2 Return of Justice《善行の見返り》
国際調査連盟という組織がある。存在的にはNGOに区分されそうだが、その実態はそれとはかなりかけ離れている。
国家に属しないという体裁を持ちながらもある程度国家からの援助や要請を受けるNGOと違って、国際捜査連盟はたとえ相手が国連であっても国家と直接関連のある組織からの援助は受けないし、要請すらはね除ける。NGOが国家の枠組みにとらわれない活動範囲を持つ組織だとすると、国際調査連盟は文字通りの超国家、いやむしろ対国家機関だ。そもそも、存在を知られているのかすらわからない。
昔から、各国の警察は「公権力」と言われるだけあって政治と絶対に切り離せない関係にあった。その結果として時に起こるのが、事実隠蔽や工作の類。つまり、「特定の誰か」にとって都合のいい権力行使だったわけだ。
それに対抗して秘密裏に作られたのが国際調査連盟。公から切り離された私的組織は、公の中枢にまで問答無用で踏み込む。不可侵領域も聖域もない。ただ、隠されてはならない真実をひたすら白日の下にさらし続ける。
真の弱者の味方。驕れる強者の敵。簡単に言えばそういう組織だ。
実は、神無久朗はそこに所属している。高校生なのにと言うなかれ、最年少は中学生らしい。理由は、「特定の思想に染まっていないから」と、「大人には捜査できない範囲があるから」だとか。
その国際調査連盟は、スカウト式の採用方法を採っている。何らかの理由で知り合った場合、能力がそれに見合うとなれば構成員が人事課に提案し、専門の評価員が能力や思想面を含めて判定し、人事課に評価表を差し戻す。つまり、お眼鏡に適わなければ所属できない。そもそもが癒着や八百長を許さない組織だから、その辺りはしっかりしてるわけだ。
だから、俺の推理力や捜査力その他は国際的に証明されているし、能力アップのための研修にも何度か参加してきた。
そのはずなんですけどねえ…………。
/
「高天原永久と申します。本日よりお世話になります」
深々と。膝に手を当てて腰を九〇度曲げて、彼女はお辞儀をした。
寝不足の頭を必死で回してみても彼女のことはなにもわからない。針が逆に傾いて、俺をハメるために派遣された工作員じゃないのかと疑ってしまうほどだ。
でも、なぜだろうか。それだけは絶対に違うと、さしたる根拠もなく思っている。ハニートラップならもっとやりようがあるはずだし、寝ているときにやるなり、食事の中に一服盛るなり、殺すならいくらでもタイミングがあった。そういうことを加味してのこともあるけれど、なにかこう、もっと感覚的なものがそれを否定している。
感覚だけで物事をとらえるのは危険だってわかってるのにな。どうしても、そうあって欲しくないというかなんというか、「論理だけで物事を捉えるのもそれはそれで危険だぜ?」みたいな変な意識と真っ向勝負になっているというか、天使と悪魔の戦争というか。もうなにがなんだかわからん。眠いってのだけが確かであって、それ以外は完全に霧の中だ。
国際捜査連盟《NPL》の規則は少ないし、ほとんど冗談で作られたとまで言われてる。
一つ。目を逸らさず真実を追え。
二つ。他や群に依存せず、個に倣え。
三つ。弱者を助け、愚者を正せ。
四つ。礼を持って礼に応え、理性を持って仇に報いよ。
五つ。自らのものに限らず、能力は最大限に活かせ。
六つ。己を省み、他者を見よ。
と、そんなところだ。でも、目を逸らすまいが能力を生かそうが己を省みようが、タカノアマツハラなんて名字は思い出せない。たとえなんらかの事情で名前が変わっていたとしても、思い出して欲しいのなら本名を名乗るはず。なら、タカノアマツハラトワと名乗った彼女はその通りの名前だということだ。
寝言で「くろうくん」とか言うくらいだから、初見は相当小さい頃のはず。だとすれば記憶に残っていないのも無理はないんだけど…………どうにも、思い出せないことがあるというのは気持ち悪い。
黒板に書かれた「高天原永久」という名前を改めて凝視する。そもそもあれ、タカノアマツハラじゃなくてタカマガハラだよな、読むなら。「実は神様でした」なんてネタはないよな?
