3 Spiral Dilemma《ただし、それさえも尊き日々で》
「歓迎会をするべさー」
それを言い出したのが要子先輩だったのは、もうツッコむようなことじゃないんだろうな。
永久は首を傾げ、俺は頭を抱える。先輩発案なんてろくなことになりはしない。
しかも、クラスの他のメンツは周りにいない。何故なら今は下校中だから。完全に、隙だらけの所を強襲された形だ。
ドラムバッグ抱えてるってことは、昨日の夜あたりからそのつもりだったなこの人。
「先輩。明日明後日が休みだってこと前提で言ってますね?」
「モチのロン。いつも通り日曜の夜までコース」
日曜の、夜……………………? 四十八時間ですか?
つーか、モチのロンって。あと、いつもいつも週末のお供してるみたいに言うなよ。
「――――――――――――――――」
で、その言葉を聞いた永久が無表情で固まっていた。
「…………永久」
「は、はい!」
先手を打って現実に引きずり戻しておく。こういう方面で扱い方が上手くなるのはどうなんだろう?
「で? で? 問題ないよね?」
「体よく人の部屋に上がり込もうってハラでしょう?」
「正解ー。さすがカンちゃん、わかってるぅー」
時に推理力は諸刃の剣になるな。わからなくてもダメージあるけど。
どーせそれだけじゃないんだろーなー
「カンちゃんとはもう会って一年になるけど、お泊まりとかしたことないもんね」
「…………そんな身の毛もよだつことはできません」
「ほほう、身の毛がよだつのかね。じゃあ思う存分よだってもらおうじゃないか」
怒るかと思ったら、「それはいいことを聞いた」みたいな顔をされた。ツボおかしいよなこの人。
「んじゃ、パーティーグッズを買い込んでカンちゃんトコ行こうぜ!」
「……………………」
正直、無事に済む予感が微塵もしない。けど、断れない。
ああ、俺はホントに女の子への対応の仕方がわからねーんだな。
「なにチンタラしてんだい。ほれ、さっさと歩けよカンちゃん」
…………主体性がないだけかもしれないけど。
と言うか、なあ。当面の俺の使命って、穏便に永久にお帰り頂くことなんじゃないかな。だとすれば、先輩をダシに使った方が物事が上手く運ぶような気もしないでもないんだけど、何故無意識にそれを拒否するのかな俺は。
今更言っても仕方のないことか、そういうの。
/
途中にあったスーパーに寄ってお菓子だの飲み物だのを買い込んで俺の部屋に行くまで――――完全に一息での流れ作業だった。ちなみに、荷物持ちは全員。
「こういうのは共同作業なのだよ」
という先輩の言葉はいろいろと学ぶところがあった。表面上。言葉だけは。
暗に「甲斐性無し」って言ったんだと感じたのは気のせいなのかな? 俺の被害妄想なのかな? 先輩のあのイヤーな笑顔はなんだったのかな?
部屋に入ると、永久は別会計で買ってきた食材を冷蔵庫に詰め込んで、昨日と同じく脱衣所に引っ込んだ。対する先輩は、当然のように人の部屋を物色中。
「んー、奥ゆかしいねえ永久ポンは。カンちゃんならベッドルームを貸してくれるはずなのに」
「もちろん使ってもらっていいですけど、永久には永久の線引きがあるみたいですから」
「ふむ。永久ポンの道も遠そうだ」
道が遠い? なんだそれ?
「じゃ、私も着替えをするんですな」
ガサガサと鞄をあさった先輩は、その中から紙袋を取り出した。そのまま特にどこに行くでもなく、
「ふっふっふ。ついに要子さんの実力を発揮するときが来たのだよ」
不敵な笑みを浮かべながらいそいそと制服を脱ぎ出す先輩。リボンが解かれ、ブラウスのボタンがプチプチと上から順番に、
「ってなんの実力だ! 俺のいないところでやれよ!」
ぐりん、と折れそうになる勢いで首を捻る。後ろを向いて視界から外して、さらに目を全力で閉じる。
「いやん、カンちゃんじゅんじょー」
「そういう問題じゃねーから! 先輩が普通だったら、男が女子の着替え覗いても怒られません!」
「え…………カンちゃん、覗きとかする人だったの……………………?」
「そこで引くのかよ! 言ってることもやってることもおかしくね!?」
「はい、着替え終了ー」
がしっ、グギリ。
両頬を掴まれて首を捻られた。いや、なんかヤバい音したんですけど。
「いやん、神主様。そんなに見ないで♪」
「…………そのネタ、まだ生きてたんですね」
痛む首をさすりながら、巫女服の先輩にツッコむ。
でも残念だな。先輩の期待する結果にはもうならないんだ。だって、
「……………………佐伯先輩、その服は」
本職がいるんだからな、うちには。
脱衣所から出てきた本職の永久と完全コスプレの先輩は、お互いにぱちぱちと瞬きをし――――飛びかかったのはやっぱり先輩の方だった。
「うはー、リアル巫女服だー。なになに、永久ポンって巫女さんだったの? かしこみもうすー、とかやるの?」
「え? いえ、その、わたしは儀礼はお手伝いだけで、姉様の担当です、けど」
自分の周りをくるくると回る先輩にあわせて、永久も頭をぐるぐると動かす。目が回るからやりたいようにやらせておいた方がいいのに。どうせ止められないし。
「ふひゃー。やっぱり本物は違うなあ。オーラがすごいよー。コスプレとは違うなー」
「ど、どうもありがとうございます。佐伯先輩は本職ではないのですね」
うーむ。本来、コスプレなんて神罰が下るかもしれない行為なのに永久は咎めないんだな。ちょっと引いてるけど。
時代かな。神様だって呆れるくらいかもしれないし。いるとしたら、だけど。
…………やれやれ、「神無」なんて名字の奴がなに言ってんだか。ご先祖様には悪いけど、神罰下るどころか抹消されるぞ。
「おいおいカンちゃん。なに一人でニヒってるんだね」
ぐにゅり。
頬に拳を押しつけられた。痛い。
「…………別にやらしいこと考えてたわけじゃありませんよ」
「顔の形じゃなくて、ニヒル。鼻と口先だけで引き笑ってたんじゃよ。美少女二匹を目の前にして狼さんは高見の見物ですかや」
「狼じゃないですからね」
いったいナニを期待してるんだ。少なくとも、襲うわけねーだろ。そんなだったら世の中の大抵のドラマやアニメは十八禁になるぞ。
「神無久朗、十六歳。紳士を気取るチキン」
「誰がチキンだ誰が」
「えー? だって、永久ポンだってそういう展開期待してここにいるんだよねー? 押し倒してもらいたいよねー?」
「わ、わたしはその…………」
ぱたぱたと手を振って、永久は俺の方を伏し目がちに見てきた。ぐ、っ。ヤバい。破壊力がデカい。
おおお落ち着け。俺が陥落されたら意味がない。そう、俺は紳士でもチキンでもましてや狼でもない。そうだ、悟りを開いた聖人だった。
「永久ポン、ちゃんと下着付けてないもんねえ?」
「ぶふっ!」
思わず、顔の真ん中あたりをつまむ。は、鼻血が! 鼻血が出そうになった!?
