよなきっと。それに、レストランに着て行くにはちょっとばかり年齢とドレスコードのラインがズレている気がする。
そうなると洋服になるのか。それだとまったくもってわからない。着物ならまだ基本の型が決まってるから柄が問題になるくらいだけど、洋服は完全に種類があってないようなものだからな。
なんてぼんやり考えていたのだが。
ピンポーン。ピポピポピポピポドンガンガンガンガンガンドンドンドンガッガッガッガッガガガガガガ!
なんだ!? チャイム連打からのドア乱打!?
ドアが! ドアが壊れる!
『さっさと開けろ、神無久朗! ドアごと叩き斬るぞ!』
「はい! ただいま!」
こええ! なんだその脅し文句!
しかも俺にはわかる。こういう物言いをする相手は本気だ。あと三秒以内にドアが開かなければ、本当に叩き斬られる!
ダッシュアンドオープン。乱打されるドアを押し返す勢いで開くと、
「ひぎゃんっ!」
ドアの前に立っていたらしい相手は、そのまま押し飛ばされた。
共同廊下に尻餅をついているからわからないけど、身長は低そうで、上は白で下は赤の着物を着てて、脱色したらしい茶髪をした女の子。
「あ、えーと、その、ごめん。大丈夫?」
「かーんーなーくーろーうーッ!」
拳を握りしめてぶるぶると震える――――――――ん? 白と赤の着物? 巫女服?
「天ッ! 誅ゥッ!」
「ガハッ、ゲホォア!」
真空飛び膝蹴りに、後ろ回し蹴り。初撃で宙に浮かされ、追撃で部屋の中までブッ飛ばされた。
な、なんだなんだ、いったいなんなんだ!? 畳一枚分しかない玄関でなにが起きたっていうんだ!?
「永久が世話になっているようだな?」
ズカズカと部屋の中まで上がってきた巫女服の少女は、仁王立ちでそう言った。
背中にはわさび色の生地に白の唐草模様の風呂敷包み。そこから紫と紅の竹刀袋が二つ飛び出ている。
「いや、むしろ世話になっているのはこっちの方で――――――――」
反射的にそう訂正して事実を伝えると、彼女はするすると顔を下から上へ真っ赤にし、
「し、死ねぇぇぇぇ!」
踵が。めり込んだ。
俺の。腹、に――――――――がくり。
/
「高天原疏羽だ。ケッ」
「ちい姉様!」
ソワと名乗った少女を永久は「ちい姉様」と呼んだ。
なるほど、この人がナイチンゲール症候群について永久にあれやこれや言ったわけか。確かにそういうことを言いそうだ。
少なくとも、初日にあれこれ言っていた「姉様」とは違うんだろう、たぶん。恐ろしいは恐ろしいけど、こっちは正統派な意味で恐ろしい。
というかこの性格、とんでもない既視感。うちの姉貴が大体こんなだったような。
「おい、クズ。ろくでもないこと考えてるだろ」
「ち、ちい姉様っ!」
荒れる疏羽さんと、それを宥めようと慌てる永久。性格だけ見ると「本当に姉妹か?」って感じなんだけど、巫女服で並んでると「そうなのかもな」って思える。
判断基準はそこだけかって話だけど、それ以前に疏羽さん自体が永久より年上に見えないんだよなあ。
「おい。今、身長のこと考えたな」
ギクリ。
なぜバレた。俺、ポーカーフェイスじゃないにしても表情隠す訓練は受けてるのに。
「目線が頭の上に行ってるんだよ! どいつもこいつも! 悪かったな妹より身長低くて!」
あ、ああ、なるほど。目線か。どいつもこいつもってことは今までもそういうことがあったんだな。
身長なんてそう簡単に伸びるものじゃないし。
「同情した目を向けるなあ! まだ成長期なんだあ!」
涙目でぶんぶんと手を振る疏羽さん。やっぱり、年上にはちょっと見えない。
いや、その。先輩と二人並べば小学生でも通じるんじゃないか?
「だからその目をやめろお!」
疏羽さんは本気で泣きそうになっている。心の中でどうこう思うのもやめた方がいいらしい。
「ほら見ろほら見ろお。こんなのろくな奴じゃないんだ永久。私のこと完全にバカにしてるじゃないかあ」
「そ、そんなことないですっ! 久朗様は素敵ですっ!」
おう。
今までちょっと引き気味に聞いてたけど、関係が変わった状態で言われるとちょっと、いやかなり嬉しいもんだな。
「そ、それに! お、同じベッドでだって寝てますし!」
って、永久! この流れで核爆弾を落とすか!?
よ、世の中には別に言わなくてもいいことはたくさんあるんだぞ! ほら、疏羽さんも表情が死んでるじゃないか!
ていうかどういう流れでその話題になったよ!?
「お、なじ? べっ、ど?」
変なイントネーションで言葉を発して、くらりと疏羽さんは状態を傾がせた。
これはまずいことになりそうですね、はい。
「ど、同衾してるのか?」
こっくり。
顔を赤くしながら頷いてますよ永久さん。
あー、これはアウトだな。いや、喜ぶようなことじゃないってのはわかるけど。見る感じ、先輩とは逆にそういうネタは苦手そうだ。
「どぅ、どぅお、きん。ふひゅー」
頷かれた方の疏羽さんは、口から煙と魂を出して真っ白になった。
うん。
口に出しては言えないけど、この二人は感覚がズレてるな。
いや、暗喩の方が肥大化して認識がズレてるだけで、会話の表面上は間違ってはいない。同衾って永久が考えてるだろう「同じ布団で寝る」って意味だし。ただ、男女の関係を持つって意味合いが強くなってるだけで。そっちが疏羽さんの認識なんですよねきっと。それが問題なんですよ、疏羽さん。どうか気づいて。
「かんなくろう。いまのはほんとうか?」
口から魂を出したまま、疏羽さんは口を動かした。
そ、疏羽さん。大丈夫か? ここまで来たらもう騙せないから真実を言うけど。
「同じベッドで寝てるのは事実です。俺は布団で寝るって言ったんですけど」
「わたしが無理を言ったんです。久朗様を床で寝かせるわけには行きませんから」
床で寝るとまでは言ってないけどな。しかも、わざわざ予防線を張ったのに潰しますか。
いや、今の俺の言い方だと完全に永久が無理強いした感じになってしまうかもしれない。
「ふーん。こいつをたてるようになってるわけだ。ちょーきょーされてるわけだ」
…………疏羽さん、怖いんですけど。真っ白になったまま棒読みとか。
そもそも調教してないし。どこからそんな単語が出てきたんだ。
「えへへ」
チキチキ、と油の切れた機械みたいに動いた疏羽さんは、永久に向かってにっこりと笑った。
ヒジョーにイヤな予感がする。まさに、イヤな予感以外の予感がしない笑顔だ。
「永久。風呂場にでも行って耳をふさいでろ」
「で、でもちい姉様――――」
「いいから! さっさとしろ!」
怒鳴られて、永久は泣きそうになりながら風呂場の方へと歩いていった。でも、それ以上に疏羽さんの方が泣きそうなことに気づいてあげていただろうか?