ないな。「目を逸らさず真実を追え」だ。神様なんてこの世界にいない。悪人に天罰を下してくれたり世界をいい方向に導いてくれたりする存在がいれば、警察も軍隊も宗教もいらないんだから。
っと、思考が斜めにズレた。ついでに「つるのおんがえし」や「かさじぞう」なんてベタなネタも排除しておこう。
とすると、やっぱり思い当たるネタはない。昨日からのアレコレを鑑みるに、それなりに大きなイベントがあったはずなんだけどなあ。
…………仕方ない、連盟の資料課に照会通知を出してみるか。古今東西のデータの宝庫のあそこなら、何かしらの発掘物はあるだろうし。
スマートフォンを操作して専用のメーラーを開く。キーワードは、「高天原」と「タカノアマツハラ」に、「永久」と「トワ」。前者が優先で、後者が付加。特殊な読みが多い日本語は検索ワードが複雑化する傾向があるけど、これでデータがあれば数日中に照会が来る。
NPLには世界のすべての事件とその捜査状況のデータが集められている。逆に言えば、その量は膨大どころか予測不能レベルで現在も毎秒絶賛増加中。データディスクの全交換には、未解決事件分だけでも数年のスパンを要すると言われるほどだ。
まあ、それが示すのは「そのくらいのことをやっても世の中平和にならない」って事実なんだけどな。それは言ってはいけない現実だろう。
ともかく、資料課だって暇じゃないし、たぶん三日くらいは掛かるはず。待ちぼうけっていうのも芸がないけど、その間に思い出す努力をしないわけでもないし、ひょっとすると何かの拍子に思い出すかも、
「……………………………………………………………………………………神無くんのお隣ですねー」
ん?
他のこと考えてたから、なにか聞き逃したような。
あれれー。永久さんがこっちに歩いてくるよー。隣の空席に座って、俺に向かって微笑みながら一礼してくれてるよー。
え? なんか背中から変な汗が出てきたんですけど。
なんだこれ。あれか? 運命ってヤツか? 星の巡り云々でベッタリなのか?
「はーい。それじゃあ今から身体測定なので、男女分かれて列になってくださーい」
そんな先生の言葉は、右から左へきれいに抜けていった。俺の魂とともに。
/
始業式の翌日は、身体測定と委員選出のためのロングホームルームと大体相場が決まっている。前者が午前中で、後者が午後。さっさと役職が決定されればそれだけ早く帰れる仕組みだ。
午前中の身体測定は、半分寝ながら終わった。結果は去年と大して変わりなし。
さて、昼だ。
「久朗様」
「――――――――あのな、うおっ!」
校内でもその呼び方で行くのか、と思ったら目の前に風呂敷包みが鎮座していた。
このタイミング、中身は昼食入りの重箱か? よくそんなもの作る暇があったな。転校の手続きがあるからって俺より早く出たんじゃなかったか?
そんなことを考えている間に永久は風呂敷をほどいていた。
さすがに弁当として持って来るにあたって量は考えたのか、一段目は卵焼きに、黒豆に、田作に、菜の花のお浸し。二段目はおにぎり。おかずはちょっとおせちっぽいけど、本来日持ちのする物だからな。ひょっとしたら弁当には最適なのかもしれない。
パッと見ただけでも、黒豆は光ってるし卵焼きは焦げ一つない。本当に料理が上手いんだな、永久。
「どうぞ」
「ああ、悪い…………いただきます」
差し出された箸を受け取って、手をつける。うん、今日もおいしいです。
俺が弁当に手を延ばしている間に永久はお茶を注いでくれる。
「わざわざ悪いな」
「いえ。久朗様が食べてくださるだけで、わたしは幸せです」
「……………………いえ、こちらこそ」
そういうこと、本当に嬉しそうに言うのな。確かに、誰かに――それが好きな相手ならなおのこと――食べてもらうのは嬉しいんだろうけど。
「おー、いい物食べてるじゃん」
前触れなく、ぐいっと肩に肘がのせられた。
無駄に体重かけられて正直邪魔くさい。飯が喉を通らないだろうが。誰だこいつ。ろくな奴じゃなさそうだけど。
名称不明くんはほいほいと永久に近づいて肩に手をかけようとし、
「へー。トワちゃん、料理がうま」
「それ以上、手を近づけないでください」
「へ?」
重箱に伸ばされた手は蓋に。永久の肩に置かれかけていた手は……短刀の柄に阻まれていた。
「っ」
そう。短刀だ。それがわかるということは即ち、抜き身の刃が見えているということであり、永久がそれを抜いたということだ。
まずい、な。いつ抜いたのか見えなかった。背中に隠してたんだろうってことも、今わかったくらいだ。これが立ち会いなら俺はもう死んでいる。
かすかにざわめく教室の中で動揺を隠すためにお茶を飲みながらそんな風に物騒なことを考えていた俺だったが、永久がこっちに視線を移し、
「わたしの身体に触れていい男性は、久朗様だけです」
ぶふー!