き、着物着るときの作法だとは知ってるけどいやそういえば寝てるときも下着つけてなかったようないやいや落ち着け考えるな!
罠だ! これは、要子先輩の罠だ!
「ちゃ、ちゃんと着けてます」
だ、だよな。俺の見間違い、
「下だけだよね?」
「――――――――は」
おう。目眩が。一応健全な男子高校生の想像力が発揮されてしまった。
「う、上もつけてますから。その、久朗様そういうのがお好きであれば、そうしますが」
「にひゅひゅ」
くそ、このまま先輩のペースじゃいかん!
「いいから! 宴会するならするでさっさとしましょうよ!」
「ふっふーん。やっぱりカンちゃんは純チキンだねえ。でも、そんなトコが意外とカワユイ」
口の両端をつり上げる先輩に、精神力を一気に削られる。
なんだこの人。セクハラと逆セクハラをやりに来たのか、ウチに。なら帰ってくれよ。お願いだから。
立ち上がって、大股でキッチンに行く。コップを三個持ってきて、テーブルの上に叩きつけるように置く。
「カンちゃーん。キレんない」
「もういいですから。各自、飲み物はじぶ――――」
「あ、お注ぎします、久朗様」
「…………はい」
……………………出鼻すら挫かれるのか。
おとなしく、無言でコップを掲げてとぽとぽとウーロン茶を注がれるに任せる。
「……………………乾杯」
「乾杯」
「かんぱーい!」
掲げたまま微動だにしないコップに、二つのコップがぶつけられた。
まあ、いいか…………物事が進むってことは、いつか終わるってことだからな………………うん。
「でー? 永久ポンはこのイケメン(笑)のどこがよいのだね?」
おい。やっぱり結局それが本題か。
あと、その悪意しかない呼び方はやめろ。
「…………………………………………」
…………なんてツッコむのももうめんどくさい。流れに身を任せて無になろう。
「久朗様は、その、優しいですし、かっこいいですし」
うん。ポテトチップスとか食うの久しぶりだな。やっぱり若者にはジャンクな食い物がよく合うよ。
「えー。カンちゃん優しいかなあ? かっこいいかなあ? 結構毒吐くし、ビジュアル面では噂にもなってないよー? 悪い意味で一目置かれてる気はするけど」
「そうなんでしょうか。みなさんの話を聞いていると、頼りにされているように感じました」
「ふむふむ。慕う人が出てくるとそう見えるのかな。現金だなー、みんな。ま、アンニュイな表情は絵にならんこともないけどね」
そういえば最近ハンバーガーとかもご無沙汰だな。今度食いにいくか。フェアとかやってんのかな。前は月代わりで新商品乱発したりしてたけど。
「それに、久朗様は命の恩人です」
「おう? そうなの?」
「はい」
ジャンクフードと言えば映画館だよな。そっちも最近行ってないけど、今は何やってんだろ。どうせなら、火薬をバカみたいに使ったような奴を見に行きたい。いい気分転換になりそうだ。
「ほへー。つるのおんがえしみたいな話だねえ。でもあれ、相手はおじいさんとおばあさんだっけ。どっちかっていうと人魚姫の変形版かなあ」
なんだ俺。高校生らしい生活を全く送ってないじゃないか。いやそもそも、高校生らしい生活ってなんだっけ。学校行って、勉強して、帰って。いや待て。それは、高校生としての最低限の生活パターンだろう。
「んでんで? キスなんか、もうしたりしたの?」
……………………あー。ファーストフードに、映画に、ゲーセンとか。エンターテイメント的なものが欠如してるんだな、つまり。
「い、いえ。まだ、です」
「ほっほー。まだってことはそのうちってことだにゃー。でもさー、永久ポンもカンちゃんも変なトコで変だよね」
まあ――――なんだろう――――こう――――いわゆる――――その――――無駄な時間とか行動ってのが――――思春期らしい、
「へ、変でしょうか?」
「うん。毎晩一緒に寝てるクセに、そっちの方が不健全じゃないのー?」
「ご、ぶふっ」
むせて、噴いた。
くそっ、完全に無視してりゃいいのに! って仕方ないだろ! こんな至近距離なら嫌でも耳に入るわ!
俺がそうやって「聞かないようにしてた」ことに気付いていたらしい先輩は、にやーっと口の両端をつり上げた。
「ベッドルームに布団はなし。ソファーの周囲にも掛け布団がない。ということは、ベッドしか使われてないってことさ。初歩的な推理だよ、ワトソン君」
「…………どうせ当てずっぽうでしょう」
「はっはっは、見事な推理だねホームズ」
結局あんた誰なんだよ。レストレードかグレグスンあたりか?