風呂場のドアがぱたりと閉まる音がしてから、疏羽さんは俺をにらみつけた。
「――――っ、神無久朗!」
叫んで飛びかかってきそうになって、葛藤して、結局飛びかかってきた。シャツの襟元を掴まれて引っ張られる。
言いたいことは「アレ」だろうか。
「…………まだナイチンゲール症候群とか言いますか」
「あ、当たり前だっ! 異常な心理状態で形成された恋など本物ではないっ! そんなものはすぐに壊れるに決まっている!」
「そうでしょうね」
手放しで俺が肯定したことに驚いたのか、疏羽さんは唖然とした表情のまま固まった。
「でも、恋愛感情なんてそんなもんじゃないんですかね? 俺だって、『おまえはストックホルム・シンドロームだ』って言われたらたぶん否定できませんし」
「え? す、すとっく、なに?」
「ストックホルム・シンドローム。監禁被害にあった被害者が犯人に対して共感を抱いてしまうということが実際起こるんですよ。感化なのか緊急避難なのかまでは専門家じゃないんでわかりませんけど」
ちなみにリマはその逆。犯人が被害者に同情を抱いてしまうという現象だ。こっちは一種の仲間意識なのかもしれない。
ともかく、抑圧された感情が反転するみたいなことはよくあるんだろうな。可愛さ余って憎さ百倍とか。殺したいほど愛してるとか。パターンは逆だけど。
「ん、な! と、永久はおまえを監禁していたのか?」
「違いますよ。ものの例えと解釈の問題です。永久は俺の世話を焼いてくれましたけど、それって見ようによっては拘束してるって取られることもあると思うんですよ。そういう人からは俺がストックホルム症候群に陥ったように見えるかもしれないって話です。もしくはナイチンゲール症候群かもしれないですね」
その辺りの視点を曖昧にできるのは俺自身がそういう視点を持たなきゃいけなかったからだろうな。
だからって、自分で自分のことが見えるなんて言うつもりはない。そういう判断は自分じゃできない。
「俺のことは俺自身がどう言おうとただの弁解にしかならないです。けど、永久のことならいくらでも言えます。近くにいた疏羽さんからすれば異常な理由でずっと俺に逆上せてるみたいに見えたのかもしれません。でも俺は違うと思います。短い間しか近くにいなかったからわかることもあります。永久はそんな一時的な感情に振り回され続けるような子じゃありません」
永久は、疏羽さんに言われたことで悩んだと言っていた。俺の前で思い詰めて泣いてしまうくらい。最終的なその判別を俺に委ねてしまったくらい――――きっとまだ悩んでいる。
そうやって悩み抜いて、それでもそれを絶対に見せないようにして、俺の所にやってきた。その上でそんな悩みや葛藤を隠したまま俺の側にいてくれた。
「あの子は、俺たちが思ってるよりもずっと強い子です」
「……………………」
思うところがあったのか、疏羽さんは黙り込んでしまった。
「永久は俺に救われたと言ってましたけど、俺だって永久に救われてるし、救われました。俺たちはお互いに必要な存在なんだと思います」
俺はもう、永久がいなくなることには耐えられない。
依存だと言いたければ言え。でもあえて言ってやる。この感情は依存なんかじゃない。スットクホルム症候群だろうとなんだろうと構うものか。
疏羽さんは、ずっと掴んでいた俺の襟を離してふらふらと後退した。そのままあんぐりと口を開いて、
「の、ノロケを聞かされた……のか?」
「いやその、ノロケとかじゃないんですけど」
聴きようによってはノロケなのかな。先輩もピンク色のオーラがどうのって言ってたし。
いくら自分自身を客観的に見られても、物理的に自分を見ることはできない。だからその辺りがどうなってるのかは俺にもわからない。
ただ、うん。それだけお互いの想いが強いってことなんだとしたら……まあ、その、悪くないかな。
「う、ううー。なんか変なことになってるし。よくわからないし。永久は言うこと聞いてくれないし。こいつはこいつでなんかまとまっちゃってるし」
なにか呟きと恨みと呪いが綯い交ぜになったようなものが聞こえ、
「あー、めんどくさい! やっぱり私はこっちの方が楽だ!」
バッと立ち上がった疏羽さんは、紅の竹刀袋の方を掴んだ。
口紐をほどいて中のものを引きずり出す。そのまま鞘から抜き払い――――って、
「神無久朗。私と死合え」
竹刀じゃなくて刀だったのかよ! しかも刃引きとか模造じゃない。真剣だ。
思わず机の前まで後退してしまった。威圧感が半端じゃない。先端恐怖症じゃなくても耐えられない。
それに気のせいかな……………………俺のカンが正しければ、「仕合え」が一字違ったような? 確かに、真剣使ったら「死合い」にはなるだろうけど。
「弱いヤツに永久は渡せない。もっとも、どこにやるつもりもないがな」
疏羽さんは本気だ。断れば永久を連れて帰ると、その目の色が語っている。
仕方ない。
いやこういう場合に使うのかな、「遣る方ない」って言葉は。それに、戦わなきゃならないって意味じゃ仕方なくないのかもしれない。
「おまえも男なんだから多少は腕っ節が立つんだろう? 力を見せてみろ、NPLの捜査官殿」
…………とにかく、やるしかないってことだ。疏羽さんはこのまま言葉だけで退いてはくれないだろう。
「イエス、マム。仰せのままに」
首を振って机の脇の箱を引っぱり出す。中に納められた金庫――――の横のホルスターと銃を引っこ抜いて箱を元に戻す。ついでにゴーグルも用意して、と。
「早くしろよ」
カチン、という音に振り向くと疏羽さんは刀を納めていた。このまま突っ込んで押さえたら――――居合いで左右二つに分離しそうだな、俺が。疏羽さん小柄だし、うちのリビングくらいでなら問題なく戦えそうだ。
ショルダーホルスターを装着して厚めのジャケットを羽織る。防刃とか考えても真剣の前じゃ無意味だろう。単なるコンシールド以上の意味はない。
「永久はどうするんです?」
「置いてくに決まってるだろ。邪魔されるのがオチだ」
できれば邪魔してもらいたいよ。俺はところ構わず暴力振るいたいわけじゃないんだから。
こういうやりとりをしても出てこないっていうことは、ホントに耳をふさいでるのか。
…………でも、このくらい越えられないようじゃ今後の災難も越えられないのか。降りかかってくるなと望んだら降りかかってこないわけじゃないんだから。
玄関で靴を履いて表へ。非常ドアを開けて階段を上る。
「どこへ行くんだ?」
「屋上ですよ。ちょっとした広場になってるんです」
このマンション自体がNPLの管理物件で、屋上はトレーニングフィールドになっている。誰でも使えるけど、実質俺の専用状態だ。
ただ、それが今回は良い方向に働いたのは間違いない。巫女さんと斬り合いをしてたなんていいネタだからな。
ウォーミングアップ代わりに階段を上ること約一〇階分。やっと屋上までたどり着いた。
小さな門扉の向こうの敷地は、全面に人工芝が張られている。ここなら滑ったり転んでもある程度ケガが抑えられる。その上屋根付き。上空から撮影されたりすることもない。
「いい環境だな」
「ですね。時代が時代ならテニスコートにでもなってたかもしれません」
人工芝のコンディションは、乾燥かつ磨耗無し。足を取られるようなことはなさそうだ。
持ってきたゴーグルを疏羽さんに差し出す。
「これ、付けてください」
「こんなものいらない」
「万が一のためです。実弾じゃないとはいえ、目に当たれば失明することだってあるんですから。付けなきゃやりませんよ」
「…………わかったわかった。そのくらいなら言われたとおりにしてやる」
疏羽さんは渡したゴーグルを嫌そうな顔をしながらもかけてくれた。不必要に銃を向けることにまだ気が乗りきらない分、これでちょっとはマシになる。
それにしても、巫女服に刀にゴーグルか。ちょっと笑えるな。
「――――調子乗ってると、始める前に叩き斬るぞ」
「すいませんでした」
…………いや、中身は笑えないわ。
ホルスターから銃を抜き、スライドを引いて初弾を装填する。プラスチックのスライドが立てる音は本物よりずっと軽い。
相手の真剣に対して、こっちは訓練用代わりのガスブローバックガン。オモチャだ。さすがに本物を使うのは危険さでもコスト面でも割に合わない。使う俺が真っ二つにされるリスクはともかくとして。
「ベレッタのモデル92か。正義の味方らしいオモチャだな」
「弾が一番多いヤツって言ったら支給されたんですよ。一応本物と弾数は同じにしてあるんで、雰囲気は出るでしょう」
「なんだ、ホントにオモチャなのか」
「実銃使うほど疏羽さんのこと嫌いじゃないですよ」
冗談と本気混じりでそう言うと、ぼんと顔が真っ赤になった。
え? 照れるとこか、そこ? 赤くなる様子は永久とそっくりだったけど。
「でも詳しいですね、疏羽さん。普通の女の子はこういうの興味ないと思ってたんですけど」
ところが一転、その言葉で顔を真っ赤にしたままギリリと目をつり上げた。
なんでだ。
「ぐるるるる」
そうか。俺は今、間接的に疏羽さんのこと「普通の女の子じゃない」って言ったのか。
「ぐぅあー…………やっぱり気にいらん、神無久朗!」
シャリン、と音を立てて疏羽さんは刀を抜く。どうやら居合いは使わないらしい。よかった、近づいただけで斬られることはないみたいで。
「今から鞘を投げる。こいつが地面に着いたら開始だ」
「わかりました」
「別にフライングしても構わないぞ? 私には問題ない」
「それならもっとマシな反則技を使いますよ」
「いい心がけだ。だが、後悔するなよ」
ぽいっと疏羽さんが鞘を宙に放る。落着するまで三秒って所か。
銃を両手で構えて、銃口は地面へ向ける。右足を僅かに引いて、蹴り出せる位置へ動かす。
三。
二。
一。
カラン!