噴いた。飲み差しのお茶を、思い切り。
しかもそれは俺だけじゃない。教室中から、お茶とかご飯粒とか卵焼きとか味噌汁とかを噴き出す音が聞こえた。いや誰だよ味噌汁飲んでたの。
「と、永久!? いきなりなにを」
「ただの事実です。わたしは、久朗様以外に身体を許したりしません」
ぐおえ。
今度は食べた物が戻りそうになった。
そういう意図がないのがわかるの、俺だけだろ。頼むからもう少し言葉を選んでくださ、
「うほー、カンちゃんに春が来たー!」
こ、この声は! いろんな意味でこの高校で一番恐ろしい子――――!
「いいねえ、いいねえ! 今時珍しいぞっこんラヴ。押し掛け女房ってかい、このこの!」
いつの間にか出現した要子先輩にぐりぐりぐりぐりと拳を押しつけられる。こめかみが痛い。
しかしこの物言い、おっさんだなやっぱり。
「久朗様、こちらの方は?」
「ああ、この人は佐伯――――」
「初めまして、久朗の恋人の佐伯要子です。きゃっ、言っちゃった」
おおおおおおおおおおおおおおおおおいなに言ってるあんたああああああああ!!!!!!??????
世の中にはなあ! 嘘言っていいときと悪いときと言っていい嘘と悪い嘘と冗談にならない嘘があるんだぞ! むしろ今すぐ存在自体を嘘か冗談にしてください! ってか昨日もこんなことあったよなあ!?
「あー、やっぱり神無くんと佐伯先輩って」
「だよねー、いつも一緒にいるしね」
「あはは、バレたよ久朗」
「ちが、っ! あんたもなに言っ――――」
ぎゅっ、と飛びついてきた先輩に手を回された。首ではなく、そのちょっと上あたりに。
抱きつかれたわけではない。これは、要子式口封じ! いやそんな技ないけど。
(先輩、ブレイクブレイク!)
無理に振り解くわけにもいかず、ぺしぺしと先輩の腕を叩く。されどその力はいっこうに弛まない。弱すぎる全力だけど、無理に外すとまた面倒なことになりそうで。というか、先輩が半分浮いてるから無茶すると全体重がかかって首が折れる。
口をふさがれたまま永久に目を向けてみる。なんとかゆっくりと首を振るも、顔を伏せている彼女にはどうあっても見えないらしい。
「……………………そう、なのですか」
しょんぼり。
そんな言葉が似合いそうな感じで永久は肩を落とした。
「そう、ですよね。久朗様はわたしのことも覚えていませんでしたし、それに、約束したわけでもありませんし」
ギギン、とクラス中から殺意を持った視線が向けられた。むしろ、視殺という新たな死因が生まれるところだった。
すごいな、視殺。見るだけで相手を心臓発作にして、しかも表面上の死因は突然死か病死。完全犯罪じゃないか。
「うーむ。永久ポンはヤンデレだと思ったんだけど、違うんだ」
ひらり、と先輩は俺から離れた。いや、永久ポンって。
「久朗様は素敵ですし、彼女の一人や二人いてもおかしくないですよね。時間と距離は埋められませんし、それに、わたしにだって魅力があるわけではありませんし」
で、ぶつぶつと呟きながら、どんどん沈んでいく永久。そろそろ引き上げないとマズイ。永久の精神状態ももちろん、俺の教室内での評価が。
「おーい永久ー、帰ってこーい。それに彼女なんていないぞー」
っていうか、人がモテまくりで二股かけてるみたいな発言するのやめてくれ。
周りがね。怖いのよ。視線が。だんだん温度が下がっていってるから。
「……本当ですか?」
「うっ」
俯いて上目遣い。不安そうな目が保護欲を掻き立ててくれる。垂れた耳としっぽが見える気がするぞ。
「これが、恋?」
「変なナレーションを入れるなそしてもうこれ以上しゃべるな奇人」
「うおっ、珍しくカンちゃんがマジだ!」
付き合いきれん。一発ドツくことができたなら、俺と先輩の関係性ももうちょっといいシーソーだったのかもしれない。
「とにかく、この人はただの先輩だ」
「そうなんですか?」
「そうだ」
「そうですか」
心底ほっとしたような表情で永久は笑った。一件落着。
「ああん? ただの先輩だぁ? カンちゃん、屋上」