「でもさー、カンちゃん。一緒に寝てるってことはそれなりの関係ってことでにゃーの?」
「ああもうそれでいいです別に」
こういう場合の対処方法は、さっさと話を終わらせてしまうことだ。それで先輩の興味が無くなることは絶対にないだろうけど。
「いいもんねー。カンちゃんがダメなら永久ポンがいるもの」
っ、しまった。永久には絶対、そっち方面の耐性はないぞ。
「ね。ね。ベッドでただ寝てるだけなのかにゃ? こう、抱き合ったり、くすぐりあったりとかはしないのかにゃ?」
…………生き生きしてるな、先輩。これはどうあっても止められそうにない。
でも、表現がソフトになっている辺りはちょっと気を使ってるのか?
「い、いえ、そんなことは。ちい姉様からも寝付きはいいと言われていますし」
「んじゃ、永久ポンが寝てからカンちゃんはやりたい放題なわけだな!」
「……………………」
もうツッコまないぞ。そんな指でつつかれても関係ない。
神無久朗。無だ。おまえは無になるのだ。虎になってはいかん。
「ほれほれ永久ポンも、うにゃうにゃ」
先輩は、永久の手を掴んで俺の頬に押しつける。
「う、うにゃうにゃ」
永久もなんだかんだでそれに乗っている。
楽しいんだろうな。俺は全く楽しくないんだけど。
なんつーかこう、狼じゃないけどMでもないんだよ俺は。だからそろそろこういうのはやめて、
「う、うにゅー」
と、それが伝わったわけはないんだろうけど、永久が真っ赤になって煙を噴きだした。そのまま後ろ向きに倒れる。
とっさに手を伸ばして頭を打たないように護ったけど――――な、なんだ? 何が起きた?
「ははは。カンちゃんも純情だけど、それ以上に永久ポンが純情だったわけだ」
「笑い事じゃないですよ。お、おい、永久?」
「にゅー…………」
軽く揺すってみても、永久は目を回したままだ。
まさか、恥ずかしくて気絶した? そんなバカな。
「あのさーカンちゃん。永久ポンだっていろいろ思うところはあるんだよ? ならそれを汲んであげないとね」
「汲んでますよ、それなりには。でも、こっちだって線引きはしないとダメでしょう、よっ、とっ?」
ぐお、腰に負担が。お姫様だっこって結構つらいもんなんだな。
「とか言いつつお姫様扱いするカンちゃんなのであった。続く」
「…………変な解説はいいですから」
先輩は放っておいて、ベッドに永久を寝かせに行く。当分起きないかな、これ。
リビングに戻ると、今度は先輩がテーブルに突っ伏していた。
「そっか。線引いてるか。だよね」
「そりゃそうでしょう。一般人よりはリスクがふっかかってくる生き方をしてるんですから」
ポテチをつまんで口の中に放り込む。ふと視線を動かすと、眠たそうな、それでいて呆れたような目とぶつかった。
「なんかわかった。私もカンちゃんも、アグレッシブに見えるだけで精神的にはヒキコモリなんだ」
「は? 精神的にヒキコモリ?」
なんだそれ。
「わからなくていいんだよ。わかったら怖くて戦えない。人間って、そんなに強くないんだもんね」
「人間が弱いっていうのには同意しますけどね。それでも戦わなくちゃならないときはあるでしょう」
「そー。今のカンちゃんがー。その状態ー。でもねー。背中に護ってるつもりでもねー。かっさらわれることってねー。あるんだよー?」
「…………なんの話ですか?」
「んー。だからさー。なんていうかー。そのさー」
だらだらと口を動かしていた先輩は、ごろんと首を動かして反対を向いて、
「カンちゃん。今、幸せかい?」
そんなことを――――聞いて、きた。
「…………先輩はどうですか?」
答えが見つからず、質問返しになってしまう。
違う。答えが見つからないわけじゃない。思いっきり詰まっただけだ。
「幸せじゃないなあ。なにかって言えばお金のことばっかり考えてるし、後輩は形式的にしか女扱いしてくれないし」
「まるで先輩は俺のこと形式的じゃなく男扱いしてるみたいに聞こえるんですけど」
「いやー、実際よくわからんのだよ。なんだか、永久ポンにカンちゃんを取り上げられたみたいな気もしないでもないんだよね」
「それはオモチャって意味でじゃなくて?」
「その辺りもよくわからないなあ。ひょっとしたら、親が子を嫁に出す気持ち?」
「…………とりあえず、先輩にもよくわからないんだってことはわかりました」
へっへっへ、と先輩は力無く笑う。
「なんかさー。こういう危なそうな橋渡り続けてると恋とか愛と同情とかそれっぽいモノの違いがわからなくなるんだよねー。ほら、軍隊とかだと惚れた腫れたは即物的になるって言うし」
…………なんで思考がそっちに傾く。っておい、寝室の方に目を向けるなよ。吊り橋はねーぞここには。
「んで、カンちゃんはどうなの? 幸せ?」
「先輩のさっきのと似てますね。俺の幸せは普通の人のと少し違ってる。日々が平穏無事に進んでいけばそれでいいです」
「ってことは今は幸せじゃないのかね? 永久ポンにかき回されてるわけだし」
「それがそうでもないんですよね、なぜか。戸惑うことはありますけど、悪い気はしないですし」
俺がそう締めると、「うにゅにゅ」と先輩はうなった。
「安っぽいししめっぺえ。なんだろ、この場末の酒場みたいな話。死亡フラグじゃない?」
「反動じゃないですか? さっきまでバカやりすぎたんですよ」
「確かにねー。あんなの私のキャラじゃないし」
