別れの時 (2)
洋子さんが入院している病院はこの辺りでは有名な総合病院で、三棟の建物や中庭のある広大な敷地に建てられている。
病院が巨大だということは入院患者も多いということで、幽霊もたくさんいるってことだ。
明け方前のうっすらと空が白み始めた時間に、中庭を散歩している患者や看護師は全て幽霊のはずだ。
「向こうの病棟だ」
「幽霊多すぎない?」
「病院はどこもこんなもんだろ」
シロは興味なさそうに三階のベランダに転移してしまったけど、ここにいる幽霊達の担当の死神はどうしたのよ。
自分が死んでいると気付いていない幽霊がいるなら、気付かせてあげなさいよ。
死んでからも病院で働いている毎日を繰り返している看護師さんなんて、気の毒すぎるわよ。
「梨沙!」
「今行く」
大きな声を出さないで。
中庭の幽霊がいっせいにシロのほうを向いたのは、さすがに不気味だった。
「ほら、この部屋だ」
「あ、洋子さん、まだあそこにいる」
「それじゃあな。もう何もするなよ。ここにいる幽霊に話しかけるんじゃないぞ」
「そんなことしないわよ」
シロが姿を消すより早く、私はさっさと病室の中に入った。
病院に来るのは自分が幽霊になった時以来だ。
病室はどこの病院も似たような雰囲気だから、一瞬あの日のことが蘇りそうになった。
実家で家族に別れを言える機会があってよかった。
洋子さんはベッドの横に立って、じっと眠っている自分の姿を見下ろしている。
ベッドで眠っている人間の洋子さんは、痩せて顔色が悪くて、思わず息をしているのか確かめたくなってしまうような様子だ。
もう半年以上意識不明で、点滴で生き永らえている状況なんだから、意識を取り戻してから普通の生活に戻るまでには、つらいリハビリが待っているんだろうな。
「まだ自分の身体に戻ってないのね」
「あ……驚かさないでよ。来たのに気付かなかった」
「個室なんだ」
「うん。親に迷惑かけてしまってる」
「だったら早く戻らないと」
「……うん」
今までの復讐に燃えていた洋子さんとは別人みたい。
肩を落として俯いた姿は弱々しくて、一気に老け込んだように見える。
「事件が明るみに出れば、いろんなことを言われるんだろうな。どうせ遊んでいたんだろうとか、おまえが誘ったんじゃないのかとか」
「ああ、あるかも」
「仕事、なくなっているだろうし、ずっと寝ていたから床ずれとか出来て体痛くて」
「……」
「……このまま、あなたと一緒に成仏出来ないかな」
「殴るよ」
思わずひっくい声が出た。
まだ生きていられるやつが、もう生き返れない相手に何を言っているのさ。
「親の気持ちを考えなさいよ。個室ってことは、保険に入っていたとしても出費は多いでしょ。大変だよ。それに家族はもう世間からいろいろ言われているかもよ。それでもほら、活けてある花は新しいし果物も新鮮ってことは、しょっちゅう見舞いに来てくれているんだ。あなたのこと大事に思ってくれているんだよ。いい家族じゃない」
「…………うん。ごめん」
生霊って泣けるんだ。
それだけでも私とあなたは違うんだよ。
「それに川戸の親は資産家なんでしょ。たとえあの三人が自白しても、親が弁護士雇って息子を無罪にしようとするかもしれない」
「はあ?! 三人の中でも一番のクソ野郎なのに?!」
「親もクソ野郎かもしれないでしょ」
「冗談じゃないわ。幸奈さんの分もしっかり罪を償ってもらうわよ。そうよ。まだ終わっていないのよね」
よかった。目に力が戻ってきた。
「リハビリくらいやってやろうじゃないの。私ってば、情けないことを言ってごめんなさい」
「やめてよ。友達でしょ」
「……そうね。友達よ。でも生きているうちに会いたかったわ。親友になれたかも」
「ねー。私ってばとろくてね」
でも、生きていたら出会えなかったんだよ。
幽霊になったから地元に帰ってきたんだから。
ただの偶然って言われたらそれまでだけど、縁て不思議だね。
「幸奈さんの家に顔を出して、協力しようと思う」
「うんうん。紗理奈さんは洋子さんのこと知っているから、話が早いと思うよ」
「絶対、三人分の有罪を勝ち取ってやるんだから」
「先輩も守護霊になって戻ってくるはずだから、一緒に頑張って。私は何も出来なくて申し訳ないけど」
「もう充分よ。あなたは自分の道を行かなくちゃ」
さすがにもうこれ以上、アッシュに迷惑かけられないからね。
消えてしまう前に成仏して、そしてその先に進まないとね。
「……で、いつまで自分の身体を見下ろしているの。戻りなさいよ」
「それが……どうやったら戻れると思う?」
わかんないんかーーい!