しかし、何が気に入らなかったのか半ギレの人が一人。
ビッ、と親指で教室の外を出す先輩。オヤジからアニキに様変わり。
「あっ、永久ポン。ちょっとコレ借りるね」
そして、永久の返事を待つことなく先輩は俺を引きずっていったのだった。文字通り、首根っこひっつかんで。
で。
「ああ、ついでにそこのクソガキ。それ以上永久ポンに近づいたら親父の不正融資のコト『ある筋』にバラすよ。ったく、いい年こいてパパとか言ってんじゃねーよファザコン」
とか、ものすごく非情なセリフは聞き流しておこう。俺に損得はないし。
/
「聞いてない聞いてない聞いてないー! 押し掛け女房してくれるような腰の低い幼なじみがいるなんて聞いてないー!」
半ギレしてたはずの人は、屋上に来るとすぐにぶーぶー文句を垂れやがった。
「くそっ。カンちゃんの性癖を知っていたらもうちょっと上手くやれているはずなのに」
おい。
「幼なじみじゃありませんよ。もしそうなら覚えてます」
「え? てことは、永久ポンのこと覚えてない? 向こうは覚えまくってる感じだったのに?」
こくり、と頭を一つ上下。
事実には頷くしかあるまい。それがどんなに胃に悪いことでも。
「うっわ最低だよこの人」
「反論したいができんので、常日頃同じ感想だとだけ言っておきます」
「え? 私が幼なじみってこと、忘れてるの? 久朗、ひどいっ!」
「そこじゃねえよ! あんた俺の幼なじみでもなんでもないだろうが!」
「あはは、バレたかー」
ダメだ。一年たっても先輩のテンションには着いていけないし追いつける気もしない。
るんるるーん、とか鼻歌を歌った先輩はそれに合わせてくるくると回りながら、
「で? NPLはどうすんの?」
「――――――――」
恐ろしいな、先輩。流れを気にせず涼しい顔でそういうこと聞いてくる辺りが。
「カンちゃんが活動しないとおっきい儲けが出ないんだよねー」
…………恐ろしすぎるな、先輩。涼しい顔でそういうこと吐く辺り。
俺と先輩の関係は、実はこの高校でのものだけじゃない。自称「美少女投資家」の先輩は、常人には知りえない情報網で仕入れたネタをNPLの捜査官として活動する俺に流してくれている。たとえば、さっきの不正融資の話みたいなのを。
マッチポンプっていうのかな、こういうのも。ただ、捕まらない辺り一応法律は犯してないんだろうけど。
「しばらくは活動休止です」
「んー、そっか。仕方ないよね」
…………やけに物わかりがいいな、先輩。
まあ、大きい儲けが出ないってだけで儲け自体は出てるから問題ないんだろう。そうじゃなきゃこんなに余裕ではいられない。投資っていうのは、損益リスクを考えると博打と同じだからな。いや、架空の品物を取り引きできる分だけ、博打より危ないかもしれない。
「でも、このまま永久ポンがいたら完全に活動停止だよね?」
「――――――――――――――――」
そうか。それは考えてなかったな。
俺たちは、正義の味方が代償として失う物を知っている。むしろ先輩なんて、自分を正義の味方だとすら思っていない。「私は私の味方」と素直に言ってのける人だ。
でも俺はそこまで割り切れてない。だから不条理を感じてしまう。で、結果として世界と距離を開けてしまう。ところが、そのスタンスは捜査官の在り方として重要ときている。それが悪循環なのか好循環なのかは、俺にはわからない。
ただ、一つだけ言える。正義の味方なんて、失う物と手に入れられない物ばっかりだ。だから、俺は永久を持て余してるっていうのが本音かもしれない。
「いいんじゃない? カンちゃん、今まで結構突っ走ってきたし。しばし休息ってのがあっても別に怒られないんじゃないの?」
「ええ、そうですね」
基本、NPLにノルマのような物はない。その辺りが点数制を取り入れてる諸機関とは違うところだ。
もちろん、解決した事件が多ければ多いほどリターンである給金が多いのは当然だけど、そもそも行動すること自体が主体であって、利益を追求するような人間には捜査官としての資格がないと判断されるような組織だ。