いやいやいや。
いやいやいやいや。
「アレは先輩の素でしょ」
「いやー、カンちゃんは私を見くびってるな見くびってるよ。こっちが私の素なのだ」
「先輩が皮肉屋で現実家だってことは否定しませんけど、快楽主義者なのも確かでしょう」
「イエース。世は無情。だから可能な限り楽しまないとね」
指で銃を作って、バン。架空の弾は、先輩自身の頭に命中した。
正しいんだろうな、先輩の在り方は。それこそ反動形成なのかもしれないけど。
世は無情。何が起こるかわからない。だからこそ、それをどう乗りこなしていくかが問題。俺はまだ、そこまで達せてないんだろう。
「カンちゃんはさ、もうちょっと感情的になるべきだね。本気で怒ったりとか、最近してないでしょ」
「エネルギーの無駄ですから」
「逆に言えば、それだけのエネルギーがないってことかもよ? だんだん人間として平坦になってって、いろんなことに感動できなくなるわけ。それってきっと、生きてるかいがないよ」
「…………そうかもしれませんね」
そういうことだったのかな、あの人が言いたかったことの一つは。
護るためにすべてを捨てると、いずれ何も護らなくなってしまうかもしれない。天秤の両側がただの数字になって、数量原理で物事を考えるようになって――――いつかは簡単に『自分にとって大切なモノ』を軽い方に載せてしまう。
それって、最悪のパターンなのかもしれない。最終的にはなにもかも切り捨てる方に載せてしまうかもしれないんだから。
「実は、私は日々カンちゃんを怒らせるために動いていたのだけどね。穴の空いた風船みたいに、ある程度怒気がこもると全部抜けてっちゃうでしょ」
「行動の辺りは今更感しかないんですけど、先輩の言うとおりですね。なんか、ある程度頭に血が上ると逆に諦めるような所はあるかもしれません」
世の中、言っても仕方ないことが多すぎるしな。
「だよね。でもそれってさ、冷静になろうと努力してるって言うより、世界と距離があるって感じてるんじゃないのかなって時々思うんだ。なんてーのかな。自分自身が円の中心にないみたいな。だから物事を遠くから見て、空気が抜けるみたいになるんじゃないのかな」
うん。確かに俺は先輩を見くびっていたかもしれない。
先輩の評は一切合切俺に当てはまる。そんなの、いつものバカやってる先輩からは絶対に出てこない。というか、見てすらいないように見えた。
先輩は貯金してる理由なんてないって言ったけど、ホントは何かあるんじゃないのかな。将来の不安とかそういうのじゃなくて、もっと明確な理由が。危ない橋を渡ってまでそうする、先輩の言うところのイベントみたいなモノが。
それを見抜けない俺は、NPLの捜査官として、いや人間として未熟なのかもしれない。俺の知らない心情まで言い当てられてるし。
「うーむ、お互い沈みすぎだのー。カンちゃん、ゲームとかやろうぜ。ロケラン縛りとかできるのがいいな」
「それはいくらなんでも盛大すぎるでしょう」
「ストレス解消には爆発だよ。あー、このゾンビゲーいいなあ。これなら無限ロケランあるし」
「実は目に入ってて言ってたでしょう?」
わざとらしく騒ぐ先輩と同じように、意識を呆れの方向に持っていきつつ、ゲーム機を用意する。
そうだな。放課後集まってゲームするとかも、高校生らしいか。
ついでに、気分転換に火薬を持ってくる辺りは先輩と俺の嗜好って似通ってたりするのかもしれないな。
/
「うお、わわわ! カンちゃん反射神経良すぎ!」
「そりゃ、ある程度は鍛えてますからね」
一通りストーリーを終えた俺たちは、対戦の方に移行していた。と言ってもこのゲームだとオンラインでしかバーサスはできないので、キル数と瀕死回数でのマッチだ。
先輩は周囲のゾンビを無視してこっちに手榴弾を投げまくってくる。対する俺はそれをひたすら回避する。その爆発に巻き込まれてゾンビが死んでいくので、ちょこちょことそれを上回るペースでヘッドショットを狙っていく。
「おわー! 斧さんが! 斧さんが!」
「……………………」
騒ぐ先輩のキャラの側に虎の子のロケットランチャーを打ち込む。爆風でゾンビが吹っ飛ばされていき、その間に先輩のキャラは安全域に避難する。
「ほふー、助かった。でもそれとこれとは別なのだ。ほい、フラッシュグレネード」
「はいはい。グラサンかけてるから効きませんよ」
とかなんとかやっている間に、タイムアップ。結果は、お互いに瀕死ゼロ。キル数は先輩がちょっと上だった。
「はっはっは、勝ちィ」
「へいへい俺の負けですよ」
適当にあしらってコントローラーを投げる。ゲームは一日一時間ってわけでもないけど、ちょっと根を詰めてやりすぎた。気が付いたら外が暗くなってる。電気もつけずによくやってたな俺たち。
「そろそろメシ時かねー。カンちゃん夕メシー」
…………ホント、欲求に忠実な人だな。
でも、時計の短針は八を過ぎている。永久もそろそろ目を覚ますかもしれない。
「ちょっと永久を呼んできます」
「起こし方はチューかにゃ?」
「――――――――先輩の時は唐辛子でも口に突っ込みましょうか?」
どうせなら私もチューがいいな、とかのたまう先輩を放り捨てて永久を起こしに向かう。ベッドで眠る永久を見て、一瞬先輩の言ったとおり眠り姫を思いだし――――口元に目がいってしまう。
ダメだ。なに考えてんだ。世の中にはやっていいことと悪いことがある。それは婦女暴行だ。