音と共に疏羽さんが消えた。
違う。俺より早く地面を蹴って突っ込んできたんだ。
「――――――――」
体勢は低い。身長のせいもあって地を這うような低さ。
逆に言えば、銃を高く上げる手間が省ける。撃つなら、足か胸か肩辺り。小柄な疏羽さんは的が小さいけど、狙えないわけじゃない。
教科書通りに両手で構えたベレッタを振り上げて三連射。バシュバシュバシュ、と実銃に比べてはるかに軽い手応えが右手を襲う。
その俺の指が動いたのと同時に、
「ハッ!」
かけ声か、それとも鼻で笑ったのか、疏羽さんは宙に飛び上がった。前転宙返りで足と腹の辺りを狙った弾を回避して、肩を狙った弾は――――持っていた刀で弾いた。
それもノールックで。
「嘘ぉ!?」
目の前の光景を否定できるわけがないけど、無茶苦茶だな高天原家! 長女は超家政派で、次女は超武闘派かよ!
「なにを寝ボケてる?」
ゴッ、と疏羽さんは棒立ちになっていた俺の腹を蹴り飛ばした。足の裏全体を使って。
ま、マジか。あの離れ技をやったあとで、ケンカキック? どんだけ型破りなんだ。
「ぐえっ!」
その小さい身体のどこにそんなパワーを秘めていたのか、一〇メートル以上飛ばされる。玄関でも蹴り飛ばされたけど、ありえない力だ。こういう蹴り方は下手したら靱帯を痛めかねないのに。
地面を滑ってなんとか体勢を立て直す。転がって逃げて身を起こすと、距離は二〇メートル近く開いていた。
峰で背を叩いている疏羽さんは完全に余裕の表情だ。
「しょっぱいなあ、神無久朗。おまえの実力はこんなもんなのか?」
返す言葉もない。たしかにいいとこがない。
首を振って、チカチカする視界を元に戻す。
「俺はアサルトユニットじゃないですからね。こんな荒事、そうそうないですよ」
NPLには、凶悪犯罪に対抗するためにアメリカのSWATや日本のSATみたいな特殊部隊もある。捜査官とは違ってそれ専門の訓練をこなす彼らは、本職の人たちと変わらない働きをするらしい。
だからって俺が弱い言い訳にも免罪符にもならない。丸腰で予想外の荒事に巻き込まれても、無事に逃げ出せるとは限らないんだから。
「言ったはずだが、弱い奴には永久はやらない。まあ、おまえが弱い方が私としては楽でいいがな」
言ってくれるね。たしかにそうだろうけど。
「そ、その勝負、待ってください!」
軽い音を立てて、屋上の門の辺りから誰かが走ってきた。
見なくてもわかる。永久だ。その手には紫の竹刀袋がある。
足を止めずにそれを取り去り、やっぱり出てきた真剣を抜き払って、彼女は俺の目の前で静止した。
「やめてください、ちい姉様!」
しっかりと両手で柄を握って――――それでもちょっとだけ剣先が揺れている。
当たり前だ。持ってるのは真剣で、それを向けているのは自分の姉なんだから。
「どけ、永久! そいつ殺せないだろ!」
「や、約束したんです! 後ろから刺させないって!」
フーッとおびえる猫が毛を逆立てるようにして、永久は俺と疏羽さんの間に立ちふさがる。疏羽さんも殺気全開で目をつり上げている。
いやいや。殺すって、疏羽さんあんたホントにそのつもりじゃないだろうな?
永久も、家族に刀を向けるなんてありえないことだろうに。俺のためにそこまでしてくれるのか。
は……………………これは、このままやられたんじゃちょっと格好悪いな。
「大丈夫だよ、永久」
立ち上がって肩に手を置く。優しく、それでいてちょっとだけ強く。
いやー、こんな感情が理解できると思わなかった。「好きな子の前でいいトコ見せたい」なんてガキっぽい感情。
「く、久朗様。ですが、ちい姉様がこんなことをしているのはわたしのせいで――――」
「そうかもな。でもこのままじゃ格好悪い姿だけ永久に覚えられるだろ? そんなのゴメンだ」
「そ、そんなことありません! 久朗様は……く、久朗様はどんなときも格好いいです」
てれてれ。
そんな擬音が聞こえそうな感じで頬を染める永久は、これ以上ないほどかわいい。
「だああああ色ボケるなこのバカども!!!」
そんな俺たちを見た疏羽さんは、怒りの形相でぶんぶん刀を振り回している。
「失礼、ちい姉様。ですが、他人の恋路をジャマする人には馬の骨に蹴られてもらいましょうか」
「うがああああちい姉様って言うな恋路とか言うなあああああ!!!」
いい感じにキレてるなあ、疏羽さん。言っといてなんだけど、大丈夫かなこれ? ホントに斬られないだろうな?
対するこっちもいい感じにアドレナリンが分泌されてきてる。ガンナーズハイってヤツかもしれない。持ってるのはオモチャだけど。
「とにかく、永久は下がっててくれ。それにこんなのも悪くないんじゃないか?」
永久の前に出て、銃を握りしめる。首から上だけ振り返って、
「昔から、恋愛は障害が多い方が燃えるって言うしな」
「久朗様――――!」
「がおおおおお!」
俺の苦笑いに永久が目を輝かせ、疏羽さんが吠える。
さて、本物の刀相手に偽物の銃でどう挑むかな。
…………ここでも偽物と本物か。嫌につきまとうな、この二つの言葉は。
確かに、その二つには大きな差がある。特に遊技銃なんて、軽いし威力はないし撃った反動は天と地。オモチャとホンモノは何から何まで大違いだ。
ただ、そんなのただの言い訳だ。偽物が本物に敵わないなんて絶対は、存在しない。
問題があるとしたらこの距離だろう。ゼロコンマ単位の重量のBB弾にとって、二〇メートル先は充分彼方だからな。
「行きますよ、疏羽さん」
走る――――いやむしろ突撃だ。狙いを悟られないよう銃口を下に向けて、全速力で突っ込む。
「こん、のおおおおお!」
なにをする気か、大上段に振りかぶる疏羽さん。
チャンス。牽制のために頭と足に向けて引き金を引く。
「甘い!」
相変わらず驚かされるが、二連射した弾を疏羽さんは刀の縦振りだけで弾き飛ばした。ただし、その足だけは確実に止まる。
さらに連射。疏羽さんの手を止めさせない。同時にカウントも忘れず行う。
六。
五。
四。
三。
二。
一。
バシャッ!