言うなれば、「悪いことだけはするな」っていうのがNPLにおける唯一絶対の盟約みたいなものなのかな。
そんなNPLの相手は自然と巨悪――――即ち公権じゃ手の届かない領域になる。だから、恨みを買う範囲が広大になったり、社会的影響が肥大化したりする。そういう意味では、NPLの捜査活動は慎重に慎重を重ねる必要があるわけだ。その手法として、捜査と検挙を分離したりする。捜査官一人に悪意が向かないように。でも、回を重ねれば、「あれ? アイツ前にもいなかったっけ?」みたいな違和感を持たれることもあるわけだ。
そう。NPLは、捜査と検挙を独自に行う自立避援の組織だ。それはつまり、孤立無援であるということでもあり、下手を打っても誰も護ってくれない。さらに、時には公権力の方に検挙されることもある。なにせ、その公権力自体も時には敵になるんだから。
彼らも、指紋のデータベースを初めとした個人を特定する手法を持っている。個々の事件がNPLの捜査官という線で結ばれてしまうようなことも、いつの日かやってくるかもしれない。
「むしろ、ペース落とさないと目を付けられるみたいなことすら言われてます」
「ありゃりゃ、大丈夫かねカンちゃん。自己管理で自重しないとダメだよ?」
「わかってますよ。まあ、半分くらいは誰かさんがぽいぽいネタを投げて来るからなんですけどね」
「ひょっひょっひょ」
…………自覚あるんだな。
でも、先輩だって一応目的持って金貯めてるんだと思うんだよな。
「聞いたことなかったですけど、先輩が投資やってる理由ってなんなんですか?」
「ほう、初めて聞かれた。カンちゃんは私に興味ないのかと思ってたよ、っとわわわ」
先輩はバッと手すりに飛びついて――――――――落ちそうになったので、あわてて首の後ろを掴んで助ける。
「興味ないっていうか、先輩、金遣いが荒いようには見えないですから。散財するために稼いでるわけじゃないでしょう?」
「にゅふふ。口にしないだけでカンちゃんは人のことをよく見てるねぇ。愛かな?」
「なんに対してもそういうこと言うから聞く気無くすんでしょうが。そもそも、そういう人間なら相互関係にはなれないお仕事ですし」
「……………………ふむ。相互関係、か」
先輩はどこか不満そうにポツリと呟いて、
「まあ、使い道は決まってないよ」
なんだそれ。引っ張っておいてそれかよ。
「だってさあ、カンちゃん。お金じゃ世界は変えられないよ?」
「そいつは、確かにそうですけどね」
金さえあればどうにかなるのは世界の方じゃない、人の方だ。もっとも、人の方が世界に影響を与えることもあるが――――それは大抵において悪い方向にだからな。
「今のカンちゃんなら、世界を変えるものがナニかわかるかにゃ?」
「……………………さあ」
なんだろうな、世界を変えるものって。
正義みたいな形や寄る辺のないものでもないし、お金みたいな具体性のあるものでもない。
あとはなんだろう。力かなあ。でも、そんなもん通用しないこともあるし。暴力の方が遙かに強いわけだし。
「ふーむ。カンちゃん、気付かないフリしてる?」
「いいえ。真剣にわからないですけど?」
世界なんて、人の意志や主義主張みたいなもので変わるほど単純じゃない。
もっとも、変わってもらったら困ることもあるけどさ。護られるべきものは正しく護られなければならない。
「あーあ、ホントダメだこの人」
「だから、それを先輩に言われたくないんですけど」
「…………ふむふむなるほど。こういう言い合いをしているからそういうポジションなのか」
「意味がわからんし、人の話を聞いてくれ」
頭が痛いな。ホント、世界どころか他人すら人の意志じゃどうにもならないよ。
そりゃそうか。俺の思い通りにいく部分とか、先輩の思い通りにいく部分とか、永久の思い通りにいく部分とか、そんなのがいろいろあったりなかったりなんだろうしな。その中で俺の思い通りにいく部分は極端に少ないわけだ。
……………………………………………………………………………………鬱になるな。