肩に手をかけて、軽く揺する。
「永久」
「う、ん…………」
「ほら、起きろ」
「あい…………」
身じろぎして、永久は身を起こした。くしくしと猫のように顔をこすりながら目を半開きにしている。
「うにゅ…………」
そうか。前は寝たフリしてたから、永久の寝起きを見るのは初めてなんだ。案外低血圧なのかな。
先輩がこれやってもなんとも思わないけど、永久はなんかこう、いつもしっかりしてるだけにちょっとギャップみたいなのがあるな。
「…………くろうさま?」
「おはよう。時間的にはこんばんはだけどな」
そう言うと、永久はもう一度顔をこすり、目を全開まで開いて――――――――
「く、久朗様!?」
真っ赤になって、布団を被ってしまった。
「起きたみたいだな。そろそろ夕飯にしようかと思うんだけど」
「は、はい、すみません! ただいま!」
ぴょん、とそのまま飛び上がってキッチンへ向かってダッシュ。取り残された俺もとぼとぼと後を追う。
「おはよー、永久ポン。よく眠れたかい?」
「は、はい。なにかものすごく幸せな夢を見ていた気がします」
「ほほう。それはすごく興味があぎゃ!」
へえ、ものすごく幸せだったのか。どんな夢を見ていたかは聞くまい。
「か、カンちゃん! 足踏むのは酷いんでないかい!?」
「そんなことしてませんよ」
やっぱり適当にあしらいつつ、ほっぽりだされていたコントローラーを片づける。キッチンからは永久が包丁を叩く音。リビングからは先輩がぶーたれる声が聞こえる。
なんか懐かしいな、こういう家族みたいなの。当然か。春休みの間もずっとこっちにいたからな。
懐かしむっていうことは飢えてるってことなんだろう。そういう絆的なモノに。
…………そりゃそうか。「愛されたい」って、人間の根元的欲求だからな。
「ねーねー永久おかーさーん。今日のご飯はなーにー?」
って、先輩も同じこと考えてた――――うーん、微妙だな。顔が笑ってる。
「今日は佐伯先輩もいらっしゃるので、お鍋にしようかと」
「うにゃー、永久ポンは真面目だなー」
「え? え?」
「気にするな永久。寝言だ」
「寝言とは酷いな、カンちゃん」
「実際、寝言ですから」
気にしたら負けだ、いろいろと。どうせ俺に息子役は回ってこないだろうから。
「手伝うよ、永久」
「いえ、久朗様はゆっくりしていてください」
「One for allだよ」
それに、ここで座ってると先輩の相手をしなきゃいけないからな。
「客を放り出すとはひどいな、カンちゃん」
「…………窓からですか?」
「う、声がマジっぽい。なんでもありませんです」
やれやれ。
といっても、俺にできることは電磁調理器を運ぶことくらいかな。手際のいい永久は食材の準備をもう終えてるし。
ついでに鍋を上に載せて、ザルをその中に入れて、と。
「ありがとうございます、久朗様」
「こちらこそだよ」
タダ同然でお手伝いさんみたいなことやってくれてるんだからな。今時、普通のお嫁さんでもこんないい人いないんじゃないかな――――ネットの知識ぐらいしかないけど。
いや、すぐそこに比較対象がいらっしゃる。
「先輩って…………いやなんでもないです」
「言いかけで止めてくれるねえ、カンちゃん。甘い、甘いよ。私にだって料理はできるのだ」
「へえ。初耳ですね」
「ああ、ものすごく得意だよ。まずはヤカンに湯を沸かしてだね」
「フタをはがして湯を注いで三分待ってはいできあがり。それは料理じゃないですからね」
やっぱりか。
いや、カップヌードルには今現在の形態に至るまでのすさまじい血と汗と涙無しでは語れない物語があるんだけどな。それをドヤ顔で「私は料理ができる」というのは…………冒涜とは言わないまでも開発者の方々に失礼だろう。
「くっ、さすがカンちゃん。この要子さんの必殺技を防いでくるとは」
「カップラーメンで人を殺せる人は少ないと思いますけど」
「いいんだい。太く短く生きるからいいんだい。カンちゃんには絶対に料理なんて作ってやらんからなー」
俺たちが漫才をやっている横で、永久はとぽとぽと先輩の武器であるヤカンから鍋に水を注いでいる。なるほど、使い方の違いはこう出るか。たぶんうちの姉貴ならリアル武器にするだろうな――――とそれはともかく。
食材は、こんぶ、ネギ、しらたき、椎茸、鶏肉、水菜、豆腐。一般的な水炊きみたいだ。調理の方は永久に任せておくのがいいだろう。下手に手出しするよりもいいものができるのは間違いない。
待つこと十数分。目の前には写真を撮っておきたくなるくらい見事な水炊きが出来上がっていた。
「うはー、おいしそう。お弁当の時も思ったけど、永久ポン料理上手すぎ。カンちゃん役得だよね」
「否定はしませんね」
衣食足りて礼節を知る。そういう意味ではここ数日食の充実度が真上方向に飛躍している。
ホント、永久が来てくれてありがた、
「ところでさ、永久ポン。食費ってどこから出てるの?」
ぴたりと箸が止まった。
もちろん、俺のだ。
そういえばビタ一文永久にお金を渡したりしてないな。それをやり出すと、生活形態が完全に人に言えなくなりそうだってのもあったけど。
「父様からの仕送りがいくらかあります。久朗様のお母様からも今まで受け取らなかった分の生活費を預かるよう頼まれたのですが、久朗様にも考えがあるのだろうと思い、お断りしました」