弾切れになったことで、銃のスライドが後退したまま止まる。
「終わりだ、神無久朗!」
その瞬間、疏羽さんが攻勢に転じる。一歩を踏み出し、刀を腰溜めに構えてこっちに突っ込んでくる。
「――――――――!?」
けれど、その顔は驚きに染まった。
理由はたぶん、こっちも突っ込むのを止めないからだ。手が無くなった状態で動くのは自殺行為以外のなにものでもない。
でも、残念ながらこのスピードじゃ止まれない。
それに、最初から止まる気もない。
疏羽さんの手には近距離専用の刀。対して俺の銃の状態はホールドオープン。
何をしようにも一手遅れるけど、ホールドアップじゃない。自爆覚悟の特攻でもない。
相対距離七メートル。ベレッタのマガジンキャッチを押す。マガジンが排出され、地面へと自由落下を始める。
相対距離五メートル。予備のマガジンを取り出して、左手に握る。
相対距離三メートル。マガジンが完全に銃と分離する。
相対距離一メートル五十センチ。刀身と疏羽さんの腕を合わせると、刀の届く距離だ。
「貰っ――――――――」
相対距離一メートル。髪の毛が数本宙を舞った。しかし、疏羽さんの刀は空を切る。
疏羽さんの身長は低い。横に刀を振り回しても高さは俺の腹辺り。
危なかった。それでも、神無久朗はまだ二つにはなっていない。
全速力からのスライディング。頭の上を刀が抜けていったときは、さすがに寒気がした。相対距離五〇センチでマガジンを叩き込み、スライドを前進させ、初弾を送り込む。
そのまま疏羽さんの身体――――から外して引き金を引く。威力のないオモチャだって、距離を詰めればじゅうぶん痛、
「へ? わ、わわわわわっ!」
一瞬、ぐいっと爪先に何かがひっかかった感触がした。と思ったら、構えていた銃に向かって疏羽さんが倒れ込んでくる。
「やばっ」
あわてて銃を横にどけるとべちゃり。疏羽さんの身体が降ってきたむにゅ。
え? むにゅ? なんだこの感触? 視界が利かないからなにがなんだかわからないぞ?
「うひゃあ! う、動くな神無久朗っ!」
視界が塞がれた中で疏羽さんの声だけが聞こえる。
いえ、俺は別に動いてないんですけど。だからこの状態から止まるのは無理な相談だ。
「ひ、ひうっ! だからうごくなってひゃうん!」
本当に、もぞもぞ動いてるのは疏羽さんだけなんですが。顔面には着物の布地の感触と――――――――なんかちょっと柔らかい感触が、
「…………ちい姉様」
ずごごごごごごごごご。
あれ? ここ火山帯だっけ? 活火山の音がするんだけど。
ざんざんざんと人工芝を踏む音がする。永久が近づいてきたのか? さっきから何も見えないんだけど。
――――――――なにをやってるんですか?
音にならないそんな声を聞いたような気がした。
「い、いや、永久? これはその、この阿呆が」
「…………阿呆? そういえば先程、久朗様を――――確か殺すとも言っていらっしゃいましたよね、ちい姉様」
「え? い、いや、永久? それは言葉の綾というもので…………」
ぎゅぎゅぎゅぎゅ、と頭が締め付けられる。な、なんだ? チョークスリーパーか?
でもなんか、顔の辺りは相変わらずふにふにとしたものに当たってるんだけど……なんだろうこれ? お腹?
「ちい姉様はわたしを久朗様から引き離そうとしにきたと思っていたのですが、違うのですね。そうですか。久朗様をわたしから取り上げようとしているわけですか。殺し文句ということですか」
「ち、違う違う絶対違うそんなわけないだって私はこんなの別にどうでもいいんだから――――!」
がくがくぶるぶるふにゃふにゃ。
もう何がなんだか。
「――――――――でしたら、早く久朗様の上から下りてもらえませんかね?」
ぞぞぞ。
あれ? なんか今ちょっと二の腕あたりに鳥肌が立ったぞ? なんでだ?
「ど、どくどく! 今すぐ!」
いきなり視界が開けた。上半身を起こすと、疏羽さんは十メートルほど離れたところで正座していて――――なんか青い顔で額からダラダラ汗を流している。
永久は俺の傍らに立って、そんな疏羽さんを無表情で見ている。
「久朗様。ちい姉様とお話があるので少しだけ二人きりにしていただけませんか?」
「了解――――――――え? あ、いや、わかった」
な、なんだ? 今俺、考える前に答えを返したぞ?
「ありがとうございます、久朗様。先にお部屋でお待ちください。ここは片づけておきますから」
「はい――――――――う。た、頼むな」
まただ。でもそうした方がいいっていうのだけはよくわかる。理由はともかく。
落としたマガジンだけを拾って、そそくさと非常階段へ向かう。いったいなんの片づけをするんだろうああそうか散らばった弾か。
って、なんでそんな当たり前のことを疑問に思ったよ俺。
「じゃあ永久、先に下りてるな。鍵はいつも開けっ放しだから気にしなくていい」
「はい。すぐ戻ります」
にっこりと微笑む永久に送られて屋上をあとにする。
で、
「た、たすけてくろえもーん!」
まるで断末魔の悲鳴のように疏羽さんの叫びが背中に届いた。
「……………………」
くろえもんって誰だそれ。俺のことか?
とにかく、君子危うき…………………………………………え? 危うい?
そ、そうか。危うかったのか、今。それも無意識に現実から逃避するくらいに。
そういえば先輩が言ってたな。永久ってヤンデレだと思ったとかなんとか。
俺は今までずっと先輩の勘は適当で、言ってることも冗談だと思ってた。でも結構当たるのかもな。俺のことといい、人をよく見てるみたいだし。
「どうしたんですか、ちい姉様? 誰に助けを求めたんですか?」
「ひー! ごめんなさーい!」
まあ、疏羽さんのことはなんとも言い難いけど。お元気で。
/
「ごめんなさいもうしませんごめんなさいもうしませんごめんなさいもうしません」
戻ってきた疏羽さんは、部屋の隅に直行して体育座りで膝と刀を抱えてぶるぶる震えていた。いったいなにがあった。
「姉がご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした、久朗様」
永久も永久で深々と頭を下げたっていうか、久しぶりのマックス土下座だ。
「いや、そんな謝られることじゃないよ。家族が心配なのは誰だって同じだ」
「ですが、姉がご迷惑をおかけしたのは事実です。この高天原永久、どんな罰でもお受けします」
「…………はは」
ふかぶかーと頭を下げ続ける永久に苦笑してしまう。
罰て。これは言うとおりになにか交換になるものでも提示しなきゃダメかな?
「そうだな、迷惑だった。なら、疏羽さんが帰るまで永久は監視役をすること」
「「え?」」
俺の提案に姉妹二人は頭を上げて目を見開いた。
「だから、永久には疏羽さんの首輪になってもらうんだよ。そうしないと俺は安心して過ごせない」
正直、「俺のことは二の次で楽しめってこと。姉妹水入らずを邪魔するほど俺も無粋じゃないよ」と言いたかったんだんけど、それだと永久が納得しなさそうだ。
そう、だからこれは罰ゲーム。そういうことにしておけば誰も後ろめたさを持つ必要はない。
「ありがとうございます、久朗様」
「むう」
永久は頭を下げ、疏羽さんは憮然とした表情になる。
失敗か。後ろめたさがないわけじゃないな、全員。
「まあ、久朗がそれでいいならいいさ」
ふん、と鼻を鳴らして疏羽さんはそっぽを向いた。
とにかく、とんぼ返りってわけじゃないみたいだな。それなら少しくらいはゆっくりして欲しいもんだ。旅行だとでも思って。
「それに、一応勝ちは勝ちだ。だから永久のことはしばらくおまえに任せることにする」
「それは光栄ですね」
「と、ともかく一日世話になるんだ! 以後は一応おとなしくする!」
「はいはい、ありがとうございます」
苦笑してしまう。「一応」とやたらにつける辺り、疏羽さん自身はまだ納得してないってことなのかな。
「か、勘違いするな! 今回はあきらめただけだからな!」
腕を振り上げてアピールする疏羽さんに笑ってしまう。隣を見ると、永久も同じような顔をしていた。
「あ、そうだ永久。お土産があるんだった」
そう言って、疏羽さんは風呂敷包みの中からビニール袋を取り出した。中身は透き通るような橙色をした小さな固まり。
袋を破った永久はすぐに俺に一粒渡してくれる。
「お、懐かしいなこれ」
これ、永久を探しに行ったときになけなしの小遣いで買った飴か。たしかミカンの果汁がたんまり入ってるんだったような。
「覚えていてくれたんですね、久朗様」
「思い出したって言った方が正しいけどな」
ただ、その記憶は「おびえてた永久の口に無理矢理飴を押し込んだ」ってある意味酷いものだけどな。確か、泣きながら吐き出してたんじゃなかったっけ。
当然だよなあ。子供の口にはちょっと酸味が強すぎたし。でもあの飴、あの後洗って俺が食べたような?