「ま、私じゃ扉をこじ開けられないってことだ。永久ポンならそれができるのかな? 楽しみだ」
「は? そこで永久の話に戻るんですか?」
「ひっとりっごとー」
ひょい、と手すりから飛び降りた先輩は屋上のドアへと走っていく。で、手を銃の形にして――――バン。
「永久ポンも苦労するぜい。こんなサタデーナイトスペシャルを相手にするなんて」
「誰が粗悪品の銃ですか」
「土曜の夜に思いっきり行動する辺り」
なんだ、そのまんまの意味かよ。
「むむう、これは挑発にならぬのか。だが、要子さんの持ち札はリップサービスだけじゃないのだ」
ふっふっふ、と笑う先輩をとりあえず遠い目で見ておく。
残念ながら、俺の持ち札にリップサービスはないのだ。
「それではな、カンちゃん。さっさと帰ってあげないと永久ポンが泣くぜい」
「あ、しまった。メシ食う時間なくなるじゃないか!」
ドアの向こうに消えた先輩を追って、校舎に戻る。階段を一段ずつ下りている暇はないので、手すりを飛び越えて反対側に下り、さらにもう二度ほどそれを繰り返す。
空中で時計を見ると、昼休み終了まであと一〇分。
「なんつー時間稼ぎだ」
そもそも、時間稼ぎだったのかすら謎だが。
そのまま教室に飛び込んで、自分の席に着席。
「すまん、永久。先輩の相手に時間がかかった」
「いえ、その。大丈夫です」
動いた気配のない永久は、なぜか耳まで真っ赤になっていた。重箱を死守するためかがっちりと胸に抱いている。
「どうぞ、久朗様」
再びパカンと開封。置きっぱなしだった箸を取って、せっせと口に運ぶ。辺りから放たれる殺意や好奇の視線は無視無視。
「…………ふにゃー、私もあんな風に誰かに尽くしてみたいよー」
「…………好きな人に会いに行く。ロマンチックぅー」
「…………んだよ、神無ばっかり。死ね。死んでしまえ」
「…………フ。これがリア充というものか」
……………………なるほど。なにがあったかは大体想像できるな。
この一〇分は俺にとっては都合のいい長さで、逆に俺と先輩に放置された永久の二〇分くらいはあんまり都合のよろしくない時間だったわけだ。
でも、「なにを聞かれた?」とか「都合の悪いこと言ってないだろうな?」ってのは俺が言うセリフじゃないな。
少なくとも現状では、俺の立場が悪くなることはあっても永久が変な立場になることはないだろう。それに、永久はちゃんとクラスに馴染めそうだ。だとしたら俺がなんかこう、豆腐でできた鎹みたいな物体でも構わないか。
「久朗様とお弁当。幸せです」
ま、まあ、こうやって目を輝かせてる分には永久は顰蹙を買ったりはしないよな。きっと。
「……………………神無死ぬべし」
「……………………リア充許すまじ」
俺は男子から押し売られ状態だけどね。ギリギリまで買い叩いても最後には投げつけられるかもしれないな、これは。
/
たぶん、永久にはいろいろやりたいことがあったんだと思う。だって、小学校とか中学とか、一緒にいればあるはずの出来事や日常が俺たちの間にはなにもないんだから。
同じ学校に通うとかは当然のことで、登下校を一緒にしたり、同じ教室で授業を受けたり、一緒に弁当を食べたり。俺にとってはなんでもないただ延々と消化されていく日常は、永久にとってはこれ以上なく輝いて見えるんだろうと思う。
そう。永久にはいろいろやりたいことがあって、できることならそれをかなえてやりたいとは思う――――んだけど。
ただ、な。その相手って、完全に彼氏役で。それが俺って。場違いというかなんというか。
いや、俺だって健全な高校生だ。恋人だって欲しいと思うこともある。しかしこう、いろいろと段階とかあるべきだ。
据え膳食わぬは男の恥? そこまで状況割り切れねえよ。いくら健全な高校生でも、食っていい据え膳はテーブルの上の食事だけだ。
そんな俺の戸惑いを余所に、当の永久は校門を出てからずっと俺の後ろを着いてきている。
「なあ、永久。もっとこう、隣とか歩かないか?」
「いいえ。これが正しい距離だと姉様が」
女は男の三歩後ろを歩けってことか?