母さん、俺の生活費貯めてるのか。いらないって言ったのに。
「なんか、永久ポンもすごいけどカンちゃんもちょっと次元が違うなあ。うちなんて親にべったりだよ」
「いろいろとありますから。でさ、永久。いろいろやってくれてるんだし、食費くらいは俺が」
「いいえ、食費だけでも出させてください。お家賃や光熱費はすべて久朗様にお任せしていますから」
な、なるほど、そういう考え方もできるのか。その論法だと俺の方が負担は大きいな。
でもこう、微妙に手が伸びなくなると言うか、
「ウマウマー」
「……………………」
気にするだけ無駄か。先輩は偉大だな。
それに、こうやって食事を用意してくれてる永久にも悪い。
「わかった。いただきます」
「はい」
笑顔を浮かべる永久を見つつ、鍋に手をのばす。
うーむ。なんかこれ、外堀埋め終わって内堀が埋まっていってないか? 本丸陥落は目の前な気がするぞ。
いや、鶏肉旨いんだけど。何かが間違っているような気がする。いや、水菜はシャキシャキなんだけど。何かが間違っているような気がする。
/
「あー、酒が欲しかったねえ」
「…………あんた未成年だろ」
とかお約束のやりとりをして、食事は終了。洗い物まで永久がやってくれて、結局俺たち二人はほとんど何もしなかった。
「ホントはここからカンちゃんを風呂場で視姦という流れになる予定だったけど、永久ポンにはちょっと荷が重そうねー」
…………なに考えてんだ。
「と、いうわけだ。一緒にお風呂入ろうぜ、永久ぽーん。あ、覗きたければ覗いていいよ、カンちゃん」
「そんな前振りはいりません」
誰が覗くか。あらゆる意味であとがめんどくさいだろ。
「覗くなよ! 絶対覗くなよ!」
「そういうフリも要りませんから。さっさと入ってください」
「うーん、無念。でも、犯罪者を出すよりはいっか」
まったく。覗かれたいのかそうじゃないのかどっちなんだ。
とにかく、気分を切り替えるためにもちょっと外に出るか。覗きのネタを振られ……じゃない、疑いをかけられるよりはマシだ。
二人が脱衣所に消えたのを待って、外へ逃走する。
四月の夜はまだ少しだけ肌寒い。だからこそ、クールダウンするには最適だ。
夜桜を横目に、エントランスを出る。コンビニまでの道をゆっくりと歩きながら、思考を巡らせる。
……………………これからどうしようか。
どうするかまでは考えるまでもないことなんだけどな、本当は。
天秤の両側になにを載せるかだ。永久か、多くの他人か。その両方を選ぶという選択肢もないわけじゃないけど、それはとてつもなく難しい。
迷っているということは、俺の中で正義の味方っていうのがそんなに軽いものじゃないってこと。それと同じくらい永久とのこの数日が充実してたってことだろう。
まあ…………いいことなのか悪いことなのかはともかく、俺が女の子に対して強く出られないってこともあるのかもしれない。ボケ役に回れないし。
弱いんじゃなくて甘いんだな、俺。先輩のスタンスだって、どう考えたって直した方がいいことなのに、一度もそういう話をしてないし。
もっとも、先輩も永久もそういう話を聞いてくれるかっていうと、前者はのらりくらりとかわされて、後者は真っ向から打ち砕かれそうではあるな。俺弱っ。立場のカケラもないじゃん。
ダメだ。考えれば考えるほど鬱になる。体質が受動的すぎる。先制攻撃なんて選択肢自体がない。ダメじゃないか、なにもかも。
「……………………はは、俺はダメ人間か」
意気消沈したまま、コンビニで適当にカップアイスを買って引き返す。ホント、無心になるのって大事なんだな。レジのアルバイトさんの驚いたような目も気にならなかったよ。客観的には現実から目をそらしてるだけだとしてもね。
ホントは不毛な青春なんだろうなあ、こういう惚れた腫れたの影も形もないの。でもそもそも、俺に合うタイプとか好きなタイプってどんな子だろうか? いっそのこと背中を預けられるとか? そういう武闘派もそれはそれでなんだかなあ。
青い鳥なんて迷信だよな。幸せは見つけに行かなきゃ見つからない。
「矛盾してるな、俺」
正義の味方は普通の幸せを手に入れられないってわかってるのに、彼女欲しいって。おかしいだろ考え方が。
しかもそれって、永久や先輩じゃダメってことだしなあ。俺の問題だけど。
「ただいま」
「うおーカンちゃん覗きもせずにどこ行って――――あ、アイス」
…………ダメだろうな、これじゃ。
風呂上がりだったらしい二人に一個ずつカップアイスとスプーンを渡す。
襦袢一枚の永久とワイシャツ一枚の先輩から微妙にピントを外しつつ、ソファーに腰を下ろした。
「んー、カンちゃんマメだねえ。そういうとこもっと出してけば女の子ウケするのに」
「あーそうですね」
投げやりになる。だって、さっきまでその矛盾について考えてたところだしな。
「むー。ひょっとしてカンちゃんって、女の子に興味ないの? それなら全ての謎が解けるんだけど」
「!?」
からん。べちゃ。
先輩のその発言に永久がスプーンとアイスを取り落とした。あーあ。
「人並みにはありますね」
一口すくって、自分の分を永久の前に滑らせる。
「人並みにあるなら、こんな湯上がり美人二人を前にのうのうと外出して買ってきたアイス喰らってるのはおかしいんでないかい、旦那」
「さて、シャワーでも浴びてくるか」
「おう!? 実に自然なスルー!?」