「…………うっ」
や、やばい。それだけでなんでこんなに落ち着かなくなるんだ。いや、理由はわかるけどさ。そこまで子供じゃないはずなのに。
「と、とにかくもらうよ」
包みを剥いで口に放り込む。「こ、こんな味だったか?」、と戸惑うほどの強い酸味とほのかな甘みが口の中に広がる。
これもある意味青春の味なのかもしれない。大体において苦いものだって聞くけど、甘酸っぱいとかもあるらしいからな。
「きゅー、酸っぱい。なんでもっと甘くしないんだこれー」
「ですけど、思い出の味です」
「永久は味覚がおかしい!」
にこにこと笑う永久と頬を膨らまして拗ねる疏羽さん。
うん。誰かが笑ってる光景はやっぱりいいもんだ。こっちまで嬉しくなる。
「なんだよ久朗! 笑うなよ! どうせ私は子供っぽいよ!」
「いや、実際これは俺も酸っぱすぎると思いますけど」
「え? じゃ、私はちゃんとした味覚なんだな!?」
「いや、永久の料理は俺も旨いと思うんで、家族揃ってちゃんとした味覚を持ってると思いますよ?」
「そ、そうだよな! 私だけがおかしいわけじゃないよな!」
ほんと、小さいことで一喜一憂してる。子供みたいな人だな。
「久朗様」
「ん?」
呼ばれて振り向くと、永久が優しく微笑んでいた。
「久朗様、笑ってますよ。ちゃんと」
「え?」
なに言ってるんだ、永久は?
「わたしも楽しいです、久朗様」
なんでそんな笑って――――ってああ、そうか。要子先輩が言ってた「俺が笑わない」って話か。
これまでは余裕がなかったのかもな、心の。先輩が言うとおり、俺は行き止まりでたった一人で完結してたのかもしれない。世界に一人だって思いこんでたのかもしれない。
「ぶー、私は楽しくないぞ。おまえら仲がよすぎだ」
「はは」
「ふふ」
「…………うう。なにか、客観的にこの光景を見たくない気がする」
イヤそうな顔をする疏羽さんを見ながら、俺たち二人は笑顔のままだった。
/
「ごっはんー、ごっはんー」
あれ? この光景は前に見たような?
「永久ー、一緒にお風呂に入るぞー」
あれ? この光景も前に見たような?
デジャブ? 夢?
「と、年頃の男と女が一緒に寝るとかありえん! 同居は許しても同衾はダメ、絶対!」
「のぎゃあっ!」
ドロップキックされた。
なんだ現実か。
/
高天原姉妹は寝室に引っ込んだので、俺は一人ソファーで天井を見上げていた。
どこかで見たと思ったらこれ、先輩が泊まりに来たときと同じパターンだな。あのときは無理矢理同じ部屋に引きずり込まれそうになったけど。
『…………ちい姉様』
『なんだ、永久』
っ、と。思ったより壁が薄いんだなここ。隣の雑音は聞こえないけど、自分の部屋の中の壁はそれほど厚くないのか。
てことは、先輩と永久はなにも話さなかったのかな。まあ、二人とも寝付きが良さそうだし、久しぶりの家族みたいに積もる話があるわけでもないし――――
『ちい姉様は、久朗様のことを好きになったんですか?』
『は――――――――?』
「ぶっ――――――――!」
疏羽さんが疑問の声を上げるのと俺が吹き出すのはほとんど同時だった。こっちの声は聞こえないことを願うのみだ。
こんなことを聞いてるなんて、永久はともかく疏羽さんに知られたらどうなるか。
し、しかし永久さん? いきなりなんてことを言い出すんですか。もっと違う話があるでしょうに。
『そ、そんなわけないだろ!? なに考えてるんだ!』
で、俺のもう一つの内心はちゃんと疏羽さんが代弁してくれた。
そうだよ。ありえないよそんなこと。俺はある意味永久に付いた虫だし、疏羽さんがそんな気になるわけないだろ。
第一、先輩の俺の評だって「オモチャに最適」なんだぞ。恋愛対象になんてなるわけないだろ――――やばい泣きそう。
『でも、ちい姉様の久朗様への態度は最初と全然違いますし』
『そ、そりゃあ曲がりなりにも私を倒したわけだからな、約束は守らないとダメだ。だからって好きになったワケないだろ!』
うん。いちいち俺が言わなくても疏羽さんに任せておけば良さそうだな。ちゃんと否定してくれるだろう。
さ、寝よ寝よ。英気を養わないとね。このまま聞いててもきっといいこと無いよ。
『…………不安なんです』
『…………不安?』
「……………………永久?」
でも、消えそうな永久の声に――――本当に任せておくべきなのかどうか悩んでしまった。
『…………わたしは姉様みたいに家事や舞がうまくできるわけじゃありませんし、ちい姉様みたいに強くも真っ直ぐでもありません。佐伯先輩のようにそばにいたわけでもありません。ずっと悩んでばかりです。だから、もしちい姉様が久朗様のことを好きになったらきっと勝てないですし、そもそも他の誰かの想いを妨げる資格はないんです』
「『……………………永久』」
壁の向こうの疏羽さんと、壁のこっち側の俺の声が重なる。
それはきっと、俺たちが考えていなかったこと。後先構わず好きな相手の家にやってくるような行動が猪突猛進に見えていたから。
でもそうだな。永久は不安なんだ。いくら芯がしっかりしてるように見えても。
思えば、今まで永久から自信のようなものが感じられたことはなかった。能力を誇示するようなこともなかった。永久は本来、積極的なタイプじゃなくてあらゆることに対して内向的なタイプなんだろう。
だけど、それじゃダメだと思った。だからきっと、一生懸命家事や剣術の勉強をして、こうやって俺の所にやってきた。ありったけの勇気で自分を奮い立たせて、そうしながらそれを俺や疏羽さんに気付かせないように振る舞っていた。
むしろ、自分自身にさえ気付かせないようにしてたんじゃないだろうか。そうでないと、あの時のように泣いてしまうから。
「……………………」
テーブルの上からスマートフォンを拾い上げる。転がっていたイヤホンを耳とジャックに突っ込んで、音楽を垂れ流しにする。
これは俺が聞くべき話じゃない。返答はきっと言葉を向けられた疏羽さんがやってくれるし、姉妹同士、当人同士の話だ。
ただ――――もし俺の前でそういう不安を言ってくれるようなことがあったら、ちゃんと伝えよう。
俺は、他の誰でもなく君に側にいて欲しいんだって。
/
翌日。駅前の商店街にはタウン誌を広げる高天原姉妹の姿があった。
「と、永久! やっぱり都会はすごいな! こんなにおいしそうなものがじゅるるる」
「ち、ちい姉様、よだれよだれ」
「――――――――――――――――」
うん。「仲良きことは美しき哉」だよね――――――――端から見ることができたのなら。
いや、姉妹水入らずを邪魔しないとは言ったけどね。君たちはどうして私服が巫女服なんだね。
視線がね、冷たいのよものすごく。コスプレじゃないって知ってるのは俺だけだから。
同年代の巫女服の女の子と、それよりちょっと――――あくまでちょっと幼、いや、若く見えるこれまた巫女服の女の子を連れている俺は、周りからどう見えているんでしょうね?