でも、大体二メートル強くらい後を着いてくる永久に話しかけるには振り向くしかなくなる。それはそれで面倒なので提案しているのだが、永久は本当に付かず離れず全く同じ距離を保って俺の後ろを歩いてくる。
下手したら背後霊かなにかに間違われないか、これ。もしくは、召使いか何かか。
にしても、時代錯誤な気もするけどなあ。永久の姉様ってほんとどんな人なんだか。少なくとも、うちの姉貴とは正反対なんだろう。
そうか。今まで俺の周りにいたのって、逆に首根っこ掴んで引っ張ってくような人たちばっかりだったのか。先輩しかり、うちの姉貴しかり。そういう意味で言うと、永久みたいなタイプは初めてなわけだ。
「……………………立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花、ってか」
もしくは大和撫子か。面と向かって言ったら、先輩はとりあえず笑うだろうけど姉貴にはボコボコにされるな。
とにかく、会話を交わさないと。無言で説得はできない。
「永久は行きたいところとかないのか?」
「いえ。夕食の食材はありますし、特段必要なものはありません」
「いや、そういう意味でなくて…………」
「久朗様にご用があればお供します」
「いや、俺も用事はないけど…………」
会話終了。取り付ける島が見あたらない。
俺の世話をするっていう以外の欲求がないわけじゃないんだろうけどなあ。自分を押し殺すのはよくないとは思うんだけど、永久の場合は他よりも俺の優先順位が高いってことなのかもしれない。
でも、ただ俺の言うことを聞くってわけじゃなくて線はちゃんと引いてるみたいだ。その一つが、絶対に渡そうとしないカラの重箱。実際大した重さじゃないんだろうけど、大きい荷物を持って後ろを歩かれると、その、さっきから視線がさ。
いや、正直言うとありがたいんだよ永久の存在は。男の一人暮らしで生活は殺伐としてたから、旨い料理とかは本当に嬉しいんだ。
でもその代わりに視線恐怖症になりそうな気がするんだよな…………今すぐにでも。ほら、今って男女平等の時代だし。
「……………………」
「……………………」
最終的に、お互い無言になってしまった。
永久みたいなタイプとかじゃなくて、俺はそもそも女の子の相手に慣れてないらしいな。これが先輩だとこっちが口を開かなくても話が飛び出てくるし。恐怖症までは行かなくても苦手ではあるのかもしれない。
でもここで「満足か?」とか聞くのは無粋に決まってる。満足だって答えしか返ってこないだろうし、永久は永久なりに満足してるんだと思うし。奥ゆかしいって言うのかな、そういうの。
そんなもろもろとか、付かず離れずなのか離れず付かずなのか、その二つになんの違いがあるんだろうか、なんて考えているうちに、エントランスに着いていた。
メールボックスの中はカラ。エレベーターを呼んでしばし待つ。
「……………………」
「……………………」
エレベーターの中でも会話無し。ただ、三歩下がれない分だけ距離はちょっと近かったりする。
俺が損な性格なのかもしれない。状況を素直に楽しめないというか、斜に構えて見てしまうというか。
ただ、まあ。こうやって普通に、その、同棲? いやその、言葉はともかく、一緒に住んでる分にはかなり状況を受け入れてるんだろうけど。
だとすれば、先に入った以上は言わないといけないんだろうな。
「お帰り、永久」
「は、はい。ただいま戻りました」
九〇度腰を折って礼。本当に礼儀正しい。
――――本当に、俺自身に何もなかったらものすごく心温まるシチュエーションなんだろうな。
どうしようもないことを考えながら、ソファーに身を預けて天井を眺める。視界の端で永久が一礼して、脱衣所に入っていった。
しばらくすると、昨日と同じ巫女服で出てくる。家の中に巫女さんがいる光景って、ちょっとおかしな感じがするな。
「あのさ、永久。私服ってそれしかないの?」
「お仕えする相手が変わったとは言え、わたしが巫女であることには変わりありません。ですが、久朗様がお嫌なのでしたら着替えさせていただきます」
「いや、好きとか嫌いとかは得にないんだけど…………」
女の子だからおしゃれしたいとか、って部屋着か。ならかしこまることもないだろう。
って待て待て。巫女服は立派な仕事着だぞ。しかも、仕える相手は本来神様だ。そういう意味で見ると、コスプレさせてるのと変わりないんじゃないのか?