やっぱりダメだ、これじゃ。受け身の俺でも嗜好はあるよな、さすがに。
でも、引っ張ってくれるのも後ろを歩いてくれるのもダメって。好きなタイプとかあるのかな俺。
/
――――――――今が幸せか、か。
灰色の天井を見上げながらぼんやりと考える。
「……………………幸せじゃなかったら困らないよな」
女ウケしないらしい上にそこそこ殺伐な日々を送っている神無久朗にとって、ここ数日は実に尊い――――とまで言ってしまうと大げさだけど、人間らしい日々ではあった。
でも、俺にはこういう人間らしいものを護れる自信がない。だって、俺が相手にするのはそういう人間らしいものを奪った連中なんだから。その反対側には当然、奪われた人たちがいる。当たり前のことだけど、その数は後者の方が多くなる。
そう考えてしまうと、幸い俺はまだ奪われる側に回ってはいないだけなんだとさえ思えてしまう。今後、NPLと関係なくそっち側に回ってしまうことはいくらでもあり得る。悲観論でしかないんだろうけど、そういう人たちを結構見てしまってるからな。
俺たちは正義の味方「みたいなもの」であって、なんでもできるスーパーヒーローじゃない。ああいう番組なら、一話限りのゲストくらいにしかならないだろう。ヒーローをちょろっと助けるか逆に軽いピンチに陥れて、次の週には記憶にも残らないような。
自分の状態に盲目にならない俺は、恋なんてできないのかもしれない。で、恋をしてもしなくてもなんだかんだ後悔するのかもしれない。
ホント、不毛だ。さっさと寝て忘れちまえ。
/
「うおうら、神無久朗! 夜這いくらいかけてこいや!」
「グボォァ!」
翌日の朝は、腹へのエルボー・ドロップから始まった。
ほ、ほら。俺には護るのは無理だ。だ、だって、こんな悪意ある先輩が近づいても気付かない上に、たった、一撃で、死にかけ、
「が、あぶ」
「お、おわー! カンちゃんが泡噴いて白目向いてるー!?」
がくり。
とまあ……………………そのまま二度寝してしまったんだから。
/
「うわーもうカンちゃんのテンションの低さには呆れてしまうのだわ」
「俺も先輩のテンションの高さには呆れておりますが」
休日って、休む日のことだよな。休まない日じゃないよな。殺されかけて休まされる日でもないよな。
「人生は短い故、楽しめるときに楽しめ。コレ佐伯家の家訓ね」
「ただの先輩の座右の銘な気がしますが?」
「ま、私の代からだからカンちゃんの言い分も正しい」
だろうな。
俺たちがそんな漫才を繰り広げている中、永久は、
「ひう、っ」
びくびくと視線に怯えていた。と言うのも、その格好がいつもの巫女服じゃないから――――なんだろうか。
いや、ワイシャツにネクタイにジーンズでポニーテールとか、そっちの方が恥ずかしくないはずなんだけど。
「大丈夫か、永久?」
「だ、だいじょうぶ、です」
「いや、大丈夫には見えないんだけど」
「だ、だいじょうぶ、です、っ!」
…………涙目で言われましても。
ところで、この関係性はどう見えているのだろうか。後輩をイジって楽しむ先輩と、イジられる後輩プラス、呆れるもう一人の後輩という風に映るのだろうか。それともやっぱり、単に二人で永久をイジメているように見えるのだろうか。
だがしかし、フォローしようにも永久は俺の三歩後ろの距離を保っているのでどうしようもない。やっぱりこれ、あんまりいい状況に見えないだろうな。どうせなら燕尾服でも着てきたら結構第三者的な立ち位置になれたかもしれない。いまさらだけど。
「よーし。小腹が空いたから、どこかに入ろうじぇ」
いや、こうして主導権がなくて流されてる辺り、二と三の間くらいかもしれない。
先輩はあたりをきょろきょろと見回して、頭の上に電球を浮かべたいくらいの名案を思いついた顔で店に飛び込んだ。
取り残された俺は、永久と二人で普通に自動ドアをくぐる。
「んー、ボックスじゃダメだなー。窓際じゃないと」
そう呟いて、先輩はさっさと窓際に並んだ席の一つに俺を座らせた。で、左側に永久を座らせて自分は反対側に座る。
なんだ? 襲撃とか警戒してるのか? その場合だと、できるだけ奥に陣取るのがセオリーだぞ?
そんなことを言うか言わないか迷っていると、先輩はさっさとウェイトレスさんを呼んでしまう。
「抹茶ミルクサンデーとチョコバナナサンデー。Lサイズで」
「俺はコーヒ」
「以上で。あ、スプーンは二つでいいですから」
「いやいやいや。だから俺は――――いてえっ!」
おもいっきり腿をつねられた。ウェイトレスさんは笑いながら下がるし、俺がなにをしたって言うんだ!
「まったく。推理力がないねえカンちゃん」
「推理力となんの関係があるんだよ」
少しだけトゲのある言い方になってしまった。だって仕方ないだろ。店に入って、俺だけ何も無しで過ごせってか? しかもスプーン二本とか念押しまで…………し、て?
まさか。
まさか、アレをやろうとしているのか――――――――!?
「抹茶ミルクサンデーとチョコバナナサンデーになりまーす」
どこかわくわくした笑顔で注文を運んできたウェイトレスさんに、嫌な予感だけが募る。こういう感覚の時取るべき行動は――――――――
「動くな、神無久朗。動けば人質を社会的に抹殺する」
横から低い声が飛んできた。横っていうか右側にいる先輩の口の辺りからだけど。
――――人質。まさか、永久に何かしたのか!?
