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新米幽霊頑張る (1)

 突然たくさんの音を浴びて、私はその場に立ち竦んだ。

 車のエンジン音に店から漏れてくる音楽。通りを行く酔った人達の笑い声。多くの音が重なって私を包囲する。

 雑踏なんてうるさくて当たり前で、昨日までは何も気にしないでこの道を歩いていた。

 待ち合わせがあったり、帰りを急いでいたり、たいていは足早に目的地に向かっていて、歩道のど真ん中で足を止めるのなんて初めてだ。


「そりゃそうよね。ぶつかるもん」


 まだ終電はある時間のようで、同じ方向に歩いていく人が多い。

周囲を見回して、自分の立っている位置を確認して、脱力してため息をついた。

 転移するのなんて初めての経験だから、一瞬自分がどこにいるのかわからなくなるし、周りに急にたくさんの人間が出現したので、人間だったらパニックになったかもしれない。

 駅側を背に立っているので、たくさんの人が私に向かって歩いてきて、横を通り過ぎていく。

 もちろん誰も私に気付かない。ぶつからない。

 私はここにいるのに、いないのと同じだ。


「ねえ、週末は映画に行こうよ」

「なんの映画?」


 手を繋いで寄り添った学生風のカップルが、歩道のど真ん中を私に向かって歩いてくる。


「リア充めぇ」


 当たらないとわかっているから、繋いだ手に上から手刀を落として切る振りをして、


「あ、もしかしてこれって呪いになっちゃったり?」


 まさかとは思うけど、慌てて彼らを追いかけてふたりの手に腕を伸ばした。


「幸せになれよー」


 ちょうど信号待ちしていた彼らの手に、上から手をかざして念じる。

 ただの幽霊初心者だから御利益はないけどね。


「よし」


 何がよしなのかわからないけど、私のせいで誰かが不幸になるのは気分がよくない。

 私は祟らない幽霊よ。

 信号が変わって歩き出した彼らの背中に手を振って見送って、踵を返して歩き出す。

 友人とよく飲みに行った店に行けば、誰か知っている人がいるかもしれない。


「意外と幽霊っているのね」


 人が多くいる場所は、それだけ死んでいる人も多いらしい。

 歩道の端、信号の下、ビルの窓。いろんなところに彼らはいて、うつろな目で遠くを見つめていた。

 感情をなくして、目的もなくして、長く幽霊をやっているとああなってしまうのかな。

 彼らの死神は何をしているんだろう。

 無理矢理連れていくことは出来ないみたいだから、説得を諦めて放置してしまったのかもしれない。


「ん?」


 まっすぐに続く歩道の先に、さっきの私と同じように足を止めて佇んでいる幽霊を見つけた。

 どこにでもいる普通の会社員風の二十代の男性だけど、髪がくしゃくしゃでネクタイが曲がっていて、とても疲れた顔をしている。

 他の幽霊と違うのは、彼だけはぼんやりと遠くを見ないで、しっかりと私を見ていたことだ。


「もしかして話を聞けるかも?」


 幽霊世界について何も知らない新入りとしては、ぜひ先輩にお話を伺いたい。

 それに幽霊仲間と話してみたかった。


「あの……」


 私が近付いても彼は無表情で、少し猫背の姿勢で立ったまま右手を水平にあげた。


「え?」


 どうやら、建物の間の細い路地を指さしているようだ。

 薄暗くてよくわからないけど、店の裏口があるみたい。


「こっちに何かあるの?」

「……」


 反応はない。屍ではなくて幽霊だけど。


「うーん」


 これが生きている時だったら悩みはしない。絶対にそんな場所には入らないから。

 時間はたぶん深夜。何があるかわからない場所に、女がひとりでうろうろと入り込んでいくなんてありえない。

 でももう何も怖いものなんてないもんね。

 怪我する危険も襲われる危険もない。

 ならば見に行ってやろうじゃないか。


「意外と綺麗ね」


 ゲームやアニメでは、こういうところは瓶ビール用のプラスチックケースやゴミが置いてあって汚い描写が多い気がするんだけど、すっきり綺麗だわ。

 そりゃ発泡スチロールの箱が重なっていたり、室外機の上に吸い殻が山積みの灰皿が置かれてはいるけど、ちゃんと掃除が行き届いている。

 匂いは……私は今、見ると聞く以外は出来ないみたいだからね。わからないな。


「おら、何か言えよ!」


 お。揉め事の気配を察知!