明日絶対学校でさらし者にされるだろこれ。
つーか、あんたら昨日深刻そうなこと話してた割に意外と普通なのな。それが一番びっくりだよ。
「なあなあ久朗。こういうとこがいっぱいあるのか?」
「…………はあ。ええ、まあ。不景気だから淘汰が激しいですけどね。逆に言えば、本当に旨いところが勝ち残ってるってことでもあるのかもしれません」
「そうかー。神社の周りにはこういうの少ないもんなー。やっぱり都会はいいよなー」
…………警察、来ないといいなあ。最近路上パフォーマンスとかにうるさいって言うし。特殊な人種とかに容赦ないみたいだしなあ、一部の人たち。
「んっ? おお。旨そうなクレープ! 並びにいくぞ、永久!」
「え、ちい姉様? ちょ、ちょっと待ってください」
「俺のことは気にしなくていいよ。行って来い、永久」
視線がこっちに向いていたので、苦笑で返す。疏羽さんの相手しろって言ったのにな。
ま、俺だってちょっとは思うところはあるけどさ。当面は今日限りの辛抱で、
「くーろうくーん」
ゲゲッ! この声はっ!
この状況で会いたくない人ナンバーワンアンドオンリーワンじゃないか!
「やだにゃー。こんなところで私に逢ったくらいでそんなに喜ばにゃいでよー」
つんつん、と脇腹をつつかれた。やめて気持ち悪い。
つか、酔ってないよな先輩? いつも以上にテンションがおかしいし、口が変な風になってるぞ。
「早速ドレスのプレゼントですかー? やるねやるねー。恋人を想う優しい笑顔まで見せおって。式場はお決まりですかー?」
「いろいろ違いますよ。ってか、それだと違うドレスになりませんか?」
そういえばそんなミッションもあったな。明日が月曜だから期限は今日中。すっかり忘れてた。
「うーん、ただのデート…………にしては永久ポンの姿が見えない。おかしい。永久ポンがカンちゃんから離れることはありえないのに。まさかもう離婚の危機!?」
「黙れ脳内ドドメ色。離婚とか不穏な言葉を出すんじゃねえ」
「うおー。もう完全にカンちゃんも永久ポンにベタ惚れじゃねーかよー。狼じゃねえかよー」
軽く引きつつ、先輩は愉快そうな顔を崩さない。
くそ、完全にオモチャだ。
「おい久朗。なにやってるんだ」
そんな俺たちの前に、あむあむとクレープをかじりながら疏羽さんが現れた。その後ろには、俺の分もあわせてクレープを持っている永久の姿がある。
なんというタイミングですか君ら。いや、そう簡単に先輩を追い返せはしないけどさ。もう少し待ってくれてもよかったものを。
疏羽さんの視線は俺の隣の先輩に向いて、先輩の視線は疏羽さんに向いている。
「おろ? こっちのちびっ子巫女さんはどなた? 永久ポンの妹?」
「ち、ちびっ――――!? 違う! 私は永久の姉だっ! というか、そもそも身長はおまえも大して変わらないではないか!」
「にゃ!? な、なにおう!? これでもこの間の身体測定で五ミリ伸びてたんだぞう!」
「はっ、私は七ミリ伸びていたぞ! 私の勝ちだ!」
「くっ! だ、だけど私の方が身長高いもんねー! ほらほらー」
「たっ、たわけ! そんなことあるわけがない! なんなら具体的な数字を言ってみればいいだろう!?」
「ふっ。人に身長を尋ねるときはまず自分からだぞ、お・ね・え・ちゃ・ん?」
ふぬぐぬぬぬぬぬぬぬ、とうなり声を上げながら張り合う二人。
…………実に不毛な戦いだな。どんぐりの背比べというか、背張り合いというか。見た感じどっちも変わらん。
「うぐぐぐうう。おまえが言ったら私も言ってやる!」
「うにゅにゅにゅ。この要子さん、礼儀を守れないチビっ子に真実なんて言ってやるものか!」
ああ。なんか昨日から既視感感じるなと思ったらこれか。結構似てんだこの二人…………身長も含めて。
ていうか、先輩も意外とコンプレックスだったんだな、その身長。
ところで、先輩と疏羽さんは似てて、疏羽さんとうちの姉貴が似てて。三人集まったらどうなる?
『くーろーうーくーん?』
『おい、久朗』
『愚弟』
やばい。死ぬ。殺される。あらゆる意味で俺の命がピンチでノーチャンス。
そんな状況は死んでも作り出してたまるものか。
「ち、ちい姉様も佐伯先輩も、その、周りの方が」
「「周りなんて知るか!」」
「はうっ」
永久は怒鳴られて涙目になってしまった。大人げない。
仕方ない。ここは俺がなんとかしよう。注目されるのイヤだし。
「はいはーい。よい子はあっちで牛乳でも飲みましょうねー」
ひょい、ひょい。
小さい子二人を小脇に抱えてすたすたと移動。
「「……………………」」
さすがにこれにはお互い現状を把握したらしく、二人とも無言になった。
…………要は、俺に片手で持たれるほど小さいってことだからな。「ご愁傷様」とかトドメを刺して、じゃなくてフォローしておいた方がいいのかな?
/
なんやかんやで協定を結んだらしい先輩と疏羽さんは、時に肩をたたき合ったり、時に二人して沈んだり、いい友人になったようだった。
似てるってことは波長が合いやすいってことでもあるからな。しばらく俺へ弾は飛んでこないだろう。クレープ奪われるだけで済むなら安いもんだ。実際この二人、社会的名誉と命のそれぞれの意味で人を殺せかねないし。
「でだ、カンちゃん。ミッションは達成できるのかネ?」
「いや、それは当面無理そうですけど…………」
考えが甘かった。そうだ俺自身がそういうネタにされるキャラだった。
「やることがおっせーなーカンちゃん。亭主暴君?」
「俺にもいろいろあるんですよ!」
そもそも、こっそりと服のプレゼントなんてできるわけないだろ。永久の服のサイズだって知らないのに。
あと亭主とか言うんじゃねえよ! まだ早いわ! ……うん、まだ。
「相変わらずシャイだなー、カンちゃんは。仕方ない、ここは我々が一肌脱ぐぞ疏羽ちん」
「は? ひ、一肌脱ぐって、こんなところで裸に!?」
「う、うーむ。これは新しい強キャラ出現。そうでなくてごにょごにょ」
「え? いや、それはまあやぶさかではないが。むう…………」
「ふふーん。自分も欲しいのかにゃ、疏羽さんや」
「い、いや、違う! そんなわけあるか!」
「ちなみに要子さんはカンちゃんからのプレゼントならうれしーなー。なんかくれー」
「お、おい! それはズルいんじゃないか要子!?」
「ふーん。やっぱり疏羽ちんもカンちゃんにやられてるんだー」
「だ、だから違う! もらえるものはもらっておくのが私の主義であってだな!」
「ふーん? 要子さんもそうなんだよねー。へっへっへー」
あなた方。どうせならそういうやりとりは俺のいないところでやっていただけませんか。あと、永久がなんか慌ててます。
昨日の姉妹の会話が軽くフラッシュバックしてしまうじゃないか。あそこまで否定するんだから、そんなことないはずなんだろうけどな。
先輩情報によると、俺はクラスでもあんまり好かれてないし。その先輩からはオモチャ扱いだし、完全に疏羽さんの敵だし。
「残念なのか幸運なのか、カンちゃんは絶賛勘違い進行中。これだからダメだよこの探偵さん」
「は? なにがですか?」
「推理力バシグン(笑)」
「…………なぜかそこはかとなくバカにされた」
「――――――――――――――――――――――――――――――――ほら、ダメだろ疏羽ちん。疲れるわ」
「――――――――――――――――――――――――――――――――ああ。ほんとダメだな。同情するぞ」
酷いです。年上のガキンチョ達が酷いです。無表情で通じあいやがって! イジメカッコワルイ!
「く、久朗様はダメなんかじゃありませんよ!」
永久!
やっぱり俺の味方はこの子だけだ! 永久のためならなんだってやってやる!