それより、今の発言はどういう、
「あ、人質ってカンちゃんのことね♪」
「俺かよ!」
思わず叫んでしまった。
いや、よくよく考えてみればそうか。先輩が永久を社会的に抹殺する意味も理由もないしな。
……………………俺を社会的に抹殺する意味? おもしろいからだろ、そんなの。
「では、人質の命が惜しければ口を開きたまえ。ちなみに、ア、の形がベスト」
「……………………ア」
嫌な予感マキシマム。開けてから思ったけどこれ、やってもやらなくても社会的に抹殺されるんじゃ――――――――
「はい、久朗。あーん」
言葉と共に、冷えたスプーンとそれにすくわれたアイスが舌の上に載せられた。
「はい、お口を閉じる」
言われた通りに口を閉じる。スプーンが引き抜かれ、乗っていたもの全てが口の中に残される。
都合二度目だな、これ。やっぱり味はわからん。
「ほらほらもう一回。次は永久ポンの番だよ」
「は、はい。では久朗様、その、お口を」
「……………………アー」
すい、と口の中に粉末抹茶がかかったソフトが入れられる。もう完全に流れ作業で、口を閉じて、スプーンが引き抜かれる。次は先輩の番。
一昔前にこういう玉入れみたいなゲームがあった気がする。でもその筐体は、周囲の野郎共に殺意しかない視線を向けられたりはしなかったんじゃないだろうか。
(二。三。五。七。十一)
こういうときに数えるらしい素数を心を無にして数える。単純に口を開けたり閉めたりしてればそれでいいだけのことだ。余計なことを考える必要はない。
なんだろう。こういうのって本来嬉しいか恥ずかしいことのはずなのに、泣きそうだ。
「いやー、役得だねえカンちゃん」
どこが? ただのイヤガラセだろこれ。イジメかっこわるい。
「久朗様、ひょっとしてお嫌ですか?」
「話に聞くほどいい気はしないな」
「…………そうですか」
思わず辛辣になってしまった言葉に、永久は少しだけ俯いてしまう。でも、状況が状況だけにフォローできないんだよな。なにより俺の心象が殺伐としすぎてるし。
一回やってるだけに永久の葛藤は大きいんだろうけど、マジでフォローできん。
「うむー。楽しいのは要子さんだけか。求めてたのはこういうことじゃないんだなー」
もっしゃもっしゃと先輩は残りの中身を口の中に放り込んでいく。
「ほら、食べてまえ永久ポン。少なくとも間接キッスくらいにはなるから」
「はい――――は、はひ」
俯いたまま頷いた永久は、びっくりして顔を跳ね上げ――――じっとスプーンを見つめ、俺の顔と見比べて、意を決してアイスを口の中に放り込んだ。
そうやって先輩のからかいにも乗らないで状況を観察してる辺り、俺の意識レベルはそんなに高くなさそうだな。
「んじゃ、食べ終わったら出ようかー」
「は、はい」
もくもくと顔を真っ赤にしたまま永久は口を動かしている。純情だねえ。
そうか。無になるってことはそういうことに対する感覚もなくなるのか。これは結構重要な技術かもな。
「うーん。カンちゃんが戻ってこない。つまらん」
そんな先輩の呟きも全く気にならないんだから。
/
「はあああああああああああ」
部屋に戻るなり超スピードで永久が着替えに行ったのを見送って――――全身から出るほどの溜息を吐いた。
結局、あのあとは適当にウィンドウショッピングをする先輩の後をネタ担当が二人で追いかけたくらいで、特に変なイベントもなかった。
「カンちゃんさー。現状で満足しすぎなんじゃないかなー?」
「いいじゃないですか別に。なんの問題もないでしょう」
テーブルチェアの背もたれを前にして座る先輩からは視線を外しておく。スカートの中が見えそうだからな。
「人間、向上心を無くしたら終わりだよ?」
「ありすぎても終わりですけどね」
「そういうダークな話じゃなくてさ。もっとこう素直な、脳直的な幸せっていうの? こう、欲求不満の解消的な」
「それの方が問題あるわ!」
あんたはどうあっても話をアダルトな方向に持っていきたいのか!?
「ぶっちゃけ、永久ポンを襲いたくなったりはしないの?」
「するか。俺をなんだと思ってるんだ」
「NPLの捜査員(笑)」
「だからなんにでも(笑)をつけるなっての。ひょっとしてバカにしてるんですか?」
「うんにゃ。でも残念だとは思ってる。カンちゃん、幸せそうに見えないんだもの」
なんだそれ。
いや、幸薄そうに見えるとは言われたことがあるけどな。NPLって不幸な人に関わる組織だから、そういう目はすごい人が多いらしい。で、ある講習の時に満場一致でそう言われたんだった、な。
悲しい思い出だ。もう二度と思い出したくないよ。
「…………根拠は?」
「昨日と今日とでずっとカンちゃん見てたけどさー。やっぱり笑わないんだよね。それかな」
「そりゃ、状況が笑えませんよ。先輩の家に突然男二人が居着いたら笑えます?」
「う、うむー。それはちょっと無理かもしんない。というか、私も引きそう」
背もたれに顎をのせてしょっぱい顔になる先輩。たぶん、俺も今同じ顔をしていそうだ。
なんていうか、「状況を受け止め切れません」みたいな。
「で、でもだね。カンちゃん一人くらいならいいんでないかなー、とは思うよ。ほら、気の置けない友人だし」
「実は俺が気を置きまくりだった場合は?」
「そ、そんな辛辣なこと言うない」
むにゅむにゅと先輩は口元を動かした。どうも言葉に困っているらしい。
「冗談ですよ。でも、引くべき一線くらいは先輩にもあるでしょう」
「……………………」
ひらひらと手をふる。と、先輩は、「んー」と考え込んでちょっと赤くなった。
「おい。あんた今なにを考えた」
「え、えー? 別にえっちぃことなんて考えてないよ?」
「だからその思考をなんとかしろよ!」
永久遅いな。ある意味ストッパーになってるから、三人だと先輩も暴走しにくいはずなんだけど。
立ち上がって、脱衣所のドアをノックする。
「は、はい、ただいま!」
かろかろかろ、と静かな音でドアがスライドする。
いや永久さん。正座するのは結構ですが、いつからここはあなたの部屋になったんでしょう?
「なかなか出てこなかったけど、どうした?」
「いえ、その。久朗様と佐伯先輩のお時間を邪魔してはいけないと」
「是非邪魔してください。可及的速やかに事前から」
「カンちゃん。それはちょっと酷いんでないかい?」
先輩の声は無視する。
「あのな。変なところで気を遣うな。おまえだってもう先輩の友人だろ?」
「おう。おまえだってっていうことは、カンちゃんにとっても私は友人だってことだな!」
び、と笑顔で親指を立てる先輩。
ふむ。
「…………永久って、佐伯先輩の友人のような気がちょっとだけしたんだけどな。俺は違うけど」
「なぜ言い直した!? カンちゃん、なんで私に対してはドS!?」
むがー、と吠える先輩に頭をかく。いや、なんか言わないといけない気がしたんだ。
「うむむむむ。この二日でいくつかわかったことがある。それを元にカンちゃんを倒してやる!」
「いきなりなに言ってるんですか」
「うっさいだまれー! 覚えてろよー!」
目をつり上げて荷物を振り回して、先輩は部屋から出ていった。
玄関が閉まる音と、バタバタと廊下を走っていく音がする。
「なんだ、今の」
「な、なんだったんでしょうか」
俺と永久はしばらく、目を丸くして玄関の方を見ていたのだった。