 この裏路地は区画の反対側に大きな物販店があるせいで袋小路になっていて、そこに四人程の男が立っていた。

 この路地に面している壁にはトイレの窓くらいしかなくて、店の裏口に照明がついているだけだから薄暗いのよ。

 そこに、カタギじゃありませんって宣言しているようなチャラい恰好をした男達が四人よ。怪しすぎるでしょう。


「誤解……です。今日は仕事じゃなくて」

「ああ? そんな話が通用するわけねえだろ。どうせ暴露記事でも書く気だったんだろ?」


 男達が並んで壁を作っていたから気付くのが遅れた。

 彼らの向こう側に、壁に寄りかかってかろうじて立っている男性がいた。

 ジーンズにジャンパー姿で、足元に落ちた鞄からカメラが覗いている。


「僕はテレビ局の下請けなんです。記者じゃないんです。深夜営業の店の現状を……」

「だったら最初からそう言って取材するのが礼儀ってもんだろうがよ!」

「いえ、だからまずは食事をして、何軒か見て、それで取材する店を決めようと」

「うるせえ!」


 肩を掴んで膝蹴りされて、蹲った下請けさんはなんと私の知り合いでした。

 久我ちゃーん。最近見ないと思ってたら、報道に移動になってたの?

 コロナの影響を取材する店を探して、ぼったくりバーにでもぶつかっちゃった?


「どうします?」

「荷物漁って身分証明書を取っておけ。二度とここに近付く気にならないようにしてやろう」

「本当に、ただ食事に……ぐはっ!」


 蹲っている背中を更に蹴られてる。

 これはやばい。下手したらリンチにあって殺されちゃうかも。

 そうよ。私は幽霊なんだからこわがらせて追っ払えばいいのよ。

 貞子みたいに髪を降ろして、服……これじゃ駄目か。セーターにジーンズ姿の幽霊って怖そうじゃないわ。

 貞子風なら白いワンピース? そんなもん持ってないわよ!

 ともかく、ここが女優の腕も見せどころ。

 肩を叩いて……って、叩けない! 触れない!

 あああああ、そもそも私は見えてない!!


 どうしようどうしよう。

 意味もなくうろうろしながら考える。

 何か思いつくはずよ。だって私、ネットで心霊動画見るの大好きで毎晩見ていたからね。

 幽霊にやれること……音! ラップ音で驚かせばいいのよ!


 久我ちゃんの鞄を漁っている男がひとりと、やめてくれと叫ぶ久我ちゃんを捕まえている男がふたり。リーダーらしき男は余裕の表情でタバコを吸いながら様子を見ている。

 早く早く。今なら彼は怪我だけで済む。

 でもマジで綺麗に掃除されていて、どこでどう音を立てればいいのかわからない。

 幽霊はどうやって音を立てるのか誰か教えて!


「しけてんな。二万しか入ってない」


 二万もはいってりゃ充分だろ。

 こいつらどんな金銭感覚しているのよ。

 いやそれよりラップ音。

 もうなんでもいいや。物には触れられるんだから、ともかく何か蹴ってみよう。

 思いっきりやっても怪我はしないし痛くない。

 ならばと一番近い場所にある室外機に、一度はやって見たかった回し蹴りをお見舞いした。


 ポンッ。


 ここで綺麗に回し蹴りを決められるほど体幹がしっかりしていたら、滑って転んで死んだりしないわよね。

 スカッと足が室外機の中を通り抜けて、そのままくるっとその場で回転してよろめいた。

 今回は転ばなかっただけ成長しているわ。


「しょぼい」


 なんとも情けない音だ。でもいちおう音はした。


「え?」

「誰か来た?」


 表通りの騒音が少しはここにいても聞こえるし、時折笑い声が風に乗って届くけど、わりと静かな路地裏の一番奥だ。

 彼ら以外に音を立てる人がいないので、小さな音でも気にしてくれた。


「木魚みたいな音じゃなかったか?」

「やめろよ」


 リーダーに指示された若いにいちゃんは、仲間のからかう声に嫌そうに文句を言いつつ様子を見に近付いてきた。


「木魚か。いいわね。ぽくぽくぽく」


 お経を唱えるようなリズムで、意識を集中して室外機を蹴る蹴る蹴る。


「その室外機の方から聞こえないか?」

「調子が悪いんですかね」


 さすがにこの状況で幽霊の仕業だと思うやつはいないか。

 だったらこれはどうだ、ポルターガイストよ!


「ちょ、今の見ました?」

「なんだよ」

「俺も見た。あのケースが動いた」

「は?」


 は? じゃないわよ。もっと驚いてよ。

 これ結構大変なのよ。

 両手でビールケース掴んで、動け動けと念じながら必死で引っ張っているんだからね。

 生きていたら、今頃汗だくよ。

 こんな姿を見られたら、幽霊だからって怖がってもらえなくなるわ。


「誰も来てない……どうしたんですか?」


 はい、ここで明かりを点滅させるよ。

 幽霊が電子機器に影響を及ぼすのもネット動画で勉強済み。

 意外とこれが一番簡単だったわ。

 照明に触りながら念じるだけで調子悪くなるのね。


「もしかして……」

「なんなんだよ」


 もう一度、室外機に蹴り!

 いい加減、気持ち悪がって諦めて帰ってよ。幽霊なのに疲れてきたわよ。


「な、なんなんすか? 俺、こういうの苦手なんすよ」

「アホか。ビビってんじゃねえ! それよりこいつだ」


 ……幽霊って無力だ。


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