「「じー」」
「だ、ダメじゃありませんよ!」
「「じぃー」」
「だ、ダメじゃ、ありません」
「「ホントにそう思っているのカネ?」」
「だ、ダメじゃない、と思います……」
「「して、そのココロは?」」
「……………………うう」
と、永久…………
そうか。俺はそんなにダメなのか。永久のおかげでなんだってやれそう…………。
「で、俺のなにがダメなんですか? 言ってくれないと改善できないんですが」
「それがだよ!」「それがだろうな」「…………それが、です」
怒られた。全員に。
結局、「それ」ってなんだよ。
「カンちゃんはキングオブ愚鈍予選への出場権があるね。最後は大爆発」
「グドンって確か怪獣でしたっけ。確かに倒されたら大爆発しますよねあいつら」
「これがマジボケだから困るよ……………………ツインテールいないし」
先輩がとても疲れていた。
「ダメな上にセンスもないのか……………………」
疏羽さんもとても疲れていた。
「ちょっと複雑です……………………」
永久が軽く落ち込んでいた。
え、なに? 俺が悪いのこれ?
「「「…………………………………………はあ」」」
俺が悪いんですね、はい。
泣いていいのかな、俺。誰か教えてくれ。
/
「では、中継先をショッピングセンターに移しまして次のコーナー。爆撃! 隣の奥さん改造計画ー!」
「わーわー」
「…………ツッコまないぞ」
先輩の大ボケと疏羽さんの合いの手に一応そう返しておく。
というか、ツッコミどころが多すぎてどこから処理していいのかわからん。
「このコーナーは、隣の家の奥さんをおもしろおかし――――じゃなくて、新たなる魅力を引き出していこうというコーナーです」
おい。今なにを言いかけた。
「さて、アドバイザーの高天原疏羽さん。永久ポンのスリーサイズは?」
「ああ、それなら四月の時点で上から――――――――」
「いやいやいや、そういう情報公開はいいから! てか、どうして疎羽さんは数日前に計られたであろうそんなデータを知ってるんですか!?」
「は? なに言ってるんだ久朗。それはもちろんあ――――――――」
「「あ?」」
「――――――――」
時間、停止。
カチ、コチ、カチ、チーン。
「――――――――姉だからな! 当然だろう!」
いい笑顔でごまかした!?
たぶん「愛」って言おうとしたんだろうけど、それでどうにかなるのか!? むしろ疏羽さんの愛がデカすぎてちょっと引きそうなんですけど!
「ま、昔やった人形遊びみたいなもんですなー。リアル着せ替えごっこ」
「…………先輩にも純粋な子供の時期があったんですね。今はともかく」
「うるせいカンちゃん女装させるぞ」
飛ばしてるな、先輩。
「んなわけでカンちゃんはしばらく待機。SPのように辺りを警戒すべし。ポイント稼ぎに万引き犯がいないか探す感じでも良し」
「それ、第三者から見たらものすごい怪しい人になりますけど?」
「チッ、気付かれたか」
女装がどうのといい、あんた俺をどうしようってんだ。警備員さんに引きずられて行けとでも?
「ま、それは冗談として自由行動でもいいよ。少し時間掛かると思うし。なんなら写メで送ろうか?」
「ここにいますよ。女性を待つのは野郎の甲斐性ですし」
「うむ。今のは悪くないフォローであった。三〇点」
「私には、暗に『待たせるな』と言っているように聞こえたが」
「…………他意はありません」
「「ナニカアヤシイ」」
「……………………そう思うならさっさと行けよ」
「そだね」
「ああ」
顔を見合わせてからとてとてと試着室の方に行く先輩と疏羽さん。
なるほど、あの中に永久がいるわけか。このメンツだとあの子もいじられキャラだな。
「うーむ。俗世に疎かったんだなあ、私。服のこととかあんまりわからん」
「そりゃ、要子さんだってコスプレで街を歩き回る度胸はまだないですよ」
「こ、コスプレじゃないっ! 正装だっ!」
「あのさー。それだと街中にお休みのナースさんとかスチュワーデスさんとか婦警さんとかが制服で歩き回っててもなんらおかしくないという理屈になるけど、それでいいのかや疏羽ちん?」
「う。それはたしかにそうだ」
「だしょ? 周囲の視線独り占めー」
「…………ううっ。見ないでくれぇー」
そんなやりとりを聞きながら、ぼーっと壁にもたれて待つ。
家族連れ。カップル。店員と客。先輩と疏羽さん。いろんな声が混じって喧噪を作り出している。暖かで緩やかな時間を。
世界はひょっとすると、俺が思っているより平和なのかもしれない。どうにもならないのは朝と昼と夕方に騒がれてる部分だけであって、その他大勢はなんの問題もなく日常を過ごしていて、わざわざ気を回さなくてもそれなりに過ぎていくのかもしれない。
でも逆に言えば、朝と昼と夕方に騒がれるように――――問題なく日常を過ごせない人がいる。そういう人たちから俺は目を逸らせるんだろうか? 逸らしていいんだろうか?
「カンちゃーん、黄昏てるところ悪いけど終わったよー」
ちょいちょいと手招きをされたので、試着室に近づく。
「それではっ、カーテンオープン!」
かけ声と共にカーテンが開かれる。
現れた永久は、薄い青の生地を使ったワンピース調のパーティードレスを身につけていた。いつもは自然にしている髪も、今はピンで留められてロールアップになっている上に、真っ白いコサージュがワンポイントで飾られている。
なんだか、そのままレッドカーペットを歩けそうだ。
「どうよ? 要子さん自信作ですよ」
「うむうむ、さすが我が妹。なにを着せても似合う」
胸を張ってふんぞり返る二人は視界に入らない。俺の目は真っ直ぐ永久を捉え続けている。
似合うとか似合わないとかって問題じゃなくて、思考力を完全に奪われてしまった。
「ど、どうでしょうか久朗様。やっぱりおかしいですよね?」
「生きててよかったです」
「「「え?」」」
――――アレ? 俺は今なにを?