「上に重なってみたらどう?」
「上? 自分に馬乗りになるってこと?」
「難しく考えないでいろいろやってみなさいよ。女は度胸よ」
言いながら洋子さんの背中をべしっと叩いたら、
「きゃ!」
ベッドに乗ろうとしていた洋子さんは驚いた拍子に転びそうになってしまった。
「あ」
手をついて身体を支えようと腕を伸ばした先には、洋子さんの生身の身体があって、生霊の洋子さんの手が身体に触れたと思ったら、まるで引き込まれるようにするりと吸い込まれていった。
「……合体した」
こんな簡単に戻れるのに、今まで何をしてたのよ。
でも力業だったからちょっと心配で、洋子さんの顔を覗き込む。
しばらく何の変化もなくて、これはまずいと焦り始めた頃、眉がピクリと動いた。
「お、生きてる。よかった」
ぱちりと開かれた目は覗き込んでいた私には向けられず、天井を見ている。
もう洋子さんには私が見えないんだ。
「り……ぐっ、ごほっ」
ずっと話していなかったから、声が出にくいみたいだ。
急き込んでいる様子が苦しそうで、何も出来ないのがもどかしい。
「体が……痛い……動きにくい……」
しばらくしてようやく話せるようになった洋子さんは、起き上がろうとして出来なくて、仰向けに寝たままため息をついた。
「……梨沙……まだいる?」
私がいることを知らせるためと、早く看護師を呼べと伝えるために、ナースコールのスイッチを洋子さんの顔の前にぶら下げてあげた。
「よかった。まだいたのね」
幽霊がいてよかったって言われるのって、なかなかないわよね。
「もう私も幸奈も大丈夫だから、自分のこと考えなさいよ。アッシュをちゃんと捕まえておくのよ。好きなんでしょ?」
おせっかいだなあ。
私も人のことは言えないけどさ。
「そして、もしまだ転生していなかったら、私が死ぬ時には迎えに来てよ。来られない時はアッシュに担当になるようにたのんで。あなたがどうしたか聞きたいからさ」
家族も迎えに行かなきゃいけないから、もう四人も予約が入っちゃったよ。
わかったって伝える代わりに、ナースコールを二回押してあげた。
「せっかちね。もう人間の生活に戻らなきゃいけないの?…………梨沙、ありがと」
やめてよね。
幽霊じゃなかったら泣いてたよ。
半年以上意識の戻らなかった患者の病室のナースコールがなったんだから、看護師だってびっくりよ。
三人もいっぺんにやってきて、ひとりを残してふたりはバタバタと廊下を駆け出していった。
「洋子さん、わかりますか? 話せますか?」
「おはようございます」
その答えはなんだって、思わず洋子さんのおでこをはたいちゃったよ。
多少は感覚があったみたいで、洋子さんは泣き笑いしながらおでこをさすってた。
「さて、私は行きますか」
井上さんとは三人が捕まった時にお別れしてあるし、これでもう本当に思い残すことはない。
人間に戻った洋子さんは、眠っていた時よりはだいぶ元気そうに見えたからちょっとだけ安心して、私はその建物の屋上に向かった。
幽霊になった時も、こうして屋上でアッシュに会ったんだった。
あの時は夜で夜景が綺麗だったっけ。
今はもう朝日が昇って、街は澄んだ朝の空気に包まれている。
「別れは済んだのか」
待っていてくれたアッシュは相変わらずの黒ずくめで、朝日の中では浮いているけど、白目の部分が黒くて瞳が青い炎のように見える顔はすっかり見慣れちゃって、違和感なんてまったくない。
今日もイケメンだなあと思うくらいよ。
最初ゲームキャラで来た時にはこいつで平気なのかと心配だったのに、今では傍にいてくれるだけで心強い。
「覗いてたんじゃないの?」
「そんな悪趣味なことはしない」
「そうなんだ。洋子さんにね、アッシュが好きならちゃんと捕まえておけって言われた」
すぐ隣に立って顔を見上げながら、冗談で流せるように明るい声で言ったら、真顔で見下ろされた。
「俺は別にかまわないが」
「えっ!!」
「おまえが困るかもしれない」
「なんで?」
「人間は成仏してあの世に行くと、過去のことを全部思い出すんだ。今の自分として生まれる前のことも全部だ」
つまりあの世で過ごしたことも、転生していたら前世のことも思い出すってこと?
そういえば、なんとなくそんな話は聞いたことがあるような気がする。
でもそれだと何が困るんだろう。
「何度も転生した記憶を思い出すと、たいていの人間は今の自分にこだわらなくなり、死んだことへの動揺もなくなって平静になる。迎えに来てくれた相手にもよそよそしくなるから、たいていそこで死神の仕事は終わる」
なるほど。
私も記憶が戻ったらアッシュに対する思いも冷めて、よそよそしくなると思っているのか。
「それって、迎えに来たのは死神だってわかったからじゃなくて?」
「…………そうなのか?」
「私が聞いてるの」
「だが、家族や友人に会いたいと言い出す者はまずいないと聞くぞ。一緒に亡くなった家族でも行ける階層は人によって違うが、それで問題が起こることもないそうだ」
死神の仕事が終わった後の話は、伝聞になるのね。
私の場合はアッシュと出会ったのが死後だしなあ。
この先のやりたいことも決まっているから、まず変わらないと思うんだけどどうなんだろう。
「それでももし気持ちが変わらなかったら……」
アッシュはそっと私の肩に手を乗せて、少し上体を屈めて顔を覗き込んできた。
「その時は、傍にいてもいいか?」
「ぐふっ」
「梨沙?! どうした!」
やばい。
幽霊だったからよかったけど、生前だったら今のできゅん死してた。
次回で完結です