「うーむ…………」
「久朗様?」
眉間にしわをよせる俺を永久は気遣ってくれる。でもその悩みの内容までは気付いてくれていないらしいし、気付かせてはならない。
これも煩悩というのだろうか。いっそのこと座禅を組んで――――いや、目の前に巫女さんがいるのに仏教はどうなんだ。
「あの、久朗様。やはり着替えた方がよろしいですか?」
「いや、いい。永久が楽なのが一番だから」
結局、悟りを開くのが一番賢いという結論に達した。アレは別にその、要子先輩が言う「萌え」とかじゃなくて永久の普段着なんだ。この状態が高天原永久って子の普通の状態なんだ。
そう思ってみれば別に悪くないよね、巫女服。清廉潔白の証みたいなものだし、黒髪の永久にはよく似合ってるよ。
そう、悟りですよこれは。決して諦めたわけじゃないんだからね。
/
で、またこうなるわけですね。一緒のベッドで就寝っていう。
でも、悟りを開いた俺は無敵。永久は寝相がいいから、気にしなければいないのと同じだし。
「…………すぅ」
「…………ヒャヒャヒャ」
嘘です。ちゃんと存在感あります。正常な男の子としてはがっつり鼻と口から血を噴きそうな類の存在感もちゃんとありますし。
深呼吸すると、いつもはないふわりとした女の子っぽい空気を吸い込んでしまうので、短く――――すると客観的に見た場合のこととか酸素不足で心臓がどうとかいろいろと問題があるので、可能な限り細く深い呼吸を繰り返す。
努めて感情をフラットに。余分なことを考えないように。むしろ、よろしくないことを考えないように。いやよろしくないことってなんだ。
お、落ち着けって。そう。俺はただの高校生じゃない。国際調査連盟の捜査官だよ?
「――――――――ああ、そうだ」
ああ。国際調査連盟の捜査官だな。思考も存在も灰色じゃないか。
オーケイ。冷静になった。
俺がやることは自分の幸せを獲ることじゃない。誰かの幸せを護ることだ。例えば、目の前にいるそういうことをなにも知らない女の子とか。
こんないい子が不幸になるのだけは絶対に許されない。悪意や狂気に触れるべきじゃない。だから俺なんかに関わるべきじゃない。
――――正義の味方は、本来受け取ることのできるものを受け取ることができない。
俺をNPLに誘ってくれた人が言っていた言葉。当時の俺が、そんなことはないと否定していた言葉。
でも、今だからわかることもある。きっとあの人もその運命からは逃れられなかったと思う。
世界には得体の知れない悪意が渦巻いていて、それは時に当人の手さえ離れて形を変えていく。予想も付かない形と大きさに。
そういう悪意とか敵意は、まるで誘雷針に導かれるように一カ所に落ちる。いや、誘雷針というよりむしろ生け贄の羊だ。見繕われた被害者の元に問答無用で降りかかる。
NPLは安全な組織じゃない。毎年必ず殉職者が出る。それは決して、無謀だけがもたらす結果ってわけじゃない。先輩の言うところの、マイナスのキックバック。いつ俺がその対象になるかわかったもんじゃない。
だから俺は、永久の想いに応えるわけにはいかないんだ。それがきっと、力を得た代償。リターンに対するコストってやつなんじゃないだろうか。正義の味方のお約束ってヤツだ。
泣けるね。宗教じゃ善行を積めばマシな終わりが待ってるらしいのにさ。現実はそうはいかないんだよな。
単純に、万能な善行がこの世に存在しないってコトなのかもしれない。誰にとっても都合のいい、満場一致の答えが決して見つけられないように。
神職の永久には悪いけど、この世界に万人を救ってくれる神様はいない。そして、誰かにとって都合がいいだけのカミサマなんて存在は、絶対に要らない。