「お、おうおうカンちゃん。さすがは隠れ女殺し。するっと女の子のハートを直撃する言葉が出てくる辺り、マジで尊敬するぜい」
「おまえ、まさか誰にでもそういうことを言っているのか?」
ニヤニヤと笑って俺を指さす先輩と、ジト目で俺を睨む疏羽さん。
なんだこれ。なんのスイッチ押したんだ俺。そもそもいったいなんて言ったんだ俺。
「はいはい疏羽ちん、抑えて抑えてー。ドレス一着お買い上げー」
店員でもないのに店員のように話すのはどうなんだろうか? 別に先輩の売り上げになるわけじゃないだろうに。こんな店員はあんまり好きになれないし。
ただ、まあ、うん。お買い上げなのは確かだな。巫女服とは別の理由で視線独り占めになりそうだけど。
「んだば永久ポン、着替えて着替えて。次は疏羽ちんなのだ」
「――――は? なんだと?」
まさに寝耳に水といった表情で、疏羽さんが固まった。
「へ? それでまだ街中を歩き回るというのかね? 勇者すぎるだろそれはー」
「そ、それはまあ、別に問題ないな、うん。いつもこの格好だし。気になどしない」
「強がってるのはよくわかったので一名様御案内ー」
「ちょ、話を聞けー!」
ずるずる。シャッ。どったんばったん。ぎったんばっこん。ぎゃーわーやめろー。ひええええ。
お、おい。試着室の中でいったいなにが行われているんだ。
「や、やめろ要子っ!」
「いいからいいから。女は愛嬌。てりゃ」
ぽいっ。
試着室から疏羽さんが放り出された。
いや、疏羽さん……だよな? 真っ赤になってうつむいてスカートの裾を握ってるなんて、そんなキャラじゃなかったような気がするんだけど。
「そ、そんなに見るな久朗…………」
「あ、はい」
唖然って、こんな感じか。「開いた口が塞がらない」って冗談だと思ってたけど、本当に塞がらないんだな。
黒いワンピースに、これでもかとつけられた白のフリル。いくつもウェーブが掛かったヘッドドレスと、エナメルのストラップシューズ。
ゴシックロリータって奴か、これ。初めて実物見た。
「フォッフォッフォ。一目見たときから疏羽ちんにはゴスロリが似合うと踏んでいたのだっ!」
「だ――――似合うとか似合わないとかではなく、私はこんな!」
試着室から出てきた先輩のにやけ顔に、疏羽さんはあわあわと両手を振り回す。
ん。巫女服とか着てるのを見ると日本人形を思い浮かべるけど、確かにこういうのも似合わなくはないな。髪色も明るいから、濃色の服に映えるし。
「く、久朗からも何か言ってやってくれ!」
「いや、似合ってるかと聞かれればよく似合ってますよ?」
「っ――――――――!」
ぼん、と音を立てて真っ赤になった疏羽さんは、身を翻して試着室に飛び込んだ。
恥ずかしいのはわかるけど、そこまでかな? 元の服でも充分――――あ、そっか。巫女服が恥ずかしくないのは疏羽さんの言うとおり普段から着てるからか。地元だとそれが普通で誰も何も言わないんだろうし。
「ああああっ!」
一分ほどでいつもの姿に戻った疏羽さんが飛び出してきた。手にはちゃんとハンガーにかけ直されたゴスロリ服を持っている。律儀だなあ。
でも、ちょっと時間をかけすぎだ。
「くそっ、要子! 次はおまえの番――――――――あれ? 久朗、要子はどこだ?」
「逃げました」
「――――――――逃げ、た?」
「ええ。ものすごくいい笑顔で」
「――――――――――――――――」
風が吹く。身を切り裂き凍り付かせるような風だ。
残念ながら俺にはこの風をどうすることもできない。もちろん、疏羽さんの心の傷も。
っていうか、ドレスといいゴスロリといいどこから出てきたんだよこの店。ハンガーに掛かってるの普通の服だぞ。
「久郎様? ちい姉様? どうかしましたか?」
「…………ああ。話せば長い」
そう。心情を語るにはとてつもなく長く、状況を語るにはとてつもなく短い。そんな噺を始めよう。
/
楽しい時間が流れるのは早い。それはきっと、楽しいことがもっと続いて欲しいと思うからだろう。
さすがに、時間よ止まれとまでは言わない。ただ、もう少し時間があってもよかっただろうとは思ってしまう。
「忘れ物はありませんか?」
「ない。永久以外はな」
形式だけの確認に、疏羽さんは苦笑して答えてくれた。
「その、ちい姉様。わたしは――――」
「わかっている、もちろん冗談だ。だからそんな申し訳なさそうな顔をするな」
俯く永久の頭を疏羽さんは背伸びして撫でる。
姉妹っていいな。うちも昔はこんなだったような気がする。いろいろと遙か遠い昔の話だけど。
「楽しかったよ、永久、久朗。要子にもそう伝えてくれ」
ターミナル駅の改札前。疏羽さんは満足したように頷きながら言った。
その流れで、
「まったく。則宗を届けに来ただけのはずが、ちょっとした観光旅行になってしまったな」
え?
いや、ちょっと待て。今なんて?
綺麗なお別れのシーンをぶっ飛ばしそうなワードが入ってなかったか? あっさりしすぎててスルーしそうだったけど。
か、確認するべき……だよな?
「あの、つかぬ事をお伺いしますが疏羽さん。今、『則宗』って言いました?」
「言ったが?」
「それってまさか、『菊一文字則宗』のことじゃあ……………………ないですよね。はは、まさかそんなわけ」
「お、よく知ってるな久朗。さすがだ」
疏羽さんはいたく感心したようにって待てェェェェェェェい!
菊一文字則宗!? ホンモノなら国宝だぞ、国宝! 幕末の時代から既に!
「ちなみに、私の刀も長船兼光と言っていい刀だぞ?」
「お、長船…………」
いいってレベルじゃねェェェェェェェよ! 備前長船兼光も片手で数えられるくらいしか残ってねえ最上大業物じゃねえか!
どうなってんの高天原家。神社っていうのはわかるけど、なんなの? 名神大社なの? でかいの? やばい覚えてねえ!
そもそも銃刀法違反だよな、それ。神社なら祭祀用の刀はあるかもしれないけど、普通は持ち出し禁止だよな? っていうか宝物だったりするよな?
俺ひょっとしてすごい子を嫁にもらうハメになった? い、いやまだ嫁にもらうかはわからないけどあわわわわ。誰か俺のこの動揺を理解してはわわわわ。
「ん? いきなりどうした久朗」
「久朗様?」
姉妹は、示し合わせたように首を傾げてくださる。
天然だよな? 天然なんだよな? 天然であってくれ!
いや、モノの価値は正しく知るべきだけども! 言ったら言ったでそのあとの展開が怖い! 知っていても知らなくても!
「む、なんだその嫌な顔は」
「嫌な顔っていうかその、ちょっといろいろと思うところがありまして」
「むむ。ちょっと向こうへ行っててくれ永久。これと話をする」
げしっ、とすねを蹴られた。痛――――くない。手加減された?
「え、でも……」
「おまえが心配するような話じゃない。だから少しだけ、な。頼む」
「…………はい。わかりました」
しばし逡巡して、永久は離れていった。
残された俺たち二人の間を不可思議な沈黙が満たす。
「あー」
こほんと咳払いを一つして、疏羽さんは口を開いた。
「その、な、神無久朗。永久をよろしく頼む。おまえの言うとおり、永久は強いのかもしれない。でもあの子はあれで打たれ弱いところもあるから、その、なんだ。とにかく頼む」
「ええ、はい。頼まれました」
いろいろあるにしても――――ここであれこれ言うのは無粋ってもんだろう。第一、言ったら締まらないことこの上ない。
それに本音だからな、お互いに。嘘をついて安心させるところでもない。
「そうか。ただその、一つだけ聞かせろ。おまえは永久のことが好きなのか?」
表情はない。ただ真っ直ぐに疏羽さんは俺の目を見てくる。
その目はやっぱり、永久とよく似ていた。
「……………………はい」
返答をする前にいろいろ考えた。
俺も永久と同じだ。疏羽さんとも同じ。なまじ浅い知識がある分だけいろんな余計なことが気になってしまう。自分の想いが偽物なんじゃないかって、立ち止まる度に考えてしまう。
でも、ひょっとすると逆なんじゃないかってふと思ったんだ。偽物かどうかって悩まないものこそが、本当は偽物なんじゃないかって。だって、恋っていうのはきっと、盲目になることじゃないから。
「愛とか恋がどんなものなのかわかるとは言いませんけど、俺は永久にそばにいて欲しいですし、そばにいたいです」
「そうか。もういいぞ、永久!」
満足したように頷いてから、疏羽さんは大きく手を振った。気付いた永久が小走りで寄ってくる。
「久朗と仲良くな。あと、たまにはわがままも言った方がいいぞ」
「はい。ちい姉様」
意味が分かってないんだろうなと思った俺と顔を見合わせて、疏羽さんは苦笑した。そのままとつとつと走って改札をくぐり、
「永久! 寂しくなったらすぐ帰ってきていいんだからな!」
「はい! でも大丈夫です! どんなに離れても心はちい姉様たちとも繋がっていますから!」
ぶんぶんと腕を振る疏羽さんに、同じように永久も腕を振り返す。
「久朗も! 永久を泣かせるんじゃないぞ!」
「約束はできませーん!」
「こ、ンの大馬鹿者! そこは約束しろ!」
最後まで笑いながら、疏羽さんは開いた扉に飛び込んだ。
――――手を振り続ける姉妹の間は薄い扉で隔たり、姉は郷里へと帰っていく。
――――俺たちはその光景を見送り、疏羽さんは妹のことを、永久は家族のことを想い続ける。
どんなに離れても心は繋がっている、か。
そうだな。父さんや母さんや姉貴とだって、完全に心が離れてるわけじゃない。心が繋がっている限りは、どれだけ離れても家族は家族だ。
でも、心だけじゃ不安になるのもまた人間の性。特に、心根が優しければ優しいほど。
「永久」
名前を呼んで手を差し出す。その手を握り返した永久は、逆の手でこぼれる涙を拭っていた。
ほら、約束はできないだろ。